ネットも携帯も無い時代に

月之影心

ネットも携帯も無い時代に

 皆さんは『ペンフレンド』というのをご存じですか?


 今で言えば『メル友』に相当するでしょうか。

 『メル友』は『メール友達』を略した言葉で、文字通り『メールだけでやり取りしている友達』を指します。


 『ペンフレンド』は、『ペンでやり取りする友達』……即ち『の手紙だけでやり取りする友達』の事です。

 日本語にすれば『文通友達』ですね。


 手紙のやり取りになりますので、1往復やり取りするだけでも一週間近く掛かります。

 メールのように『今日はいい天気だね』なんて送っても、手紙が届く時の天候がどうなっているかなんて分かりませんし、今書いて送った気持ちが、手紙が届く頃に変わっている事だって有り得ます。


 相手が何を思い、どんな言葉を返してくれるのか……やきもきしながら今か今かと返事を待つのが苦しくもあり楽しくもあり。




 現代のように、あらゆる事が目まぐるしく変わる時代ではなく、一つの事柄をじっくり考える時間のあった時代……厳密に言えば実際に会ったところから始まりましたのでペンフレンドと言えるかどうか微妙なところですが……今回は今から35年程前の、とある『ペンフレンド』のお話です。




**********




 僕は神戸かんべ正也まさや

 高校3年で大学進学を考えている受験生です。


 大学を考えていると言いつつ勉強は得意ではありません。

 どの教科も平均点前後……学校の先生からは五教科の合計点で420点以上が国公立のボーダーラインと言われていましたが、残念ながら過去の模試でも最高で380点くらいしか取った事はありませんでした。


 頭の方はさっぱりでしたが、高校3年の今まで皆勤賞、1年からずっと部活で弓道を続けて3年では主将を務めましたし、2年生の時は生徒会副会長として学園祭や体育祭で学校を盛り上げ、3年生の1学期はクラス委員長を務めました。


 要するに、学校の成績と対を成す評価基準である『内申点』はかなり稼げていまして、所謂『指定校推薦』の枠に推して貰えるという特典を得られていたのです。


 そこで僕が学校の掲示板で目にしたのは、中部地方にある某国立大学。


 当時の国公立大学の一般入試は『共通一次試験』と呼ばれた今で言う『センター試験』みたいなのを受け、その点数に応じて各大学毎に実施する『二次試験』に挑むというスタイルが一般的でしたが、その大学の推薦入試は小論文のみという、五教科の苦手な僕にとっては打って付けです。


 内申点は『4.0以上』とありました。

 これも僕は『4.3』だったので問題ありません。

 後は学校が僕に受験資格を与えてくれるかどうかです。

 指定校推薦というのは、大学側から人数を決められているので何人でも送り込むというわけにもいきません。

 学校としても出来るだけ優秀な子を送って来年以降も安定的に指定校として認めて貰う必要がありますので、例えば、僕が受けたいと言っても僕以上の内申点を持つ子が受けたいと言えば、学校はより内申点の高い方に受けさせます。


