第3話 新米ダンジョンマスターと新米秘書、爆誕
着替えを済ませたアルマ・ファティが再び志乃と伊織の待つ執務室に現れる。
今度は空間転移を使わず扉からしおらしく入ってきた。
(一応の学習能力はあるようだな)
先ほどのパンツ丸出し事件で、アルマ・ファティの評価は伊織のなかで地の底となっていたのだが……、扉から入室しただけで評価が上がった。
伊織の評価基準もかなり甘いものである。
先ほどの醜態を忘れたかったのか、アルマは上下とも着替えていた。
薄茶色のブラウスに茶色を基調とした柔らかそうな生地のスカート。
落ち着いた印象を与える彼女の服装に伊織も好感を抱く。
(能力と言動に不安はあるけど、可愛いことは可愛いよな)
見た目に騙されやすいタイプであった。
「落ち着いたかい?」
「はい。先ほどは大変失礼いたしました」
アルマは志乃に深々とお辞儀気をしたのち、伊織に歩み寄りビニールに包まれた彼の上着を差しだす。
ビニールの上からでもクリーニングされたことが分かった。
「さ、先ほどはありがとうございました」
上着を差し出す手が震え、頬どころか首まで真っ赤である。
(そりゃまあ、恥ずかしいよな)
伊織も先ほどのことには触れずに「ありがとう」とだけ言って上着を受け取った。
「さて、それじゃあ、改めて紹介をしよう」
志乃の凜とした声が響くとアルマの背筋がピンと伸びた。
伊織もそれに倣って背筋を伸ばす。
志乃は伊織を示して言う。
「彼が〝Σ-7658143926〟へ新たなダンジョンマスターとして派遣されることになった最上伊織。彼が君の上司となる」
アルマが伊織に向き直って軽く会釈した。
伊織が会釈を返すなか、志乃の声が再び室内に響く。
「彼女の名前はアルマ・ファティ。伊織、あなたの秘書となる女性よ」
志乃が「どう? 可愛いでしょう」と伊織に向けて悪戯な笑みを浮かべる。
すると照れた伊織がごまかすように明後日の方向を見た。
「そういうのはいいから」
(確かに可愛い。一緒に働くなら可愛いに超したことはないよなあ)
伊織のなかでアルマの評価がさらに伸びた。
「アルマは魔法大学を首席で卒業した才媛でもあるわ」
(首席? 普段はドジ娘だけど頭だけは良いというヤツか? そりゃ、見た目だけで秘書になんてするわけないか)
伊織のなかでアルマの評価が続伸する。
ポジティブなメンタルも彼の美徳の一つである。
「最上伊織です」
「ううっ……、アルマ・ファティです」
先ほどの醜態を思い出したアルマが真っ赤な顔と涙目で伊織に挨拶をした。
伊織もアルマの居たたまれなさに心の中で「強く生きろよ」とエールを送る。
「伊織、彼女は何にも知らない君のために用意した期待の新人だ」
「新人?」
「え? 素人のダンジョンマスターなんですか?」
伊織とアルマ、二人があからさまに落胆の表情を浮かべた。
伊織にしてもアルマが有能なベテラン秘書、とは思っていなかったがまさかの新人秘書である。
遙か斜め上の出来事に伊織が声を上げる。
「新人って、今年大学を卒業したばかりですか?」
「それはその通りだけど、首席卒業だから何とかなるわよ」
自信たっぷりの志乃に不安でいっぱいのアルマが悲痛な表情で訴える。
「新人のダンジョンマスターの下で研修だなんて伺っていません」
秘書として初めて業務に就くときはベテランのダンジョンマスターの下に研修として配属されるのが習わしである。
アルマもそのつもりだっただけに不安が襲う。
もっともな不安である。
新人の下で新人が研修するなど、普通に考えてあり得ないシチュエーションだ。
さらに不安をかき立てる言葉に伊織が思わずアルマに聞き返す。
「研修?」
「入社三日目です」
大学を卒業してまだ二ヶ月しか経過していないとアルマが衝撃の事実を告げた。
「新卒で入社三日目の新人秘書なんてあり得ないでしょ」
高校中退で入社初日の伊織が即座に訴えた。
「前例はないが二人なら大丈夫よ。期待しているわ」
「ダンジョンマスターがなんなのかも分かってないズブのド素人の俺と新卒の女性で何をしろって言うんです!」
「え? ええ? ダンジョンマスターを知らない?」
アルマが驚きの声を上げた。
「まったく知らない。そもそも業務内容すらまともに知らされてない」
