23杯目 化粧とチータラ

「あっ、夕映ちゃん、アレ黄色いカクテルじゃない? ムーンライト・クーラーって書いてあるよ」

「ホントだ、これで3種類目ね」



 黄色いのぼりを立てたキッチンカーに向かって伊月が歩き出す。さりげなく夕映と腕を絡めているのが、女子特有の距離の詰め方で少し羨ましい。


 一方の俺はといえば、クラスでは「坂隙さん」呼び、2人きりのときは名前呼びすることになっていたものの、伊月と3人でいるときの呼び方を決めておらず、坂隙さんのままになっているという格差。伊月の方がどんどん夕映と仲良くなってるな……頑張れ俺……。



「そういえば坂隙さん、つまみは買わないの? 幾つか売ってるけど」


 結局呼び方を変えないまま話しかけ、ステーキ串やタンドリーチキンのメニューを指差すと、彼女は眉を少し下げて首を振った。


「うん、いいかな別に。カクテルだけで結構お金かかるしね」

「確かに……でも食べないで飲むとあんまり体によくないってテレビでやってたような」

「大丈夫よ、つまみなら持ってきてるから」

「持参!」


 彼女は背負ってきた小さなリュックから、チータラと書かれた大袋の肴を取り出した。細長い四角形のチーズの両面をたらのすり身の薄焼きで挟んだ、よく見るお菓子の写真が載っている。園内持ち込み自由とはいえ、こんなもの持ち込んでる女子は珍しいと思う。



「うん、やっぱりチーズ系の肴は万能ね。カクテルにも合わせやすいわ」

 細切りのチーズをあむっと咥えながら、彼女はやや小さめのプラスチックに入ったカクテルをグッと飲んだ。


「夕映ちゃん、ムーンライト・クーラーってどんなカクテルなの? その黄色いのってパイン?」

「ううん、これはレモンジュースなの。カルバドスっていうリンゴのブランデーとレモンジュースとシュガーシロップを、バーテンダーがよく使うシェイカーでシェイクして、出来上がったものにソーダを加えて完成よ。飲み口が軽くて、カルバドスの甘みとレモンジュースの酸味を同時に味わえるのが特徴ね」

「すごい! 作り方まで覚えてるんだ!」


 一部よく分からない単語も出てくるようなレシピをスラスラ言えるのは本当にすごい。帰国して飲めない間、好きでたくさん勉強したっていうのは本当らしい。



「ちなみにね、チータラには普通に食べるより良い『発明』があるのよ」

 そう言って、彼女がリュックから保存用の袋を取り出す。


「えっ、夕映ちゃん、これ何……?」

 その中に入っていたのは、膨張してぶくぶくと太ったチーズだった。


「チータラを1分くらいレンジで温めるとこうなるのよ。2人とも、食べてみて」

「なんか変な形に膨らんでるな……いただきます」


 そもそもチーズ同士もくっついていて、見た目はお世辞にも味が良さそうには見えない。


 だけど、口に入れた瞬間に分かる。


「えっ、うまい!」

「これ美味しいね、夕映ちゃん!」


 カリカリの食感、こんがりとした風味。たまに家で食べるあのパサパサしたチータラとまったく別物の、スナックみたいなおつまみになっている。


「ちょっとした一工夫でガラッと変わるのよ、面白いわよね。今度のレポートに書こうっと」


 手に持っていたスナックチータラをサクサクと食べた後、彼女はもう1本持ち、スマホをあちこち動かしてアングルを確認しながら写真に撮った。レポートに載せるのだろう。


「ところで夕映ちゃん、乗りたいアトラクションないの? さっきから葦原とかワタシだけ希望出してるけど」

「そうそう。乗りたいのあったら教えてくれよ」

 ライドに幾つか乗ったものの、夕映からのリクエストは出ていない。


「そうね……あっ、あれがいいかな」


 彼女が指差したのは、遠くにあるコーヒーカップだった。マップに書いてあるアトラクションの一言紹介によれば、自分の手元のハンドルで回転スピードを調整できるタイプらしい。