 担任に申し出ると、数日経ってから『受けて来い』と受験の権利をくれました。


 まぁ、受験科目が小論文というだけで、やる事は普通に入試と同じです。

 朝受験会場である大学へ行き、試験を受け、終わって帰る……みたいな。

 さして面白い事も無かったのでここは割愛します。




 僕の人生が動いたのは、その受験の帰りの事でした。




 正直、こんなに大勢の人が受験するとは思っていなかったので、この中から選ばれる可能性は低いなと思いながら、沈んだ気持ちで帰りの電車に乗る為に駅に向かっていました。

 トボトボと歩いていて、ふと前を歩く子が試験会場で僕の前の席に座っていた子だと気付きましたが、僕と同じく肩を落としてトボトボと歩いているように見えました。


「お疲れでした。」


 僕はその子の横に並ぶと同時に声を掛けました。


「え?あ……お疲れさま……でした……?」


 そりゃいきなり知らない人に声を掛けられたらそんな反応になります。


「あ、ごめんね。実はさっきの試験で後ろに座ってたんです。」

「あ~そうだったんですね。」


 世が世なら不審者扱いされそうなものですが、当時は普通にしていればそんな事も無かったです。

 僕の格好が一見して受験生だと分かりそうな姿だったからかもしれません。


「機嫌良さそうですけど手応えあったんですか?」

「まさか!もう1枚目からお手上げでしたよ。あまりに手応え無さすぎて笑わずには居られない感じです。」

「なるほどね。私も全然手応え無くて……何か落ち込んじゃいそうです。」

「気にするなって言うのは無責任でしょうけど、気にしてももう提出しちゃってるので結果は変わりませんから。」


 弓道も同じです。

 弦から放たれた矢の軌道は、自分の意思で変える事は出来ません。

 矢を放つ直前までにどれだけ努力したかで決まるのです。

 まぁ、僕自身は今回の受験に関して取り立てて何か努力をしたわけでは無かったので、最初から手応えなんてあるわけはない……なんて言うと担任や両親に怒られそうですが。


「それもそうですね。えっと……関西方面に帰るんですか?」

「え?よく分かりましたね。」

「ふふっ。イントネーションで分かります。」

「あ~……僕、地元の言葉って何処行って誰と喋っても変えられないんですよ。」

「いいじゃないですか。私も関西方面なので安心しました。」


 僕はそこで初めて彼女の笑顔を見ました。

 可愛かったです。

 目がとても綺麗だったのは今でも忘れられません。


「関西方面なら、名古屋から新幹線?」

「そうですね。と言っても名古屋からはこだまで二駅ですけど。」

「ごめん……全然土地勘が無いのでどの辺りか分からない……」

「彦根ですよ。」


 彦根と聞いて『彦根城』ではなく『佐和山城址』が真っ先に浮かんだ僕は歴史大好き少年でした。


「彦根かぁ……いいなぁ。」

「いいんですか?琵琶湖くらいしか無いですよ?」

「住んでいるといい所って見なくなるんです。まぁ僕が住んでいる所もいい所はいっぱいあるけど、いい所って思ってくれるのって県外から来た人ばかりです。」


 それから少しだけ滋賀県関連の歴史うんちくを語りながら、僕と彼女は大学から坂を下った所にある駅に着きました。


「もし邪魔じゃなければ一緒に帰りませんか?」

「え?」

「僕も名古屋まで行ってそこから新幹線ですし、一人で電車に乗り続けるのも退屈なので……」


 彼女は口に手を当ててクスクスと笑っていました。


「な、何か可笑しい事言いましたか?」

「いえ。人生で初めてナンパされちゃったと思ったので。」

「なっ!?あっ……いや……」


 僕のしていた事はナンパだなんて思っていなかったので、驚いて言葉を失ってしまいました。


「えとっ……その……気を悪くしてしまったのなら謝ります……」

「とんでもない。私こそ4時間近く退屈せずに済みそうなので、お邪魔じゃなければ話し相手になってください。」


 僕は同じ大学の受験をした子に意図せずナンパをしてしまっていた事を恥ずかしく思いましたが、災い転じて何とやらと言うので、照れ笑いをしながら同行してもらう事にしました。




 大学の最寄り駅から電車に乗り、松本駅から名古屋へ向かう特急に乗り換えるまでは多少ぎこちない会話しか出来ませんでしたが、乗り換えて席に座ってから色んな話をしました。


