50. Heart and Soul 前編

『トロッコ問題』とは、人命救助のために、他者の命を犠牲にしても良いのか?という疑問を投げかける倫理学的りんりがくてきな問題のこと。

 複数の人が、加速して止められないトロッコの先にいる場合、レールを切り替えることで彼らを助けることが出来る。

 しかし、切り替えたレールの先には、一人の人がいる。

 複数の人を助けるために、一人を犠牲にするか。

 それとも、何もせず成り行きを見守るのか。

 しかし……


 ◇◆◇◆◇◆



"フォックスオードリー"


 世界に厄災やくさいを振り撒く黒い太陽。

 世界の滅亡か、それともトールの命か。

 そんな選択、出来るはずがない。


「ふむ…あの太陽から、混沌こんとんれ流されているようだ。バグゼクスの言う通り、このままでは世界は滅ぶだろう」


 アンサードラゴンなんて呼ばれる、アスモダイの言葉だ。

 信じたくなくても、説得力が絶大なんですが。


「何とかならないのか?ブレスでアレをぶっ壊すとか、バグゼクスを引っ張り出して倒すとか」


「目に見えているようで、この次元とは位相いそうがズレている。物理的な攻撃では破壊できない。奴もまた、別の次元へと身を隠したようだ」


「じゃあ、世界が滅ぶのを、このまま見てろってのか!?あんたドラゴンだろ!何か手は無いのか!」


「落ち着け。まずは何が起きているかを、仲間に説明することだ」


 仲間に…それはトールに残酷ざんこくな選択を突きつけるということ。


「お前に出来ないのなら、私が教えてやろう。いいかタスク、事態は世界が滅亡するほどの規模となった。一人で戦おうとするな。誰もが誰かを必要としているのだろう?」


 かつて、アスモダイ戦った時に言った台詞。

 だとしても、それを聞いたトールが何を考えるかなんて。


【アスモダイは現在の状況を説明した】


 淡々たんたんと説明していくアスモダイ。

 この事態を引き起こしたのは俺だ。

 何一つ、言葉が出てこない。


「異世界人?時々、妙に世間知らずなトコがあるって思ってたら、タスクは異世界から来た人間だったのか!早く言えよな!」


「道理で…やることは…いつも無茶苦茶…異世界人ってのは…納得だな…」


 俺が異世界人だと分かっても、プラリネとハーディアスはあまり驚いていない。

 情報量の多さに、リアは言葉を失っているが。


 問題なのはトールだ。


「うーん、そっかそっか。今起こってる現象は、私が原因ってことなんだね?」


「その解釈かいしゃくで間違いない。変革へんかくの申し子を抹殺まっさつすること、それがバグゼクスの目的だ。そのために、全世界を天秤てんびんにかけてきた」


 アスモダイめ、もう少し優しい言い方はできないのか。

 これじゃトールがいるから世界が滅ぶって言ってるようなものだ。


「そっかぁ……じゃあ、私が命を差し出せば、世界は助かるんだね。タスクも元の世界に帰れるし、全部丸く収まっちゃう、うん!」


「っ!?…なに言ってんだ、お前!!世界を救うのに、自分が犠牲になろうってのか?そんなのダメに決まってるだろ!!」


「アハハ、タスクは絶対そう言うと思った。でもね、良く考えてみてよ。ドラゴンさんの話が本当なら、私って14年前に死んじゃってるんだよね」


 願いが叶った7日後、バグゼクスは変革の申し子を世界から取り除く。

 それがどうしたわけか生き残り、今になって再び命を狙われている。


「死んでないだろ!ここにちゃんと生きてんじゃねぇか!」


「いいんだよ、世界が救われるなら。みんなが生きていけるなら。私はね、タスクと会ってから、全部の願いが叶ったんだ。だから…だから生きてほしい。タスクの未来が、私の最後の願い…だから」


「バカヤロウ!泣いてんじゃねぇか!怖いって言えよ!助けろって言えよ!そんな悲しい期待で人の未来を願うんじゃねぇよ!」


「わかってタスク!世界にとっても、タスクにとっても、これがきっと一番の選択…」


 二つしかない選択肢、世界かトールか。

 いや、世界が滅ぶなら、トールが助かっても意味は無い。

 くそ!なんでいつも、トールばっかり辛い目に合うんだ。


狼狽うろたえるな、ニンゲンどもぉ!!」


「「ひゃい!!」」


 ドラゴンの一喝によって、背筋がピンと伸びる。

 冷静な物言いをするアスモダイには珍しい大声だ。


「ふむ、ちょっと言ってみたかった台詞だ。ビックリさせてしまったな」


 空気読めや爬虫類はちゅうるい

 こっちは大事な話をしてんだ、大事な話を。


「だが私は、その娘を死なせるために、全てを話したのではないぞ?良く考えてみろ、奴は我々にはばまれたとは言え、その娘を殺せる場面がいくつかあったはずだ。ではなぜ、こんな回りくどいことをするのか。七日という期間の意味」


