君に捧げるサプライズ(作中時間:2022年3月)
「はぇー、相変わらずすっごい人出ですねぇ。世間はウイルス一色だっていうのに」
「まあ、ホワイトデー直前だから」
百貨店の売り場を彩るのは、淡い青を基調とした「Happy White Day」のポップの数々。世の男子がお返しのセンスを試されるその日を二日後に控えて、俺は例によって親戚のチカと二人、感染対策に気を配りつつ買い物に訪れていた。
今や自分も彼女持ちだというのに、相変わらずリア充ご用達の場に一人で乗り込む度胸を持てないザコ犬とは俺のことである。
「何がビックリって、バレンタインから一ヶ月も猶予があったのに、今頃になって泡食ってお返しを買いに来てる人生行き当たりばったりマンがこんなに多いってことですよ」
今日の今日まで
「ウェブ小説のコンテストでも毎回いるんですよねー、余裕ぶっこいてて結局〆切ギリッギリで必死になってるヒト」
「なに、昔の俺の悪口?」
「まぁ、当時と比べるとレンレンは成長しましたよね。少なくとも書き溜めを覚えましたし」
「だから、レンレン言うなって」
少し前から小説サイトへの投稿を開始している俺の復帰第一作。退会前の
「ていうか、その書き溜め読んだんですけど。エピローグまで」
色とりどりのスイーツが並ぶ売り場を見回しながら、小柄な後輩は世間話のように振ってくる。
「人前でそんな話するなって」
「仮に固有名詞を出したとして、この場の誰がセンパイの小説なんか知ってるんですか。無名ワナビのくせに自意識過剰ですよ」
「いや、じゃなくて、普通に内容が恥ずかしいの」
頬が熱くなるのを感じながら俺が言うと、チカは露骨にニヤついた目を向けてきた。
「まあねー。恋人をヒロインにして、自分との馴れ初め話を小説に書いて公開してるチェリー野郎の生態とか、ほとんど犯罪心理学の領域ですよね」
「……だって、ほら、それは彼女のリクエストだし……」
「そうでしたっ。わぁっ、ロマンチックで素敵っ。想い人をヒロインにするなんて昔の文豪みたいですねっ!」
「手のひらクルックルしすぎて疲れない?」
俺の呆れ笑いに合わせて笑ってから、チカはよく七瀬がするように、マスクの上から自分の口元に指を当てて首をかしげた。
「じゃなくて、あのエピローグなんですけど。なんでいきなり試験日まで時間飛んでるんです?」
「なんでって言われても。告って恋人になっちゃったら、もうラブコメとしてはああいう形で幕引きするしかないじゃん」
「もったいなくないですか? せっかくクリスマスもバレンタインもあったのに」
「……だからそれは、さらっと入れてるだろ、『この話が本になったら特典SSにでも書く』って」
「えっ、いま何て言いました? ホワイトデーのお返しをタヌキ革のバッグにするって?」
「
特典SSが云々という一文は、皮算用というより、ちょっとしたお遊びというか。そのあたりの重要イベントを作中ですっ飛ばしてしまったことへの、軽いエクスキューズというか何というか……。
と、俺がマスクの下でモゴモゴと言い訳していると、後輩はそれを打ち切るように両手をぱんっと打ち合わせた。
「まあ、何年かかるか分からない未来の話は置いといて、明後日のホワイトデーのこと考えましょうよ」
「お前の話題転換って七瀬並みにフリーダムだよな」
「そりゃあ、似通いもしますよー、魂の姉妹ですからー」
「いや、仮に
「あっ、また姻族とか言ってる。気が早いんだからぁ、一線越えてもないくせにー」
「……だから、いつ習ったんだよ、その誘導尋問みたいなの」
周りの人達に聞かれていないか心配になって、俺は熱くなった顔を思わず伏せる。
それでなくても七瀬の話術に毎度弄ばれっぱなしなのに、コイツまでその真似事を身に付けたら、いよいよもって俺はどうされてしまうんだ……。
「それで、お返しどーするんです? とりあえずホワイトデーの売り場に来てはみましたけどっ」
「うーん……」
敢えて声を出して唸ってみるが、それだけで妙案が閃くなら誰も苦労はしない。チカも一緒に首を捻りながら言ってきた。
「カンタンなお返しじゃダメですよねー。ザコ犬の身には余りまくるほどの幸せをもらったんですから」
「……それな」
一ヶ月前のバレンタインデーのことを思い出すと、ただでさえ熱かった顔がさらに火照る。
受験勉強に必死だった当時の俺に、七瀬が用意してくれたとびきりのサプライズ。特典SSがどうたらと言って逃げているのは、正直、その内容を小説に書くのは流石に恥ずかしすぎるからでもあった。
「あれに見合うお返しってなると、マジでブランド物のバッグとか……?」
「無収入の学生の分際で何言ってんですか。ナナセさんがセンパイに値の張るものなんか期待してると思います?」
「いや、それは思わないけど」
「大事なのは気持ちとサプライズですよ」
「サプライズなぁ……」
ある意味、それが一番の難題かもしれなかった。常に俺より何手も先を読んでいる彼女を相手にサプライズを仕掛けるなんて、世間で話題の最年少五冠に将棋で勝つより難しいんじゃ……。
