第22話 野営の準備

結局、伊織が選んだのは二十七歳の女性――、グレイスだった。

 決め手となったのは、「大人の男性が必要なら、用心棒も兼ねられる奴隷を買えば良いんですよ。計算能力は拮抗していますが、人あたりは彼女の方が数段上です」というアルマの言葉だった。


「ご主人様、よろしくお願いいたします。グレイスと申します」


「ご主人様、よろしくお願いいたします。ローラと申います」


 グレイスが深々と頭を下げると、傍らの少女もそれに倣って頭を下げた。

 ローラはグレイスの娘で今年十歳となる。


 グレイスの娘も一緒に借金奴隷として売られていたのだ。

 彼女に決めた直後、グレイスが「娘と離れたくない」と涙ながらに懇願する場面があった。


 結果、伊織が情にほだされて母娘で引き取ることとなった。


「よろしく頼む。それと、ご主人様呼びはやめてくれ。俺のことは家名のモガミで呼んでくれると嬉しいよ」


「あたしも家名のファティでお願い」


「承知いたしました」


「承知いたま、いたました」


 よどみなく答えるグレイスと噛みまくるローラ。

 挨拶を終えたところで伊織が言う。


「二人とも身ぎれいにしようか」


「身ぎれい……」

 

 グレイスがローラを抱き寄せて息を飲む。


「勘違いしないでくれ。二人ともそういうのがダメだってのは承知しているし、そんなつもりは毛頭ないから安心してくれ」


 安堵してその場に座り込んだグレイスに言う。


「こう言ってはなんだけど、二人ともかなり汚れているからな」


「大変失礼いたしました」


 グレイスとローラが改めて自分たちがどのような状態なのか思い至って赤面する。

 逃亡防止のため、糞尿を垂れ流している不衛生な檻馬車のなかに閉じ込められていたのだから、単に汚れているだけでなく悪臭もしていた。


「それじゃ、土魔法で覗き防止用の壁と足が汚れないように床を作るからな」


 土魔法で風呂場を作ろうとする伊織をアルマが止める。


「後継者様、その程度のことはあたしがやりますよ」


「いや、練習を兼ねて作ってみるよ」


 伊織の言葉に「そういうことでしたら」とアルマが引き下がった。


「それじゃ、やるぞ」


 地面から土がせり上がり、瞬く間に高さ二メートルほどのコの字型の壁が出来上がり、床は磨かれた御影石のように硬くツルツルとしていた。


「お母さん、魔法だよ!」


「え、ええ……」


「魔法を見るのは初めてか?」


「はい! い、いいえ。 魔法は何度も見たことがあります」


「これまで見てきた魔法とはあまりにも違ったので私も娘も驚いていしまいました」


 言葉足らずのローラをグレイスが捕捉した。

 二人が目にしたことのある魔法は種火代わりの火魔法であったり、コップを満たす程度の水魔法が主であった。


「次は湯船を作る」


 御影石のような床がせり上がり、人ひとりが身体を伸ばせるほどの長方形の湯船が出来上がる。


 グレイスもローラも言葉がない。

 二人とも伊織の魔法にクギ付けである。


「最後は水と火の混合魔法で湯船にお湯を注ぐ、と」


 瞬く間に湯船を透明なお湯が満たす。

 呆然とする二人に伊織が言う。


「入り口には衝立ついたてを立てるから覗かれる心配はない。二人とも身体を綺麗にしてゆっくりと温まるといい」


 顔を見合わせたまま動こうとしない二人に伊織が聞く。


「どうした? 遠慮はしなくてもいいぞ」


「あ、あの……」


「どうした?」


 恐る恐る口を開くローラに穏やかな笑顔で先を促す。


「これって、お風呂でしょうか……?」


「お風呂というものを初めて見いました」


 二人とも使用方法を知らないという。


「俺が使い方を教えれるわけにはいかないよなー」


 視線でアルマに訴える。


「分かりました。あたしが使い方を教えます。ついでに石けんの使い方も教えます」


「助かるよ、アルマ」


「商会長様へのご報告の際には、そのあたりこともお伝えくださればそれで十分です」


 人前で「魔王様」などとは言えないので、志乃のことは「商会長」の呼称で通すことにしていた。


「祖母ちゃんへの報告は期待して良いぞ」


「ありがとうーございまーす!」


 アルマは上機嫌で「さあ、お風呂に入りましょう」と二人の背中を押して風呂場へと消えていった。


「俺はこの隙に野営の準備を始めるか」


 そう言って馬車の中へ消えた。


 グレレイスとローラ以上に驚いたのは一連のやり取りは遠巻きに見ていた者たち。

 なかでも魔法が使える者たちの驚きは殊更であった。


 冒険者の一人が隣の同僚に聞く。


「なあ、お前、土魔法が使えたよな?」


「ああ……」


「風呂、作れるか?」


「作れるわけないだろ」


「だよなー」


「空を飛べる魔術師と比べないでくれよ」


 魔法に造詣の深い者ほど伊織に畏敬の念を抱くのだった。

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