第53話 勇者逃亡のあと ―別視点―

カリスタが国庫へと通じる廊下に脚を踏み入れると何人かの兵士たちが壁を作っていた。

 関係者以外を近寄らせないように配慮したのだろう、と思いながらカリスタが兵士の一人に声を掛ける。


「国庫のなかには誰がいる?」


「財務部のオニール様が何人かの部下を連れて確認中でございます」


「私も確認をする」


 カリスタが踏み出すと壁となっていた兵士が脇によって道を空けた。

 勇者逃亡を知らせに来た兵士と国庫と宝物庫が空になったことを知らせに来た兵士が彼女に続いて国庫へと向かう。


 国庫へと足を踏み入れた瞬間、カリスタの脚と思考が停止した。

 扉付近で棒立ちとなった彼女の視線は虚空を見つめたままとなる。


「……」


 三十代半ばの男性がカリスタに気付いた。

 財務部のオニールである。


 間の悪いことにオニールと彼に付いてきた五人の部下は補正予算案の組み直しを徹夜作業で終わらせたばかりだった。

 これから眠ろうとしたところにこの騒ぎである。


 そこへ鬼の形相のカリスタが現れた。

 オニールは達観したように部下に言う。


「お前たちはこのまま調査を進めなさい。私は殿下に現状の報告をしてくる」


「畏まりました」


 部下たちが申し訳なさそうな顔でオニールを送り出した。

 カリスタの前に進み出たオニールが頭を下げる。


「殿下、このような時間にも関わらずご足労頂きありがとうございます」


 別にオニールが呼んだわけではないが形式的に感謝の言葉を述べた。

 彼の言葉で我に返ったカリスタが問う。


「何があった?」


「何者かが宝物庫にあった貨幣や証文、権利書を持ち去ったようです」


「ここまでに分かったことは?」


「賊が侵入した形跡はいまのところ見つかっておりませんが、見張りの兵士と巡回の兵士は睡眠の魔法で眠らされておりました」


 見張りの兵士と巡回の兵士を騒がれることなく一度に眠らせるなど、並大抵の魔術師に出来る芸当ではない。

 それこそ、宮廷魔術師ですら不可能だ。


 暗に勇者が犯人である可能性が非常に高いと示唆した。


「城内から持ち出されたのか?」


 城内にまだあるのか、持ち出された後なのかで今後の対応が大きく変わる。

 ある意味、最も重要なポイントである。


 勇者が城外へ脱出しているのなら国庫の中身も持ち出されていると考えるべきなのは分かっていた。

 それでもカリスタが一縷の望みをかけて聞いたのはオニールも分かっている。


 しかし、安易に彼女の耳に心地よいことを口にするのはオニールにとって自殺行為だった。


「恐らくは持ち出された後かと」


 事実に基づき推測されるなかで最も確率の高い可能性を口にした。

 彼のその冷静な態度と相俟ってカリスタの神経を逆なでする。


「随分と冷静だな!」


 再び柳眉を逆立てカリスタがオニールに掴みかからんばかりに迫る。


「冷静でなどいられるわけがありません。ただ、感情を表に出すことが苦手な性分なだけです。それを殿下が不快に思われたのでしたらお詫び申し上げます」


 もちろんでまかせである。

 非常時だからこそ、上に立つ者が冷静にならなければダメだというのが彼の心情だった。


 しかし、それをカリスタの前で口にするわけにはいかない。


「宝物庫はどうだった? そちらの調査報告を聞こう」


「申し訳ございません、宝物庫は近衛隊の者が向かったと聞いています」


 他人事のようなもの言いがカリスタの神経をまたも逆なでする。


 オニールにしてみれば王家の私財である宝物庫の管理は管轄外である。

 関心は低い。


 とはいえ、犯人を追う手掛かりがあるかも知れないので、自身の目で確かめに行くつもりでもいた。

 オニールが続ける。


「このあと、部下とともに宝物庫の確認をするつもりです」


「私も同行しよう」


 カリスタが間髪を容れずに言った。


 ◇


 宝物庫の前で呆然と立ち尽くすカリスタがつぶやく。


「バカな……、国庫の何倍の量の国宝や宝飾品が入っていたと思っているんだ……」


「殿下、近衛隊が調べたところによれば国庫と同様に見張りの兵士と巡回の兵士の両方が魔法で眠らされていたようです」


「見張りの兵士や巡回の兵士を眠らせたからと、容易に持ち出せる量ではないぞ!」


「アイテムボックスでしょう」


「あれだけの量を収納出来るアイテムボックスなど聞いたことがない!」


 オニールが黙り込むと、入れ替わるようにして近衛隊長が報告をする。


「見回りの兵士二人が、賊を目撃しました」


「詳しく話せ!」


「魔法で眠らされる直前にチラリと見ただけなので真偽のほどは」


「構わん!」


 近衛隊長の言葉を遮ってカリスタが促す。


「五人の勇者です」


「間違いないのか?」


 カリスタが恫喝するように聞き返すが、近衛隊長も引くことなく「間違いありません」と力強く答えた。


 勇者の管理監督の責任者はカリスタである。

 彼女の指揮の下、近衛隊と城内の兵士が直接の訓練と監視にあたっていた。


 その近衛隊長の口から責任を認めたことになる。

 そうなれば、最終的に責任を負うのはカリスタだ。


 自分の責任を認められないカリスタが叫び出す。


「不可能だ! 勇者全員のアイテムボックスでも宝物庫の宝飾品を全て持ち出すなど出来るわけがない! ヤツらのアイテムボックスの容量は全て確認している。外部の者の協力がなければ不可能だ!」


 勇者の持つ魔法やスキルは全て管理していた。

 もちろん、アイテムボックスの容量もである。


「もし、彼らの申告に嘘があったとしたら?」


 オニールがポツリと言った。


「鑑定をしているのだぞ!」


「相手は異世界人であり勇者です。我々の知らないこと、予見しなかったことが起きても不思議ではないでしょう」


 たとえば、鑑定でも把握できない特殊なスキルがあるかも知れない、と言った。


「隷属紋を刻んでいるのだ!」


「特殊なスキルの中に解除できるスキルを持つ者がいたのかも知れません」


「憶測だ! そんなことは憶測にしか過ぎん!」


「ですが、現実に勇者は逃亡し、国庫と宝物庫は空になりました」


「いまは最悪の可能性を視野にいれて行動すべきだと具申申し上げます」


「黙れ!」


 乾いた音が宝物この中に響いた。

 カリスタ右手が振り抜かれ、オニールの左頬を赤く染める。


「と、ともかく! まだ遠くへは行っていないはずだ! 王都はもちろん、至急主要街道を封鎖して検問を設けよ!」


 カリスタがオニールを無視して近衛隊長を睨み付ける。


「畏まりました」


「私は陛下に報告申し上げる」


 そう言って踵を返した。

 遠ざかるカリスタの背中を見ながらオニールが深いため息を吐いた。

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