第5話

 考えるというのは、悪霊を切ることによる相沢あいざわへの悪影響についてだったらしい。しかし、考えると言っても悪霊を見て見ぬふりはできないようで、結局のところ悪霊の魂を切るほかなく、相沢には数日ほど寝込んでもらうしかなかった。要するに武蔵が気持ちの整理をつけるための時間が必要だったというだけだ。

 期末考査や学校行事など重要な出来事にかぶらない日程を選び、相沢の生活への影響を最小限に抑えられるようにした。俺はぶっちゃけいつでもよかったが、武蔵がこだわった。相沢の予定について根掘り葉掘り聞かれたため、嫌々ながらクラスや学校の掲示板、相沢のSNSの隅々まで目を通し、彼のスケジュールを把握した。普段は寡黙かもくな武蔵とこれほど話をしたのは初めてだった。思わぬ副産物と言えるだろう。

 そうして決行は明後日の土曜日午後一時に決まった。相沢の所属するサッカー部の練習試合が終わった後、悪霊の魂を切る。相沢が寝込むまでの過程を世界がどのように上手く処理することになるのか武蔵に意見を求めてみたが、武蔵いわく「おそらくは突然倒れることになる。相沢に直接干渉するわけではないからな」ということだった。練習試合の後なので、衆人環視しゅうじんかんしの中で突然倒れたとしても、疲労や熱中症だと周りの連中は考えてくれるだろう。しかし、武蔵は用心するに越したことはないと言って、相沢が一人になったときに実行することになった。


 さて、俺も計画しなければならない。悪霊がいじめの原因だと聞かされたときは取り乱してしまったが、時間を置いた今では、それはそれで「悪くない」気がしていた。できれば武蔵とはこれからも友好な関係を築いていきたいものだが、万が一ということもある。覚悟はしておかなければならない。

 ――武蔵に殺される覚悟を。


 土曜日の昼下がり。俺はグラウンド横のしげみに身を隠し、試合が終わるのを今か今かと待っていた。夏の日差しが肌をジリジリと焼き、下手をすれば俺が熱中症になるのではというくらいの暑さだ。校内の自販機で先ほど買ってきた炭酸も、すでにぬるくなっていた。

 武蔵はと言えば、俺の隣で立って練習試合を眺めていた。「今のはシュートだろう」、「パスだ、パス」など試合観戦に熱くなっており、暑さを感じている様子はなかった。肌に汗水あせみず一つ垂れていないところを見ると、幽霊は気温を感じないのかもしれない。……別にうらやましくなんてないからな。

 グラウンドから一際大きな歓声が聞こえた。目をやると、相沢がチームメイトから喝采かっさいを浴びていた。シュートを決めたのだろう。

 武蔵の姿が視えているので、相沢に憑いている悪霊も視えるのではと思っていたが、全く視えなかった。武蔵にその話をすると、「波長の違いだな。生者が知覚できるのは、波長の近い幽霊に限られる。お主が我を視認できるのは、互いの波長が近いからだ。不本意ではあるが、相性と言い換えてもいい。お主とあの悪霊の相性がよくないため、お主には視えない」とのことだった。考えてみれば、相沢のいじめの元凶げんきょうが悪霊だというのなら、ずっと前から相沢に悪霊は憑りついていたはずで、そうなると以前から視えていなかった俺に視えるはずもなかった。

 試合終了のホイッスルが鳴る。「相沢、中々上手いではないか」と腕を組む武蔵を見て、ひょっとすると相沢にじょうが移って悪霊退治は中止になるのかと冷やりとしたが、「では行くぞ」と武蔵は茂みから相沢たちのいるベンチに向かっていった。

 グラウンドを突っ切る武蔵とは対照的に、俺は物陰に身を隠しながらベンチへと近づいていく。「おい、何をしている。さっさと来い」という武蔵の声に急かされながら、ベンチ近くの茂みに辿り着いた。

「もっと堂々としていればいいだろう。お主もここの生徒なのだから」

 あきれた様子の武蔵が俺の隣にやって来る。

 相沢はドヤ顔で「見たかよ、最後の俺のシュート。キレッキレだったろ」とチームメイトにからんでいた。相沢が一人になったすきに悪霊の魂を切る予定だったが、そんな時間が全くない可能性もある。その場合どうするかは決めていなかった。後日に回すか、周りの目がある中で強行するのか。

 それは杞憂きゆうに終わった。相沢が「ちょっと飲み物買ってくるわ」と一人で自販機に向かったのだ。

 武蔵と視線を交わし、相沢の後をつける。

 自販機の周りに人気はなかった。

 事は一瞬。

 風のごとく接近した武蔵は、腰の刀に手を添えると、流れるような一太刀を虚空こくうに放つ。

 薄花色うすはないろやいばが相沢の背後をとらえた瞬間、人の形をした黒い影が視えた。――あれが、悪霊。

 武蔵の一太刀が不気味に黒く光る魂を真っ二つに切りくと、影は黒い花弁となって空に散っていった。

 糸が切れたように倒れる相沢を片腕で受け止めると、武蔵はその体を近くのベンチに寝かせた。

 武蔵のことが視えない人には今の光景がどのように映っていたのだろうと、どうでもいいことを考えながら、横たわる相沢に近づく。

 息はしているようだ。軽い意識障害みたいなものだろうか。

「念のために救急車を呼んでくれないか」

 確かに万が一のことがあっては大変だ。

 携帯を取り出して、「一、一、――」と番号をプッシュしていると、「おいおい、今日はどうしたんだよ。もしかして、練習?」と声が飛んできた。見れば、いつも相沢とつるんでいたサッカー部の二人が笑いながらこちらに近づいてくる。

 これはまずい。

 ベンチの背がかげになって向こうから相沢の姿は見えていないようだが、気づかれるのも時間の問題だ。ベンチに横たわる意識不明の相沢とそばに立つ俺の構図は、誰がどう見ても俺を犯人または重要参考人ととらえるだろう。

 相沢は死んでおらず数日後に目を覚ますことが唯一の救いと言ってもよかったが、いずれにせよ疑いの目が向けられ、俺が不利益を被るのは必至ひっしだ。

 何とか切り抜ける方法はないだろうか。

 周囲に視線を走らせるが、妙案みょうあんは浮かんでこない。

 あせりに心がわれそうになっていると、「我が招いた失態でもある。ここは一肌脱ごう」と武蔵は相沢のわきの下に腕を入れて、ベンチから相沢の体を起こした。そのまま体を支えて相沢と一緒に立ち上がると、ジョギング程度の速度でこの場を離れていく。

「相沢じゃん、いたのかよ――おい、待て。どこ行くんだよ」

 二人は校舎の陰に消えた武蔵と相沢の後を追っていった。彼らの目には相沢が一人で走っていくように映ったのだろう。

 しばらくすると、校舎の上から武蔵が飛び降りてきた。

「彼は置いてきた。あとは二人が連絡してくれるだろう」

 ……幽霊ってほんと便利だな。

 やっぱり、ほんのちょっとだけ、彼の体質をうらやましく思った。


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