7杯目 まるでデートみたいな

 十分後、着替えが終わった坂隙さんから呼ばれ、部室に戻る。彼女は「また戻ってくるしね」と言いながら、リュックから勉強道具を出して机に置いていた。


「多少年相応に見える格好にしてみたの」


 坂隙さんは、その場でくるりとターンして見せる。巻き起こった風で、スカートの裾が踊るように揺れる。


 そして、高校生らしからぬ挑発的な視線を俺に投げかけた。


「どう、似合う?」


 柄のないシンプルなベージュの半袖シャツに、ところどころにレースのような柄の入ったクリーム色のプリーツスカート。スカートにはベルトが付いていて、大きめのリングバックルが良いアクセントになっている。


「う、ん……似合うよ」

「ふふっ、ありがと。じゃあ、出発しましょ」


 初めて見る私服に、俺は彼女に気付かれないよう深呼吸して、緊張を抑えながら答えるだけで精一杯だった。



 ***



「駅行きのバスは、と……すぐ来るみたいね」

「坂隙さん、いつもこのバス停から帰ってるの?」

「そうそう、駅行きのバスには乗らないけどね」


 学校から比較的近い停留所で、時刻表を見る。普段自転車通学の俺からすると、バスに乗り慣れてるというだけでちょっとオトナに見える。


「それにしても学校出るとき緊張したわね」

「シューズロッカー使わないっていうのはナイス判断だな」

「でしょ?」


 可笑しそうにクックッと坂隙さんは笑い声を漏らす。


 シューズロッカーに私服の女子がいるのが見つかるとまずいので、俺が彼女の靴を持ち、先生や親が利用する一般通用口まで運んで学校を出てもらった。学校を抜けるだけでもちょっとした冒険だった。


「あ、あれね」


 程なくしてやってきた、緑と白のバスに乗る。他の学校の生徒も利用しているからか車内は満員で、肩を縮こまらせながら吊り革に手を伸ばすのがやっと。

 彼女と距離が近いままでいることが少し嬉しくもあり、他の乗客も近すぎて話せないことが残念でもあり。




 15分ほど走ると、ロータリーに着いた。大きな駅とは言えないけど、駅前はチェーンのカフェや居酒屋が乱立している。バスを降り、多くの乗降客が行き来している駅に向かう。


 そういえば、お酒ってどこの店で買うつもりなんだろう。訊いてみるか。


「あのさ、坂隙さん」

「何? あ、そうだ、葦原君」


 俺にそう呼びかけた坂隙さんは顎に握り拳を当て、しばし考えこんだ後、その拳を開いて人差し指をピッと伸ばし、こちらに向けた。


「2人のときは夕映呼びでいいよ」

「えっ!」


 このステーキ定食ただで食べていいよ、と言われたくらいの驚きで声をあげる。


「クラスでも名前で呼んでる人多いしね。それに、一応同じ部活なんだから、仲良い感じでやりたいじゃない? あと、私は葦原君呼びのままでもいいかな。この前パンセの話聞いてから、葦原君って呼び方気に入っちゃって」

「あ、う、うん」

「変に騒がれても面倒だろうから、教室では今まで通り、坂隙さんでいいからね」

「わ、わかった」


 何この展開。急に名前呼び、しかも2人っきりのときだけ。距離が一気に詰まっていく!


 でも本当、変に騒がれて面倒なんてことはない。むしろ騒がれて、彼女が少しだけ、俺のことを意識してくれればいいなんて思ってしまう。


「じゃあ……夕映……さん」

「さん付けもしなくていいって。あんまり女子の名前、さん付けしてる人いなくない?」

「だってそっちは君付けなんだろ」

「まあ、そこはほら、男子の名前を君付けしてる人は多いから。それに、さん付けされたら年上扱いされてるみたいだし」


 言われてみれば確かに。うん、それならいいか……ええいっ、緊張するけど言ってしまえ!


