3. いきなりの恋人役
第11話 付き合ってくれる?
それからの俺の毎日は、自分でもびっくりするほどに一変したといえる。
何しろ、人生で初めて、親戚以外で親しく話す女子ができたのだ。……まあ、「親しく」とまで思っているのは俺だけかもしれないけど、それでも、学校中の注目を集める美少女転校生と、俺だけが特別な時間を共有していると思うと、寝ても覚めても心の高ぶりが止まらない。
『私は大好きだよ、
『……ていうか、よくこんなに色んなジャンルが次々書けるよね。尊敬しちゃう』
とは、出会って一週間ほど経った頃、彼女が通話で言ってきた一言だ。
「いやいや、藤谷さんだって色んな作品書いてきたんだろ?」
『そんなことないよ、レンレンきゅん』
「きゅん!?」
ナナセと呼ばなければレンレン呼びするという宣言は、俺の手の甲からあの日のサインの跡が薄れても、彼女の中では生きているらしい。
『私なんて、あのデビュー作を取ったら何も残らないからねー』
「……その一作がある時点で俺より勝ってんじゃん」
『そんなことないよ。キミにもいい風が吹き始めたら、すぐに抜かれちゃうよ』
どこまで本気かわからないが、彼女は毎回そんなふうに謙遜しては、何の結果も出していない俺を謎に持ち上げてくる。
……最初は嫌味にしか聞こえなかったそんなやりとりにも、いつしか俺は嬉しさを見出し始めていた。
彼女と関わるようになったことで、学校という場所の意味も、俺の中で大きく変わった。
相変わらず、クラスや廊下で藤谷さんと顔を合わせても、挨拶以上に言葉を交わすことはなかったし、お互いのためにもその方がいいのだと思うけど……。
それを埋めるように、彼女は放課後に時間のある日は文芸部の部室に顔を出し、俺やチカととりとめもない話をしてくれた。最近読んだ小説の話だったり、忙しくも楽しそうな彼女のスケジュールの話だったり、感銘を受けた映画やドラマの話だったり。
「ねぇー、ナナセさんからも言ってやってくださいよぉ。この負け犬、未だにナナセさん以外のプロの作品はまだ読みたくないとか抜かすんですよ? 心がえぐられるとかってー」
「うるっさいな。いいじゃん、俺が何読もうと読むまいと」
「そんなこと言ってる間に、小説サイト時代のお仲間はどんどん書籍化してってるんですよね。立ち止まってるのはこの犬だけなんですよ」
「とうとう『負け』すら付かないただの犬呼ばわり!?」
生意気な後輩からのお決まりのディスりも、美少女作家がそばでクスクス笑いながら見ているとなれば、たちまち楽しい時間に変わる。
「まあまあ。尾上くんは今に立派なオオカミになって、私を喰らいに来てくれる約束だから」
「いや、いつそんな約束したの!?」
チカの前でも平気でヘンなことを言って弄んでくる藤谷さんに、俺は毎度心臓が止まるような思いで声を裏返らせることしかできず……。
それでも、彼女に翻弄されるその時間すらも、今の俺には無性に楽しかった。
……でも、そんな夢のような日々の中で、どうしても拭い切れない疑問がある。
どうして彼女は、俺とばかりこんなに小説の話をしたがるのだろう?
今はウイルス禍で授賞式や出版社の懇親会が中止になっていたとしても、SNSなどを通じていくらでも商業作家の知り合いくらい居るだろうに。
それに、俺なんかの小説を毎回ベタ褒めしてくる意味だけは、本当に何度考えてもわからない。「大好き」なんて言われるのはもちろん嬉しいし、その声を思い出すたび顔が火照るくらいだけど……それはそれとして、不可解なものは不可解なわけで。
学校という身近な場で、小説について話せる相手を確保しておきたいから、適当に褒めて俺を乗せているんだろうか?