 住んでいる地域の話、学校の話、部活の話、家族の話……自己紹介の30倍くらい自分の事を話し、彼女の事を聞きました。


「あの……」

「どうしたの?」


 1時間くらい色んな話をしている間に何とか打ち解けて、お互い同い年なのに敬語はおかしいとなってきた頃でした。


「これだけ話したのに、お互い名前知らないね。」

「あ……」


 2人で声を上げて笑いました。

 自己紹介以上に自分の事を喋っていたのに、お互い一度も名乗っていなかったのです。


「僕は神戸正也。『神戸こうべ』と同じ字で『かんべ』って読むんだ。」

「私は北川きたがわ博美ひろみ。北の川に博識で美しい。」

「博美ちゃんね。でも自分で言うかそれ。」

「いいじゃないの。自分でくらい言わせてよ。えっと……」


 博美ちゃんは僕の顔をじっと見ていました。


「な、何?」

「何て呼べばいいのかなって思って。」

「あ~、友達は『まさや』とか『まさ』とかって呼ばれてるよ。」

「じゃあ『まさくん』で。よろしくね。」


 学校ではクラスの女子に『まさくん』と呼ばれる事もあって慣れていたと思っていたけど、博美ちゃんに呼ばれた『まさくん』は何だかドキドキしました。

 腕時計をちらっと見ると、あと30分程で名古屋駅に到着します。

 名古屋駅で新幹線に乗り換えたら、博美ちゃんの降りる米原駅(って言ってた気がします)までも30分くらいだそうです。

 つまり、博美ちゃんと話が出来るのはあと1時間くらいになっていました。


 名古屋に着くまでは、お互いの名前で呼びながら再び色んな話をしました。

 名古屋駅で乗り換えて新幹線に乗り換えましたが、残念ながら座る事が出来なかったのでドアの傍で並んで立っていました。


「あと20分ちょっとだね。」

「まさくんと喋ってたからあっという間だったよ。」


 博美ちゃんの少し疲れてはいるけど明るい声が、僕の胸をちくちくと刺激していました。

 このまま博美ちゃんが新幹線を降りたら、もう二度と会ったり話したりする事が出来なくなる……そう思うと何だか急に寂しくなってきました。


「あ、そうだ。」

「どうしたの?」

「もし良かったらだけど、住所教えてくれない?」

「住所?そりゃ構わないけど……」

「手紙書きたいな。」

「え?」


 願っても無い申し出でした。

 この後も博美ちゃんと繋がっていられると思えて、僕の寂しい気持ちは幾分和らいだ気がしました。


「も、勿論、と言うか大歓迎!ちょっと待ってね。」


 僕は鞄から手帳を取り出すと、お世辞にも綺麗とは言えない字で住所と名前を書くと、そのページを破って博美ちゃんに渡しました。


「ありがと。その手帳借りていい?」

「うん。」


 手帳を博美ちゃんに渡すと、博美ちゃんは手帳の空いたページに住所と名前を書き込んでくれました。

 僕よりは綺麗で読みやすい字でした。


「ありがとう。僕も手紙書くよ。」

「うん。待ってる。」

「え?僕が先なの?」

「え?いや、別にどっちが先でも……じゃあ先にちょうだい。」

「何だそれ。まぁいいか。じゃあ帰ったらすぐ書いて出すよ。」


 米原駅に着くまで、僕と博美ちゃんはずっと話し続けていました。


 やがて米原駅に到着し、博美ちゃんは新幹線を降りて僕の方に振り向きました。


「まさくん、お喋り付き合ってくれてありがとう。凄く楽しかった。」


 博美ちゃんの笑顔がとても眩しかったです。


「うん。僕も人生で一番楽しい時間だった。」


 少し目頭が熱くなっていました。


「大袈裟過ぎる!でも、私もそれくらい楽しかった。」


 発車のベルがホームに響きました。


「手紙書くから。」


 博美ちゃんは笑顔のままうんうんと頷いていました。


「届いたらすぐ返事書くね。」


 ベルが止んでドアが閉まります。


「ホントありがとう!」


 ドアの窓から見える博美ちゃんは笑顔で何か喋っていましたが聞こえませんでした。

 新幹線がゆっくり発車していき、博美ちゃんが後ろに流れていきました。

 見えなくなりそうになった時、博美ちゃんが手を目の辺りに持っていったのが見えたような気がしましたが、一瞬だったので定かではありません。




 翌日、学校の帰りに文房具屋さんに寄って封筒と便箋を見て回り、割とカッコ良さそうなレターセットを見付けて買って帰りました。

 ついでに郵便局に寄って切手を10枚買いました。

 お小遣いが少なくなっていたので厳しかったです。

 家に着くとすぐに部屋に入り、レターセットを開けて手紙を書き始めました。




 前略 この前はありがとうございました。

 退屈な移動時間がとても楽しい時間になりました。

 お互いあの入試については触れませんでしたが、実際どうでしたか?

