第4章 イカそうめんとビールと彼女の家

13杯目 来てもいいけど

「しっかし、一気にお酒が増えたなあ」


 棚に並んだウィスキーや焼酎を見ながら、俺は目の前の年上お姉さんに話しかける。


「家にあるのを持ってきたからね。ホントは部費で買いたいところだけど、創部してすぐは支給されないから」

「そういう問題ではないのでは」

 酒代って書かれた領収書見せる気なの。



「とにかく、これでしばらく買い足さないでも飲むものには困らなそうね」


 そう言うと、夕映は背の高いグラスに入ったビールをクッと飲む。

 昼間から時間が経って色を変えた陽光がガラスに張り付き、淡いオレンジに染め上げていた。



 5月もあっという間に下旬に突入し、21日の金曜日になった。週が明ければ中間テスト。終われば梅雨に突入と、大してハッピーなイベントはない。


 火曜日に簾藤とご飯に行った翌日、「生徒会の見学も終わったし、もう一度、棚を組み立てるわ」という賽の河原のような指示を受けて、組んで解体した棚を再度完成させた。序盤~中盤の作業はもはや説明書も要らなかった。


 今はそこにおつまみとお皿にグラス、下の段には彼女が家から持ってきた大瓶のお酒が入り、更に彼女がホームセンターで買ったという花柄の2枚の白い布で棚の前を覆っている。


 棚の天井部分で簡単に布を留めることで、ちょうど両開きのカーテンのように開くことができ、棚の横に寄せれば開けっぱなしの状態にしておくこともできる。ぱっと見でお酒が目につかない、部室の模様替えを兼ねた改良だった。



「ウィスキーとか冷やさなくていいものなのか?」

「うん、ああいうのは常温で大丈夫。むしろ温度が冷えすぎて香りが出にくくなったりするから、冷蔵庫は不向きとも言われてるわ。暗くて涼しい場所なら良いらしいから、そういう意味でも即席カーテンで光を遮ったのは大正解ね。葦原君も好きに飲んでいいわよ」

「夕映が許しても国が許さないんだよ」

 そんな麦茶みたいなノリで言われてもさ。


「ふふっ、しばらくこの部室に1人だったから、誰かと話せるのは楽しいな」

「……それなら良かった」


 2缶目のビールで少しだけ酔ったのか、微かに頬を赤らめている夕映を見ながら、クールを装った精一杯の強がりを吐き出す。


 そんなことを言ってもらえて嬉しい反面、「誰かと話せる」じゃなくて「俺と話せる」と言ってほしいという気持ちもどんどん溢れていって、自分勝手な感情が不機嫌を形作る。


 ここは話題を変えて、一旦落ち着こう。


「そういえばさ、普通に飲んでるけど、テスト勉強大丈夫なのか?」

「あ、うん。私はむしろ、ほどほどに飲むとやる気も集中力もみなぎるタイプよ」


「へえ、すごいな。みんな酔ったら眠くなったり仕事できなくなったりするもんだと思ってた」

「体質によるかな。私は結構お酒に強いみたいだし。今は勉強前の休憩中って感じね」


 彼女は足元のバッグにちらと目を落とし、それから俺に視線を向け直した。


「ねえ、本読んでもいい?」

「んあ? ああ、構わないよ」

「ありがと」


 座ったまま頭を下げた彼女は、厚めの本をゆっくりと取り出す。「大衆文化としての音楽」というタイトルの書かれた、文字だけの表紙の堅そうなその本は、新書にしては結構厚めだ。


