第8話 常闇の世界

 ────夢の中で、声が聞こえた。

 優しく包むような声で、彼女は「じゃあね」と言った。

 それは──────本当の別れで、もう二度と会えないものだと、直感的に理解した。

 


「…………ん」

 目が覚める。いや、覚めてしまったという方が正確か。

 まだ暗い。近くにあった壁時計を見る。

 ………30分近く寝てしまった。

「ん───」

 ふと、何かが手に当たった。

 …………手紙だ。

 差出人は分からない。

 けれど、なんとなく、これは遥香からのだと思った。

 手紙を読んでみる。

『────拝啓。………あ、やっぱこういう堅苦しいのはナシナシ。おはようウィシュちゃん!わたし、ちょっぴり遠くの地へ行くから、しばらく会えないんだ。別れの挨拶がなくてごめんね。とりあえず時間がないから、二つだけ大切なことを伝えるよ!よく読んでね!』

 続きを読む。

『一つ目。夢を、目標を決めて。まだ叶えてないわたしが言うのもなんだけど、強さの秘訣はそこ。強くなりたいなら、なりたい自分を想像して目指すこと。それさえ出来れば、人生なんてイージーモードだよ』

 ………なりたい自分。

 まだ、何も思い浮かばない。

『二つ目。ハッピーバースデー、ウィシュちゃん!ケーキは屋上に置いてあるからぜひ食べてね!以上!』

 手紙はこれで終わりだ。

 言われた通り、屋上に向かう。

 途中、少し焦げ臭い匂いがした階があったが、窓が開けられていたおかげか、そこまで匂わなかった。

 屋上に到達する。端に、真っ白な箱が置いてあるのが見えた。

 慎重に、開けてみる。すると中には、小型のフルーツケーキが入っていた。

 精密な美しさがうかがえるホイップ。

 ケーキをカラフルに彩るいくつものフルーツ。

 まさに、それは子どもの夢が詰まったスペシャルケーキだった。

 スプーンがないため、手でかじり食う。

 美味しい。様々な甘みが満遍なく口の中に広がる。

 この腕ならば、本当にパティシェも夢なんかじゃ───────。

 ────ふと、音が聞こえて、ビルの下を見下ろす。

 そこには、大勢の人と救急車があった。

 気になって下に降りてみる。

「若いのにねぇ」

「まさか、飛び降り自殺だなんて」

 おばさんが話し合っている。

 透明化して、人衆をかき分けて、なんとか中央へとたどり着いた。

 ────遥香もまた、致命的な誤算をしたのだ。手紙を書かず、遠くに行くのがベストだった。

 わたしは見てしまった。


 ─────おびただしく広がった血を。


「やだ……やめてよね……」

 ソンナ筈ナイ。


 遺体は布で隠されていて見えないが、体格から察するに、明らかに遥香と同一のものだ。


 遥香ハ強インダ


 遥香は、本当は強くなんてなかったのでは?


 遥香ハ一人デ生キテイケルンダ


 あの時諦めかけた夢を応援してなければ、今頃もっと穏やかな人生が送れたのではないか?

 わたしが、死に追いやった?