……なんて、彼女にそんなことを問いただす勇気は、俺にあるはずもなかった。
***
そうこうしている内に、彼女との出会いから二週間ばかりが経ち、毎晩送る作品のストックもそろそろ尽きかけた頃。
転校生をめぐる学校中の喧騒も一通り収まって、藤谷
「あれ? 今日はまだチカちゃん来てないんだ?」
平和な金曜の放課後。俺とは少し時間を空けて、ふらりと文芸部の部室を訪れた藤谷さんは、開口一番にそう言ってきた。
もう慣れたはずの柑橘系の甘い香りに、やっぱりどこかドキッとさせられながら、俺はスマホを伏せて不織布マスクの位置を直す。
「アイツ、ああ見えてクラス委員なんかやってるから、今日はその用事だって」
「そうなんだ。……この部室に二人きりって、なんだか久しぶりだね」
スクールバッグをそっと長机に降ろして、彼女は軽やかな足取りで俺の前に近付いてくる。俺は慌ててパイプ椅子から立ち上がり、壁に向かって後ずさった。
この場所で二人きりになるのは初めて会った時以来だっけ……。あの時の距離の近さを思い出すと、それだけで心臓の鼓動が早くなってしまう。
「おや、どうして逃げるのかな、尾上少年?」
マスク越しにもわかる笑みを浮かべて、彼女は構わず俺を壁際に追い詰めてきた。
「いやいや、だから、なんで二人だと距離近くなんの!? チカがいる時はこういうことしないじゃん!」
「それはまあ、保護者の見てる前ではさすがにね?」
小さく首を傾け、いつものイタズラっぽい上目遣いで俺を見てくる彼女。
……いや、誰が誰の保護者だって? と、ワンテンポ遅れて脳内に浮かんだ突っ込みを口に出そうとしたところで、彼女の白い右手がすいっと伸びて、俺の顔のすぐ横の壁にぺたんと押し付けられた。えっ、壁ドン?
金縛りに遭ったように身動きを封じられた俺の耳元に、マスクに覆われた彼女の口元がすっと近付く。
「……明日の土曜日、時間があったら、ちょっと付き合ってくれる?」
「つきあっ!?」
ささやくような小声で告げられた言葉に、俺が不釣り合いな声量で驚くと、彼女はひゃっと小さく声を上げて俺から一歩離れた。
うー、と自分の両耳を塞ぐ仕草をして可愛く唸る彼女に、それがオーバーな演技とわかりながらも、俺は思わず「ゴメン」と謝ってしまう。そこで彼女が顔の横に指を三本立て、「三回目」と謎の告知をしてきた。
「? 何が?」
「尾上くんが、別に謝らなくていい場面でまんまと私に『ゴメン』って言わされた回数ー」
手を後ろに組んで、僅かに身をかがめ、彼女は上目遣いに俺の目を覗き込んでくる。……いや、だから、その姿勢になられると、首より下の膨らみに目がいっちゃうわけで……。
「……いや、キミ、『まんまと』って言った? 『言わされた』って言った?」
必死に雑念を振り払い、俺はなんとか突っ込みの言葉を喉から絞り出す。どの時とどの時をカウントしているのか知らないけど、なに、この子、俺から不必要な謝罪を引き出して遊んでるの?
「まあ、そんなことより?」
俺の突っ込みをさらっと流したかと思うと、彼女は視線に笑みを含ませ、楽しそうな調子で言った。
「今、付き合ってって言われて、ちがう意味のこと連想したでしょー」
図星を指され、ただでさえ高鳴っていた俺の心臓が一際大きく跳ねる。
「……ナナセ先生さぁ、たまに俺のことからかって遊んでるよね?」
「やだなあ、私はいつでも真面目だよ、レンレンくん」
「ちょっ、ナナセって呼んでもレンレン呼びしてくるのは約束違うだろ!」
俺が声を張ると、ちっちっ、と何度か見た仕草で彼女は指を振った。
「命題『ナナセでなければレンレン』が真の場合でも、その裏の『ナナセならばレンレンではない』が必ずしも真とは限らないじゃん?」
「文系のプロが理系みたいなこと言い始めた……」
「べつに作家が文系とは限らないけどねー」
そう言ってうそぶく口調すらも、弾むように楽しそうで。
ちなみに、授業中の様子をチラチラとうかがっている限りでは、彼女に苦手な教科があるようには見えなかった。やっぱり、「天は二物を与えず」なんて大嘘じゃないかと思う。
「……それで、何だっけ? 何のお誘いだっけ」
まさかデートの誘いなんてことはないだろう、きっと軽く持ち上げて落とす魂胆なんだろう……なんて思いながら尋ね返すと、次の瞬間、彼女はいつになく真剣な目になって、思いもよらないことを告げてきた。
「うん、ちょっとね……私の彼氏になってほしいんだよね」
「……へぇぇえぇ!?」
どん、と自分の背中が壁にぶつかる硬い感触がした。
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