第19話 お礼

 馬車隊を助けた場所から一キロメートルほど進んだところに橋が架かっていた。

 そこで合流をする約束を交わした伊織は一旦自分の馬車へと戻る。


 事の経緯を聞いたアルマが言う。


「やっぱり奴隷商人でしたかー」


「気付いていたのか?」


「大きい馬車が布で覆われていたので、もしかしてー? とは思いました」


 布で覆われた大きい馬車とは馬車の荷台部分を頑丈な檻で囲った馬車で、檻馬車などと呼ばれている。

 今回は奴隷を輸送していたが魔獣などもこれで輸送されることがあった。


「助けたお礼はやはりお金で貰った方がいいかな……?」


 伊織が自問する。

 行商人を偽装している手前、無償での人助けは逆に怪しまれると思って対価を要求したのだが、お礼として提示されたのは彼らの扱う商品――、奴隷だった。


「でも、現地人の協力者として奴隷の購入は推奨されていますよ」


「奴隷って受け入れがたいんだよなあ」


 馬車を操車しながら器用に本型デバイスを操作するアルマを横目に見ながら伊織がげんなりとした顔をする。


「ならお断りしますか?」


「そう簡単に決断出来ていたら悩んでないよ」


 悩む原因は志乃から手引書にある。

 そこには現地での社会的な立場を作り上げることの優位性について書かれていた。


 裏切ることのない奴隷を現地での協力者とし、彼らを利用して身分を偽装して現地に溶け込むよう推奨されている。


「あたしは良いと思いますよ、奴隷」


「奴隷に抵抗とかないのか?」


 アルマの生まれ育った環境についてはよく知らなかったが、自分が生まれ育った環境よりも人権の尊重は進んでいると思っていただけに意外だった。


「抵抗はありますよ。ですが、あたしたちの仕事はこの惑星の人権問題の解決じゃありません。そもそも他所様の世界に勝手にやって来て、自分たちの価値観を押しつけたり意識を変えよう何て傲慢ごうまんです」


「そこまでは思ってない。単に俺個人の心の折り合いの問題だよ」


 伊織は自分で言いながら、なんと小さいことにこだわっていたのだろうと思う。


 心の折り合い――、それが価値観ですらないことに気付く。

 罪悪感でと羞恥心だった。


 現代日本において、道徳的にも法律的にも「悪」とされていることへの罪悪感。

 奴隷を所有する者に対する自身がもつ醜悪なイメージ――、己がその醜悪なイメージに染まることへの羞恥心である。


 葛藤する伊織の耳にアルマの声が届く。


「橋が見えてきましたよー」


 彼女の視線の先を伊織も見る。

 谷間の幅は二メートルほどに狭まり、そこに大型の馬車が十分にすれ違えるほどの幅の大きな石橋が架かっていた。


「奴隷を貰おう。この先さらに必要なら、必要な数を買いそろえよう」


「分っかりましたー」


 伊織の決断をアルマが軽く受け入れた。


 ◇


 伊織とアルマの馬車が橋を渡り終えたのとほぼ同時に馬車隊が到着した。

 屈強な護衛二人を従えた男性が巨体を揺すって伊織に駆け寄る。


「改めてお礼を述べさせてくれ。先ほどは助けてくれて感謝するよ」


 伊織の手を取ってそう言うと豪快に笑った。


「いいえ、お気になさらないでください。困っているときはお互い様です」


 助ける前に対価を要求しておいて俺もよく言うよな、と内心で思いながら隣のアルマを紹介する。


「こちらの女性はアルマ・ファティ。私の右腕です」


「この先にあるハインズ市で奴隷商を営むテオ・エメルトだ。我々の馬車に速度を合わせくれて助かったよ」


 テオが「ありがとう、お嬢さん」、とアルマの心遣いに礼を述べる。


 彼らの馬車は盗賊の襲撃で少なくない損傷を受けていたので本来の速度を出せずにいた。

 そのことに気付いたアルマが速度を合わせて操車していたのである。


 伊織が心配そうに聞く。


「馬車の修理はできそうですか?」


「修理に必要な部品は一通り揃っているから問題ない」


 応急措置程度なら何とかなると再び豪快に笑う。

 しかし、馬車の修理をしてからの移動となるとハインズ市の門が開いてい時間に到着するのは難しかった。


 伊織たちを足止めしては申し訳ないとテオが申し出る。


「我々がハインズ市の門を潜るのは明日になりそうだ。君たちをそれに付き合わせるのも申し訳ない」


 そう言うと、布が被せてある檻馬車を視線で示して話を続ける。


「仕入れたばかりの奴隷だが、よかったら見ていくかね?」


 気に入った奴隷がいたらこの場で奴隷契約を済ませることもできる、言った。

 テオの意図を察した伊織が答える。


「我々も急ぐ旅ではないので大丈夫です。ですが、せっかくなので皆さんが修理をする間奴隷を拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」


「そういうことならわしが案内しよう」


 テオが先頭に立って歩き出した。

 伊織とアルマはテオの後に続く。


 途中、テオの店の従業員や護衛の冒険者たちの横を通り過ぎる。

 誰一人として伊織のことを直視しようとしなかった。


 しかし、ヒソヒソとささやく。


「あの若いのだろ? 空を飛んだっていうの」


「馬よりも早かったって話だ」


「見た、見た! スゲー速度で飛んでいったのを見たぞ」


「そんなことよりも盗賊たちを一瞬で倒した魔法だよ。あんな魔法、初めて見たぜ」


「商人ってのは世を忍ぶ仮の姿で、本当はどこかの大魔道士の弟子とかじゃないのか?」


「あの若いのだ。一瞬で盗賊撃退したヤツだ」


 従業員と護衛たちの間を歩きながら、本型デバイスを操作してアルマにメッセージを送る。


『この世界の魔術師は空を飛ばないのか?』


『分かりません。飛んだような気もしますがもしかしたら別の異世界だったかも』


 即座に返ってきた無責任な言葉に伊織は内心で頭を抱える。


『この世界の人間が空を飛ぶとしたらどんな手段で飛ぶのか急いで調べてくれ』


『分かりました』


『それと、ショックウェーブ・ミサイルを魔法ってことにしたが、それも大丈夫か調べて欲しい。もしダメだったら新たな言い訳を頼む』


 いまさらそれを言われても、とアルマも思うがそれでも素直に了解の返信をした。


「これは随分と手の込んだ装丁じゃないか。どこの国のものかね?」


 伊織の本型デバイスを覗き込みながらテオが聞いた。


「祖母の出身国の本です。商人の心得が書かれた本なんですよ」


「ほう、商人の心得か。それは興味深いね」


 本の内容ではなく装丁に惹かれたのは確認するまでもなかった。

 伊織は早々に本型デバイスをカバンにしまう。


「奴隷を拝見させて頂きましょうか」


「仕入れたばかりで少々汚れているが、どれも上物だ」


 きっと気に入って貰えるだろう、とテオが得意げに語った。

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