11杯目 定食屋でのナイショのお願い

「急にお誘いしちゃってごめんね。お家でご飯あったんじゃない?」


 学校から駅方面に向かって歩きながら、先頭の簾藤が訊いてくる。18時を過ぎ、歩く途中にある家々の明かりが街灯代わりになって道を照らしていた。


「いや、俺は大丈夫だよ。ちょうどおかず作ろうとしてたところらしいから減らしてもらった」

「うちも、明日の朝食べればいいって」


 これまでほとんど絡みのない生徒会副会長と食事というのに一瞬迷ったものの、美味しい定食店というフレーズに惹かれ、一緒に夕飯を食べることにした。徒歩で10分ちょっとと言っていたので、もうすぐ着くだろう。



「ここで通りに出て反対に渡れば、と……」


 駅から続く大きな通り。駅前はチェーン店がひしめき合っているけど、この辺りは個人経営の飲食店や金物屋が建ち並んでいた。


 その通りを渡って一本奥まで入った曲がり角に、「キッチンピース」と看板の出ている小さな店があった。


「いらっしゃいませ」

「3人です」


 誰もいない店内で、40代くらいの店主から、奥のテーブル席に通される。4人掛けテーブル席が2つに、10席に満たないカウンターという、こぢんまりした定食屋だ。


 見開き型のシンプルなメニューには、肉魚の15種類ほどある定食メニューが並んでいる。一番後ろのページに、簡単なおつまみとお酒が書かれていた。


「どれも美味そうだな。俺は……デミメンチカツ定食のご飯大盛り! 付ける飲み物は……コーラで!」


 俺の向かい、簾藤の隣に座っている夕映は少しそわそわした様子でメニューを見ていたが、やがて決心したように小さく頷く。


「私はホッケ定食にしようかな。飲み物はウーロン茶で」

「あ、ワタシもホッケとウーロン茶にしようと思ってた! すみませーん、注文お願いします!」


 1人で店を回してるのであろう、おじさん店主を呼んで注文した。どんな料理が来るか楽しみだ。


「ちょっと席外すね」


 学校の推奨バッグであるライトブルーの手提げ型の鞄からポーチを取り出し、簾藤はお手洗いに消えていく。


「よし、今ね」

「……何が?」


 その瞬間を待っていましたと言わんばかりに、夕映は勢いよく立ち上がってキッチンに近づき、店主に会釈した。そして胸元から生徒手帳を出し、さながら現場検証をする警察が警察手帳を見せるように店主に突き出す。



「すみません、この生徒手帳が見えますか。ここの生年月日に書いてある通り、私、20歳なんです。つまりお酒を飲まないとダメな年齢ってことですね」


 意気揚々と早口で語る夕映。ちなみに俺の知ってる限り、飲まないとダメなんて法令は存在しない。


「お願いがあります。差額はちゃんと払うので、定食のウーロン茶をウーロンハイに変えてください」

「え?」

「え?」


 彼女の頼みに、先に反応したのは店主だった。俺も全く同じ言葉で疑問符をつける。


「夕映、何だよそれ」

「ああ、ハイっていうのはハイボールのことよ。ハイボールって日本だとお酒の炭酸水割りを指して使うことが多いんだけど『焼酎のウーロン茶割り』だと名前が長くなるからウーロンハイって——」

「そんな話はしてないよ!」

 誰が酒の説明をしろと言ったんだ!


「夕映、そんなに飲みたいのか?」

「当たり前でしょ。焼き魚があったら飲む。酒好きのたしなみよ」

 眼差しで真剣だと分かる。これは本当に飲む気だな。


「でも学生さん、それは……」

「いいえ、例え学生だろうと制服だろうと、私は20歳です。大事なのは見た目じゃなくて中身。見た目がウーロン茶でも中身がウーロンハイであるのと同じですね」


 強引すぎる説得で、彼女はぐいぐいと店主に迫っていく。おじさんめちゃくちゃ困ってるじゃん。


「他の2人はお酒飲めないんだろ? いいのかい?」

「大丈夫です、私が飲めればいいので。ね、葦原君? 私が飲めればいいって言って」


 そんなお願いがあるか。こうなったら感情を0にして言ってやれ。


「アナタガ ノメレバ イイデス」

「ほら、彼もこう言ってます」

「無敵かよ」

 もっと感じることないのかよ。


「とにかく、私が飲んでるのはナイショにしてほしいです。あくまでウーロン茶を出しているていでウーロンハイを出してください」

「あ、ああ、分かったよ……」


 こうしておじさんを半ば無理やり説得し、夕映は席に戻る。やがて簾藤も戻ってきて、何事もなかったかのように、俺達は中間テストについてアレコレ雑談を交わした。うん、ここだけ見れば立派な高校生だ。立派な高校生なんだけど。


