10杯目 偽装からの招待
「解体? え、あの棚を? 今から?」
疑問符だらけの返事を返すと、夕映ははっきりと頷いた。
「そうよ。だってどう考えても魚を研究するためにこんな棚必要ないでしょ? 『あとで図鑑や水槽を置く』なんて理由もちょっと無理がある気がするし」
「いや、さすがにお酒飲んでるってことはバレないと思うけど……」
「少しでも疑われるのを避けたいのよ。冷静に考えてみてよ。ここ学校よ? 学校でお酒飲んでいいと思ってるの?」
「なんで俺が説教受けてるの」
俺は一滴も飲んでないっての。
「でも棚に酒瓶とか置いてあるじゃん。これどうするんだよ」
棚の左下に、大きな茶色い焼酎の酒瓶が座っている。たしか親戚のおじさんが一升瓶と呼んでいたヤツだ。
「ああ、葦原君が棚を解体してる間、私はそっちの片づけをやるわ。最悪カーテンの裏に隠しておけば問題ない。ヤツらが来るのは17時半だからカーテン閉めてても変じゃないしね」
「ヤツって言うな」
生徒会を敵認定するなよ。
「とにかく、疑いを持たせないことが重要なの。片付けていくわよ。葦原君、この部活が終わってもいいの?」
彼女の視線が真っ直ぐに俺を捉える。それは表面上はただの質問だけど、その裏には彼女の小さな狙いが見えた。
この部活自体はなくなってもいい。ただ、夕映と会えないのはイヤだ。俺のその想いをほんの少し見透かしたように「どう?」と小首を傾げている彼女には、年上のお姉さんならではの駆け引き上手な魅力があった。
そしてまた、それを分かってて乗る俺も俺なんだけど。
「それは……まあ、無くなったら困るな」
「ふふっ、でしょー」
満足げに微笑んだ彼女は、「ちょっと出てくるね」と部室から急ぎ足で出て行った。
「先週組み立てたものを片付けるって、徒労感がすごいな……」
「安心して、生徒会の部活チェックが終わったらまた組み立ててもらうから」
「やっぱりかよ……」
予想通りの展開に深く溜息をつきつつ、椅子に乗って一番上から大急ぎでネジを外していく。棚の中の仕切り板さえ外してしまえば、あとは横に倒して柱部分を分解していけばいいだろう。
短時間の外出から戻ってきた夕映は、棚に乗せていた酒瓶やおつまみを片付けていた。
「というか、やっぱり棚なくてもいいんじゃないか? 別にお酒もおつまみも教室の隅に置いておけばいいだろ?」
「葦原君、分かってないわね。お酒はね、雰囲気を味わって飲むものよ。床に置いたお酒とおつまみが美味しいと思う?」
「まあ、それはそうかもな」
普通のお菓子だって、床に置いてあったら少しイヤだもんな。
「ほら、葦原君、柱の解体急いで。私も不本意だけど冷蔵庫のお酒を片付けるわ」
「あれ、ちょっと待って。冷蔵庫は撤去しなくていいの?」
「お茶を冷やしてるとか言えば、冷蔵庫くらい大丈夫でしょ」
「そうだといいんだけど……どうやって持ってきたのかとか興味ありげに聞かれそうだ」
確かに聞かれそうね、という夕映の笑い声を聞きながら、木曜に付属のドライバーで力いっぱい締めたネジを緩める。ドライバーや保証書を袋にまとめて棚にテープで留めておいたけど、こんな早く使う機会が来ると思わなかった。
「よし、解体完了!」
「こっちもお茶を冷やしたわ!」
解体した棚のパーツを全てカーテンの後ろに隠す。既にお酒もおつまみ、お皿やグラスも置いてあって、レースのカーテンと窓の間は、都合の悪いものを全て包み込む証拠隠滅スペースと化していた。
時計を見ると17時25分。簾藤が来るギリギリの時間だ。
「あれ? 夕映、このカリカリ梅、なんだ?」
青のギンガムチェックのテーブルクロスの上に置いてある小袋のカリカリ梅を見て夕映に声をかけると、彼女は少し得意げに胸を張った。スレンダーで普段は自己主張の少ない膨らみが少しだけ見えて、反射的に視線を逸らす。