 今日学校で担任と話をしてこんな事を書いたって報告したら「そっかぁ」と残念そうに言われたので多分ダメでしょう。

 気を取り直して受験勉強頑張ります。 草々




 そんな内容を書いて何度も読み返し、2回折り畳んで封筒に入れました。

 封をして切手を貼り、明日登校途中のポストに入れようと鞄の中に仕舞い込みました。




 ポストに投函して一週間程して博美ちゃんから返事が届きました。




 前略 こちらこそありがとうございました。

 私もまさくんと楽しい時間が過ごせて嬉しかったです。

 入試の方は私も多分ダメです。

 正直に言うと、実は小論文って本当に苦手なんです。

 先生が「練習だと思って」って受けさせてくれたんですけど、あれではうちの高校の指定校を取り消されちゃうんじゃないかとそちらの方が心配です。

 元々本命は他の大学なので、合格しても困っちゃうんですけどね。

 まさくんはどこの大学狙ってるんですか?

 また教えてくださいね。 草々




 手帳に書かれたのと同じ読みやすい文字が薄い緑色の便箋に並んでいました。

 僕は手紙を手に取ってから読み終えるまで、終始顔がにやにやしていたように思います。

 何だかよく分からないけど、ガッツポーズをしていた覚えもあります。


(これで博美ちゃんとまだ繋がっていられる!)


 そう思ったからでしょう。




 それから僕と博美ちゃんは交代で手紙のやり取りを続けました。

 ある時は受験の事、ある時は趣味の話、ある時は家族の話……特急に乗っている時にしたような話もありましたが、それでも手紙を書くのが楽しく、返事が届くのを心待ちにし、届いて歓喜しながら返事を書く……というのが続きました。


 あ……例の推薦入試は、僕も博美ちゃんも不合格でした。

 不合格を教えてくれた時の博美ちゃんの手紙は、随分とあっけらかんとしていました。

 『親と先生には悪いとは思うけどやっぱり本命狙いたいから』

 みたいな事を言っていました。


 大体、手紙を送って返事が戻るまでは一週間くらいだったでしょうか。

 10回程やり取りをする頃にはお正月になり、手紙とは別に年賀状を書いたりもしました。

 勿論、博美ちゃんからも手紙と別に年賀状も届きました。


 受験本番となる1月下旬でも手紙のやり取りは続いていました。

 試験前最後に博美ちゃんからの手紙が届いたのは、確か共通一次試験の前日だったと思います。


 『あと3日で共通一次!緊張してきた!』


 文字が躍っているようなハイテンションな書き方だったので笑ってしまいました。


 『この手紙が届くのは共通一次の前日頃かな?お互い頑張ろうね!』


 誰の言葉よりも励まされました。




 2日間の試験を終えた翌日、学校で自己採点をしましたが、第一希望にしていた大学の点数には僅かに足りませんでした。

 担任は『受けるだけ受けてみろ』と言うので受ける事にはしましたが、共通一次の失点はかなり厳しいです。


 家に帰って博美ちゃんに手紙を書きました。


 『ちょっと点数足りなかった。第一希望厳しいかも。』


 何とも情けない、頼りない手紙になっていました。


 博美ちゃんから届いた返事は、


 『そういう事もあるよ。でもそれが全てじゃないでしょ?諦めちゃダメだよ!』


 と、僕を励ましてくれる文字が並んでいて、改めて博美ちゃんと手紙をやり取り出来て良かったと思いました。


 結局、第一希望の大学は予想通り不合格でしたが、親が『浪人は許さない』みたいに言っていたので、大阪の私立の大学を受けて合格しました。




 進路も決まり、4月から大学生となる前の春休み。

 一人暮らしを始めたアパートに、博美ちゃんとやり取りした手紙たちも一緒にやって来ました。

 部屋が片付いて最初にやったのは、博美ちゃんに返事を書く事でした。




 前略 大学入試お疲れ様でした。

 家から通うのは難しいので実家を離れて一人暮らしになりました。

 新しい住所は下に書いておきます。

 今のところ親のうるさい声も無いので平和ですが、これから生活の全てを一人でしなければならないと思うと不安もあります。

 でも、博美ちゃんに手紙で勇気をもらっているので頑張れそうです。

 博美ちゃんの方はどうですか?