「それじゃ、うん、その、え、遠慮なく、ゆ、ゆゆゆゆ夕映で!」

「ん、よろしくね」


 よしっ、呼んだ、呼んだぞ! めっちゃスマートに名前呼びしてやったぜ。



「で、ゆ、ゆゆ夕映、これからどこでお酒買うんだ?」

「ああ、うん、駅ビルに行こうと思って」


 駅の改札から直結になっている駅ビル。彼女を先頭に入口に入ると、何度も来てるのであろう慣れた足取りで下りのエスカレーターに向かう。


「ここの地下1階が食品とお酒売り場なの」

「へえ、洋服のフロアは何度か来たけど、地下は行ったことないな」


 地下1階は野菜肉、魚も売っていたが、売り場の3割をお惣菜屋が占めていた。ハンバーグ、サラダ、餃子に肉じゃが……夕飯のおかずを1品買い足しているのか、女性客で溢れかえっている。


「お酒はこっちね」


 案内されるままに角を折れていくと、ビールやワインが並ぶ一角に着いた。色とりどりのボトルが並ぶ店の中は、海外の賞を受賞したワインや店員オススメの日本酒のポップがところ狭しと飾られている。


 こっちは男性客の方が多く、皆カゴを持ってどこか楽しげにゆっくりと店内を回っていた。


「夕映、よく考えたら制服の俺がここにいるの不自然じゃない?」

「大丈夫よ、普通に成人の私が弟連れてきてるってことにすれば違和感ないでしょ?」

「姉貴が未成年の弟連れてお酒買いに来るって普通?」

 違和感しかないのでは。


「今日はどれ飲もうかなあ」

 夕映は店の端からじっくりと眺めていく。ノンアルコールの棚があったので、俺はそれを興味深く眺めた。


「へえ、ビール風もあるし、こっちは白ワイン風かあ。面白いな。味が似てるから、お酒の代わりになるんだ」


 缶を手に取って感心している俺に、夕映はやれやれと言わんばかりに溜息をつく。


「ならないわよ。あくまで気分だけで、アルコール入ってるのと入ってないのは大違いなんだから。フライドポテト食べたいってときに、じゃがいもとケチャップのお味噌汁飲んで我慢できる?」

「例え合ってるのそれ」

 なんなのケチャップの味噌汁って。


「よし、今日は梅酒にしよう。あとは明日以降のお酒を……」


 彼女は何種類かある瓶を順に手に取って、ラベルの裏面を見始める。置いてけぼりで所在ない俺は、おつまみのコーナーでチーズやサラミを眺めていた。


 やがて彼女は大量に瓶の入った買い物カゴを揺らしながら、俺の隣に並ぶ。


「とりあえずこの辺りがあればいいかな。買ってくるから待っててね」


 目についたものをバサバサとカゴに入れると、いそいそとレジの方に向かって行った。


「お待たせ。葦原君にも梅酒風のジュース買ったからね」

「えっ、ホントに? 幾らだった?」

「ああ、いいわよ。買い物付き合ってくれたお礼ってことで」


 奢ってもらうのも何だかカッコ悪い気がする。でも、ここで押し問答してるのもそれはそれでダサい気がして、「ありがとな」とお礼を言って甘えることにした。





「ただいま。葦原君、大丈夫?」

「ああ、うん、思ったよりしんどいなやっぱり……」


 バスを乗り継ぎ、部室に戻ってきた。大量に買ったお酒をビニール袋に入れて運んできたけど、お酒の瓶は予想以上に重く、夕映に負担をかけないように両手に提げて歩いた結果、左右の腕が悲鳴をあげている。


 時間は18時ちょっと過ぎ。まだ多少明るいとはいえ、そろそろどの部活も終わりにする頃だけど、さかな研究部の活動はこれからが本番らしい。


「さて。制服に着替えて飲むわよ」

「言葉だけ聞いたらめちゃくちゃダメな台詞だな」


 俺が廊下に出ている間に彼女はブラウスの制服に着替え、大学生っぽかった印象を一気に高校生に戻す。今日は私服のまま帰っても良いのでは、と思ったものの、制服をリュックに突っ込んでシワにしたくないらしい。


