第2話

 繰り返すことになるが、俺が武蔵むさしに出会ったのは数か月前。桜の花が散った頃だった。市外を自転車でぶらぶらとしていると、図書館への道を案内する看板かんばんが見えた。市内の図書館にはよく通っていた。特段とくだんの読書好きというわけではなかったが、時間をつぶすのにはもってこいであったため、しばしば本を読みに来ていた。そう、人生は長すぎる。潰すべき時間が多すぎるのだ。

 図書館に寄ってみることにした。なに、時間は余るほどある、くさるほどある。

 そこで俺は出会ったのだ、一人の侍に。

 もちろん始めは目を疑った。時代錯誤な侍が図書館の片隅で本を読んでいる光景もそうだが、その場所に目をめていない、まるでえていないかのように振舞う周りの人々が異様いように映った。実際には彼らには視えていなかったわけだが。中には視えている者もいたのかもしれないが、気づかないふりをしていたのかもしれない。人は誰しも奇異きいなものから目をらそうとする。常識という背もたれが壊れてしまうのが怖いのだ。

 俺も例外なくその一人だった。見て見ぬふりをする一人になるつもりだった。

 けれど、そのとき館内を走り回っていた子供にぶつかり、「ごめん!」とつい大きな声を出してしまった。離れていく子供を見送って再びその一角へと視線を戻すと、侍と目がぱちりと合ったのだ。目に驚きの色が見えた。俺も同じような目をしていたに違いない。

 日本人のさがに流されるままに、俺は軽く目で会釈えしゃくをした。侍は一瞬思案しあんする顔つきを浮かべると(その顔つきもまた、とても美しかった)、手元の本を閉じて、こちらにやって来た。人形のように整った顔を近づけて、俺の目をまじまじと見る。

「視えるのか、面白い」

 言葉はそれだけだった。何事もなかったように侍は元の席に戻って本を読み始めた。

 それからの数か月、俺はその図書館に通いめた。他にやることもなかったし。その侍を男と仮置きし、武蔵と命名し、彼の生業の一部を目にした。幽霊界ゆうれいかいではその図書館が「死の図書館」と呼ばれていることを知った。武蔵が彼らから「死神」と呼ばれていることも。

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