「直前までお酒飲んだ状態で回ったら、お酒も回って酔うのか、試してみたかったのよね」

「どういうチャレンジ精神なの」

 変な好奇心出すなよ。


「よし、乗ってみよう!」


 上機嫌に先頭を切る伊月。俺はこの時、非常に残念なことに自分の三半規管の能力を全く把握していなかった。



「それそれそれそれーっ!」

「ぎゃああああああああ!」

 騒いで回す伊月と、騒ぐだけの俺。


「2人とも、もっと回すわよ!」

「葦原君、見て。あそこのカップルの被ってる帽子、レーヴラビットじゃない?」

「見る余裕ねええええええ!」


 夕映の動体視力に驚愕しつつ、俺はこの世の苦痛を詰め込んだような回転地獄を、1人阿鼻叫喚で堪能していた。





「ちょっと葦原、大丈夫?」

「ダメ……しんど……」


 酔い過ぎてカップルが座っている隣のベンチに横たわる。好きな女子の前でやりたくないカッコ悪い仕草トップ10に入るだろう。


「坂隙さん……本当に……うぷ……酔ってないの?」

「平気よ。結構回転してたけど案外普通に歩けるものね」


 化け物だ……あの速度で回っててカップルのつけてる帽子のキャラが分かるってもはや特殊能力だしな……。


「伊月さんも……あんだけ回してたってことは……酔わなかったんだろ? 2人ともすごいな」

「いや……ワタシはちょっと酔ったかも」

「ウソでしょ」

 明らかに具合悪そうにおでこに手を当てる伊月。なんて自業自得なんだ。


「よし、じゃあ葦原君、体調治ったら次の藍色カクテル狙いに行くわよ」

「坂隙さん、ホントに元気だね……」

 ああ、でも、なんだかんだ言ってやっぱり楽しいなあ。



 その後、夕映と一緒に4杯目、5杯目とカクテルのキッチンカーを巡りながら、アトラクションに乗っていく。

 5杯目をものすごいペースで飲み干した後に、スマートパスで待ちに待ったスカイハイコースターに乗って叫びながら落下&回転すると、さすがに彼女も少し赤ら顔になってきた。



「さて、次は6杯目ね」


 次のエリアに向かう途中、並んで歩きながら夕映の顔をジッと見ていた伊月が、微かに溜息をつく。


「夕映ちゃん、化粧上手ね」

「どうしたの急に?」

「いや、ワタシ全然化粧しないからさ」


 言われてみると、確かに伊月は夕映と違ってファンデーションも塗っておらず、目や口にも何もつけていなかった。もっとも、2人とも元の顔立ちが端正なので今のままでも十分綺麗なんだけど。


「部活の水泳で落ちるから特につけないまま過ごしてたんだけど、今年で17歳だしさ。クラスの女子からも『した方がいいよ!』って冗談っぽく笑って言われるし、正直すっぴん自信ないから、そろそろやった方がいいのかなって。でも、急にメイクしてきたらみんな笑うかなってちょっとだけ不安もあってね」

