16杯目 突然の来訪者
「さて、南瀬。ついに明日水曜からテストなわけだけど、ここで重大発表がある」
24日月曜の昼休み。いつも通り目の前で弁当を平らげ、購買部で買った生クリームたっぷりパンをクリームを吸うように食べている優吾が、やや胸を張りながら俺に話しかけてくる。
「実は俺は、この週末、牧野と勉強したのだ」
「うっそ、マジで!」
突然の発表に叫び声が出てしまった俺を、彼は「シーッ!」と制した。
「といっても、2人じゃないけどな。ファミレスでグループで勉強しようってことになって、横田と館野と4人で。でも男2、女2だからグループデートみたいだろ」
「いいじゃんいいじゃん。で、どうだった?」
「まあ勉強は進まないよなー!」
「まあそうだよなー!」
お互い肩を叩き合って同調する。みんな「グループで勉強する」ということをしたいだけの集まり。そんな状況でバリバリと数学の問題が解ける生徒なんて極少数だろうけど、楽しかったならそれで十分かもしれない。
「でも私服の牧野は良かったぞ。似合うんだよなあ」
「なんだよ、帽子とかか?」
「違うよ、脳内で地引網を絡ませてたんだけど、白いスカートに薄茶色の網が似合ってたなあって」
「お前それ本人に言ってないだろうな」
たまに怖くなるんだけど、コイツいつか牧野にそのまま伝えるんじゃないだろうか。
「そしたら牧野がさ、お昼に海老のクリームパスタ食べるんだよ。俺は思ったね、皿になりたいって」
「なんでだよ。普通パスタとかフォークになりたいんじゃないの」
「いや、フォークでカンカン突かれたいじゃん?」
俺はこの人の友人を続けてていいんだろうか。
「で、南瀬は好きな人とはどうなんだよ」
「え、あ、俺? いや、まあ、うん、ねえ、何にもないよ」
不意のパスに思いっきり動揺してしまい、斜め前で手にあごを乗せて窓の外を見ている夕映を見て更に動揺してしまう。家まで行って2人っきりで勉強したなんて、この状況でとても言えそうにない。
と、たまたま俺の視線に気付いたのか、夕映がこっちに近づいてきた。
「どしたの、葦原君。こっち見てたから」
ヤバい、なんか別の話題で誤魔化さないと……あ、そうだ。
「坂隙さん、俺も最新話まで読んだよ、『俺の哲学に火が付くぜ』」
「あ、ホントに! 意外と面白いでしょ」
「ああ、ホントに意外だったけど」
哲学を学んでいる主人公が、知識を恋愛に活かしてヒロインと距離を縮めていくラブコメ。専門用語が幾つも出てくるけど、欄外に注釈が入っているのでストレスなく読める。
「ねえ、葦原君は
「俺は断然、光葉だね。やっぱり王道のヒロインって感じで良い!」
「いやー、私は案外、最後は志桜とくっつくんじゃないかと思ってるのよ。片思いの悩みを話していくうちに距離が縮まる、的なね。お姉さんキャラだし」
「やっほー、葦原君、何の話?」
「わっ、簾藤さん!」
いつの間にか隣にいたのは、生徒会副会長の簾藤伊月だった。今日は長い髪を留めずに、ストレートで腰上までおろしている。
「『俺の哲学に火が付くぜ』っていうWEB漫画の話よ。簾藤さんは知ってる? 主人公が趣味で哲学を勉強してるんだけど……」
夕映の紹介を、簾藤と優吾が興味深そうに聞く。女子2人が立っているので、俺達も合わせて椅子から立ち上がった。
「葦原君、最新話読んだ? 最後のシーンでちょっと泣きそうになっちゃった」
「分かる、生徒会長の部分な」
彼女は、すぐにまた簾藤と優吾の2人の方を向き、シーンの説明を始める。話に付いていけない人を置いていかない、夕映の気遣いと優しさが垣間見えた。
「エーリッヒ・フロムっていう哲学者の権威主義の話を引用しながら、主人公の亮太があくどい生徒会長に反抗するの。『権力欲ってのは強さじゃねえ、弱さの証だよ』『服従しないヤツもいるって覚えときな』って叫んで掴みかかるのよ」
「へえ、なんか面白そう!」
言葉だけ聞くとめちゃくちゃなシーンだけど、逆に興味をそそられたのか、簾藤が目を輝かせて「今度読んでみようっと」とスマホにメモした。