「今日は梅酒にするわ。葦原君はノンアルでね」


 夕映は、買ってきたビニール袋の中から、梅酒の瓶と、梅酒風ドリンクの缶、そしてコンビニでよく見るプラスチックのコップを取り出す。


 俺と彼女の分、2個を机に置くと、残りのコップとそれ以外のお酒やおつまみを、今日お迎えしたばかりの棚と冷蔵庫にしまった。


 そして俺は夕映に、夕映は俺に、それぞれの飲み物をぐ。


「それでは葦原君、今日も程よく頑張りました。乾杯!」

「乾杯」


 口をつけようとしたが、目をらんらんと輝かせて梅酒の入ったコップを覗いている夕映を見ていたら、視線が逸らせなくなってしまった。


「……美味しそう」


 彼女はポツリとそう呟き、淵に口をつけて、ツッと吸うように飲む。やがて、はあっと熱い息を漏らした。


「梅の味がしっかりしてるし、熟成感があるわね。ソーダやお湯で割らなくてもストレートでしっかり楽しめるのはポイント高いかな。あの値段でこの味はお値打ちだわ」

 コメントが本気すぎる。雑誌のレビューみたいだ。



「それ、度数高いのか?」

「そうね、15度だからワインと同じくらいかな。ビールの3倍くらい」

「結構高いな……」


 そんなお酒を飲んで大丈夫だろうか、という俺の心配を他所に、彼女は一口、もう一口と飲み進めていく。


「梅酒って300年前、江戸時代からあるお酒なのよ」

「そんな前からあるのか」

「お酒はずっと昔からある伝統の飲み物だからね」


 確かに、日本史の文化のページでもお酒の話はよく出てきた気がするな。


「当時は砂糖は高級品だったはずだから、醸造に砂糖が必要な梅酒は庶民向けのお酒じゃなかったと思うけどね。そんなお酒を、数百年の時を経て味わえるロマン。どう、興奮しない?」

「16歳には答えるのが難しい質問だな」

 ロマンと法律は別腹なんでね。


「葦原君もノンアルのそれ、飲んでみてよ」

「お、おう」


 薄いレモネードみたいな色の飲み物。表面には炭酸の泡が浮かんでは隣の泡とくっつき、パチンと弾けている。飲んでみると、一昨日飲んだグレープフルーツサワー風とは違って苦味はなく、甘味と酸味のバランスが良いジュースだった。


「なんか、上品な梅サイダーって感じだな」

「おっ、気に入ったなら良かった。あ、さかな忘れてた!」


 夕映は不意に立ち上がったかと思うと、スキップするように軽やかな足取りで棚まで歩き、中段に置いたおつまみを1つずつ手に取って選び出した。


「よし、シンプルにこれにしよっかな」


 にんまりと笑みを浮かべながら振り向いた彼女が見せてくれたのは、「おしゃぶり昆布」と書かれたおつまみだった。保存用のチャックがついたその大袋を、棚の端に置かれた白い平皿と一緒に机に持ってきて、ガサガサと開ける。



「うん、美味しい。葦原君も好きに食べてね」

「ああ、ありが——」


 お礼を言いかけたその時。



「しーんやのー まーほうがとーけーるー」


 近くでアカペラが聞こえてくる。この近くで練習しているんだろうか。そういえば俺も、去年まではこの階で練習したこともあったな。


 そこまで記憶が遡り、思い出したくないことが泉のように噴き出してきて、胸の奥がズキンと痛んだ。



 笑顔の作り方など忘れてしまったかのように顔が強張る。


 そして、それを見透かしたような、目の前の彼女の一言。


「葦原君、どしたの?」

「ん……」


 俺の顔を覗き込むように見てきた夕映に、俺は辛うじて口角を上げて見せた。

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