第3章 カリカリ梅とウーロンハイと勉強の意味

9杯目 副会長、簾藤伊月

「あっづい……」


 3時間目の休み時間。前の机に座った北原優吾が天板の上にグダーッと両腕を乗せる。「あ、ひんやりする……」と頭も天板に付けているその姿は、猛暑にだる動物園のパンダのようだった。


 5月18日、火曜日。GWもすっかり過去の記憶になり、あっという間に6月になるのだろう。梅雨の前から「覚悟しておけよ」とばかりに存在感をアピールする太陽に、夏を先取り体験しているような暑さを感じる。


「はあ、南瀬。そろそろ中間テストだな」

「ですな」


 優吾はロウソクの火も一瞬で消えるであろう溜息をつく。出題範囲が広めであっても、テストの回数が少ない二学期制の他の高校が羨ましくなる。


「俺は一緒に中間テストの勉強をしたがるような彼女が欲しい人生だったよ。もっと言えば牧野と付き合いたい」

「後半に願望が全て漏れてるぞ」


「そりゃ漏れるとも! 俺だって健全な男子高生だ! 牧野がパスタになったとしたらミートソースよりカルボナーラの方が興奮するよな!」

「待って待って、全然付いていけない!」

 まず「牧野がパスタになったら」の時点で置いてけぼりだよ!


「はあ、牧野の体に乗っかった半熟卵を『どうしようかな、崩しちゃおうおうかな』ってイジワルしながら黄身を割りたい人生だったよ」

「そんな人生は送らなくて正解では」

 頼むから普通の高校生らしい妄想をしてくれよ。


「南瀬、お前もいつか好きな人ができたら分かるよ」

「えっ……あっ……!」


 優吾の言葉に思いっきり反応し、声を出してフリーズしてしまった。鏡を見なくても、自分の頬が机に転がっているマーカーより真っ赤だと分かる。


「あれ……南瀬、ひょっとして好きな人が……?」

「……だな」


 ここまで来て、ごまかしは利かないだろう。他の人に聞かれていないことをこれ幸いに、小さく頷く。どんなリアクションが来るだろうか。あんまり詮索されても困るけど……。


「そっか、応援してるぞ!」

「お、おう、ありがとな」


 拍子抜けするほどあっけないエールに、やや動揺しながらお礼を伝える。身構えていた状態からの反動か、少しだけ意地の悪いことを言ってみたくなった。


「俺が好きなのが牧野だとしても?」

「あー……」


 彼は口を開けたまましばし考え込む。やがて、「あー」の声がかすれてきたタイミングで、ニッと歯を見せた。


「だとしてもまあ、恋愛は自由だからな。その時はライバルとして一緒に頑張ろうぜ!」


 そんな風にストレートに言われると、意地悪を仕掛けたこっちが照れそうになる。友達っていいものだな、と素直に思えた。


「……牧野じゃないから安心しろって」

「ホントか? ったく、ビックリさせんなよ。でも、牧野の話題で盛り上がれたかもと思うとちょっと残念だな。太ももにタワシ挟んでもらって『痛くて落としたら罰ゲームだからな』って言いたいよな、とかさ」

「多分好きになっても盛り上がれないからな」

 俺、コイツに同類認定されてるんだろうか。


「全然違う人だから安心して」

 バレないように、スッと左斜め前に目線を移す。さっきまで入口付近で他の女子と楽しそうに話していた坂隙夕映が、今は自分の席に座ってぼんやりと窓の外を眺めていた。



 先週の木曜以来、金・月と、さかな研究部は開かれていない。夕映が読みたい本があったらしく、休みが続いていた。ちなみに、「部室で本を読めばいいのに」と何気なく訊いてみると、「家で飲みながら読んで、酔い潰れるように寝るのが堪らないのよ」というばっちり酒飲みな回答をもらった。



「まあとにかくだ、南瀬。俺達も高校生ならではの色恋にまみれた青春をしような。ハメを外しすぎて生徒会から怒られるくらいの」

「なんでそう極端に振れるんだよ」

 くだらない会話をしていた、その時。


「失礼しまーす!」

 唐突に、暑さもモノともしないような快活な女子の声が教室に響く。


「お、簾藤れんどうじゃん!」

伊月いつき! どしたの?」

「松野君いる? 生徒会の件で用あってさ」


 長い黒髪をなびかせながら入ってきた彼女に、すぐに男女がワイワイと声をかけた。いつも通り人気ものだな。



 簾藤れんどう伊月いつき。俺達と同じ文系コースで、隣のクラスにいる生徒会副会長。


 身長は160ないくらいでやや低めだけど、背中までかかっている黒髪ロングと、ピシッと姿勢正しい歩き方、くりんっと大きな目にすっと鼻筋の通った濃い顔で存在感は抜群。ちなみに胸の存在感も結構なもので、男子からは「生徒会の堅い印象とバストのギャップがズルい!」と褒められている。


 頭も良く、1年の頃からテストの上位者には必ず名前を連ねている彼女は、スポーツも得意な水泳部。こういう人材を周りも教師も放っておくはずがなく、1年生のときに推薦されて見事に副会長になった。基本的に真面目なので一部の女子グループからは嫌われそうなものだけど、性格も明るくさっぱりしてるので結構うまくやっているようだ。


