第2章 昆布と梅酒と自分の存在価値
5杯目 新顔のご紹介
「え、夕映ちゃん、その髪留め、めっちゃ可愛い!」
俺の前の席に優吾が座り、2人で昼食の時間。早々に弁当を完食し、購買部で買ってきたチョココロネのパンを
「バンスクリップ、良いのないか探してたら、この小鳥のがあってね」
「ちょっとユルい表情なのウケる!」
「すごく似合ってる~」
他のグループも各々話しているけど、坂隙さん達のグループの声だけがやけにはっきりと聞こえてしまう。
教室の時計を気にするフリをして、ちらりと声のする方を見た。坂隙さんは、軽くパーマを当ててウェーブしている髪を後ろで結び、それをぐいっと持ち上げて金色の何かで後頭部に留めていた。あれが小鳥のバンスクリップなんだろう。
ううん、いつもみたいにおろした髪もステキだけど、縛ってるのもアクティブな印象になってステキだなあ。
でもなんか今日の坂隙さん、眠そうだな。
あれ、なんかついつい彼女のことを考えてしまう。これは……これが……恋?
いや、恋とはちょっと違うかもしれないけど、彼女のことが気になっているのは確かだ。だって俺は2日前の火曜日、彼女の秘密を知ってしまったんだから。
「おい、聞いてんのか
ボーッと向こうを見てた俺の肩を優吾が叩く。
「んあ? ああ、ごめん、何の話だっけ?」
「ったく。牧野を具にするなら、鍋とおでん、どっちがいいかなって話だろ」
「世界一どうでもいい選択だった」
何を相談されてるんだ俺は。
「優吾、お前さ、いくら好きだからってクラスの女子を具材にする妄想はどうなんだよ」
「でもさ、鍋だったら〆のラーメンを入れられるだろ? そしたら、まだ茹でたてでぬめりけのある麺に牧野が絡んでめっちゃ魅力的な女子になるだろ?」
「お前は俺の苦言を聞く気がないな!」
スープが絡む、みたいなトーンで牧野が絡むって言うな。
「いやあ、でもおでんの出汁が染みた牧野も捨てがたいから、難しい二択だな」
「高校二年生を出汁に染みさせるな」
バカ話をしながらも、今の俺は坂隙さんの会話の方が気にかかってしまう。
「それにしても夕映ちゃん、髪縛ってもオトナっぽいなあ」
「えー、そうかな?
「夕映ちゃんはそれ以上! むしろ縛ったからお姉さん感増してるかも。
そりゃ通るよ! 通るもなにも二十歳そのものだよ! しかもその人、部活と称して学校で酒浸りだよ!
……ううむ、こうして考えると確かに割とすごい秘密を知ってしまったな……彼女が無理やり部活に入れようとしたのも分からなくもない。
昨日は坂隙さんの都合で部活は休みだった。今日は特に休みの連絡は来てないので、2日ぶりにあの部室に行くことになる。想像するだけで、ちょっと緊張だ。
「あ、そういえばさ、この前の『ポップガール』に出てた時のりっちゃ、ヤバかったよな」
「わかるわかる。一問一答コーナーやってるときの照れた感じ、めっちゃくちゃ可愛かった!」
話題がアイドルに移り、近くの男子も混ざってきたところで、ふと窓の外に目を遣る。夏に向けて前に出ようとする太陽を、「お前はまだ早い」というように厚い雲が隠していて、ちょうど良い気候だった。
坂隙さんも、3時間目の授業の時に目を擦りながら空を見てたなあ。外で寝たら気持ちいいだろうなんて想像していたのか、或いは今日あの3階で飲むお酒を決めていたのか。
そんなことをつらつらと考えていると、ふいに名前を呼ばれた。
「ねえ、葦原君」
意識が完全に埒外にあったせいか、反応の前にぼんやりとした思考が混じる。
南瀬じゃなくて苗字呼びか。しかも男の声じゃない、ってことは女子に呼ばれてるな。聞いたことある声だ……さっきまでよく耳に入ってきてた……坂隙夕映……坂隙さん!
