27杯目 ライバル・コイバナ

「なあ、なあってば。聞いてんのか、南瀬」

「んあ? ごめん、聞いてなかった」


 斜め前に座る夕映に気を取られていた俺の腕を、向かいに座る優吾が指でバチンと弾く。


 昨夜イヤな出会いがあった翌日27日の昼休み。彼女のことを心配しながら食べる弁当はあんまり味がしなくて、スーパーで買った時から楽しみにしていたちょっと高めの黄金ハンバーグも、なんだかぼんやりした味わいのソースだった。


「牧野が最近元気がないんだよ」

「そうなのか。暑くて体調悪いとか?」


「分からない、重い病気だったらどうしよう……ああ、もし牧野が洗える素材だったらなあ……洗面器に5cmの牧野入れて業務用洗剤を大量にぶちまけて手洗いして体も心も綺麗にしてあげるのに……病気だったらどうしよう……」

「病気なのはお前だよ」


 なぜこうも頻繁にクラスメイトを小さくするんだ。あと、「洗える素材だったら」って何?


「まあ重くはないにせよ、本当に体調悪いのかもしれないな。薬飲めば治るだろうけど」

「薬か……待って待って、大きいオブラートで普通の大きさの牧野を包むとするじゃん? 水かけてオブラートをドロドロに溶かすとするじゃん?」

「溶かすな! あと牧野を伸縮自在にするな!」


 くだらないやりとりに溜息が出る。でも、この会話が心の清涼剤になっている部分もあって、誰かと話すのは大事だなと思えた。



「というか南瀬、お前も変だぞ。さっきの休み時間もずっと外眺めてたし。具合でも悪いのか?」

「ああ、いや、そうじゃないよ」


 優吾がこうして心配してくれている間にも、窓の外をいつもよりずっと長い間ボーッと見ている夕映についつい目を奪われてしまう。


 俺は景色を眺めていたんじゃない。彼女が見ているものと同じものを見ようとしていたんだ。



 

 今朝登校してきてから、夕映はずっとこの調子だった。昨日のあの一件が響いているのは間違いない。2時間目の休み時間に伊月が遊びに来たけど、彼女の様子がおかしいのを見て、話しかけることなく帰っていった。


 何かしてあげたいけど、何もできない。でも、このままでいいはずがない。揺れ動く思いを右心房と左心房の間で幾度もバウンドさせ、心が軋んだ。




「ちょっと、ちょっと、葦原」

 いつの間にか俺の近くまで来ていた伊月の呼び声に気付いたのはその時だった。


「どうした、伊月さ——」

「いいから来て」


 グイッと腕を引っ張られ、そのまま廊下に連れていかれる。腕を掴んだ瞬間、彼女は夕映の様子を見て、悲しそうに目をしぼませていた。


「夕映ちゃん、何があったの? 葦原が何かした? 高価なお酒の瓶割っちゃったとか」

「実際にあのくらい落ち込みそうで怖いな……」


 俺は昨日のキッチンピースでの出来事を話した。中学の同級生と鉢合わせたこと、未だに高校生であることを軽くからかわれたこと、夕映が暗い顔をしていたこと。



「……許せない」


 話を聞き終えた伊月は、唇をギュッと噛み、右手の拳を廊下の柱に叩きつける。ドンッと鈍い音が響いた後、怒りを抑えようとする深呼吸が聞こえた。


「ひどいよ。夕映ちゃんだって、なりたくて今の状態になってるわけじゃないのに」

「だよな。落ち込んでるみたいでさ。今日は部活も休みだってさ」


 明日は期末テスト前日だから部活は禁止。次に部室で夕映と会えるのはテスト終了後の金曜日だ。


「じゃあ葦原は今日の放課後空いてるのね?」

「え? ああ、空いてるけど……」

「そしたら作戦会議するから! 放課後、中集会室に来てね」


 俺の両肩をグッと掴み、謎の会議の開催を決定して、伊月は自分の教室に戻っていった。





「では、『夕映ちゃんを元気づけよう会議』を始めます!」


 放課後、椅子に座った俺の目の前で、伊月は黒板に綺麗な字で「夕映ちゃん」と書いた。別に書く必要もなかったけど、こうして名前を目にするだけで彼女の笑顔が浮かぶのは、紛れもない恋の証だった。


 生徒会がよく使っている中集会室。生徒会役員と各委員会の委員長が集まる代表会議に使用されるらしく、教室よりやや大きなスペースにロの字型に机が並べられている。俺は前方、黒板に一番近い位置に座り、伊月はその更に前の黒板に陣取っていた。


