18杯目 静けさの中の駆け引き

 俺達の会話を聞き逃すまいとするかのように、外の雨足はやや弱くなった。


「ごめんね、こんなことに巻き込んで」


 泣き顔にもならず、いつもと変わらないトーンで話す彼女に、首だけ振って答える。


「なんで白状したんだよ」

「冷蔵庫開けられたら一発でお陀仏だしね。欺いたところで、どうせけじめつけるハメになるなら、自分から頭下げた方がいいかなって」

「どこの何の組織なんだ」


 あまりにも悪役みたいな台詞を口にする彼女に、思わず笑ってしまう。こんな状況でもあまり焦っていないように見えるのは、3歳上ゆえの余裕だろうか。


「大丈夫よ、葦原君に迷惑はかからないようにするわ」

「……そんなの気にしないでいいのに」


 返事に迷った挙句、強がりを口にする。いざ学校側での対応を想像したとき、「友達になんて思われるか」「進学に影響はないか」と考えてしまうことが、自分の弱さを如実に表していた。



「この部活もなくならないといいけどね」

「まあ、そうだよな」

「……なくなったら寂しくない?」


 突如やってきた、俺を見透かすような問いかけ。肯定して正直な気持ちを伝えるか、否定してクールを纏うか、脳内の俺が瞬時に双方をロールプレイする。


「……そりゃあ、ここの活動も楽しいし、なくなったら寂しいよ」


 部長への配慮だよ、という建前を盾に、素直に返事した。「夕映もいるしね」の一言が言えないままに。


「ね、私も楽しいわ」


 その返事に、頬はバカ正直なほど熱を持つ。


 どういう意味だろう? 彼女にとって、坂隙夕映にとって、何が楽しいんだろう。



「学校で楽しくお酒飲めなくなったら困るしね」

「あー、なるほどね」


 なるほど、そっちか。平静なフリをして相槌を打つ。



 でも、それでも、ほんの少しでも、俺との活動が楽しいと思ってくれてるといいな。家に呼んでくれるくらいには親しく思われてるって、信じていたいな。そう願うことくらいは、ワガママじゃないかな。


 ほら、こうしてどんどん自覚していくのだ。彼女のことが、とても大切で愛おしいのだと。





「……よし」

 しばらくして、意を決したように彼女は右手をギュッと握った。


「お酒を飲もう」

「うっそだろ」

 ダメだ、さすがにツッコまずにはいられない!


「あのさ、夕映。何もこの状況で飲まなくてもいいだろ」

 棚の一番下から瓶のウィスキーを取り出そうとする夕映の腕を引っ張る。


「何で飲むんだよ」

「まあ、ここにお酒があるから、かな」

「どこかで聞いたセリフだ!」

 多分この教室で初めて会ったときだ!


「いい、葦原君。私は簾藤さんに罰しても構わないとは言ったけど、飲むのをめるとは言ってない。私は熱い気持ちと強い覚悟でお酒を飲むのよ」

「そう言われるとめられないな……」


 真剣な顔を寄せる彼女。空気をまとったパーマからふわりと、シトラスのような匂いが鼻にやってくる。可笑しいくらいの彼女の決意も、そこまで情熱をかけるほど好きなものがあると思うと、真っ向から応援したくなった。



「冷蔵庫にミネラルウォーター入れてるから水割りにしようかな」

「じゃあ、俺が注ぐよ」


 予想外のリアクションだったのか、夕映が驚いた表情を見せる。


「いいの?」

「部員として応援してるからさ。それに作り方とか分量も覚えてみたいし。ほら、将来に備えてね」

「……ふふっ、私の指導は厳しいわよ? まず氷と水を持ってくるところからね」


 こうして彼女の水割り講座が始まる。


 俺の気持ちなど、ひょっとしたらとうに見抜かれてるのかもしれない。こんなに分かりやすく距離を詰めていたら、それも仕方ないだろう。


「マドラーって、この黒い棒のことか?」

「そう。氷の上からウィスキーを注いだ時点で、マドラーでしっかり混ぜて冷やすのがポイントよ」


 でも見抜かれていても良いと思った。どうせ2人しかいないんだから、誰に遠慮することもない。俺は俺の気持ちを、ぶつけたい人にぶつければいい。






「ごめんなさい、遅くなって」


 簾藤が戻ってきたのは出て行ってから15分ほど経った頃だった。神妙な顔で、昼休みに見る軽快なステップとはまるで違う重そうな足取りで部室を歩き、俺達が座っている真ん中の大きなテーブルの前に立る。


 そして、マグカップより少し背が高いくらいのグラスで薄い琥珀色の飲み物を飲んでいる夕映と手元にあるウィスキーの瓶を見て、風圧で瓶が倒れるのではと思うほど大きな溜息をついた。


「……また飲んでる」

「ええ、好きだからね」


 真っ直ぐに答える夕映に、簾藤はもう一度息を吐きながら左右の手を腰の両側に当てる。それは、怒っているというより、意地っ張りな妹に呆れている姉のようなリアクションだった。


「確認だけど、葦原君は飲んでないのね?」

「あ、ああ……もちろん」

「私も飲ませてない。誓ってもいいわ。だから、処罰は私だけでいいから」


 逮捕を待つ犯人のように、立ち上がって簾藤のもとに歩く夕映を見て、我慢していたものが抑え切れなくなる。


「いや、やっぱり止めなかった俺にも責任はあるから——」

「葦原君、そんなことない。気にしないで」

「そんなわけにはいかないよ。俺だって見て見ぬふりしてたんだから——」

「2人とも、落ち着いて」


 ヒートアップしそうな会話を、簾藤が遮る。そして、ほんの僅か微笑んで、夕映の方を見た。


「20歳以上で飲んでるから法律に違反してるわけじゃない。学校で飲酒するなと書いてないから校則違反でもない。だから許すわ。生徒会でも問題として取り上げない」

「え……ホントに……?」


 目を丸くした夕映が、グッと簾藤に体を近づける。生徒会副会長は「ええ」とはっきり首を縦に動かした。


「その代わり、絶対この部室以外では飲まないこと! じゃないとワタシも庇いきれないからね!」

「うん! ありがとう簾藤さん!」

「わっ、わわっ、坂隙さん、ちょっと!」


 今まで見た中で1位、2位を争うほど明るい笑顔を見せて、夕映が簾藤に抱きつく。

 簾藤は「ちょ、ちょっと!」と照れながら、両手でおそるおそる夕映の背中で両手を回している。



 こうして、飲酒発覚の件は、なんとか問題にならずに済んだ。


 この後、夕映が冷蔵庫に入っている麦茶を出してきて俺達に用意し、自分はウィスキーの水割りで喜びの乾杯をしたのは言うまでもない。



 今日も彼女は、お酒を楽しんでいる。

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