「だっ!」
突然奇声をあげたので、同じ空間にいるのに4秒時差がある人みたいになってしまった。挙句、驚いてギギッと椅子を引いたため、クラスの衆目を集める羽目になった。
「何よ、急に素っ頓狂な声だして」
「坂隙さん、ど、どしたの」
優吾と俺が話している机の横、空いている椅子に座った彼女が怪訝そうにこっちを見る。
「今日、体育ないけど、体操着持ってきてる?」
「え? あ、うん、予備のやつがロッカーに入ってるよ」
「そっか、良かった」
謎の質問をした彼女は、満足気に頷いた。一体何なんだろう。
「あと、オススメの漫画を教えようと思って」
「漫画?」
たまに女子グループの話題に混ざってるとはいえ、漫画を読んでるイメージもあんまりなかったから新鮮だ。坂隙さん、どんなの読んでるんだろう? キラキラな少女漫画とかかなあ。案外、少年漫画のバトルものとかだったりして。
「『俺の哲学に火が付くぜ』って作品なんだけど」
「全然聞いたことない」
ジャンルの想像もつかないんですけど。
「すっごくマイナーだけどWEB漫画なの。哲学を学んでいる主人公が、その知識を片思いに活かしていくラブコメなのよ。結構深い話も出てきてるから、作者の人はきっと昔勉強してたのかもね」
葦原君、哲学興味ありそうだったから、と言って、彼女は手早くスマホを操作し、俺にその漫画のリンクを送ってくれた。毎週1話更新されるけど、今はキャンペーンで全話無料らしい。
「もし興味あれば読んでみて。結構泣けるシーンもあるし、
坂隙さんがこんなに楽しそうに自分の好きなものの話をしているのを見たことがないので、ちょっと驚く。
でも、もっと驚いているのは周りのクラスメイト。ほとんど接点のなかった俺達が親しげに話しているのを興味ありげに見ている視線を感じる。特にその場に一緒にいた優吾含む男子3人は、目を見開きすぎてコロンと取れそうになっていた。
「はー、布教活動できて良かった。また話そうね」
「あー、おう」
幾分上機嫌な足取りで廊下に出て行く坂隙さん。
その瞬間、アトラクションのセーフティーバーのように、胸元にガシッと腕が回される。その場にいた男子3人のうちの1人だった。
そして、北原優吾が不気味な笑みを浮かべ、口をひん曲げた笑みを近づける。
「ほっほっほ、み・な・せ・さーん。まさか俺の知らないうちに坂隙さんと雑談する仲になってたとは、ちっとも知りませんでしたよ僕は。私に黙って水面下でコトを進めようとしているのですか?」
「落ち着け、そんなんじゃない」
興奮しすぎて一人称が不安定だぞ。
「坂隙さんが哲学の話をしてて、たまたま少し俺が食い付いたら教えてくれただけだよ。他に別に付き合いとかないから」
後半は嘘だけど、前半は本当だ。もっとも、その会話をしたのはここじゃない教室だけど。
そして正直、優吾をはじめ、みんなが気になっている坂隙さんとこういう関係になれていることは嬉しい。別に優越感とかではなく、自分がほんの少し、彼女の「特別」になれてるかと思うと、胸にバスドラムが入ったかのように心音が増した。
「南瀬にはどうせ俺の悲しみなんか分からないだろ? あーあ、悲しいなあ。友人に分かってもらえないんだもんなあ」
「そんなことないって、分かってるよ」
「うるさい! そんな簡単に分かって堪るか!」
「どうすりゃいいんだよ」
がんじがらめすぎる。
「まあとにかく南瀬、坂隙さんのオトナの色香に酔いしれるなよ」
「よ、酔うわけないだろ!」
「いや、そんな叫ぶなよ」
優吾の発した単語があまりにも危険ゾーンすぎて、過剰な反応をしてしまったのだった。
放課後、2階の廊下を西側の方に進み、他のクラスメイトがいないか後ろを確認した上で階段を昇る。シューズロッカーに向かうのではなく3階に向かうところを見られるのは避けたかった。
昇った西端の廊下を進んだところにある、奥まった部屋。銀色のドアノブをガチャリと回して開けると、そこには火曜に来たときと同様、机を4つくっつけて並べたテーブルがあり、その奥に「さかな研究部」部長の坂隙夕映が座っていた。
「よ、よお。お待たせ」
クラスメイトの女子と2人っきりの緊張を抱えつつ、自然体を装って挨拶すると、彼女は柔らかい笑みを浮かべて答えた。
「ううん、私も今飲むところ」
「定番は『今来たところ』では」
酒の心配はしてないよ。
「そうだ、先に葦原君に紹介しなきゃね。この部に新顔が増えたわ」
「え、あ、そう……なんだ」
2人っきりの時間はあっという間で、3人になるんだな。創部のために名前を貸してた人が実際に入部するのかな。
この緊張感が無くなる安堵と、もう坂隙さんと2人で過ごすことはほとんど無くなるのだろうという寂しさがない交ぜになって胸を駆け巡る。
そして自覚する。彼女への想いが少しずつ「特別」になっていることに。
「はい、彼が新しい顔よ」
「…………は?」
彼女が指差した壁沿いには、2つドアで俺の胸くらいまでの小さなサイズ、ネイビーの冷蔵庫が、場違い感からか所在なさげに佇んでいた。
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