 まるで日曜の父親がやるように慣れた動きで冷蔵庫から3缶目のビールを取り出し、プシュッと軽快な音を立ててプルタブを開け、飲みながらその新書を開いた。


「ビール飲んで『ぷはあ!』とかならないのか」

「そんなおじさんみたいな飲み方しないわよ。私、花も恥じらうJKなのよ? JKなりの酒のたしなみ方ってものがあるでしょ?」

「そんな嗜み方はねえよ」

 JKとアルコールを容易に結びつけるな。



「あの、葦原君」

「どした?」

「ごめんね、好き放題やってて。葦原君も本持ってきたりしていいし、今日はここでテスト勉強してもいいから」

「ああ、うん、ありがと」


 お礼を言ったけど、実はそんなに嫌な気分ではなかった。

 俺に気を遣わずにリラックスしてくれていること、そして「帰ってもいいから」と言われなかったこと。

 こんな小さなことに口元がニヤけそうになるほど嬉しくなる。言葉一つで落ち込んだり喜んだり、やっぱり色恋ってのは不思議で厄介な代物だ。



「まあ明日から週末だし、今日はここでテスト勉強しつつゆっくり過ごすかな」

「そっか、土日か。予定あるの?」

「え……?」


 左で本を持ったまま、右手の缶をカツンと机に置いて、不意に夕映が尋ねてきた。


 自分の経験検索には引っかからない彼女の発言に、脳内は完全にパニック状態で、最適な返事を思いつくまで喋らないと覚悟を決めた口がグッと結ばれる。



 これは何だ? 誘われてるのか? デート、デートなのか?


 いや、冷静に考えろ。さすがに週明けテストでデートはないだろう。ってことは世間話に違いない。あるいは「遊びに行く」とボケて「勉強しなさーい!」ってツッコまれるってパターンか? そんなこと夕映がやるか……?


 よし、とりあえず無難にテスト勉強と言おう。でもそれだけじゃ駆け引きに防戦一方の感じがしてなんか悔しい。俺からも何か、彼女を惑わすようなことを言いたいな。それで少しでも狼狽してくれたら嬉しいな、なんて。


 一気に考えをまとめて、返事が決まった。この間わずか数秒。



「いや、予定は特にないから中間テストの勉強オンリーかな。まったく、夕映は頭良いし、期末のときには部員のよしみで教えてもらいたいくらいだぜっ」


 俺がそうだったみたいに彼女も返事に迷ってくれたら嬉しいという願いと、本気で困られたら「冗談だって」で済ますことができるという、ストレートに誘えない日和見と。


「あ、別にいいわよ。なんなら日曜日空いてるから教えようか?」

「大丈夫だって冗だ……は? え?」


「うん、全教科教えられるかどうか分からないけど、一緒に勉強して、困ったところ聞いてもらうくらいなら出来るわよ?」

「マジで!」


 今週一番大きな声が出た。


 え、これは何? ホントにオッケーってこと? 勉強デートってこと?



「葦原君、日曜日とか大丈夫?」

「明後日……うん、午前は髪切りに行く予定が入ってるけど……」


 予定を口にしながら、しまったと思う。向こうが午前しか都合つかなかったらどうする。髪なんて伸ばし放題でいいのに。


「良かった。私も午後の方が都合良さそう。ただ、夕方から家族で出かける用事があるから、あんまり遠くに行きたくないのよね。出発時間が父親次第だからなるべく近くがいいんだけど……」


 まあ一緒に勉強できるなら、ファミレスでもカフェでも公園でも場所なんか問わない。ホントにどこでもいい。


「あ、じゃあ家に来てもいいけど? 出る時間になったら追い出すみたいな形になっちゃうけど——」

「家! 家が良いです!」


 今週一番大きな声が40秒で更新された。誰だ場所はどこでもいいなんて言ったヤツは。家が良いに決まってるだろ。


「分かった。じゃあまた今日の夜連絡するわね」

「あ、ああ……」


 僅か数往復のやりとりで予定が決まってしまい、夕映は何事もなかったかのようにまたビールに口をつけながら読書に戻る。



 でも俺は、一応開いた数学の教科書の真ん中で、仲良く縦に並んでいる3つの公式が全部同じに見えるくらい、頭の中が彼女でいっぱいだったんだ。

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