「あとは冷やしてるお茶を冷蔵庫から出してもてなすつもりなの。お茶と机の上のお菓子に目がいけば、まさか他におつまみやお酒を隠してるなんて思わないはず。前も話した通り、小さな本当を混ぜれば、嘘は見破られにくくなるからね」
「策士すぎて時々怖いよ」
目が獲物を狙う鷹みたいなんだもん。
「そろそろね……」
夕映が時計を見ながら呟いたのとほぼ同時に、部室にノックの音が響いた。「はいはーい」と言いながら彼女は入口に行って出迎える。
「簾藤さん、いらっしゃい」
「ごめんね、予定より少し遅くなっちゃった!」
長い黒髪を左右に揺らしながら、簾藤がゆっくりと顔を覗かせ、部室に入ってくる。
「さかな研究部か……あんまりそれっぽくないわね」
壁や床を見回している簾藤に、夕映は大きく頷く。
「まあ部室で生き物の研究するっていうのも結構限界があるからね。ここでは座学が中心よ、ほら」
夕映はリュックから幾つかの本を取り出して見せた。「図解 海の魚」「日本の魚と生態」「淡水魚を知る」どれも、さっき夕映が部室を出た時に急いで図書室で借りてきた本だ。さすが部長、用意周到だな……。
「いつもいる部員は、簾藤さんと葦原君、だっけ?」
「あ、よろしくです」
「こちらこそよろしく、葦原君。部室に急にお邪魔しちゃってごめん、知らなかっただろうからびっくりしたでしょ」
ほとんど面識のない彼女に、小さく会釈する。返事に気遣いを感じられるあたり、さすが生徒会を務める秀才だ。
「……うん、まあ部室は普通ね。ところで坂隙さん、この冷蔵庫は何?」
特に何を疑われるでもなく、話題はこの部室で唯一の違和感を放つ家電へと移る。
「あ、ここには飲み物冷やしてるの。あとほら、魚の味も研究したいときに色々冷やしておけるじゃない?」
「ふふっ、味もそんなにしっかり研究してるの?」
夕映の回答が予想以上に面白かったのか、簾藤はプッと吹き出した。
「簾藤さんにも飲み物出すわね。お茶とアップルジュースどっちがいいかな?」
「あ、じゃあお茶頂くわ」
ネイビーの冷蔵庫の下のドアを開けた夕映は、簾藤の返事を聞いて冷蔵庫の中をガコガコと漁る。
「葦原君……はお茶切れちゃったからアップルジュースでもいい?」
「へ? ああ、別にいいけど」
お茶がなくなるなんて珍しいと思いつつ、冷蔵庫に身を隠すようにしてごそごそ動いている夕映を見つめる。
やがて、緑色の液体と、透明度の高い黄色の液体が注がれたプラスチックのコップを2つ持って机に運び、簾藤を椅子に座るよう促す。なるほど、冷蔵庫のところで注いでいたのか。
「あとは私の飲み物……もアップルジュースにしようっと」
そして最後に自分のコップを持ってきて、席についた。
「それでは、簾藤さん、部室見学お疲れ様です、乾杯!」
「か、乾杯」
動揺しながらコップを掲げる簾藤。そりゃいきなり見学を
「ああ、でもお茶美味しいわね、ありがとう」
「このジュースも美味しいよ、夕……坂隙さん」
危ない、危うく夕映呼びするところだった。2人の時はさすがに避けないと。噂になるとマズい。いや、噂になって意識してもらえるならそれはそれで嬉しいんだけど、迷惑になると困るし……。
「2人ともありがとう。アップルのは結構良いヤツを選んだからね」
夕映が自分のコップに口をつけるのと同じタイミングで俺ももう一口飲む。アップルジュールは酸味もほとんどなく、程よい甘さだった。
それにしても、いつもお酒ばっかり飲んでる夕映と、この部室で同じ飲み物が飲めるなんて……なんて……。
ちょっと待って、あれホントに同じ飲み物か? 俺のアップルジュースと微妙に色が違う気がするぞ? あと、なぜかコップの表面に小さく泡が浮いてるような……。
「ちょっとお手洗い行ってくるわね」
簾藤が部屋を出た隙を狙って、椅子ごと夕映に近づく。
「なあなあ、夕映。それホントにアップルジュースか?」
「ふっふっふ、よく分かったわね、明智君。これはレモンサワーよ」
「お酒じゃん!」
そんな気がしてたんだよ!
