第16話 方針転換

月明かりが森のなかの小さな集落を照らしていた。

 照らしだされる集落を見下ろせるところにある崖の上で二つの影が動く。


 集落に動く影はない。

 集落を暗視スコープでのぞき込むアルマと伊織が言う。


「眠ったようですよー」


「こうもあっさり成功すると少し拍子抜けするな」


「後継者様の作戦が見事だったということです」


「いや、運がよかっただけだ」


 伊織の考えた作戦は単純なものだった。

 集落に一つしかない井戸に睡眠薬を投げ込んでゴブリンたちが行動不能になるのを末というものである。


 睡眠薬を井戸に投入したのが十時頃。

 現在の時刻は夜中の三時を回っていた。


 眠い目をこすりながら二人が会話する。


「今回はラッキーだったのもあるけどな」


「遺棄された人間の村に棲みついたゴブリンの集落なんて滅多にないみたいですからね」


 そう、ターゲットとなる村の発見は幸運の産物である。

 

 当初は風上から睡眠薬を散布してゴブリンを眠らせる計画でだった。

 ところが、監視衛星を使ってゴブリンの集落を探しているときに幸運にも人間が遺棄した村に棲みついたゴブリンを発見した。


 作戦を急遽変更。

 気まぐれな風向きに頼って睡眠薬を散布するのではなく、井戸に薬を投げ込むことにした。


 問題はどうやって井戸に投入するか。


 考えた末実行したのは、夜の闇に紛れての集落への侵入。

 侵入後も闇に紛れてギリギリまで井戸に接近し、最後は風魔法を使って粉状の睡眠薬を井戸まで飛ばすというものだった。


『指向性を持たせた風を操れるなら、危険を冒して集落に侵入する必要はなかったんじゃないのか?』


『いまさら言わないでください』


 二人とも風魔法を使う段になってから気付くという一幕があった。


 しかし、その記憶の片隅に追いやって、作戦の成功を喜びあう。


「それじゃ、眠っているゴブリンを捕まえに行くか」


「これで臭くなかったら楽な仕事なんですけどね……」


 アルマがげんなりする。


 ゴブリンやコボルト、スライム、ホーンラビットなど、弱いとされる魔物のなかでもゴブリンの悪臭は群を抜いていた。

 加えて染みついた悪臭がなかなか抜けないのだ。


「相変わらずの悪臭だな」


「村に入っただけでこれですからね」


 睡眠薬を入れるために村に入ったが、入った瞬間に吐き気を覚えたのを二人は思いだしていた。


「それじゃ、村長宅から行くか」


 伊織は村の中央にある一際大きな家の扉をノックする。


「夜分にすみませーん。起きてますかー?」


「いやですよー。起きているわけないじゃないですかー」


 二人の笑い声がゴブリンの村に響いた。


「それもそうだな」


「眠っているうちにおりに入れちゃいましょう」


 と、そのとき家のなかで何かが動く。


「いま、動かなかったか?」


「寝返りを打ったんじゃないですか?」


「だよなー」


「ギャギャ!」


「ギャー! グギャー!」


 二人の笑い声をかき消すような甲高い叫び声が家のなかに轟いた。


「え?」


「うそ!」


「ギャー、ギャー!」


「キーキー、キー」


 ゴブリンの叫び声だった。

 その叫び声は瞬く間に村中に広がる。


「ちょ、なんで? 起きてるー」


「アルマ、逃げるぞ!」


「薬が効いてないー!」


 二人が家の外に飛び出したときには他の家からも騒ぎに気付いたゴブリンたちが出てくるところだった。


「いっぱいいるー!」


「泣くな、アルマ! ともかく逃げるぞ!」


「囲まれました!」


 調子に乗ってかつての村長宅を最初のターゲットに選んだのがわざわいした。


「切り抜けるぞ」


 伊織が空間魔法庫パーソナルストレージからSF漫画に登場するハンドガンのようなものを取りだした。

 重力ブラスターである。


「いやー!」


 その傍らで迫り来る悪臭と醜悪な容貌を目の当たりにしたアルマが半ばパニック状態でスカートを腰の高さまでめくり上げた。

 可愛らしい下着が顕わとなった瞬間、無数のミサイルが飛び出した。


