6杯目 ひと仕事からの出発

 新しい家電の横まで来て、ペットを愛でるように柔和な表情でドアを撫でている坂隙さんを見ながら、気付けば俺は頭に真っ先に浮かんだ疑問を口にしていた。


「……坂隙さん、これは何?」

「何って、冷蔵庫よ。私が持ってきたの」

「いや、そうじゃなくて、どういうこと?」

「ちゃんと缶とか瓶冷やせる方が美味しいお酒飲めるじゃない?」

 ダメだ、会話が成立しているように見えて一向に核心に辿り着かない。


「え、これ坂隙さんが買ったってこと?」

「そうよ、大変だったのよ、これ運ぶの」

「自分で持ってきたの!」

 思ったよりおかしい人だぞこの人!


「安くなってたのがあったからさ、買って持ってきたのよ」

「え、家から? 1人で?」

「そうよ。だって業者の人にここに持ってきてもらうわけいかないでしょ? 校則には『冷蔵庫を設置するな』とは書いてないけど『学校関係者以外を連れ込むな』って書いてあるしね」

「校則に冷蔵庫のくだりを書いてる高校はどこにもないと思う」

 校則に忠実なのに全体がズレてる感じ、逆に面白いな。



「ということで、新顔の1つ目が冷蔵庫でした」

「ったく、新顔っていうから俺はてっきり……待って、1つ目?」


 聞き捨てならないポイントにツッコミを入れると、彼女は秘密を明かすようにじっくりと間を溜めてからコクンと頷き、小さな顎を動かして窓側の隅を示す。そこには木材が詰められた、かなり大きい長方形のパッケージが横たわっていた。


「ちょっとした棚も欲しいじゃない?」

 簡単に「ちょっとした」とか言ってるけど、これどう考えても高さ180はあるでしょ……結構なサイズでは……。


「それにしてもホントに大きい棚だな……そんなに入れるものある?」

「あるわよ、色々置きたいでしょ? おつまみとか趣味の本とか、あとは成人指定のものとか」

「酒をそういう呼び方するなよ」

 変な意味に捉えられそうだ。


「ねえ、坂隙さん。これどうやって家から持ってきたの? いつもバス通学だよね?」

「そう、さすがにバスで運ぶのはしんどかったからね。お母さんに頼んで車出してもらったわ」

「そこまでして!」

 頼む方も頼む方だけど承諾する方もする方では!


「構内でこれ持ってうろうろしてるの見られるとマズいでしょ? だから朝すごく早く来て、職員室の前に置いてある台車借りて、荷物搬入用のエレベーターで上まで運んだの。これで学校で快適なアルコールライフが楽しめるわ」

「酒に対する情熱と執念がすごい」

 早朝から登校してたから授業中あんなに眠そうだったのか。


「はい、では葦原探偵」


 両手をパンと打ち鳴らす坂隙さん。17年の短い人生経験でも俺は知っている。社長だの選手だの探偵だの、人に職業や役職をつけて呼ぶときは大抵ロクなことがない。


「私がなんで昼休みに、体操着の話をしたか、もう分かったわよね?」

「あーーーーーーーーーーーーーー」


 演劇部の練習かと思うほど長い発声を繰り出す。探偵と呼ばれたものの、特に推理する必要もないような簡単な謎だった。


「多分だけど、俺も一緒に棚を組み立てる——」

「はい正解、おめでとう!」


 全て言い終わる前に、坂隙さんは小さく拍手した。だよね、イヤな予感がしたんだよ。


「そう言えば、予備の体操着持ってきてって言ってなかったね、ごめん」


 彼女の言葉に返事をする代わりに、俺はリュックから白い半袖と青い短パンを出した。


「多分部活で使うんだろうなと思って持ってきた」

「さすが葦原君! 制服でやるのは汚れちゃうし気が引けるだろうからさ、体操着なら自由に作業できるかと思って。ちなみに私は体操着忘れたわ」

「うっそでしょ」

 汚れても気が引けてもちゃんと手伝ってくれよな!