「もしかしてサブマスターの経験もないとか……?」
「サブマスター? 初耳だな」
恐る恐る聞くアルマに伊織がシレッと答えた。
サブマスターの経験がないどころかその存在すら知らないことにアルマは軽い目眩を覚える。
「無理、絶対に無理……です。ウ、ウウ、ウワーン!」
「泣かないでくださいアルマさん。二人で説得しましょう」
泣き出したいのは伊織も同様であったが、それでもしゃがみ込んで泣き出したアルマを慰める。
「ウ、ウェ……、ヒクッ。で、でも、ウウウッ」
「大丈夫、俺に任せて」
(この娘は戦力外だ)
伊織は志乃を説得するには自分が頑張るしかないと自身に言い聞かせる。
「考え直してください。ここまでの不十分な説明でもダンジョンマスターと秘書が会社にとって重要な役割を担うことは想像できます。そんな重要な役職を自分たちのような素人に任せるなんて他の重役や社員だって納得しませんよ」
「不安があるのは理解できる」
(不安しかない)
「アルマは確かに新卒だけど首席で卒業したのは事実よ」
経験が不足しているだけで将来的な伸びしろは計り知れないのだという。
「あの、ウッウウ……」
挙手をしたアロマに志乃が発言を許す。
「新人がいきなり秘書としての任務に就くのも前例がなかったはずです。何よりも、サブマスターの経験がない方がダンジョンマスターに就くのも前例がありません」
「前例がないことなんて問題ないよ」
「ですが」
アルマの抗弁を遮って志乃が厳しい口調で言う。
「伊織は素人だけどあたしの孫だ。次の重役会議ではあたしの後継者として紹介する。アルマ、君はそのつもりでサポートをするように」
「お孫さん? 魔王様の後継者、さま……?」
「そう、あたしの後継者だ」
やりがいがあるだろ、と志乃が口元を綻ばせた。 アルマの心拍数が跳ね上がった。
後継者の秘書ともなれば出世コースに乗ったようなものである。
アルマのなかで未来が大きく拓かれる。
揺れ動く彼女に志乃がささやく。
「アルマ、君には期待をしている。新人をいきなりサブマスターには出来ないから秘書として付けるんだ。一年後には君がサブマスターだ」
異例の出世コースである。
「お引き受けいたします! あたし、頑張ります!」
「引き受けてくれると信じていたよ」
目を輝かせるアルマと満足げな志乃。
「ちょ、ちょっと待って」
「後継者様、一緒に頑張りましょう! あたし、誠心誠意お仕えいたします!」
アルマが伊織の手を取った。
「いや、志乃さん、俺から提案があります」
このままダンジョンマスターを引き受けるのは不安しかないが、魔法や超科学への興味は膨らむ一方だった。
加えて、ポンコツだがこの可愛らしい娘とこれっきりというのも捨てがたい、そう葛藤する伊織が一つの答えを出した。
「俺たちに指導員を付けるというのはどうかな?」
「却下」
「秒で却下! そんな」
「指導員なんて邪魔者なだけよ。二人で手を取り合って頑張りなさい」
自身の後継者候補から一気に後継者へと押し上げる。
そのために必要なものは実績だ。
新人二人だけで上げる成果だからこそ意味がある。
なおも不安を訴える伊織に言う。
「百や二百の失敗くらい大目に見るから気楽にやりなさい」
「そんなに失敗する前提?」
「詳しいことは多機能ブレスレットのメッセージに送ってあるから大丈夫よ」
「大丈夫じゃない!」
「頑張るのよ-」
泣きそうな伊織に志乃が笑顔で手を振ると、伊織とアルマの二人が忽然と消えた。
「最上伊織、アルマ・ファティの転送が完了いたしました」
多機能ブレスレットの操作パネルからである。
志乃が操作パネルに視線を落とすと老紳士が映し出されていた。
「ご苦労様」
「よろしかったのでしょうか?」
パネルの向こうの老紳士の顔から口にだせない数多の疑問と不安が感じられた。
志乃が操作パネルに向かってにっこりと微笑む。
「詳しい説明なんてしてたら、怖じ気づくだけでしょう? 何はなくとも行動よ。まずはやってみないとね」
あの子はあたしの後継者なのですから、とつぶやく。
「すみません、聞き取れませんでした」
「何でもないわ」
志乃が幸せそうに微笑んだ。
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