30杯目 どこが好きなの

「ダメだ、散々だった……」

「安心しろ優吾、俺も相当散々だった」


 優吾と同じタイミングで、俺の机に2人で反対方向からゴンッと頭を乗せる。天板は意外と冷たくて、試験でオーバーヒートした脳を冷やすにはちょうど良かった。


 6月の最終日。国語、社会、数学と3科目の期末テストを終え、ただでさえ週後半で疲れるのに更に疲労が溜まる木曜が終わった。このままお昼を食べずに帰宅し、全員が明日の数学と英語に向けて最後の悪あがきをする。


「南瀬がそんなに出来ない出来ない言うの珍しいな」

「まあ、昨日の一夜漬けに見事に失敗したからな」


 結局2時頃まで夕映と何をどう話すか考えたものの、全くと言っていいほど収穫はなかった。慌てて古文の訳を始めてみたものの、一読して分からないものに目を通していくとどんどんまぶたが重くなっていき、「早く寝た方が頭も働く」と自分に言い聞かせ、早々に諦めてベッドにダイブした。





「ふう……」

「どした、南瀬。悩み事だな」


 起き上がって嘆息していると、机に突っ伏したままの優吾が訊いてくる。「お前の溜息は分かりやすいからな」と笑い声混じりに、少しだけ首を捻って俺の方を見た。


「恋愛か?」

「……こういう時の勘は鋭いんだよな」


 図星を突かれて苦笑していると、優吾は体を起こす。それは「なんでも聞くぜ」というサインだった。


 俺は近くに夕映がいないことを確認し、向かいにいる彼にしか聞こえない声で話し始めた。


「ん、まあ……好きな人がちょっと気落ちしてて、しばらく連絡取らないことになってさ。で、アプローチしてもう一度振り向かせたいんだけど、うまくいくか分からないっていうか……」


 ある程度ボカしつつ、内容を伝える。音にしていくうちに、自分でもどんどん自信がなくなっていった。


「なんかさ、全力で頑張って、それでもうまくいかなかったら、相当しんどいだろうなあって……」


 さっきより大きな溜息をついた俺に対して、優吾は俺の右肩にポンと手を置く。そして普段の明るい表情に少しだけ真剣な眼差しを混ぜた。


「あのな、『全力で頑張ってもうまくいかなかったら』なんて、そんな心配は全力で頑張ってからしろよ」

「ん……」


 返す言葉が出てこない。当たり前にも聞こえるその言葉が、今の自分にはすごく響いた。


 確かにその通りかもしれない。不安ばかりが先に立って、暗い未来ばかり描いて、ムダに縮こまっていた気がする。


「俺なんか、牧野をデートに誘ってやんわり断られたんだぞ。でもめげずにまたトライする気なんだから。俺を見習ってほしいぜ」

「へえ! デート誘ってたのか。知らなかった」


 優吾の真っ直ぐなアプローチに感心していると、彼はさっきの俺と同じように溜息をついて答える。


「言っておくけど、ちゃんとした普通の映画館デートだぞ? パジャマ姿の牧野の背中にバター味で少しベタベタするポップコーンをザーッと入れて、もこもこになった背中をギュッと押してポップコーンを潰したい、みたいなこと一切言ってないし」

