第6章 チータラとバイオレットフィズと観覧車

21杯目 マイバースデー

「……ふう。やっぱり仕事終わりのお酒は最高ね」

「授業を仕事って言うな」


 放課後の部室。机を4つ繋げたテーブルで、向かいではなく斜めの場所に座っている夕映は、昨日伊月にも出していたピーナッツを皿に開け、数粒手に乗せてひょいっと勢いよく口に運ぶ。飲み込むとすぐに、手元にある焼酎の水割りの入ったグラスをグッと傾けた。


「寒くなってきたらお湯割りも飲みたくなるだろうし、電気ケトルは必需品ね」

「寒くなってくるなら先に電気ヒーターとか買ってくれよ」

 俺のツッコミに、確かにそうね、と彼女はクスクス笑った。



 6月に入った初日、「まだ俺の出番は後に取っておこう」とばかりに雨雲は鳴りを潜めている。

 夏至が近いからか、17時を回っても空は明るいままで、オレンジが降ってくる気配はない。このまま夜が奪われ、白夜のように白色の昼が続くのでは、と思ってしまうような夕方だった。


「伊月ちゃん、今朝もLIME来てたよ。元気そうだった」

「ん、そっか」


 昨日の彼女の悩み相談を思い出す。悩んでいる伊月をおもんぱかった回答に、俺もあんな風にちゃんと相手のことを受け止めてあげたいなと考えながら、ふと、夕映は伊月の気持ちにどこまで気付いていたんだろうと気になった。


「なあ、もし伊月がさ、夕映のこと……」

「うん……そうね」

「……だよな」


 会話はそれだけ。それでも、お互い伝わった。


 夕映が気付いていないはずがない。そのうえで「私は気にしないよ」と伊月に伝えたその背景が気になって、ジッと彼女を見る。夕映は、何のなしに首を振りながら答えた。


「今は伊月ちゃんをそういう目で見てないけど、将来なんてどうなるか分からないじゃない? 確定してるのは今と過去だけだから、気持ちも変わるかもしれない。自分も伊月ちゃんと同じように女子が好きになるかもしれないし、向こうが男子を好きになるかもしれないし。だから、想ってくれてるならそのままでいいかなって」

「……夕映らしいな」


 誰も個人の想いを変えることはできないし、変える権利もない。そしてこれから変わる可能性も否定できない。だからそのままでいる。哲学を愛して現実としっかり向き合っている彼女ならではの答えに、得心しながら部室に常備している緑茶を飲む。


 うん、夕映がオススメしてただけあって、味が濃くて美味し——


「それより、最後伊月ちゃんと何話してたの?」

「ぶほっ!」

 危ねえ! 完全に吹くところだった!


「何かコソコソ話してたわよね?」

「まあちょっと、『俺哲』について……」

「そんな分かりやすい嘘を……」


 そりゃ嘘もつくよ……貴女を取り合ってライバル宣言されました、とは言えないよ……。


「なになに葦原君、お姉さんに話してみなさいよ?」


 椅子ごとズズズッとこちらに迫り、「ん? ん?」と顔に好奇心を貼り付けて、想い人はその綺麗な顔を近づける。思いっきり目が合ってしまって胸の中の鉄琴がグリッサンドを奏でた。


「あ、いや……」


 どうしよう、このまま打ち明けてもいいかな。伊月も昨日言ってるんだし、スムーズに受け止めてくれるかな。「私もこれからどうなるか分からないから、想ってくれてるならそのままでいいかな」って言われるのかな。