「そっかあ、伊月ちゃん、悩んでたんだね」



 恥ずかしそうに笑って見せる伊月に、彼女の隣を並んで歩いていた夕映は、建物の窓を焦がすように照り付ける太陽を見つつ黙って思考に耽る。



 やがて彼女は、ポツリと呟いた。


「チータラ」

「……え?」


 伊月が首を傾げて訊き返す。夕映が口にしたのは、さっきまで食べていたあの肴だった。まだ付き合いは短いけど、夕映の中で話せることがまとまったのだろう、と分かる。


「チータラの他にね、チーズたらっていうおつまみもあるの。葦原君、知ってた?」

「え、俺? いや、知らなかったけど……名称が違うだけで同じものだろ?」


「ううん、実は原材料が違うの。チータラは魚肉すり身って書いてあって、鱈の他にホッケなんかも混ざってるの。チーズ鱈は鱈だけね」

「えええ、チータラって名前だから鱈だけ使ってるんだと思ってた」

 ホッケが入った方が安くなったりするんだろうか。



「伊月ちゃん、この2つ、味ってどんな風に変わると思う?」

「ううん……やっぱりチーズ鱈の方が美味しいの?」

「ふふっ、そう思うわよね。でも私全然分からなかったの」


 自虐でもなく、単純に可笑しくて堪らないというように夕映は笑う。化粧と全く違うベクトルに向かっていった雑談に、伊月は少なからず困惑していた。


「チータラでもチーズ鱈でも、そんなに変わらないわね。でもどっちも、レンジで温めると同じように美味しくなるの」

 左目を閉じた彼女は、薄く塗ったマスカラをつんと触る。


「メイクもね、きっと同じじゃないかと思って」


 チータラと化粧を同列に並べる女子高生がいるだろうか。いるのだ、ここに。彼女の中ではしっかり繋がっているのだ。


「すっぴんの見た目とかね、もちろん周りより綺麗な人だっているけど、化粧する・しないに比べたら大差ないんじゃないかなって思う。チータラもチーズ鱈もそんな変わらないけど、レンジで温めたらガラッと変身できるのと一緒でさ。だから、化粧を自信つけるためのツールとして使ってもいいと思う。私も高校入って少しずつ始めたよ。みんないずれ通る道だから、遅いか早いかの違いだしね」


 なるほど、そういうことか。レンジで温めたあのチータラみたいに変身できるなら、メイクで自信もつくだろうな。


「んん……」


 伊月は静かに唸る。意外と怖いと評判の空中を走るトロッコのアトラクションから、この空気に不釣り合いな楽しそうな声が響く。


 やがて彼女は、やや俯きながら口を開いた。


「ありがと、でもやっぱり正直自信なくてね……化粧したらみんなに笑われそうで」


 いつも明るく振る舞っている伊月を見ているからこそ、こんな風に自信のない様子を目の当たりにすると若干驚いてしまう。


 夕映はどう答えるんだろう? 慎重に言葉選ばないと——


「でも、今も伊月ちゃん、『化粧した方がいいよ』って笑って言われるんでしょ? どうせ笑われるなら、綺麗な方に転んでみてもいいと思うけど」


 そんな雑な返事があるか!


「…………ぶふっ!」


 心配を他所に、伊月は吹き出した。口をグッと押さえながらも、指の隙間からクックッと笑い声が漏れる。


「どうせ笑われるなら、か。夕映ちゃんの言葉、前向きか後ろ向きか分からないね」

「後ろ向きに全力疾走よ」

 伊月のツッコミに、夕映は楽しげに自分の後ろを指差した。



「哲学者のソクラテスも言ってるわ。『自分の人生の主人公になりなさい。あなたは人生で、自分の望むどんなことでも出来るのです』って。どうせ主人公なんだから、新しく始めてみてもいいんじゃない?」


 この前教室で話題が出てきたソクラテスの言葉を引用すると、伊月はノーメイクの顔をくしゃっとさせて笑った。


「うん、やってみようかな。チータラの、美味しかったから!」


 よしよし、これでまた、3人で騒ぎながらデート再開だ。



「じゃあこの後は——」


 その時、伊月の提案を遮るように、彼女のジャケットに入っていたスマホが鳴った。


「はい、もしもし…………あー、そうなんだ…………うん、分かった」


 そして電話を切ると、俺と夕映に残念そうな顔を向ける。



「ごめんね、おばあちゃんも誘って家族で夕飯行くことになったから、もう少ししたら帰るね。後は2人で回って?」


 2人で、という単語だけが、脳内でキラキラ点滅しながらぐるぐると駆け巡った。

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