 考えたくもない事が、嫌でも頭に浮かぶ。

 自分が殺した。

 自分が追い詰めた。

 そして、とどめを刺した。

 夢なんて、諦めさせれば良かった。

 もう充分頑張ったよ。楽になっていいよ。そう言ってあげられたのなら、どれだけ良かっただろうか。

「あ゛あ゛あ゛あ゛! !」

 怖くなって走り出す。

 自分が何を犯したのか。

 考えなしの軽い一言で、どれだけ辛い思いをさせたのか。

 勝手に遥香を理解わかった気でいた。

 しかし、それはひどい勘違いだった。

 顔がぐちゃぐちゃになる。

 しょっぱい鼻水や涙が、口に流れ込んでくる。


 ケーキの味など、もう忘れてしまった。


     ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


 逃げて、逃げていつの間にか公園にいた。

 現在時刻24時。ちょうど最後の報告会の時間だ。

 あたりはひっそりと静まり返っていて、人の気配はない。

 ………とにかく誰でもいい。

 今は誰かに会いたかった。会って、苦しみを紛らわしたかった。

 街灯の光に照らされながら、ベンチに座り続ける。

 一時間が経過した。

 しかし、まだ誰も来ない。

「どうして、誰も来ないの………」

 口で言いながらも、ある程度は分かっている。

 みんなも同じように、殺して絶望した筈だ。

 だから、来るのが遅れているのだろう。

 しかし、震えは増していく。恐怖に身体がさいなまれる。

 「お願い……早く……だれか……」

 そんな時間は、唐突に終わりを告げた。

 誰かが来た。正体は暗くてわからない。

 この際、ライヤーたちじゃなくてもいい。とにかく、これ以上一人でいたら気が狂ってしまう。

 近づいて来る。

 正体は──────ローズだった。

「ローズ!ローズなの!?お願い、わたしを────」

 ────否。それは、ローズでは無かった。

 生きる屍という表現が、これほど当てはまるのもがあるだろうか。

 歩き方は挙動不審のソレで、身体の一部にバグのようなモザイクが点々と煌めいている。 

 目は空洞のように黒くなっていて、あの眩しいくらいの光はとっくに消えている。

 身体からは血がダラダラと流れていて、白い服が朱いドレスのように染まっていた。

 ────その姿は、まるで萎れた赤薔薇のようだった。

「ごめんなさい、ごめんない。殺してしまってごめんなさい」

 それは、もういなくなったヒトに対する謝罪だった。

 紅い涙がローズの白い頬をつたる。

 それと同時に地面から15本もの刺々しい茨が現れる。

「殺して……あたしが壊れてしまう前に誰か………殺して」

 萎れた薔薇のように、儚く絶命を乞う。


 包丁がわたしの前に転がり落ちた。


 さっきまでのローズの血は、これを使って流したのだろう。

 首元に半分ほどの切り口を見つける。

 天使の生命力は高い。

 たとえ喉を掻っ切っても絶命までは至り難い。

 ローズは身体のあちこちを刺しつくしたのだろう。

 そうでもしなければ、あそこまで血塗れにはならない。

「殺して……早く、殺して!!」

 これが最後の機会だとばかりに悲鳴をあげる。

 今その願いを叶えられるのはわたしだけだ。

 包丁とローズを何度も、交互に見る。

 ここで彼女を殺さなかったら、取り返しのつかない事態になると本能が悲鳴をあげる。

 しかし、わたしに殺せるはずもない。月日を共にした仲間に刃を突き立てるなど、出来っこない。

 ローズの足に力が入る。

 おそらくわたしを殺すつもりだろう。

 殺るか殺られるか。

 選択の瞬間は刻一刻と迫り来る。

 わたしは───────────、



 ぐさり、と音が鳴る。

 包丁が、ローズの心臓を貫いた。

 その瞬間、ローズは電池の切れたロボットのように止まった。

「……えへ、……えへへへへ」

 わたしは静かに嗤った。誰でもない、このわたしを嗤った。

 愚かな決断で遥香だけじゃなく、ローズも殺してしまった。

 もうわたしの目に光はないだろう。

 おそらくローズと違って、わたしはあんなモノにすらもなれない。

『………わたしはね、パティシェになるのが夢だったんだ』

 ふと、そんなことを言っていた女を思い出す。

 手紙には、なんて書いてあったっけ。

 ポケットをまさぐったが見つからない。

 いつの間にか、何処かに落としてしまったようだ。

「────まぁ、いいや」

 どうせ今の自分には必要ないものだ。

「…………わたしは、これからいくら殺したらいいんですか?」

 その言葉に答えてくれる者はいない。

 もうヒトも、天使も、女神様も全てがわからなくなってしまった。

 心が機械のように死んでしまった。


 機械には感情がない。

 神様は鉄屑に生命など宿さない。

 無感動故に、殺して涙を流すこともない。

 実に効率的で、都合がいい。今のわたしには合っている。

 心のない冷酷な殺人鬼にもなりきれるはずだ。

 愚かなわたしはこの日を境に、考えることを、辞めた─────────。


 

      ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎



 ────────とある建物の一室。

 明かりは外からわずかに入り込む光だけの空間。

 男は、そこで報告書を読んでいた。

「No.345ライヤー遂行、その後失踪。現在も行方不明。No.346ミカ失敗、その後失踪。現在も行方不明。No.347ジョン失敗、その後失踪。現在も行方不明。No.348ローズ遂行、しかし堕天使化。同僚のNo.349ウィシュタリアによって討伐」

淡々と、感情の起伏一つなく報告を読み上げる。

「失踪を許しただけでなく、堕天使化も防ぎ損ねるとは。………高くつくぞ、裏切り者」

 さっきまで機械的だった男は眉間にしわを寄せた。

 もともと、このグループの天使は、他の個体と比べて自我が強く、心は人間に近い。悪く言わせれば不良品だ。

 それゆえ、堕天使化のリスクも高く、大天使──堕天使特別討伐班の一人が、いざとなったら始末できるよう常に警戒をしているはずだった。

 しかし、問題が起きた。

 監視していたはずの大天使が反旗を翻した。

 我々に妨害工作を働き、ついには何人かの天使をそそのかして、雲隠れした。

 おかげで、我々の動きだしも遅く、失踪も堕天使化も起きてしまい、情けない結果に終わった。

 あいつの裏切りは万死に値する行為だ。

 決して、楽には殺さない。

「………No.349ウィシュタリア遂行。引き継ぎ続投可能」

 まあいい、と男は思った。

 いつでもここは人材不足だ。一人戻ってきた、それも堕天使を討伐したという実績があるものが帰ってきたのは大きい。

 こいつにはまだ働いてもらう。出来によっては、大天使の一員となってもらう日も来るかもしれない。

「その前に心が死ななければの話、だかな」

 男はそう言って─────557号室を後にした──────。
























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