 周りの評価もまとめて端的に言うなら、「カッコいい女子」だ。名前もカッコいい。簾藤れんどう伊月いつき。こんなに声に出して読みたい名前、なかなかお目にかかれない。


 と、教室の後ろにいた松野と話した後、簾藤はつかつかとこっちにやってきた。


「よう、簾ちゃん」

「やっほ、北原。元気?」

「ああ、元気に妄想してるぜ」

「北原の妄想は意味不明すぎて逆に怖い時あるからなあ」


 伊月はケタケタと笑う。2人は中学の同級生。今でもすれ違うと世間話する仲らしい。


「どしたの、俺達に用?」

「いや、彼女よ」


 そして、窓の額縁の中に描かれた、変わり映えしない空の絵を見ている夕映の前に立つ。簾藤伊月と坂隙夕映。タイプが違うけど目立つ2人の取り合わせに、クラスメイトの視線が集まっていく。


「ねえ、坂隙さん」


 え、どうしたの。なんで彼女に話しかけたの。

 まさか、部室で1人酒してるのが生徒会にバレた……?


「あ、簾藤さん、どしたの」


 慌てず振り向いた夕映は、胸元で小さく手を振りながら挨拶した。どこかアンニュイな表情には、同じクラスの女子とは一線を画す色気のようなものがある。


 開いている窓から吹いた風が、簾藤の胸元、ブラウスの上の赤いリボンを撫でた。


「さかな研究部は順調?」

「うん。順調よ。申請の仕方教えてくれてありがとね」

「それなら良かった!」


 ああ、なるほど。創部申請は生徒会で承認するんだったな。夕映が部を立ち上げたいって相談を生徒会にしたら、簾藤が色々教えてくれたってことなんだろう。



「ところで、あの時具体的な活動内容ボカしてたけど、さかな研究部って結局何やってるの?」

 際どい! 際どい質問だぞこれは! なんか嘘つかないといけない!



「ううん、魚の生態について調べてるわ。生息域とか天敵とか味とか。焼き鮭のカリカリになるまで焼いた皮の部分とか、合うわよね」

「合う……? ああ、うん、ご飯に合うわね」

 際どい! 際どい会話だぞこれは! なぜギリギリを攻めるネタを振るんだ!



「ねえ坂隙さん、結構空見てること多いわよね。どんなこと考えてるの?」


 どうやら簾藤は彼女に興味があるらしく、すぐさま次の質問に移る。夕映は、窓の外に目を遣りながら、優しい声で答えた。


「そうね……悶々と悩んでたりすることもあるんだけど、さっきまでは付き合い方とか、楽しみ方とか、そういうこと考えてたかなあ」

「人生観みたいな感じ? すごいなあ」


 簾藤は感心してるみたいだけど、騙されちゃいけない。多分、付き合い方にも楽しみ方にも、前に「お酒」が入るんだぜ。


「それじゃ坂隙さん、本題の部室見学の件なんだけどね!」

「はい?」


 寝耳に水という感じで、夕映が首ごと顔を前に突き出しながらバッと簾藤の方を向いた。


「あれ、創部して1ヶ月くらいしたら生徒会が活動の様子を見に行くって説明しておいたよね? 一応部活の管理は副会長のワタシがやることになってるのよ。ちょうど1ヶ月くらいだから、もし大丈夫なら今日やりたいなって。明日以降、ワタシの入ってる水泳部で予定が詰まってたりするからね」

「そう、いえばそんな話もあったわね……」


 その瞬間、俺にしか見えない魔法のフィルターを通して、夕映がやや動揺しているのが見て取れた。


「で、でも、今日他の部員がいなくて……ほら、兼部してる人が多いからさ」

「あ、それは別にいいよ! 坂隙さんだけでも活動してるんでしょ?」

「うん、まあそれは……」


 魚の生態を調べているような申請をして、その実ただ肴を片手に酒を味わっているという「さかな研究部」だ。部活を見学しに来ると言われたらそれは焦るだろう。


「分かったわ、今日で大丈夫よ、簾藤さん。うちの研究会のメンバー、葦原君が活動を案内してくれるわ」

「なんでだよ」


 あと同じ部活って情報をそんなにさらっと明かすなよ。優吾とか「お前、いつの間に……!」みたいな目で見てるじゃん。


「じゃあ今日の17時半くらいになっちゃうと思うけど、部室にお邪魔するわね!」

「もちろん、いつでも」


 帰り際、生徒会の松野にもう一言何か言い残し、机の隙間をスッスッと華麗に通りながら、簾藤は教室を出て行く。


 そのあと夕映と話したかったものの、優吾から「南瀬、お前はいつの間に坂隙さんと部活仲間に! お父さんに説明しなさい!」と詰め寄られ、その余裕はなかったのだった。






 放課後。教室を出てから急いで部室に向かう。6時間目まであったので既に16時過ぎ、部活見学まであと1時間半もない。夕映と事前に打合せはしておきたかった。


「おつかれ!」

「うん、待ってたわ」


 途中トイレに寄ったものの結構走ったはずなのに、夕映は既に机に座っていた。いつの間に抜かされたんだ……。


「さて、早速だけど、葦原君にやってもらいたいことがあるわ」

「おう、何でもやるぜ」



 阿吽の呼吸のように返事してしまう。そして俺は、こんな安請け合いしてしまったことをすぐに後悔した。



「あの棚を解体してほしいの」

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