第5章 シードルとピーナッツと女の子
17杯目 問い詰められて
5月24日月曜。俺はこの日付を忘れずに覚えておくことに決めた。ひょっとしたら、停学や謹慎の処罰が下される日になるかもしれないから。
「え……? ちょっと、伊月さん? なんでドアの貼り紙……」
「貼り紙? そんなの、は、貼ってなかったけど? え? え?」
クエスチョンマークだらけの女子2人の会話。簾藤は顔が真っ青に、夕映も明らかに顔が引き攣っている。きっと入口の貼り紙がまた落ちていたんだろう。
「な、な……なんでお酒飲んでるの? それ、ノンアルコールとかじゃないわよね、本物のビールよね。なんで?」
狼狽と興奮でいかり肩になっている簾藤の向かいで、夕映はちらと俺を見る。その黒い瞳に映るのは、「ここは一旦シラを切り通すわよ」という無言のサイン。その方がいいだろうと頷くと、彼女もふうっと大きく息を吐いた。
「白状するわ、お酒よ」
めちゃくちゃ素直! こんな潔い犯人ばっかりだったらいいのに。
あと俺、彼女のサイン全然読めてなかった。
「先に言っておくけど、簾藤さん。私、法律違反だけは犯してないからね」
「え……どういうこと?」
「……私、実は
そこから夕映は、かつて俺にしたように、詳細に告白し始めた。3歳年上の20歳であること、海外で療養している間にお酒を教わって好きになったこと、ようやく日本でも飲めるようになったこと、この部室でこっそり楽しんでいたこと。
簾藤はその話をやや険しい顔つきで黙って聞いていたが、やがて、やや頬を膨らませながら細く長く息を吐いた。
「そっか、坂隙さん、どうりでどこか大人っぽく見えると思ったわ」
その接し方は変わっていない。彼女もきっと俺と同じように、「話し方を変えたりされる方が寂しいはず」と分かっているのだろう。
簾藤はしかし、すぐに問い詰めるような低い声で夕映に向かって話し始めた。
「坂隙さん、この部活設立したのが先月だよね? 20歳になったときと一緒のタイミングでしょ? ってことは、こうしてお酒飲むために部活立ち上げたってこと? それ目当てに生徒会に申請したってこと?」
その時の簾藤の顔に浮かんでいたのは、それまでの動揺や驚嘆ではなく、失望に近い色。伏し目がちなまま、歯を見せてシニカルに笑う。
その質問に、夕映は真顔を崩さずに黙っていた。
「結局、さかな研究部としての活動はしてなかったってこと?」
これは厳しい質問だ。仮に「さかなは海を泳ぐ方じゃなくておつまみの方の肴よ」と弁解したところで、具体的な活動をしていないことには変わりはないのだからはしてないだろう。
夕映は表情を崩さないままちらとこちらを向き、「大丈夫よ」と言わんばかりに頷いた。いや、でもこの状況からどうやって……
「さかなは海を泳ぐ方じゃなくておつまみの方の肴よ。そしてちゃんと活動はしてるわ。色んな肴の歴史やお酒との相性を研究する評論レポートを書いて、司書さんに頼んで図書室に置いてもらってるわ」
えええええええ! そんなことしてたの!
「……お酒との相性を研究するレポートを図書室に置いてるの?」
「まあお酒の歴史に関する本もあるし、同じようなものよ。レポートには私の名前は出してないし、目立たないところに置いてあるから生徒は誰も読んでないんじゃないかな。先生には人気らしいけどね」
先生に人気のレポートって。そりゃ生徒は読まないだろうけどさ。
「確かこの前2号目出したから持ってるはず。えっと……」
リュックを漁る夕映。いつもお酒や肴が出てきたその鞄から、ホッチキスなどではなく製本用のテープで綴じられた「さかな研究報告書 Vol.02」という本が出てきた。表紙も夕映がデザインしたのか、イカやカリカリ梅の写真が綺麗にカラーでレイアウトされている。趣味とはいえ
「簾藤さん、失望させたらごめんね。本当に正直に言って、始めからお酒目的よ。ここでお酒をゆっくり飲めたら楽しいなって。弁解の余地もないわ」
さっきの簾藤の問いに答えながら、夕映は自嘲気味な表情を
窓の外では、糸のように細い雨が降り、グラウンドから運動部の声は聞こえない。意地の悪い雲が太陽を覆い、電気を点けていないこの部屋を一層暗くしていく。
「でも、ちゃんと活動はしてるわ。レポートも見たでしょ? これは部活をやってるように見せるための建前じゃなくて、本当に調べるのが楽しくて作ってたの。この知識が、普段の会話にも活きてる。ちょうど簾藤さんとご飯行ったときの梅の話みたいにね」
カリカリ梅の豆知識から、なぜ勉強するのか、という問いに繋げて話してもらったのを思い出す。確かに、レポートを書く中で学んだことが、日々に活かされているのだろう。
夕映はもう一度俺の方を見ると、今度は少しだけ口角を上げて、簾藤に向き直る。
「ちゃんと活動してるから、少なくとも葦原君は処分を受ける理由はないわ」
「……は?」
彼女の口から聞こえた言葉は、明らかに俺を擁護するものだった。
「それに、私は葦原君にお酒を勧めてないし、葦原君も飲んでない。だから飲酒にせよ、もともとの創部理由が不純だったってことにせよ、悪いのは私よ」
「……んだよそれ」
聞こえるか聞こえないか、できれば少し聞こえてほしいくらいの願いを抱えて舌打ち混じりに呟く。
庇われてることが悔しい。部長と部員、年上と年下。守られることが当然かもしれないけど、夕映がそんな目に遭うなら俺が替わりたいとすら思う。でも実際はそんな理屈も勇気もなくて、自分に被害が来ないことにどこか安堵したりもしていて、そんな自分が堪らなく嫌になる。
「処罰でもなんでも検討していいわ。でも、葦原君には関係のないことだから、罰の対象から除外してね」
「いや、坂隙さ……」
改めて反対しようとしたものの、制すような彼女のつり上がった目を見て喉を締める。守ってもらうだけなんてイヤだけど、守ろうとしてくれた人の努力をふいにするのはもっとイヤだった。
「そんなこと……言われても……」
俺と夕映を交互に見ながら下唇を噛む伊月。いつも凛としている彼女が困ったように眉をハの字に下げているのを見るのは、なんだか忍びない。
「……ごめん、ちょっと冷静になってくるね」
簾藤が駆け足で出ていった部屋で、俺と夕映と静寂だけが取り残された。
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