「はい、お待たせしました。デミメンチ定食とホッケ定食2つです」


 程なくして、お盆に乗った定食3つが一気に運ばれてきた。


 大盛り無料のご飯は、漫画で見る絵のようにお茶碗にこんもりとよそられている。

 主菜のデミメンチは、その名の通りメンチカツのデミグラスソースがけ。ただでさえご飯が進みそうな、とんかつくらいのサイズのメンチカツに、浸せるほどにたっぷりとかかったデミグラスソースの香りが食欲をそそる。

 豆腐と長ネギがたっぷりの味噌汁に、コーラの飲み物付きも嬉しい。値段も夜にしては安価で、高校生には大満足の定食。簾藤たち水泳部がよく利用しているというのも頷けた。


「すごい、ホッケ大きいわね」

「そうそう、ホッケはワタシの一押しなの」


 目を丸くしている夕映に、簾藤が体を彼女の方に傾けながら相槌を打つ。肉厚でふっくらとしたホッケはしっかりしたボリュームで、表面で輝いているじんわり溶けた脂に目を奪われる。


 そして彼女たちのお盆にはウーロン茶。否、片方はウーロン茶。


 夕映が嬉しそうにパンッと手を合わせて、俺と簾藤を交互に見た。


「よし、じゃあ食べましょう。乾杯!」

「か、んぱい?」

 いただきますじゃないのかよ。簾藤が頭もげるかと思うほど首傾げてるじゃん。


「はあ、喉乾いたわね。やっと飲めるわ」


 大きめなグラスを持った夕映は、定食の飲み物を何だと思ってるんだという勢いでそのグラスを傾けていく。茶色い液体が一気に半分なくなった。


「ふう! このために生きてるわね!」

 ウーロン茶のために生きてる人ってなんだよ!


「ふふっ、坂隙さんって面白いわね!」


 クスクスと笑いながら、簾藤は箸で綺麗にホッケの骨を剥がしていく。隣の夕映も同じように剥がしているけど、二人とも食べ方が綺麗だ。


 俺もメンチカツを割って一口頬張ると、まずはコクのあるデミグラスソースの旨味を感じる。続いて噛んでいくと、たっぷりの肉汁とともに、ほろほろの挽肉の食感とジューシーな肉の味が口の中に広がった。


「美味いな!」

「それ美味しいよね! うちの水泳部でもデミメンチが結構人気だよ。この前もみんなで行ったときにね……」


 簾藤がニカッと歯を見せて、大食いの失敗談を聞かせてくれる。ちゃんとリアクションして別の話に展開していくコミュニケーション上手。みんなが彼女に声をかける理由がなんとなく分かる。



「そういえば、この前のベストヒット音楽祭、見た?」

「あ、アタシ見たよ! Lip in Popの新曲、めっちゃ良かったよね」

「分かる。生であそこまで歌って踊れるのすごいよ」


 そのまま3人で食事しながら雑談を続ける。簾藤は案外守備範囲が広くて、テーマを動画や漫画に変えてもどんどん話が繋がっていく。夕映はそれを楽しげに聞きつつ、途中で「すみません、ウーロンもう一杯!」と注文していた。いや、お替りするのかよ。



 そのうちに、話題は来週に迫った中間テストの話に移っていった。


「ホントに面倒だよなあ、テスト」

「まあでも葦原君、復習で知識が身に付くと思えば良い機会よ」


 夕映が事もなげに口にし、簾藤もコクコクと頷く。よく考えたら、2人とも上位者として貼りだされるほど成績優秀で、大して苦ではないのだろう。


 別に俺も勉強が嫌いなわけじゃない。ただ。


「なんで勉強しなきゃいけないんだろうなって、最近よく考えるんだよな」

 ふと口にした疑問に、簾藤は箸を置き、手をあごの下に添えて考え始めた。


「それは……ううん、良い大学に行けば選択肢が増えるからさ。将来のためにもなるし……」


「ってことは、良い大学に行くために勉強するってことだろ? まあ確かに将来出世したいとかお金稼ぎたいとかだったらそれも分かるけど……でも、俺みたいに普通の成績の人が教科書たくさん覚えても、行ける大学のランクがほんのちょっと上がるってだけで、そこまで大した意味ないんじゃないかなって思っちゃうからさ」

「いや、うん、それはそうだけど……」


 一度疑問を口にしたが最後、堰を切ったように言葉が出てきて、簾藤は眉をハの字に曲げる。



「まあまあ、カリカリ梅でも食べて落ち着こうよ」


 束の間の静寂を破ったのはは、夕映の一言だった。

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