24杯目 少しくらいバレても

「それじゃまたね、夕映ちゃん、葦原!」

「また遊ぼうね、伊月ちゃん」

「明日、学校でな」


 電話が来てから6杯目のカクテルの店に行き、精霊の住む森を探検するライドに乗った後、伊月は帰っていった。時間は4時過ぎ。あと2時間くらいは夕映と2人で回ることになる。


 帰り際、夕映に気付かれないように俺の腕を引っ張り、「誕生日だから譲ってあげる!」と冗談っぽく言ってきたのが、とても伊月らしい。自分がいなくなることを気にしないでいいよ、という気遣いがありがたかった。



「……じゃあ夕映、2人で回るか」

「そうね、レインボーカクテルもあと1杯だし。葦原君、場所分かる?」

「ああ、多分この道こっち側に行った方がいいんじゃないかな?」


 呼び方も名前に戻し、園内マップを見ながら歩き始める。


「人が増えてきたわね」

「16時から入園できるパスポートあったから、あれで入ってきたんだろうな」


 たまの会話も、1往復で途切れる。2人きりで夕映と仲良くなるチャンスと思ったものの、伊月が抜けた分バランスが崩れた感じになってしまって、若干の気まずさがある。


 いつもどんな風に話していたっけ? 普段できていたはずなのに、場所が変わったせいなのか、緊張してしまう。


 いや、場所だけじゃない。3人で来たときはデートみたいなものだったけど、今はすっかり男女1人ずつでテーマパークを歩く、デートそのものになっていた。



「……ここ、高校になってから初めて来たのよね」


 不意に、夕映が話し始める。その視線の先には、女子中学生らしきグループがいた。


「その前は中学の卒業前に来たの。だから5年ぶりくらいなんだ」

「そっか、ドイツ行ってたからか!」

「そうそう、だから今日来てビックリした。前になかったアトラクションもいっぱいあるなって。レストランも変わってる気がする」


 うん、5年も期間があけば、大きく変わるだろう。


「俺も中3のときに来て……その前は中2にときの遠足がここだったな」

「へえ、遠足で来たんだ」


「そうだよ、仲の良い男子5人で組んだんだけど、うちの班大変だったんだぞ。班長だったヤツが実は絶叫系ダメだったみたいでさ。乗るアトラクションの予定をプリントに書いたのに、そいつが先生に提出する前に全部平和なライドに書き換えて提出してたの」

「ふふっ、何それ、かわいい」


 隣の夕映が、握り拳を口元に当てて笑う。


「当日しおり見てびっくりだよ。カメに乗って上下するだけのアトラクションとか入ってるんだぜ。でさ、一応その通りに乗ってたんだけど、最後にどうしても絶叫系乗りたくて班長に交渉したんだよ、スカイハイコースターにだけ乗らせてくれって。で、オッケー貰えたのに、ソイツ以外のメンバーでトイレ行って戻って来たら、3Dメガネかけて乗る『スペースシアター』のアトラクションに並んでんだよ! 『こっちこっち』とか言って! そっちじゃないっての!」

「あははっ! いいキャラだなあ、その子」


 彼女は顔を綻ばせて笑う。あの時ちょっと本気で怒った思い出も、こうして彼女の笑顔に変換できるなら、悪いものじゃないなと思えた。


「あとはさ、中学3年の時、土曜の模試の振り替えで平日休みだったときも来たんだけど……」


 こうして2人の日常の関係性を取り戻していく中で、気まずさは綺麗に消えていった。

 普段のように会話をしていると、自然と楽しい空間になっていく。彼女が笑ってくれるのが、ただただ嬉しい。




 途中にあったお土産ショップをじっくり見て、話しながら散歩するように園内を歩いていると、あっという間に1時間が経った。



「お、7杯目見つけたぞ。ほら、あの紫の」

「ホントだ、バイオレットフィズね」


 幾分早足になってキッチンカーに向かう夕映。ほとんど並んでいなかったのですぐに買うことができ、レインボーグラスを手にするための最後の切符である紫のカラーチケットを手に入れた。これで遂に全種類制覇だ。


「度数が高いお酒だからさすがに量も少なめね」

「ホントにびっくりするくらい紫だな」


 スーパーの試飲で見るような小さめのコップに、絵の具を溶かしたような鮮やかな紫のお酒が入っている。


「これ、何で色付けてるんだ? 着色料?」

「違うわよ。ニオイスミレっていうスミレの成分なの。このスミレの入ったパルフェ・タムールっていうリキュールを使ったカクテルね。そもそもパルフェ・タムールは18世紀にフランスのロレーヌ地方で——」

「うん、もうスミレのところで十分だった」

 起源まで覚えてるのすごすぎるでしょ。



「さて、時間的にはアトラクションも乗れてあと一つかな? 夕映、なんか乗りたいのある?」

「んっとね……じゃああれがいいかな」


 彼女が指差した先を見た途端、鼓動がドクンと跳ねる。


 それは、どこからでもその目印になるような、大きな観覧車だった。



「え、あ、いいのか?」

「何が?」

「いや、別に……」


 観覧車に2人で乗るなんてまるでカップルだなと思ったけど、そう思ってるのは俺だけかな。夕映は特に意識してないのかな。



 知りたい。どんなことを考えているか覗ける道具があれば使ってみたいけど、それはそれで怖くて、どうせ使えやしないだろう。



「じゃあ乗ろうぜ」


 結構な行列だったけど、ライドと違って1組1組途切れることなく順番に乗っていくので、待つのもそんなにストレスじゃない。バイオレットフィズを少量ずつ飲んでいる彼女からパルフェ・タムールの豆知識を浴びながら、ゆっくりと乗降口に近づいていく。