「じゃあ、センパイがナナセさんと出会って一番ビックリしたことは?」
「そりゃあ、あの時の……」
その問いだけは迷わず即答できた。彼女に驚かされた回数は両手の指でも足りないけど、一番と言えばあの時しかない。
キミに会うために、私はここに来たの――と。
月食の夜空をバックに告げられた、あの日の彼女の言葉は、今も俺の心の奥で響き続けている。
「……そっか。出来るかもしれない、サプライズ」
瞬間、電撃のように閃きが走って、俺は思わず人混みの中できびすを返していた。
「えっ、いきなり何ですかっ」
「ちょっと、落ち着いてスマホ見れるとこ行こう」
チカが「えぇ?」と戸惑い声で追いすがってくる。この思いつきが功を奏したら、コイツにもお礼をしなきゃな、と思った。
***
そして、ホワイトデー当日。
春色のギャザーワンピースを纏った七瀬の笑顔は、今日も太陽に負けんばかりに輝いていた。
いつものように最寄り駅で待ち合わせて、おばさん宅での執筆デートに向かって歩く道すがら、俺は単行本サイズのチョコレートの包みを彼女に差し出す。家に着いてからとも思ったが、何かを期待しているような彼女の上目遣いを見ると、その僅かな時間を焦らすことすらも躊躇われた。
「こないだのお返しとして釣り合うかは分かんないけど……」
イチョウ並木の道を歩きながら俺が言うと、彼女はその箱を両手で大事そうに顔の前に掲げて、にこにこと微笑みを向けてくる。
「
歌うような調子で声を弾ませて、俺を最大級にドキリとさせつつ、彼女は「開けちゃっていい?」と顔を向けて聞いてきた。少しの時間も待ちきれないと言っているその目が可愛くて、俺は反射的に頷く。
白い指で器用に包みを開封するやいなや、彼女は「わぁっ」と黄色い声を上げた。
箱に空いたブリスターの窓から覗くのは、七つの惑星をかたどった球形のチョコレート。……わざわざ八個でも九個でもなく七個入りのものを百貨店で探したのだけど、まあ、それ自体はよく見かける出来合いの商品でしかない。
サプライズの本命は、箱の上に俺が添えた、二つ折りのメッセージカードだった。
「ふふっ、初めてだねっ」
カードに指先をかけて、彼女が口元を
「なにが?」
「手書きの言葉をー、もらうのがー」
そう言えばそうだっけ――と思う俺の横で、カードを開いた瞬間、七瀬の顔がぱっと歓喜の色に染まった。
「これって……」
人通りの少ない街路の端に寄って、彼女はそっと足を止めた。
かつて中二病をこじらせて覚えた筆記体のアルファベットで、俺がそこに綴っていたのは、「
幸せに浸るようにその文字を眺めていた彼女が、ゆっくりと顔を上げる。
「調べてくれたの?」
単に、ペンネームの
いつも通りの余裕を装った中に、期待や緊張が微かに見え隠れする彼女の表情。今の俺ならわかる――これは、告白の日、俺の言葉を待っていたあの時と同じ目だ。
彼女と同期したように高鳴る胸を押さえて、俺は小さく頷き、答えを告げた。
「アレンのアカウントが残ってなくても、アレンに宛てたツイートは検索できるからさ」
そう。俺が一昨日、スマホで調べていたのは、今もTwitterに残るかつての
昨年の六月、
その名前は
それだけでは、百パーセント彼女だと断定する証拠にはならない……が。
「キミなら絶対、こういうペンネーム付けると思った」
俺だけにはわかるその根拠を述べると、彼女の顔に浮かぶ喜びの色が、見る間に何倍にも増していった。
そして、彼女はマスクの下で頬を膨らませ、とん、と俺の胸を片手の拳で小突いてくる。
「もう、調べるの遅いよっ。いつ『キミの昔の名前って入須すてら?』って訊いてくれるのか、楽しみに待ってたんだからねっ」
「……ゴメン。あの、リアルのキミにドキドキさせられっぱなしで、それどころじゃなかったっていうか」
嘘ではなかった。アレンの交流の痕跡は簡単に検索できるとチカにも言われながら、七瀬の昔のアカウントを探してみようという考えに今まで至らなかったのは、激動続きの彼女との関係に頭と心のキャパシティの全てを奪われてしまっていたからだった。
「それなら許します。……見つけてくれてありがとっ」
くすくす笑いの中に嬉し涙をにじませて、彼女はメッセージカードとチョコレートの箱を丁寧にショルダーバッグにしまい込み、両手をフリーにしたかと思うと――
「じゃあ、今度は私が『サプライズ返し返し』する番ねっ」
「……あの、七瀬せんせー、一応言っておくとここは屋外――」
「人前でこうするのは、禁止事項にありませんっ」
俺の静止も周囲の人目も意に介さず、じゃれるように俺に抱きついてきて、そして。
――どこかで予感していたことではあった。サプライズ成功の余韻も束の間に、彼女の次なる一手が飛んでくることは。
その先は恥ずかしいので、やっぱり書くのはやめておくけれど。
強引で可愛い俺の恋人は、おばさんの言いつけに抵触さえしなければ、いつだって何でもアリなのだった。
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