「ぶはっ! 言われても困るっての! なんだよその妄想!」

「あ、笑ったな! いいか、俺も本気でやってるんだから、南瀬も全力でぶち当たれ」

「はいはい、優吾の聞いてたら俺もやれる気がしてきたよ」


 アブない妄想ばっかりしてる変なヤツだけど、こいつと友達で良かった。



「やっほー!」

「あ、簾ちゃん」


 手を振りながら近づいてきた伊月を優吾が迎える。帰る前に、うちのクラスに寄ったらしい。


「あれ、葦原、夕映ちゃんは?」

「ん、しばらく席外してるっぽいな」


 生徒会の松野が座っている辺りには目もくれずこちらに来たことで、夕映と話したいのだとすぐに分かった。でも、まだ彼女は昨日の俺と夕映の一件を知らない。


 さかな研究部が活動休止の危機だと早く知らせないと。できたら夕映が戻ってくる前に——


「伊月ちゃん、どうしたの?」

「あ、夕映ちゃん! ううん、ちょっと用があって寄ったのよ。テストどうだった?」

「んー、ぼちぼちかな」


 どこからか戻ってきた夕映が、さっきまでの試験を思い出すように宙を眺めた。なんとか伊月と話したいんだけど、色々タイミングが合わない。


「そんなことより伊月ちゃん、『俺の哲学が火を噴くぜ』のアレ、見た?」

「見た! 俺哲休載とかショック! 毎週の楽しみだったのに!」

「えっ、マジで!」


 伊月と優吾が揃って叫ぶ。優吾はこのグループの中では一番最近読み始めてハマったから、余計にショックかもしれない。


「南瀬、なんで休載なんだ? 作者の体調不良とか?」

「いや、哲学について改めて調べたり考えてたりしたら、自分の人生を見つめ直した方がいいって結論になったらしい」

 そんな理由で休載する漫画も珍しいだろう。


「坂隙さん、哲学詳しいって言ってたよね? 新キャラの部長がずっと『俺は啓蒙主義だ』って連呼してたけど、あれってどういう意味?」

「ああ、あれね。北原君、ロックは覚えてる? 啓蒙主義だとジョン・ロックとかヴォルテールが有名なんだけど、そもそも啓蒙っていうのは……」


 夕映先生が解説をしている間に、伊月に耳打ちした。


「ねえ、伊月さん。この後、ちょっと空いてる?」

「ん、空いてるけど」

「前の場所でちょっと話そう」


 こうして4人での雑談が終わって解散した後、俺は職員室に寄るフリをして、遠回りで中集会室に向かった。



 ***



「そっか、活動休止かあ……」


 中集会室で一番前の黒板の位置に陣取り、引っ張ってきた椅子に座っている伊月が残念そうに項垂うなだれる。思いっきり快晴の窓の外とは裏腹に、彼女と俺の表情は曇っていた。


「で、葦原はどうするつもりなの?」

「止めようと思ってる、んだけど……」

「難しいわよね。夕映ちゃん、意思強そうだし」


 あごに手を当てて、伊月も悩み始める。


「どんな風に言えば響くかな……」


 彼女の考え事を背中に受けながら、俺は座っている椅子ごと窓の方に向く。窓枠の中に見えたのは、美術部がグラデーションを駆使して描いたような、


 濃淡のある青色の空。ワンポイントのアクセサリーのように、親とはぐれた迷子みたいな小さい雲が、風に身を任せて気ままに泳いでいた。


 俺が彼女だったら、どんな言葉を言ってほしいだろう。いや、答えまできっとそんな最短距離では辿り着けない。


 だから逆を考える。「どんな言葉は言ってほしくないか」



【療養で休んだ3年間は、きっと何かの意味がある。だからムダじゃない】 


 どんな? どんな意味がある? それも話せないのに、もっともらしい励ましをされても上辺だけになるだろう。


【いずれ追いつける。だから焦らないでいい】


 そんな根拠もないのに、どう追いつくかも想像できてないのに。これも結局はその場しのぎの返事だ。


【考えすぎちゃうだろうから、あんまり気にしすぎない方がいいよ】


 綺麗なだけの言葉、だと思う。気にしすぎないで、と言われただけで気にしないでいられるなら、彼女もこんなに悩んでいない。



 パッと思いつく答えは、どれももう一人の自分が幻滅とともに簡単に切り捨てる。


 そして、その人に寄り添って励ますことの難しさを改めて思い知る。その人の気持ちなんて、本人にしか分からない。聞こえの良い言葉なら幾らでも言えるけど、悩んでる本人からしたら気休めにしかならないだろう。


 なら、それなら、どんな言葉をかければいいのだろう。さっきの迷子雲も流れ消えた、濃さを増した一面の青をボーッと眺めながら、思考の深みにまっていく。それはきっと、後ろでずっと腕組みをしている伊月も同じなのだろう。