「今日は簾藤さんは生徒会の用だったの?」
「そうそう、放課後に会議があるから、その件で松野君に連絡があってね! そういえば聞いてよ坂隙さん。先週、生徒会の会議があったんだけど……」
簾藤が身振り手振りを加えながら先生の愚痴を言い、夕映が「あー、そういうことあるよね」と眉を下げて笑う。この前夕食に行って以来、2人は仲が良くなったらしく、簾藤はうちのクラスに来るといつも夕映のところに来て話をしていた。LIMEの交換もしたって夕映が言ってたな。
近くを通り過ぎる男子が「よお、簾藤!」と声をかけ、彼女も振り返りながら「やっほ」と挨拶を交わす。目立つうえに快活な彼女は、男子からの人気も高い。それにしても、彼氏の噂とか聞かないなあ。
「坂隙さん、この前の話、面白かった。また今度、普通に部室に遊びに行ってもいい?」
「……ええ、いいわよ」
一瞬言葉に詰まった夕映が、笑顔で返事した。飲酒が見つかるわけにはいかないけど、「遊びに来ちゃダメ。来るときは絶対に事前に通達して」とも言えないだろう。
「じゃあまたね!」
簾藤は机の間を縫うように帰っていき、そのタイミングで昼休みがお開きになった。
「ふう、放課後はやっぱりビールね」
「夏はやっぱりビール、みたいなニュアンスで言うなよ」
午後から降り出した雨が、小気味よいリズムで窓を打ち付ける。部室でビールを飲んだ夕映が「ふはあ」と息を吐いた。水曜から金曜までテストで明日は全部活禁止ってことになっているから、今日が終わったら金曜までこの部室ともお別れだ。
「ねえ夕映、なんで2缶同時に開けてるの?」
そう訊くと、彼女は2缶を両手で持って、1人でカツンと乾杯してみせる。
「普通のバージョンと夏限定バージョンの飲み比べよ。使ってる麦芽が違うと味が違うの。今回のは熱をしっかり当てたカラメル麦芽を使ってるから、色も濃いめだし、味も苦味の中にほんのり甘みがあったりしてね」
「相変わらずコメントがプロだな……でも、お酒好きだとそんなの比べたりするんだ」
「葦原君だってファミレスで新メニューのチーズハンバーグ定食出てたら普通のハンバーグ定食と食べ比べるでしょ?」
「定食で例えるなよ」
なんで2食分食べなきゃいけないんだよ。
「そう言えばさ、俺ずっと気になってたんだけど、ここ先生とか来ないのか? というかそもそも顧問の先生は?」
入口のドアを振り返りながら訊くと、彼女は「顧問は来ないわよ」と右手を振った。
「サッカー部の原先生に『掛け持ちでいいんで』って顧問になってもらったから、普段来ることは絶対にないわ。それに普通の先生も来ないはず。来なそうなところを部室に選んだからね。それに、もし来たとしても、あの貼り紙があるから大丈夫よ」
ドアの入り口には、大きな文字で「大事な作業中なので必ずノックして、返事を待ってから入ること さかな研究部」という白い紙が貼ってある。「返事を待ってから」が赤いマジックで書かれているのがポイントだ。
「ノックされて『はーい』って言ってる間にお酒を隠せば問題ないわ」
「隠す、って言ってるってことは悪いことをしてる自覚はあるんだな」
「ああ、やっぱり夏仕様の方がすっきり端麗ね!」
酒をグッと呷る。思いっきり誤魔化したな……。
「貼り紙、剥がれてないといいけど」
「剥がれてないはずよ。しっかりテープで留めたんだから」
「でも俺が初めてここに来た前も剥がれてたし——」
コンコンッ
俺がこの瞬間、剥がれてないかを確認しに行ってたら、未来は少し変わっただろうか。
そんなことを考える間もなく、ノックして返事を待たずに人が入ってくる。
「こんにちは! たまたま生徒会の会議なくなったから、遊びに……」
生徒会副会長の簾藤伊月が入ってきて、ビールの缶を持ったままの坂隙夕映と目があった。
〈第4章 了〉
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