 でもそれじゃ嫌なんだ。本で得た知識の幅も、年上の余裕も要らなくて、俺のぶつけた言葉に動揺して、狼狽して、赤面する君が見たいんだ。



「……何でもない」

「そっか。じゃあいつか話したくなったら話してね」


 そう言って、彼女は棚から一升瓶を持ってきて、グラスに水割りのお替りを作り始める。


 うん、そうする。話したくなったら、君にだけ話すよ。


 とりあえず今日は、日が暮れるまでもう少し、中身がなくて笑えるだけの、大したことない話をしよう。



 ***



「聞いてくれ、南瀬! 牧野が今月誕生日なんだ」


 2日経った6月3日木曜の昼休み。前の席にいる優吾がハグでもしてくるかのような勢いで身を乗り出す。


「今月なのか。ってことは優吾、プレゼントでも買うの?」


 そう訊くと、彼はそのまま腕が取れるかと思うくらいがっくりと肩を落とした。


「買って贈りたいんだけど……何買おうか迷ってるんだよなあ。どんなものがいいのかな」

「まあ日常使うものとかだと『重い』って思われるかもしれないから、食べ物とかがいいんじゃない?」

「そうだよなあ……オリーブオイルかごま油、どっちかかなあ」

「お歳暮かよ」

 贈られた牧野もどうすればいいんだよ。


「いや、違うんだよ南瀬。最近牧野に油をかける妄想にハマっててさ。そのままグリルでこんがり焼きたいじゃん?」

「『じゃん?』って言われても」

 なんでコイツの中で牧野ってちょいちょい料理されてるの。


「何の話してるの、2人で」

「おわっ、簾ちゃん!」


 伊月が明るい表情で俺達の顔を交互に覗く。その後ろにはきょとんとしたように見ている夕映。やばい、バカ男子トークを聞かれてただろうか。


「いや、大したじゃことないよ、友達の誕生日プレゼントの話。簾ちゃんこそどうしたの?」

「夕映ちゃんと廊下で会ったから、次はどこのパフェ食べに行こうか話してたの」


 伊月はちらっとこっちを見ると、やや自己主張の強い胸を得意げにグッと張ってみせた。


 そう言えば、昨日放課後、夕映と伊月で食べに行ってたな。クッ、さすが女子同士、自然に距離を縮めている……っ!


「そういえば南瀬、俺も遂に読んだんだよ。『俺の哲学に火が付くぜ』」

「お前も読んだの!」


 かなりマイナーな漫画なのに、俺の周りで計4人が手を出しているという異常事態。


「坂隙さん、俺も光葉みつは志桜しおなら志桜派だよ!」

「そっか、ついに派閥が出来て良かったわ。最後は志桜と結ばれてほしいなあ」


 俺と伊月が光葉派だったからか、彼女は仲間ができて地味に嬉しそうだった。


 でも、こんな小さなことですら、「本当は夕映とペアが良かったな」なんて思ってしまう。心の中で育った嫉妬心の葉についたトゲが、チクリと痛む。



「俺は3巻の仲直りのシーン好きだったな。泣かされると思わなかったぜ」

「ああ、ソクラテスのやつか。北原ああいう友情系弱いもんね」


 キシシッと笑って伊月がからかう。さすが中学からの知り合い、好きなシーンもお見通しだ。


「南瀬もあそこ泣いただろ?」

「泣いたよ。あそこの名言良かったよな。えっと……」


 思い出せず、スマホでソクラテスの名言を調べていると、夕映がジッと俺の手元を見た。


「葦原君のスマホケース、ボロボロじゃない」

「結構使ってるからなあ……あ、あったあった。『あなたのあらゆる言動を褒める人は信頼するに値しない。間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる』だ」


 自分の誤りを正され、一度は友人とケンカした主人公の亮太が、この言葉を思い出して仲直りするシーン。意外と俺哲は泣かせる話が多いんだよな……。



「じゃあワタシ教室戻ろうかな。葦原、誕生日の話ジャマしちゃってごめんね」

「ああ、いやいや、ホントに雑談だったから——」

「思い出した! 南瀬、今度の日曜、誕生日じゃん!」


 優吾が大声で叫んだせいで、半径3メートルのクラスメイトが一斉にこっちを向いた。恥ずかしい。


「え、葦原君、そうなの?」

「そうそう、6月6日に雨ザーザー降ってきて、だな」


 そのタイミングで、ちょっとトイレ、と行って優吾は席を立った。


「南瀬、戻ってきたらプレゼントの希望聞かせろよな!」


 駆け足で廊下へ出ていく彼を見送った後、夕映は自分の席に座り、俺の方に椅子ごと体を向ける。


「ねえ、葦原君。誕生日パーティーでもしよっか」

「そんなことしてもらう男子高校生はいないって。大体どこでやるんだよ」


「あ、それなら良い案があるわ!」

 伊月が授業中かと思うほど真っ直ぐにピッと手を挙げた。


「レーヴランド、知ってるでしょ? パスポートに誕生日割があるのよ。当日誕生日の人がいると本人半額、一緒に行く人も3割引きなの。どう、一緒にいかない?」


 えええええ! 夕映と一緒に? 何それ、めちゃくちゃ行きたい。


 いやいや、だけど夕映ってそういうの行かなそうだしな……でも、せっかくだから駆け引きしてみようかな。


「まあ、うん、それなら興味あるけど、坂隙さんがどうか——」

「いいわね、レーヴランド」

 えええええええ! 即答!


「夕映ちゃんがそういうの好きなの、なんか意外ね」

 伊月の言葉に、夕映は周りを確認した後、口の横に手を当てて声を潜める。


「あそこお酒飲めるでしょ? ネットで見たんだけど、今は限定のカクテルが売ってるのよ」



 そんなわけで、好きな人とライバルという不思議な組み合わせの3人で、デートのようなものをすることが決まったのだった。

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