第15話 力になりたい
エンドロールが終わり、館内が明るくなる頃になって、
「……よかったね」
周囲の観客達が忙しなく席を立っていく中、まだ物語の余韻の中にいるような声で、彼女がそうささやいてくる。
普通に考えたら、それはストーリーが良かったと言っているのだろうけど――
純白のハンカチで目元をぬぐいながら、マスクの下でふふっと笑ってくるその表情は、「こんな美少女と一緒に観られてよかったね」と俺を弄んでいるような、そんな顔にも見えて。
「……うん、よかった」
脈打つ胸を押さえながら、どちらの意味でも構わないとばかりに、俺は彼女の目を見て答えた。
***
シネコンを出た後は、駅の近くのイタリアン的な店で遅めのランチにした。藤谷さんは「ファーストフードでもいいよ?」なんて言ってきたものの、こんなナントカを殺す服を可愛く着こなした絶世の美少女を、まさかハンバーガーショップなんかに連れ込む訳にはいかないと思った。
他の客は女性やカップル連ればかりで、陰キャの俺には落ち着かないけど……。
「
上品な所作でフォークに白いパスタを巻きながら、小さめのテーブル越しに彼女が上目遣いを向けてくる。
「ま、まさか。知ってるじゃん、女子とデートなんかしたことないって」
「でも、チカちゃんと出歩くことはあるんでしょ?」
「アイツとだったら、それこそマックか牛丼屋だよ」
その光景を思い浮かべたのか、彼女はくすりと笑った。
「ふじ……ナナセ先生の方こそさ」
「んー?」
「……いや、なんでも」
そういう経験いくらでもあるんじゃないの、と口にしかけて、俺は結局言いよどんだ。男子と親しくした経験はないと本人が度々言っている以上、多分それはお世辞にならないし、言えば言うほど彼女を疑っているように思われてしまう……。
引っ込めた言葉をごまかすように、俺がスープのカップに口をつけて顔を隠していると、
「ふふ。クラスの人達に見られちゃったらどうしようねー」
なんて、彼女はまた俺を緊張させる一言を差し込んでくる。
その可能性を一瞬想定しかけて――いやいや、と俺は首を横に振った。
「広い東京でそんな偶然ないって。地方のイオンモールじゃないんだからさ」
「あっ、またイナカ者をバカにしてるな? 私だって東京タワーに上ったことあるんだぞー」
「おのぼりさんじゃん」
俺の突っ込みに気を悪くした様子もなく、美少女転校生は「どうせそうですよー」と楽しそうに笑っていた。
パスタを味わい終えて、食後のコーヒーが運ばれてきたところで、俺はずっと気になっていたことを言ってみる。
「でもさ、実際問題……俺なんかと出歩いてるのがバレたら、藤谷さんの評判が下がっちゃうよな」
一緒にいる、とか、デートしてる、なんて表現は、さすがに恥ずかしくて使えなかった。
彼女は少し虚を突かれたような目になってから、ふっと口元を緩ませる。
「そんなことないって。レンレンは自分を卑下しすぎだよ?」
遂にレンレン呼ばわりに「くん」すら付かなくなっている……。いや、まあ、この際それはどうでもいいんだけど。
「まあ、仮にだよ? 仮にね、あるか無いかわからない私の評判が下がっちゃったとしてさ」
ミルクと砂糖を入れたコーヒーをゆっくりとスプーンで混ぜながら、彼女は穏やかな口調で言った。
「どっちみち、私達、卒業までたった半年なんだよ。あと半年経ったら、みんな進路はバラバラになって……。今、物珍しがって私と関わってくれてる人達だって、その先、何人が友達でいてくれるかわからない」
「……随分、悲観的なこと言うじゃん」
俺が言うと、彼女は俺の目をまっすぐ見つめてきた。
「悲観とは違うかな。私が言いたいのは、学校っていうのは通過点に過ぎないってこと。誰にとってもね」
「……通過点、か」
その言葉がすうっと意識に沁みわたり、俺と彼女の関係もそうなのだろうか――と思ったところで、それを吹き飛ばすような美少女作家の一言。
「だから私は、ここでは尾上くんと出会えただけで十分なのだ」
「へっ?」
目の前では素顔の彼女がにこにこと笑っている。きっと軽いジョークだとわかっていても、どきんと胸の動悸が暴発するのは抑えられなかった。
「……ま、またそんな、俺をからかうみたいなこと言って」
「からかってないよ。だって私は、キミの小説が読みたくてこの学校に来たんだもん」
コーヒーカップに手を添えて、彼女はじっと俺を見つめてくる。
「……いやいや、いやいやいや。時系列がおかしいじゃん。俺の小説のことは、来てから初めて知ったんだろ」
「どうかなー。私の時間もループしてるのかもしれないよ?」
くるくる、と人差し指を小さく回し、にまっと笑う彼女。先程の映画の筋書きが脳裏をよぎった。
「何それ。『何度繰り返しても彼の小説が落選してしまう!』って?」
俺が渾身の自虐ネタで返すと、彼女は口元を片手で覆って、とても楽しそうに笑っていた。
コーヒーのカップも空になって、どちらからともなくマスクを付け直したところで、彼女は「ねえ」と小さく身を乗り出して言ってきた。
「このあたりに大きな本屋さんってあるかな? ラノベがたくさん置いてあるとこ」
「……あぁ、あると思うけど」
「私、せっかくだから覗いていきたいなっ」
星空を映したような瞳の輝きにドキリとしつつ、俺はスマホのマップを起動させながら尋ねる。
「なに、今日も営業?」