「結構大変だったのよ? このレモンサワーに似た色のアップルジュース探すの」
「酒ありきでジュースを探すなよ……というか、自分のグラスで飲めばバレないのになんでプラスチックで飲んでるんだ?」
「だって簾藤さんにコンビニのプラスチックコップ使ってもらうのに自分だけちゃんとしたグラスで飲むってちょっとアレでしょ」
確かにそうだ。この辺りの配慮って大事だな。
「生徒会役員の前でお酒を飲む背徳感で美味しさアップなんて思ってないから安心して」
「安心できない」
本音が透けて見えてるぞ。
「バレないように隠してでも飲みたいから、さりげなく且つ大胆に飲むのが大事ね。花の女子高生だもん、女子高生らしい飲み方を心掛けないと」
「女子高生らしい酒の飲み方って何だよ」
ツッコミを重ねていると、簾藤が足早に戻ってきた。
「あら、坂隙さん、これ何?」
彼女は自分の近くに置かれたお菓子の小袋をジッと見る。裏面が上になっていて商品が分からないその袋は、食べてほしいとばかりに彼女の方に向かって口を開けていた。
「カリカリ梅よ、おやつにいいかなって。ほら、女子高生は大抵おやつ持ってきてるでしょ?」
百歩譲って大抵の女子高生がおやつ持ってきてるとして、絶対にカリカリ梅ではない!
簾藤が「ああ、うん。そう、かもね」ってめちゃくちゃ反応に困ってるじゃん!
「ねえねえ、坂隙さんってなんで魚に興味持ったの?」
「ああ、うん。祖母の家が海沿いにあってね。夏休みに遊びに行くと……」
その後、幾つか簾藤から質問があり、夕映は事前に用意していたであろう架空の答えを立て板に水で話して、部活見学は無事に終わった。
「葦原君、もう出られる?」
「ああ、大丈夫」
教室の隅に置いていた鞄を背負いながら、ドアの前で待っている夕映に返事をする。今日は簾藤を迎える準備で疲れたこともあり、彼女が帰るタイミングで部活も終了することにした。
電気を消して一気に暗がりになった部屋で、夕映は南京錠の半円部分に指を入れてくるくる回している。お酒を部室に入れたときから、誰にも発覚しないように用意していたもの。もともとドアノブの上に鍵をつけられるようなでっぱりがあり、ドアを閉めた状態で横の壁についている
「お腹減ったし帰ろうぜ」
「ホントに。たくさん動いたからお腹減ったわ」
「ねえ、二人とも」
俺達の話を聞いていた簾藤が振り向いた。この部室に向かう手前だけ電気を付けた光の弱い廊下で、彼女の声が反響する。
「簾藤さん、どしたの?」
そう問いかけると、彼女は少しだけもじもじしたように言い淀んだ後、自分の横にある窓の外を指差した。
「部活でよく使ってる、美味しい定食の店があるんだけど、良かったら一緒にどう?」
突然のお誘いに、俺と夕映は思わず顔を見合わせた。
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