「お二人様ですね、星マークのゴンドラにお乗りください」


 スタッフに案内され、丸い車内に乗り込む。1周20分弱の、誰の邪魔も入ることのない2人っきりの空間。



「うっわあ、綺麗……」

「すごいな……」


 さっきまでお互いよく話していた2人が揃って言葉を失う。まだ完全な夕方になる手前で、上空に微かに降っているオレンジから地上の青までのグラデーションが本当に綺麗だった。


「ちょうどいい時間に乗れたわね」

「だな、ベストタイミングだ」


 上昇するにつれ、遠くのビル街やさらに遠方の山々まで見えてきて、夕焼けを待ち侘びる世界が眼下に広がっていく。スマホで写真を撮るものの、目で見ているものとは全然違っていて、写真や動画では伝えきれないものがあると改めて思い知らされた。


 どんどん頂上に近づいていく。このまま想いを伝えてもいいのかな。確かレーヴランドにもジンクスみたいなのがあったっけ。観覧車の頂上で告白するとうまくいく? それとも付き合えるけどすぐに別れる? プラシーボにしかならないようなジンクスにだってすがりたくなる。



「私さ」

 ふいに、彼女が口を開いた。


「同級生が高校生のときにこういうところ来れなかったから、今日こうやって過ごせてホントに嬉しいの」

 俺の顔を見ずに、窓から景色を見たまま、彼女は続ける。


「カクテルにはカクテル言葉っていうのがあってね」

「カクテル言葉?」

「花言葉みたいなものよ。バイオレットフィズのカクテル言葉は『私を覚えていて』なの。それ思い出したら、みんな私のこと覚えててくれてるのかなって、なんかしんどくなっちゃって」


 置いていかれた寂しさを、夜の入り口である夕焼けに重ねているのだろうか。夕映の声はどこか悲しげだった。


 なんて声をかけてあげればいいか、正解は分からない。でも、俺なりに考えたことを伝えるくらいは、してあげたい。


「さっき話した、中学のときの、絶叫系苦手な班長さ」

「……うん?」

「すっごく仲良かったけど、高校別々になって全然会わなくなったよ。大学行ったら1人暮らしする人もいるだろうし、もっとバラバラになるんだろうなと思って。だから大丈夫だよ、きっと。夕映だけが1人でポツンといるわけじゃない。みんな新しい場所で新しい仲間作ってやってるよ」


 彼女は、俺をジッと見た後、優しく微笑む。そして音にならないくらいの小さな声で「ありがと」と一言だけ返してくれた。それでもう、十分だった。



「そうだ、葦原君、これ」


 カクテルを一口飲んだ彼女が、リュックをごそごそ漁る。

 チータラでもくれるのかと思いきや、シルバーのラッピングと青いリボンのかかった掌サイズの箱を渡してくれた。


「誕生日おめでとう。もっと早く渡そうと思ってたんだけど」

「えっ、あっ、えっ、俺に?」

 動揺しすぎてうまく言葉にならない。興奮で体全体を揺らす。


「ありがとう! すっごく嬉しい! ホントにありがとう!」


 一刻も早く開けたい気持ちを抑えて、ゆっくりと包み紙のテープを取り、箱を開ける。中に入っていたのは、ネイビーのスマホケースだった。


「ほら、ボロボロだったじゃない? だからちょうどいいかなって」

「うわ、ちょうど買い替えなきゃと思ってたんだよ。ホントにありがとう」


 確かにこの前、そんなこと言ってたな。あれから気にかけて、用意してくれたのか。


 ケースのフタが磁石になってるし、フタの部分にカードが数枚入るし、動画を見られるように横にして立てかけておける。高機能な良い商品であることはすぐに分かった。


「大事に使うよ」

「うん、落として壊したりしないでね」


 冗談っぽく笑う彼女の前で、布部分のすり減った今のケースを外して、新しいケースをハメてみる。ネイビーの色が、彼女がいつも学校で使っているリュックと同じなことに勝手にドキドキしてしまう。


 夕映から貰った初めてのプレゼント。いつでも手元にあるものを贈ってもらえたのが、そういうものを贈ろうと思ってもらえたことが本当に嬉しくて、俺はスマホを何度もぎゅっぎゅっと握ってみた。


「俺もお礼……何にもないな」

「お礼なんか良いわよ。今日一緒に回ってもらって7杯飲んだから記念のグラス貰えるし」


「いや、それは夕映が全部飲んだだけだし……」

「それに」


 オレンジが少しだけ深まった空を下降しながら、彼女は座っている席からやや腰を浮かし、少しだけ俺に近づく。


「さっき話聞いてもらえたから、それで十分よ」


 同い年の子とは全く違う、大人びた笑みを見せる。眉をクッと上げ、口元を緩やかに曲げた表情に、心臓がうるさくなって血液と一緒に淡い想いを吐き出し、体中を駆け巡る。



「またいつでも話聞くから話してよ。俺が夕映の話聞きたいんだ」

「……うん、ありがと」


 気持ちが漏れちゃってたかな。バレてるかな。だとしたら少し照れるな。


 それでも、もし伝わってるのなら、それはそれでいいかな。



「あ、ところで、パルフェ・タムールなんだけどね、当時の貴族には『飲む香水』って評されてたから——」

「まだその話続いてたんだ!」



 下車までの5分間、俺は新しいケースのスマホで外の景色を何枚か撮りながら、夕映とどうでもいいことをたくさん話して、たくさん笑った。



 〈第6章 了〉

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