「やっぱり正攻法でいくなら、夕映ちゃんが好きなものをあげるって方法よね」

「それがいいと思う」

 贈り物されてイヤな気分になる人はいないからな。


「夕映ちゃんの好きなものっていうと……」

「酒だなー」

「だよねー」


 そこで2人同時に頭を抱えた。そもそもどんなお酒が好きかも分からないし、分かったとして高校生に売ってくれる店は少ない。それを学校に持ってくるのも勇気がいるし、万が一生徒会副会長の伊月が見つかろうものなら大変な騒ぎになる。あまり現実的な案ではないだろう。


「あとは夕映の好きなものは……哲学! 本よく読んでるし、家にもたくさんあっ……あるらしいぞ」


 危ない……「家にもたくさんあった」と言いかけた。もう少しで「なんで葦原が家のこと知ってるのよ」と余計な詮索をかけられるところだったな……。


「でも哲学好きな人に何あげればいいんだろうね?」

「哲学書とか?」

「どの本持ってるか分からないじゃない。哲学好きが欲しいもの……思索にふける時間?」

「どうやってプレゼントするんだよ」

 そして夕映に何を渡すの? 「時間」って書いた目録?


「ううん……夕映ちゃんの好きなもの……」

「夕映の好きなもの……」


 揃って腕を組みながら考え、「好きなアーティストいる?」「文房具とか興味あるかな?」と投げかけ合う。そのたびに曖昧な返事が聞こえては、坂隙夕映のことをまだ十分に知らないと自覚するのだ。

 もっと知りたい。いつか彼女より彼女のことに詳しくなって「結構この曲好きだよね」なんて気付いて話してあげたい。



「欲しいもの……」

「あるかなあ……」


 困っていながらも、好きな人が好きなものを考えると心の奥で何かが熱く揺らめく。それを同じ人が好きな相手と一緒に考えているなんて、なんだか変なシチュエーションで、それでも悪い気はしない。そしてバカげたことだと知りつつも、「好きなものの中に、俺は入るかな」なんて想像をしては、彼女の笑顔を思い出してお酒でも飲んだかのように頬が熱を持った。



 10分ほど経ったとき。不意に1つの考えが浮かんだ。


「そうだよ、肴!」

 黒板にアイディアを書き殴っていた伊月は、その言葉にこちらを振り向いた。


「さかな?」

「おつまみだよ! おかしとかなら俺達も買えるし、普通に学校に持ってこれるじゃん! あー、なんで気付かなかったんだろう!」

「あーっ! 確かに!」


 これなら夕映も喜ぶだろう。一番大好きなお酒に合わせて楽しむことができる。


「ちょっと良いおつまみ買ってあげたいわよね。百貨店とか……それこそ物産展とかやってたらご当地の面白いの売ってるかも」

「あとはすぐ届きそうなら通販でもいいかもな。先生にあげるとか理由つけて、購入だけ親に頼めばいいし」

「通販もいいわね! ワタシ、珍しいもの見つけたい!」


 そこからはスマホで検索合戦となり、彼女は通販で購入、俺は百貨店で現地調達することになった。



「プレゼントで、少しは元気になるといいなあ」

「うん、だといいなあ」


 黒板の真ん中に白チョークでぐるぐると雲のように囲っていた「夕映ちゃん」という文字を愛おしそうに消しながら、伊月はこっちに向き直らないまま口を開く。


「ありがとね、葦原」

「うん?」

「変な人扱いしないでくれてさ」


 その体は、少しだけ震えているように見えた。女子が好きなんて変じゃないか、と一番自分に問いただしていたはずの彼女からしたら、事情を話していることとはいえ怖かったに違いない。大きな輪を外れることの辛さは、俺も部活で味わっている。


 だからこそ俺ができるのは、やっぱり「普通に接すること」だけだ。それはちょうど、今は元気のない彼女にしてあげたように。



「俺は酒を飲んでたクラスメイトから、実は二十歳だって告白された人間だぞ。もう誰が何を言ってきても変だなんて思わないね」


「あははっ、確かに! ね、ね、見つけた瞬間、夕映ちゃんどんなリアクションだったの?」

「いやあ、俺も夕映も同時に固まったね。それで俺が先に『ごめん!』って謝って……」


 会議が終わってから30分、俺達はライバル同士で「恋バナ」をした。

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