第4話

 一時間ほどして戻ってきた武蔵は開口一番に「あれはいているな」と言った。意味をつかめないでいる俺に「悪霊あくりょうだ。いじめという行動をとっているのは悪霊が憑いているためである可能性が高い」と告げて、座っていた俺を押しのけて自らがその席に腰を下ろす。

「本当に面倒ごとを押しつけてくれたものだ」

「おいおい、まさかそんなわけがないだろう」

「いいや、まず間違いない。悪霊を払ったところで全くいじめをしなくなるかと言えば、そうとも言い切れないが、少なくともいじめは些細ささいなものになるだろうな」

 まさか、いじめが霊によるものだったなんて。

 ……笑えない冗談だ。

 顔が引きっているのが自分でも分かった。

えてしまった以上、放っておくのは寝覚めが悪い。生者に憑りついた悪霊を切るのは初めてだ。悪霊は憑代よりしろへの執着が強く、魂を切れば生者にも何らかの影響が出るかもしれん。詳しい者に話を聞きに行こうと思うが、お主はどうする」

 どうするもこうするも、もはやどうでもよかったが、俺は武蔵に同行することにした。時間は有り余っている。いた種のすえを見るくらいどうってことはなかった。

 どうってことあるのは、俺の感情の行く末だった。

 倒すべき敵が蜃気楼しんきろうであることに気づいてしまったら、どうすればよいのだろうか。

 えたぎっていた感情をどこにぶつければいいのだろうか。

 路頭ろとうに迷ってしまった感情を引きずって、武蔵の後をついていく。

 図書館を出て向かったのは、近くのコンビニだった。

 行き先をいぶかしんでいると、「そいつはそこの店長でな」と言って、横を歩く武蔵は腰に差した刀の具合が気になるのか、先ほどからつばに手を添えては放してと繰り返している。

 店長ということは人間か。てっきり武蔵と交流のある人間は俺だけだと思っていたが、どうやら違ったようだ。

 くだんのコンビニに辿たどり着くと、武蔵は一つ深呼吸をして、「下がっていろ」と店内に足を踏み入れた――刹那せつな二筋ふたすじ閃光せんこうが交わり、ギンっと音がねた。

 一筋ひとすじは武蔵のものだ。薄花色うすはないろの刀身を振るった武蔵と鍔迫つばぜりいをしているのは、女性だった。店の制服に身を包み、喜色満面きしょくまんめん金色こんじきの刀身を押し込んでいる。

「おらおら、どうした。そんな生ぬるい太刀筋たちすじじゃあ、うちに勝つなんて百年早いぜ、おさむらいさんよ」

 笑いながら刀を振るう彼女はさながら鬼神きしんのようであり、とてもではないが人間には見えなかった。

 あっけなく武蔵を店の外に押し出してひざをつかせた彼女は、切っ先を彼の首元に当てたままで「うちは人間だぞ、小僧」とこちらを見て楽しげに笑っている。

 武蔵を相手にしているため、他の客や店員がこちらを振り向く様子はない。この出来事も、視えない人間にとっては無かったことになっているのだ。

「いやー、ストレス発散には最適だよな。誰にも見られないし、好き放題できるじゃん。ほんと、いつ来るのかと待ちわびていたよ、お姉さんは」

 刀をポイと近くの草むらに投げ捨てると、自称お姉さんは「北見きらみ白音しらね。二十五だから。ぴちぴちのお姉さんだから」とこっちを見て笑う。……目は笑っていなかった。

「それでお侍さん、今日は一体どうしたんだい」

 化け物め――と呟いた武蔵の口をがしりとつかむと、「もう一遍いっぺん言ってもらってもいいかな」とこめかみに青筋を立てる。鬼神という第一印象は間違っていなかったみたいだ。

 解放された武蔵はあごをさすりながら「生者に憑りついた悪霊を切った場合、生者に悪影響はあるのか」と訪ねた用件を端的に述べた。一刻も早くこの場を立ち去りたいのかもしれない。

「一日か二日寝込む程度だ。大したことはない」とあっけらかんと言う北見に、「大したことあるだろう」と武蔵は人として至極しごく真っ当な答えを返した。まあ彼は幽霊なのだが。

 これではどちらが生きている人間なのか分からない。

「ごちゃごちゃうるせえな。そんなこまけえことを気にしているから、いつまでも太刀筋が鈍いんだよ」

 北見は背を向けると、「息抜きはおしまい」と言いながら手を振って、店に戻っていった。

 嵐のような人だった。

 北見が店内に姿を消してから少しすると、武蔵は「考えないといけないな」と立ち上がる。

「北見さんの倒し方をか?」

 彼は心底あきれたという表情を浮かべて、「勝手に言ってろ」とさやに刀を納めた。

 その姿もまた、美しかった。


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