「それは…今までも願いを叶えて七日後だったから…」


「既にその慣例かんれいは破られている。その娘は生きているのだからな。冷静に分析すれば、奴に娘を殺す力が無いということだ」


「な!……なんだと?」


「封印から解かれたばかりで本調子ではないはずだ。更に作り出した異次元を一つ、ブレスによって破壊している。あれだけ強固な空間を作るには膨大ぼうだいな力がいる。当然、激しく消耗しているはずだ」


 俺はバカだ、奴の言うことを正直に信じ込んでいた。


「バグゼクスは…力が回復するのを待っている?」


「時間を与えているようで、実は時間を稼いでいる。そうは思えないか?そしてその時間が、奴にとっての弱点ではないか?」


「でもでも!その間に世界中で天変地異てんぺんちいが起こるって!色んな所で、被害が出ちゃうんじゃないの?」


 アスモダイに詰め寄るトール。

 そうだ、世界の法則はもう乱れている。


ただちに災害規模の偶然が起こるわけではない。それが出来るなら、七日間も待ったりはしないだろう。ただ、全てを救えるとは思うな。世界の危機なのだ、多少の犠牲が出るのは仕方のないことだろう」


「そんなの!出来るわけないよ!誰かが犠牲になるくらいなら…」


「そうか…では、私がその役を変わってやろう。娘が生きる方を選択するのなら、あの太陽から放たれる偶然力は、私が命をかけて抑え込む」


 驚いた、最強の生物がトールのために命をかけようってのか。


「あの太陽を何とかできるのか?でも、命って…」


「あれがエネルギーの塊であるならば、この肉体を捨て去り、ドラゴンの超自然的な霊体を解放して包み込めば、無効化できるはずだ。だが、その間も奴の力は大きくなる。長くは持たない」


「ダメ!絶対にダメだよ!ドラゴンさんが消えて、それでも世界の終わりは来るんでしょ?そんなの嫌だ!」


 トールの言う通りだ。

 天変地異は防げても、アスモダイが消えれば太陽は落ちてくる。


「永遠を生きるドラゴンと言えど、滅ぶことはある。だが勘違いするな、助けてやるわけではない。私の意思でニンゲンの未来を見ていたいだけだ。それと、私をサンショウウオと呼んだ、初めてのニンゲンの友……それだけだ」


「ドラゴンさん……ありがとう。覚えてないけど、きっと私の初めての友達」


 アスモダイは尻尾でトールを撫でる。

 なんだ、この胸に込み上げるものは。

 誰かが死ななきゃ…いや、それでも収まらないのか。


「俺は…無力だ!こんな時に何も出来ず、震えることしか…」


「タスク、聞けタスク。次元を操る力は、神が与えしもの。バグゼクスにあらがうということは、運命に抗うということ、神にそむくということだ。奴と戦う覚悟を持つならば、修羅しゅらの道を行くことになる」


「修羅の……これ以上、俺に何が出来るんだ。何も思いつかない」


「まだ何も始まっていない。放っておけないのだろう?助けたいのだろう?奮い立て!考えろ!記憶の隅から隅まで探るのだ。お前が何をすべきか」


 何だ?俺が出来ることが何かあったか?

 バグゼクス、変革の申し子、世界の法則のズレ。

 どれも俺の手に負える話じゃない。


「奴との会話を思い出せ、奴はなぜ過去に娘の命を奪わなかった?いや、奪えなかったのだ。何かが邪魔をしていたはずだ」


 そうだ、バグゼクスは俺とノートとブラフマン、三つに分けて封印されていた。

 あったのだ、バグゼクスを封印する方法が。

 いたのだ、奴と戦った者が過去に。


「グリモワールだ!」


「探せ、バグゼクスもお前も、過去にフォックスオードリーにいたはずだ。必ずここに何か手掛かりがある。世界が終わる前に、何としても見つけ出すことだ」


 この戦い、逃げ出すわけにいかない。

 過去との因縁に、決着をつけなければ。

 そして、まとわりついてくる呪縛じゅばくから、トールを解放してみせる。


【未来への希望が生まれた】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る