「ううん。書店さん回りは平日だけにするようにって、こないだ担当さんにも言われちゃったの。週末は書店員さんもお忙しいからねー」
「……その言い方、一度は休日に突撃しちゃった前科があるやつじゃん」
「あ、バレた?」
俺の前で小さく首をかしげてから、彼女は「あっ、これじゃ見えないや」と呟いてマスクをずらす。
何を、と思った瞬間、美少女は俺に見えるようにチロッと小さく舌を出して、「バレた?」と同じセリフを言い直した。
「……反則だって」
そのあまりの破壊力に、俺はスマホをごとりとテーブルの上に取り落としてしまった。
***
「うーむ、さすがにもう面置きはしてくれてないかー。回転早いからねー」
ランチの後に訪れた大型書店で、ライトノベル売り場の陳列に真剣な視線を巡らせながら、藤谷さんが小さく嘆息する。
色とりどりの表紙が並ぶ
「……やっぱ、厳しい世界なんだな」
ここに著書を陳列されている作者の何割が、二年後、三年後も商業作家でいられるんだろうか。
ひとたび作家デビューを果たしても、プロとして生き残れるのはごく一部。レギオン文庫の公募で栄えある大賞を受賞した彼女といえど、きっとそれは例外ではないのだ。
……まあ、そのデビューすら果たせなかった俺としては、あまり知ったような口は利けないけど。
「ほんと、私も真剣に考えなきゃいけないんだよねー。二冊目をどうするか。
あの不愉快な男性の名前が美少女作家の口から出たので、俺はどきっとした。
……あの場で俺が口を挟まなければ、彼女には、嫌々でもあの人と仕事上の付き合いをしていく道が残ったんだろうか。それが彼女にとって快いことではなかったとしても、生き残りの厳しさを考えれば、目をかけてくれるレーベルは一つでも多いに越したことは……。
「……なんか、ゴメン」
「んー? ほんとはゴメンって思ってないでしょ。本音は?」
後ろに手を組んだ彼女が、優しい声で訊いてくるので、俺は思ったままを言ってしまった。
「……そりゃ、あんな人に媚びて本なんか出してほしくないよ」
すると、彼女はマスクの下でふふっと笑って。
「なーんか、ほんとの彼氏みたいなこと言うんだねー」
「ちがっ……! た、ただの一ファンとしての意見だって!」
思わず俺が声を上げてしまうと、周囲の客がチラチラとこちらを振り返ってきた。
「……そ、そういえばさ」
人目を避けるように別のレーベルの棚に移動しながら、俺は声を落として切り出す。今の恥ずかしさをごまかすには、強引に別の話題に切り替えるくらいしかなかった。
「実は、送る作品のストック、もう切れかけてるんだけど……」
「うん、知ってる」
「知ってる!?」
懲りずに声を裏返らせてしまった俺に、彼女は「しぃっ」と人差し指を自分の口元に当てて、「冗談だよ」と優しく言ってきた。
「な、なんだ……。キミの冗談って、なんか、わかりづらいんだって」
「まあねー。ナナセちゃん、ウソとかつけない素直な子だからねー」
「……ウソばっか」
編集者にウソの彼氏を紹介したのが、ほんの数時間前の出来事なんですけど……。
――と、脳内で突っ込みの言葉を
「過去作のストックが尽きちゃったら、新作読ませてくれてもいいんだよ? 尾上くんの書くものなら何でも好きだよ、私」
「……い、いや……だからさ」
好き、という響きをダイレクトに撃ち込まれ、とても続きの言葉は出てこなかった。
今はまだ、新作なんか書く気には……。
「『今はまだ、新作なんか書く気には』……とか思ってる?」
「へっ!? な、なんでわかんの」
「だってわたしー、尾上くんの一番のファンだもん」
「ファっ……!」
心臓を爆殺しにかかるような笑顔の猛攻になんとか耐え、俺は言葉を絞り出す。
「だから……そういう冗談はさあ、心臓に悪いんだって」
「むう。冗談じゃないんだけどなー」
それから、売り場を彩る無数のライトノベルに目を走らせたかと思うと、彼女は俺との距離を一歩詰めて、「……だから」と上目遣いに言ってきた。
「尾上くんが迷惑じゃなかったら、これからも色々頼りにさせてくれない?」
「えっ……」
その声の響きが冗談ではないことは、少しは彼女との会話に慣れた俺にはもうわかった。
だけど……この場に一度も自分の本が並んだことすらない俺に、一体何ができると……。
「……迷惑なんてとんでもないけど。でも、俺なんかがナナセ先生の力になれることなんて」
戸惑いながら俺が言いかけると、彼女はそれを遮るように、
「力になりたいって、思ってくれないの?」
と、あくまで俺を翻弄するような笑みを浮かべたままで、しかし、どこか切ないトーンを交えて言ってくるのだった。
「……なりたいよ。なりたいに決まってるって」
緊張と戸惑いの中、自然と本音が口をついて出た。
できるかどうかは別として。……彼女がこれからも作家で居続けるために、俺なんかで役に立てることがあるのなら、もちろん力になりたい。業界の厳しさを目の当たりにした今、強くそう思う。
「嬉しいっ。じゃあ、これからも毎日お話させてね?」
明るく弾む声とともに、彼女の両手がさっと俺の右手を取った。
「っ!?」
人生で三度目の女子の手の感触――
そして、柔らかな両手で自分の手を包み込まれる初めての体験に、俺は思考のすべてを奪われ、笑顔の美少女にひたすら頷きを返し続けていた。
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