「よし、じゃあ組み立てていくか」


 一時的に坂隙さんに部室を出てもらい、体操着に着替える。作業できる万全の体制にして、棚の梱包ビニールを破り、説明書を見ながら組み立て始めた。




「ここは……この2つの板を平行で並べるのかな。坂隙さん、こっちの板、傾かないように押さえておいてもらっていい?」

「うん、分かった。こうでいいかな」



「このネジはどこに付けるんだ……?」

「あ、葦原君、この穴じゃない?」

「いや、ここはもう少し小さいネジの場所らしい……」



「坂隙さん、棚の一番下の部分、高さ変えられるみたい。どのくらいにする?」

「ううん、焼酎のボトルが入るくらいにしたいなあ」

「なんて女子高生らしからぬ回答なんだ」





「よっし、ようやく完成……!」


 組み立て開始から1時間半。ようやく棚が完成した。途中、説明書でもよく分からない背面のビスを打ち込むところで2回くらい諦めそうになった。


「おつかれさま、葦原君。ホントにありがとう!」


 坂隙さんがグイッと俺の手を取り、ブンブンと強く振りながら握手する。突然のことに思いっきり照れてしまい、目を逸らしながら最低限の力で彼女の手を握り返した。


「完成したらしたで、達成感あるもんだな」


 入口から見て部室の左側、壁に沿う形で中央にそびえたつ棚を見あげる。立てた段階で俺の身長を軽々と追い越したそれは、ニスを塗った木材特有の白い光沢を出しつつ、この部屋で一番の存在感を示していた。


「これで今日の部活は終わり?」

「違うわよ、これから飲むのよ」


 もうすぐ17時、太陽が燃え始め、オレンジに染まってきた部室で、坂隙さんはウキウキを抑えられないかのように両腕を揺らす。ホントにお酒を飲むのが楽しみなんだな。


「でも今日は荷物が多くてお酒持ってきてないのよね……じゃあ葦原君、せっかくだし、冷蔵庫と棚に置くもの一緒に買いに行こっか」

「え?」


 突然の提案にポカンとしていると、坂隙さんは棚をトントンと叩きながら答える。


「これからお酒と肴を外に買いに行くってことよ」

「ええええええっ!」


 俺のオーバーなリアクションに、彼女は「わっ」と小さく驚き、ビクッと体を後ろに傾ける。


 いや、だって、外に買いに行くって! これってあれですよね? ひょっとしてデート的なアレですよね?


「せっかくだからバスで駅の方に行こうかな。品揃え良い場所も多いしね。じゃあ葦原君、制服に着替えてくれる?」

「う、うん」


 部室を出たのを確認した後、隅のリュックに突っ込んでおいた制服を机の上に置いて着替える。でも、どうにも興奮を抑えきれなくて、「っし!」と小声で何度もガッツポーズをしているせいで、なかなか半袖を脱げずにいた。



 だって、坂隙さんと2人で出かけるんだよ。いや、別にまだはっきり恋心を抱いてるとか、そういうのじゃないけどさ。


 でもちょっとでも「素敵だな」と思ってる人と一緒に買い物するって、めちゃくちゃ嬉しいことじゃない? 例え買いにいく物が酒だとしても! 「俺がプレゼントで買ってあげるよ」が法的理由で許可されない品物だとしても!



「坂隙さん、着替え終わったよ」


 部室のドアを開けて廊下の彼女を呼ぶと、彼女は部室に入るなり自分のネイビーのリュックの中を漁り、黒い紐で巾着状になっているミルク色のビニールを取り出した。


「じゃあ、私も着替えるわね」

「へ? なんで?」


 浮かんできた疑問を素直に口にすると、彼女は往年のハリウッド映画よろしく、大仰に首を横に振る。


「制服でお酒買いに行けないじゃない」

「あ、そっか!」

「もちろん葦原君の言う、制服でお酒を選ぶっていうドキドキ感も楽しいんだけどね」

「いや、言ってないですけど」

 しかも「楽しい」ってことは、さては経験者だな。


「じゃあうん、着替えてるの待ってるよ」


 そのまま椅子に座ってスマホをいじっていると、視線を感じる。坂隙さんの方に視線を向けると、彼女は少し顔を赤らめながら、ぷうっと頬を膨らませてこっちを見ていた。


「坂隙さん、どしたの?」

「……出て行ってくれなきゃ脱げないよ」

「どわっ! がっ! ごっ、ごめん!」


 思いっきり取り乱し、ビーチフラッグかと思うほどのダッシュで部室を飛び出す。

 勢いよくドアを閉め、その場にへたりこむように座った。


 はあ、これで一安心。危うく着替えを待ち侘びる変態になるところだったぜ。

 と思ったのも束の間。



 シュル スッ シュルシュル……



 音が……! 俺の寄りかかっているにドアの内側から着替えの音が……!


 これはダメだ、反則だよ……視覚がない分、いや、逆に視覚がないからこそ、想像をアレコレ掻き立てられる……今何を脱いだのか、どんな格好でいるのか……!



 その刺激に耐えられず、俺は「ごめん!」と小声で謝りながらまたしてもビーチフラッグ顔負けのダッシュで広い廊下に飛び出したのだった。

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