第4話 ナナセでいいよ
「だからっ、だからさあ、それが謎なんだけど」
必死に平静さを装って声を絞り出す俺の前で、美少女は露骨に「きょとん」という顔で首をかしげてきた。
「謎なの? なんで?」
「……だって、おかしいだろ。
自分で言ってて情けなくなるが、事実そうなんだから仕方ない。彼女は仮にも有名レーベルから本を出してるプロ作家で、俺は何の実績もないワナビ崩れなわけで……。その上、小説投稿サイトのアカウントも一年以上前に消してしまって、今は何も書いていないのに。
それなのに、彼女はなおもマイペースに声を弾ませ、こんなことを言ってくるのだ。
「理由ならあるよ。創作沼の中にいると感覚バグっちゃうけど、リアルだと、小説書いてる人ってすっごく珍しいんだよ?」
「……まあ、それはそうだろうけど」
「そんな珍しい道を行く二人が、同じ学校の同じクラスで出会ったんだよ。これって一つの運命じゃない?」
「いや、いやいやいや。そんな簡単に運命とか言うもんじゃないって……」
俺が顔の前でぶんぶんと手を振る、そんな仕草さえも彼女には愉快に見えてしまうのか、美少女は変わらず目元に笑みを浮かべている。
というか……。文芸部だと名乗ったわけでもないのに、それどころか教室で言葉を交わしてすらいないのに、どうやって彼女が俺のことを突き止めたのか、それが不思議でならないんだけど……。
「私も、部員一人の文芸部で黙々と執筆してたクチだからさー。その寂しさはわかってるつもりなんですよ、部長さぁん」
両手を後ろに組んで、美少女が再びすいっとディスタンスを詰めてくる。まっすぐな上目遣いから思わず目をそらすと、今度は胸の膨らみが目に入って、俺はちぎれんばかりに首を横に振った。
「……そ、そうなんだ。ていうか、藤谷さんってどっから来たんだっけ」
やっとのことで会話のボールを投げ返す。
彼女がふふっと笑って告げたのは、関東から遠く離れた西のほうの県名だった。どっちが鳥でどっちが島だかわからない、大体そのあたりの地名だ。……桃太郎ランドと平和公園って、どっちが右でどっちが左だっけ。
「あー、一応言っておくけど、桃太郎ランドって実在しないからね?」
「!? なに、俺の思考が読めるの!?」
「会話パターンの蓄積が豊富なのだよ」
「へ、へぇ、さっすが、作家先生は違いますわ……」
俺がさりげなく後ずさったところで、彼女はブレザーのポケットから取り出したスマホに目を落とし、「むぅ」と一人で残念がるような声を出した。
「残念だけど、私そろそろ行かなきゃ。もっと親睦を深めたいのはやまやまだけどねー」
「……はぁ。彼氏と約束でもあるの」
「だーからー、居ないって言ってるじゃん。そうじゃなくて、編集さんと打ち合わせなの。作家先生は多忙なのでありますよ」
俺の皮肉めいた呼称をも余裕で拾い上げて、高校生作家はわざとらしく嘆息してみせる。
よかった、とりあえず今日のところは逃げ切ったか――と思った矢先、彼女はテレビのリモコンか何かのようにスマホを俺に向けて突き出し、またも驚くべき一言を告げてきた。
「というわけで、ライン交換しよっ。それでパソコンのアドレス教えるから、そこに
「えぇ、なんで!?」
「なんでって、流石にラインで十万字超えのテキストは送らないでしょ」
「いや、そこじゃなくて!」
思わず突っ込んでしまうが、俺の内心は動揺でそれどころじゃない。
小説うんぬん以前に、こんな美少女とライン交換なんて、それこそ作家デビュー以上に俺には遠い世界のことだと思っていたわけで……。
俺がまたしても心臓を押さえている内に、彼女は長机に伏せてあった俺のスマホを目ざとく取り上げて、狼のフリー素材のロック画面をこちらに向けて突き出してきていた。
「はーい、ラインの画面出してー」
「えぇぇ……」
身に余る誘いを強く拒むこともできず、結局俺は彼女に言われるがままラインを起動し、あれよあれよという間に友達登録を済まされてしまった。
ローマ字で「Nanase」という表示名に、女子高生らしい素顔の自撮りアイコン。……素顔っ!?
