第3話

「生者のたましいを切るのは好かん。お主は我に人殺しをしろと言うのか」

 俺の頼みは、武蔵むさしにある人を殺してもらうことだった。

 ぎろりとにらんだ顔もまた美しくて、思わず見惚みとれてしまう。

 咳払せきばらいをして、「と、とにかくだな、そいつは人間のくずなんだ。人でなしと思ってバッサリと切ってくれよ」と軽い調子で言ってみる。

「……お主こそが人でなしだ」と言って、武蔵は再び本に目を落とした。

 俺が人でなしだって?

 以前「切れるのは死者の魂だけなのか?」と聞いたときに首を横に振っていたから頼んでいるわけだが、先ほどから足蹴あしげにされていた。せめて理由くらい訊いてくれてもよさそうなものだ。別に俺だって好き好んで人を殺したいと思っているわけではない。……まあ、人殺しに興味がないと言えば嘘になるが、――やっぱり人でなしかもしれない。

 仕方がないので、勝手に話し始めることにした。

「クラスでいじめられている奴がいるんだ。そいつに対するいじめがかなり悪質で、教科書をビリビリに破いてゴミ箱に投げ捨てたり、毎日体育館裏に呼び出して集団リンチしたり――ほんと見ていられない。いじめを主導しゅどうしているのが相沢あいざわっていう奴で、そいつは一年生の頃からいろんな奴を標的にしていじめを繰り返してきた極悪非道ごくあくひどうな奴だ。クラスの居心地もどんどん悪くなるし、放ってはおけないだろ。相沢がいなくなれば全て丸く収まる。あいつの取り巻きは金魚のふんに過ぎないし、諸悪しょあくの根源がいなくなっちまえば小動物みたいに身をちぢこまらせて鳴りをひそめるのは目に見えている。――だから、相沢をぶっ殺してほしいんだ」

 俺は正義の味方。悪に鉄槌てっついを下してクラスに平和と秩序をもたらす救世主になる。

「ならば、お主が自らの手で殺せばいい」

「そんなことをしたら捕まっちまうだろうが。中学生だから幾分いくぶんか罪は軽くなるとしても、相沢を殺しただけで牢屋ろうやにぶち込まれるなんてわりに合わない。あいつの命はそんなに価値のあるものじゃない。道端の小石程度だ」

「……本当に、人の心を持たぬようだな。人の道から外れているからこそ、われの姿が視えるのかもしれん。本当に、笑えない」

 そう言って、彼は笑った。

「しかし、これからも読書の邪魔じゃまをされるのは御免ごめんだ。一度足を運んでみようか。ひょっとしたら我の気も変わるかもしれない」

 閉じた本を机の上に置くと、彼は立ち上がる。

 彼は別に図書館の外に出られない地縛霊じばくれいたぐいではなかった。世界中を飛び回ることのできる自由な侍の幽霊だ。いつも図書館にいるのは単に居心地が良いからということらしい。

 思い通りに事が進んでいるとは言えないが、悪くないすべり出しだろう。

 人生、悪くないだけで十分だ。

 文字通り宙に浮かんで図書館を出ていく武蔵を玄関ホールまで見送って、俺は先ほどまで彼が座っていた席に戻った。

 机の上にあったはずの本はすでに消えていた。

 

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