 やがて、彼女が天を扇ぎながら独り言のように呟いた。


「じゃあ肴のプレゼントもめた方がいいかな……学校でおつまみにして飲んでるの見られないんじゃ、ワタシも寂しいしなあ」

「まあでも、俺も贈る候補考えてたし、家で飲んでもらえるなら……」


 そこまで言って話を止め、口を開いたまま長考に入る。


「葦原? どしたの?」


 不思議そうに伊月が覗くのも気にせず、脳の中でガチャガチャと考えを整理していく。頭の中にあった、ぼやけた輪郭の作戦が、徐々に像を結んでいく。


 やがて、それは1つの案としてまとまった。



「あのさ、伊月さん。こんなのどうかな」


 俺は伊月に考えていた内容をそのまま話す。何を伝えるかはまだ決まってないけど、どう伝えるか、というアイディアだった。


 聞いている彼女の目が、零れ落ちそうなほど徐々に開かれていく。薄く付けたマスカラが、よりパッチリして見えた。


「……どう?」

「うん、いいんじゃない? それができるなら、夕映ちゃんにも響くかも」


 伊月は得心したように小さく、何度も小刻みに頷いた。チャームポイントの黒のロングも、同意するように上下する。



「でも問題は話す内容だけど……思いつく?」

「やってみるよ。今日は幸いこれから時間取れるしな」


 テスト勉強を完全に放棄した発言に、伊月は身を乗り出し、俺の胸を「おいっ!」とおどけて叩いた。



 そして、そこから椅子に座りなおし、「ねえ」と真っ直ぐに俺を見る。


「夕映ちゃんのどこが好きなの?」

「え……」

 急に言われて答えられるはずが……と思いきや、案外答えは簡単に出てきた。


「一番は……強いところ、かな」

「お酒に? なんてね」

「違うっての」

 冗談を言った伊月が、自分でクスクスと笑う。


「お酒が好きな夕映のことが好きなんだ。好きなものを堂々と好きだって言って、学校でも飲みたいって貫き通すじゃん? ああいう、ちょっとワガママだけどすごく芯が強いところが好きだよ。もちろん、優しいところも好きだけどね」


「うん、優しい……ワタシにとっては『ひろい』かな。全部受け止めてくれるっていうか……きっと、夕映ちゃん自身もすごく悩んできたんだろうなって」


 彼女が目を細めた。自分が相談したときのことを思い出しているに違いない。


「あ、あとね、普通に顔立ちも好きだよ。綺麗だなって思う」

「分かる、俺も好きだ。目がオトナっぽい。あれは高校生には出せないね」


「そうそう、オトナの色気! あとさ、個人的には口も色っぽい思ってるんだよね。厚ぼったいワケじゃないけど、艶があって綺麗なのよ。あれで哲学とか話されると、なんかもうね!」

「そうそう、知的美人って感じでさ! 前も部室で本読んでるときにさ……」


 2人で好きな人について語り合う。今の俺達はライバルでもあり、親友でもあった。


「じゃあ今回の作戦は葦原に任せようかな。ワタシは応援してる。きっと葦原なら夕映ちゃんにちゃんと伝えられると思うから」

「おう」

「すぐにじゃなくてもいいから、ちゃんと部活再開させてね? あと、生徒会として言っておくけど、テスト勉強も少しはやること!」

「分かった。ありがとな」


 伊月は心配事が一つ片付いたような安心混じりの笑顔で歯を零し、腕をグッと上げて「頑張ってね」とガッツポーズした。



 ***



「そんじゃ、やりますか!」


 夜の23時。昨日と同じように机に向かっている。生物と英語のテスト勉強は最低限やった。後はお昼に思いついた作戦を形にしていくだけ。


 昨日よりやることがはっきりしてる分、進められる、進めてみせる。



「まずは調べていくか……」



 買っておいたエナジードリンクを飲み、何時まででもやれる心持ちになる。ノートとスマホを開いて、長い夜の戦いが静かに始まった。

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