「ちょ……ま……」
吸い寄せられるようにそのアイコンをタップし、少しばかり拡大された自撮り画を凝視してしまった俺を、一体誰が責められるだろうか。
こことは違う制服に身を包み、教室らしき空間の窓際で陽光を浴びて、絶世の美少女がマスクなしの素顔で俺に微笑みかけている。ほんのりと赤みの差した端正な頬に、ぷっくりと健康的な唇……。小さな画像からでも十二分に伝わってくる美貌に俺が息を呑んでいると、いつの間にか実物がすぐ目の前に立ち、じっと俺の目を覗き込んでいた。
「眼福かね? 少年」
「……は、はぁ、それはもう」
「ほんと、ヘンな世界になっちゃったものだよねー。クラスメイトでも互いの素顔を知らないなんて」
「……ああ、俺のアイコン、自撮りじゃなくてゴメン……」
緊張と興奮に飲まれて謎に謝ってしまった。すると、彼女はイタズラっぽい目で自分のマスクのフチに手をかけ、「直接見たい?」なんて俺をからかってくる。
「いやいやいや、それは彼氏かなんかが出来たら見せてやって!」
「えー、無欲だなあ」
「……分をわきまえてるだけだって」
両手に彼女の著書とスマホを持ったまま、俺が胸を押さえてはぁっと息をつくと、彼女はひとまずのミッションは果たしたとばかりに満足そうな顔になって、するっときびすを返してスクールバッグを取り上げていた。
「じゃあ、あとでパソコンのアドレス送るから、夜までに小説送っておいてねっ。楽しみにしてるからー」
「……いやー、藤谷さんのお眼鏡に適うかどうかは……」
気付けば小説を見せること自体は既定路線になってしまっている丸め込まれぶりに、自分でもびっくりする。この子、作家より探偵より新興宗教の教祖か何かに向いてるんじゃ……。
と、そこで、「ノン、ノン」と人差し指を振りながら、教祖様もとい美少女作家様の一言。
「ナナセでいいよ。私のことは」
「……いやいや、いやいやいや。いきなり下の名前でとか呼べないから!」
「そう? でも、ホラ、私は作家としてキミに挨拶したんだからね?」
俺の手の中の著書を指差して、彼女はにこっと笑った。そこにはクールなフォントで「
「……あ、あぁ、ペンネームのほう!?」
「お望みなら、下の名前のつもりで呼んでくれてもいいけどー」
「望まないって! ていうか、なんで実名とペンネームが同じ音なんだよ!」
「んー、だって、親から貰った名前は大事にしたいし? キミだって、
「っ!」
図星を突かれて俺は固まる。ラインのアイコンも狼の画像だし、言い逃れはできそうにない。
「おっと、ゴメンねオオカミくん、ほんとにもう行かなきゃ。またあとで、作品の世界でねっ!」
最後にちょっと気取った言い回しを残して、彼女――
嵐のようなひとときが去って、俺の手に残ったのは、新品の文庫本と、生まれて初めて親戚以外の女子の連絡先を映したスマホ。
「……夢でも見てんのかな、俺」
頬をつねるには片手を空けないと……なんて下らないことを思ったところで、たたたっと忙しなく廊下を駆けてくる足音に続いて、ガラッと扉の開く音。
「センパイっ! あ、あの美少女作家がここに来てたってホントですか!?」
この部室のもうひとりの住人――親戚なのになぜか俺をセンパイと呼ぶ、
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