 昼間、ゴブリンたちを殲滅した兵器である。


「ちょっと待て、お前!」


 それは過剰攻撃だ、と叫ぼうとしたが言葉が続かなかった。


 スカートから飛び出した無数のミサイルは四方八方に展開してゴブリンと遺棄された村の建造物を次々と爆発四散させていく。


「やっちまった……」


 ◇


 それが半日前の出来事である。


「方針を換えよう」


 第二次ゴブリン捕獲作戦に失敗したことを受けて伊織が言った。


 そもそもの失敗の原因は睡眠薬と水質浄化剤を間違えたことだった。

 そんなことを他者に説明しても「あり得ない」と一蹴されそうな間抜けな間違いでる。

 

 たとえ薬を間違わなかったとしても、夜の十時に井戸へ睡眠薬を投入したとして、その時間から井戸水を飲むゴブリンがどれだけいるか。

 さらに、寝静まったとの判断も、夜中の三時なら寝静まっていて当然であった。


「どんな風にですか?」


 諸々の失敗の原因も、オペレーションエリアに帰ってからすぐに気付いた。

 しかし、二人ともそのことは既になかったこととして前向きに話を進める。


「先日壊滅に成功したゴブリンの村だが、損壊の少ない死体を持ち帰ってゴブリンゾンビとして採用する」


「えー……」


「不服そうだな」


「ゴブリンってただでさえ臭いのに、ゴブリンゾンビなんてもっと臭いですよ。それこそ腐臭です!」


 死体なので当然である。


「死体だから腐臭もやむなしだ」


「ダンジョンのような閉鎖空間に腐臭が充満させるとかあり得ません。考え直してください!」


「俺たちは普段オペレーションエリアにいるんだから腐臭に悩まされる機会も少ないから大丈夫だ」


 各階層に立ち入るとしても問題が発生したときかメンテナンスのときくらいなのは確かだった。

 それでもアルマの顔から嫌悪の色は消えない。


「ゴブリンでさえ妥協だったのに……、ゴブリンゾンビだなんて……」


 アルマの脳裏に


『あんた、ゴブリンゾンビの徘徊する職場で働いているんだって?』


『うわー、臭そう』


『不潔な職場とか最低ー』


 そんな言葉が友人たちの蔑む笑い声とともに流れた。


「それにどの階層に配置するんですか?」


「第一階層でいいんじゃないか?」


 暗く腐臭の充満する石造りの階層が直ぐに想像できた。


「そんなところに冒険者が来るんでしょうか?」


「ゾンビ系は一般的な魔物なんだろ? 大丈夫じゃないのか?」


 ダンジョンが見つかれば冒険者はくるだろう。

 彼らが欲しがる素材やアイテムがあればの話である。


「ゴブリンゾンビの素材なんて魔石くらいですよ。しかも価値の低い魔石です」


 少なくとも喜んで飛び込む冒険者はいないだろう。


「こういうことは最初が肝心です。低層だからこそ、低ランクの冒険者が生活できる程度のエサが必要なんです」


 ゴブリンゾンビではエサにならないとアルマが言い切った。

 アルマの言は一理ある。


 しばし頭を悩ませた伊織が言う。


「ゴブリンスケルトンでどうだ?」


「スケルトン?」


「骨を綺麗に洗浄ししょう。なんならピカピカに磨いても言い」


 腐肉がないのだから腐臭はしない。

 骨だけなので悪臭の元となる体臭や排泄物とも無縁である。


「さすがです、後継者様! ゴブリンスケルトン、いいですね!」


「だろ! 何でいままで気付かなかったんだろうな」


 ゴブリンスケルトンの存在は手引書に記されていたのだが、そこまでまだ読み進めていない二人は知らない。


「何ごとも経験ですよー。二人とも初心者なんですから失敗はつきものですよ」


「祖母ちゃんも四百や五百の失敗は大目に見るって言ってたしな」


 失敗の数がいつの間にか増えている。


「それじゃ、骨を拾いに行きましょうか」


「肉片はどうする?」


「焼いちゃいましょう。焼いて骨だけにしましょう」


「それだ!」


 こうして初心者ダンジョンマスターと新米秘書は連れだって、自分たちが破壊したゴブリンの集落へと向かうのであった。

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