第9話 アルマの過去

 焚き火をコの字に囲うようにして簡素な造りのテーブルが設置されていた。

 伊織にマルコが上座から言う。


「酒が飲めないとは気の毒に。人生の三割は損をしているぞ」


「よく言われます」


(どこの世界にも似たような言葉があるんだな)


「少しだけでもどうだね?」


「本当に飲めないんですよ」


(未成年なのに酒なんてのめるかよ)


 伊織が酒を飲まないと分かると、マルコは話題を料理へと移す。


「買い付けの帰りなのでこの程度の料理しか用意できずに心苦しいが楽しんで貰えいると嬉しいよ」


 言葉とは裏腹に「どうだ」と言わんばかりの顔である。

 伊織も調子を合わせて驚いてみせる。


「まさかこれほどの料理が食べられるとは思っていませんでした」


 旅の途中でこれだけの料理を用意できるところをみるとさぞや大店の会長なのでしょう、と持ち上げる。


「私なんかまだまだだよ。上には上がいる」


「ご謙遜を。私の実家も商家なので分かりますよ」


「ほう?」


「目的地が近付けば近付くほど保存の利く食材となり味も質も落ちます。ですが、並んだ食材はどれも新鮮なものばかりです」


 伊織はそこで一拍置くと、「アイテムボックスのスキルですよね」と言った。


「分かるかね」


 マルコが上機嫌に笑う。


 伊織は内心で「決まりだな」とほくそ笑む。

 アイテムボックスのスキルを所有しているのはマルコ本人であることは疑いようもなかった。


「分かりますよ。マルコさんには強運を活かす才覚があるのがね」


「聞いたか、おい」


 マルコが背後に控えている護衛を振り返ると、


「会長の素晴らしさは隠しても隠しきれませんから」


 と護衛が返すと、マルコは酒の力もあって益々大きな声で笑う。


 その後もマルコとたわいのない会話をしながら食事をしていると、伊織たちから少し離れた集団からアルマの上機嫌な声が聞こえてきた。

 あまりの上機嫌さに不安を覚えた伊織がそちらに意識を傾ける。


「あの攻撃魔法の凄さ、分かっちゃいましたー?」


 アルマの声に従業員や護衛たちの声が続く。


「ほとんど無傷で盗賊を五人も捕らえられる攻撃魔法なんて、上級貴族のお抱え魔術師なみじゃないか」


 アルマのミサイル攻撃を受けた襲撃者は五人。

 外傷はエネルギーショックで全身が麻痺した際に、木から落ちたり倒れたりしたときに負ったわずかな傷だけだった。


「攻撃魔法よりも光魔法よ」


「そうだね、あんたなんか「死んじゃう、死んじゃう」って泣きじゃくってたよね」


 年配の女性が若い女性をからかう。


「あのときは本当に死んじゃうとおもったんだから!」


「分かってるって。あたしもあんたはもう助からないと思ってからね」


 酷い、と抗議する若い女性をあしらいながら、年配の女性がアルマを見る。


「アルマちゃん、あんたには感謝しているよ。あれだけの数の重傷者の命を救ってくれたんだからね」


「教会の高位神官なみの光魔法だったぜ」


「いやー、照れるじゃないですかー」


 アルマを取り囲んでいた人たちの間から感謝と崇拝の言葉が湧き上がる。


「照れるところがまた可愛いね」


「あんたのやったことも魔法も、どっちも誇っていいことだよ」


「攻撃魔法も光魔法もあんなに凄いんだ、さぞや高名な神官か魔術師に師事したんだろう?」


 一人、声音が異なった。


「師匠といっても、国を捨てて田舎に引っ込んでいた偏屈な魔術師ですよ」


「いやいや、そういう偏屈な人こそ隠れた大魔術師だったりするんだ」


 その師匠の名前を聞き出そうと何人かがアルマと空想上の師匠を持ち上げた。


「そう言えば、お酒に酔うと世迷い言を口にする人でしたね-」


「へー、どんな世迷い言だい?」


「面白そうだから聞かせてくれよ」


「えー? なんだか師匠に悪い気がしますー」


 最初こそ師匠の話をするのを拒んでいたが、次第に雰囲気が変わって行く。

 そして、とうとう……。


「自分はいにしえの大賢者アイリスの知恵を受け継ぐ者だとか言ってました」


(誰だよ、それ! 初めて聞く名前だぞ)


「古の大賢者アイリス……? 知っているか?」


「知らないよ」


「俺に聞くなよ」


 誰も知らないとささやきあい、不思議そうな視線をアルマに向ける。

 再び彼女に視線が集まる。


「アルマちゃん、その大賢者様って有名なのか?」


「さあ? あたしも師匠からしか聞いたことがありません」


 師匠は外国から流れてきた人なので、師匠の故郷の大賢者ではないでしょうか? と軽く流す。


「へー、師匠はどこの国の出身なのか分かるかな?」


「出身ですか?」


「アルマ、そろそろテントに戻るぞ」


 アルマの言葉を遮って、伊織が人々を縫うようにして彼女へと向かう。

 その姿をみたアルマが上機嫌で手を振る。


「あー、後継者様-」


「お前、酒を飲んでいるのか?」


「飲んでませんよ-」


 明らかに様子がおかしかった。

 頬がほんのりと朱に染まり、身体が左右にゆらゆらと揺れている。


「アルマに酒を飲ませたんですか?」


 伊織が辺りの人たちに厳しい視線を向けた。


「ちょっとだけだよ」


「そうそう。聞けばもう大人だって言うし、これくらい飲んだうちに入らないって」


 申し訳なさと後ろめたさのない交ぜとなった表情を浮かべたかと思うと直ぐに視線を逸した。


(大人って……! いや、この世界での成人は十五歳だったか)


 アルマは十六歳なので彼らの言うとおり成人だった。


「彼女はお酒に弱く、自分からは飲まないようにしています。今後は気を付けて頂けますか?」


「ごめんよ、知らなかったんだ」


「すまない」


 口々に謝罪の言葉を紡ぐ。

 悪意がなかったのは事実なのだろうと伊織も思う。


「盛り上がっているところに水を差すようなことを言って申し訳ありません。今日のところはこの辺りで引き取らせて頂きます」


 伊織はアルマにお酒を飲ませた人たちに対してと言うよりも、彼女が酒を飲んでいることに気付かなかった自分にイラついていた。

 口調こそ柔らかくなったが表情は強ばっている。


 それを感じ取った人たちが謝罪の言葉を残して一人、また一人とその場から離れていく。


「アルマ、立てるか?」


「大丈夫でーす」


 足下が覚束ない様子でアルマが立ち上がった。


「行くぞ」


 伊織は彼女に肩を支えるように抱きかかえて自分たちのテントへと向かった。


 ◇


 翌朝。


「朝ですよー。ミュラー商会の人たちはとっくに起きて朝食の支度を始めてます」


 伊織は元気いっぱいのアルマに起こされる。

 朝の弱い――、いや、睡眠をこよなく愛する伊織がアルマに起こされるのはいつものことだった。


「朝から元気だな」


「朝食は自分たちで用意すると伝えてきました」


「それは助かる」


 昨夜振る舞われた食事はハッキリ言って伊織の口には合わなかった。

 味が薄すぎるのだ。


「この辺りでは塩と香辛料が貴重品ですから、後継者様のお口には合わなかったでしょうね」


「この地域の情報を調べてくれたのか?」


「後継者様が眠っているときに色々と調べました」


 夜、寝ずの番をしながら調べていたとさらりと言った。

 伊織が馬車を操っている間、ふかふかの布団の上でゴロゴロしていると思っていたが、自分の知らないところで支えてくれていたことに驚く。


「ありがとう。でも、必要ことがあれば今後は二人で分担しよう」


 驚くとともに感謝の気持ちを込めて、一人で背負い込まないよう告げた。


「後継者様! なんて優しいんでしょう! 優しい上司に恵まれてアルマは幸せ者です。う、ううっうう……」


 むせび泣くアルマに伊織が問う。


「ところで、古の大賢者アイリス、って誰だ?」


 刹那、アルマの顔から血の気が失せる。

 真っ青になったアルマの口がパクパクと動く。


「どうした?」


「ど、どどど、どどどうして! 後継者様がどうしてその名前を知っているんですか!」


 アルマの尋常じゃない取り乱しように何かを感じ取った伊織が言う。


「もしかして、極秘事項かなにかなのか?」


 固まる彼女に伊織がさらに言う。


「お前、昨夜の夕食のときに酒を飲まされたのを憶えているか?」


 涙目でフルフルと首を振るアルマ。


「そのときにその名前を口にしていたんだよ」


 伊織は昨夜の出来事を語って聞かせる。

 話をしている間、アルマの顔に血の気が戻ることはなかった。


 それこそ、このまま昏倒するのではないか、伊織が心配したほどである。


「お前、大賢者の弟子なんだって?」


「イヤー、イヤー! 聞きたくないー!」


 耳を押さえて取り乱すアルマに伊織が容赦なく話を続ける。


「古の大賢者アイリス」


「ううっ!」


 アルマが胸を押さえて倒れ込む。


「師匠」


「違う、違うのー!」


「弟子」


「ごめんなさい、ごめんなさい」


(面白いな)


「外国から流れてきた偏屈な魔術師の弟子」


「やめて、もう、やめて……」


「正直に話しなさい」


「はい……」


 うなだれるアルマがポツリポツリと話し出した。


「はあ! 設定だあ?」


「学生の頃にちょっと、その、色々とはまっていたことがあって……。就職して異世界に行くことがあったら使ってみたいなあ、なんて思って考えた……設定です」


 俗に言う黒歴史である。


「勝手に設定を考えるなよ! いや、それは学生時代のことだから仕方がないか。でも、そんな恥ずかしい設定を勝手に吹聴して回るな!」


「吹聴して回るつもりなんてありませんでした。あたしだって、あたしだって……。うえぇー……」


 泣き出してしまった。


 騙されて酔わされた上での出来事とはいえ、黒歴史を異世界の見ず知らずに人たちに得意げに語ったのだ。

 それは泣きたくもなるだろう。


 アルマもある意味被害者である。

 伊織もそのことは分かっていた。


「アルマ、異世界で話してしまったことは取り返せない。恐らく彼らの口からこのことはこの国、いや、この大陸に広がるだろう」


「ほ、滅びしましょう!」


「そんなこと出来るか!」


「じゃあ……」


「お前はいまから、古の大賢者アイリスの末裔の弟子だ」


「いやです! 絶っ対に、嫌です!」


「もう、取り返しが付かない」


「う、うう……」


「その設定で押し通すぞ」


「はい……」


「と言うことで、お前のその黒歴史の全容を俺に聞かせてくれ!」


「死ぬ、死んでやる! 核爆弾で自爆してやるー!」


 パニック状態のアルマを落ち着かせて、彼女の黒歴史を聞き出せたのは馬車を出発させてからのことだった。

 その日の道中、伊織は退屈することなくアルマとの会話を楽しんだ。

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