 また色々聞かせてください。 草々




 今までより少し間は空きましたが、10日程して博美ちゃんから返事が届きました。

 大学の入学式の日でした。




 前略 入試お疲れ様でした。

 って、手紙が届く頃はもう大学生になってるかな?

 私も一人暮らし始めました。

 実家からでも通えなくはないんだけど、国立受かったら一人暮らしさせて貰える約束でしたからね。

 実家からまさくんの手紙が届いてるって教えてもらってさっき受け取りに行っていました。

 新しい住所、了解です!

 私も下に新しい住所書いておきます。

 あ!今度ドリカムのコンサート行って来ます!

 それでは! 草々




 ドリカムはあんまり詳しくなかったけど、博美ちゃんがドリカム大好きって言っていたので結構聴きました。

 因みに僕は『爆風スランプ』が好きでした。




 定期的に博美ちゃんとの手紙のやり取りを続けてそろそろ1年になります。

 博美ちゃんから届いた手紙も50通近くになっていました。

 大学は特に変わった事はありませんでしたが、ある日掲示板に大学祭の告知が貼り出されていて、何とあのドリカムがライブをすると書かれていました。

 さすが私大だなぁと感心しつつ、うちの大学祭に博美ちゃん呼んだら喜んで貰えるんじゃないかと思い、手紙で誘ってみることにしました。


 『うそ!?行きたい!大学の学生じゃなくても入れるの?』


 興奮が直に伝わって来そうな返事が届きました。

 僕は念の為と思い、講義に出た帰りに掲示板の所に立ち寄って告知を隅から隅まで読みましたが、どこにも『部外者入場禁止』とは書かれておらず、それでも万全を期する為に実行委員の部屋を訪ねて確認しました。

 いかにもイベント好きそうな人が『チケットさえ買ってくれれば誰でも入れる』と教えてくれ、その場で2人分のチケットを買って帰りました。


 帰った僕は早速『部外者OK』の旨を手紙に認め、『一緒に見よう』とチケットと一緒に封筒に入れておきました。


 『嬉しい!絶対行く!まさくんに会えるのも楽しみ!』


 返事に、待ち合わせの場所と時間を書いた時は手が震えて上手く書けずに何度も書き直しましたが、博美ちゃんが喜んでくれているのを読んでほっとしました。


(博美ちゃんに会えるっ!)


 1年振りに再会出来る喜びは、多分自分史上最高の盛り上がりだったと思います。

 僕は当日着て行く服や靴を買いに行きました。

 まだ2週間くらい先なのに理髪店へ行って調髪して貰いました。

 何故か部屋も大掃除しました。

 とにかくテンション上がりまくりでした。




 大学祭の前日、僕はまともに眠れませんでした。

 まるで遠足前日の小学生のように、興奮して全く眠気が来ませんでした。

 明け方になって少しうとうとしましたが、朝6時にセットした3つの目覚まし時計が部屋の別々の場所から一斉に鳴って完全に目が覚めました。

 2週間前に買った服を着て、髪を整えました。

 博美ちゃんとの待ち合わせは午後1時だと言うのに、上がりまくっていた僕のテンションは落ち着かず、朝8時にはもういつでも出られる態勢になっていました。


 昼前になってお腹が鳴って、ようやく少し落ち着いてきました。

 棚からカップラーメンを出して来てお腹を落ち着かせました。

 食べ終わって時計を見るとちょうど12時だったので家を出ました。

 学校までは歩いて10分も掛かりません。


 待ち合わせに伝えてあった大学の正門に着いた僕は、正門横の壁にもたれながらポケットから先日届いた博美ちゃんからの返事とライブのチケットを出して眺めていました。

 大勢の学生や部外の人が笑顔で正門をくぐって行きます。

 大きな紙袋を持ち、紙袋の口からキラキラした何かが飛び出たまま入って行く人も居ます。

 カップルが多いなぁと感じていました。

 博美ちゃんが来れば周りからは僕たちもカップルに見えるのかな?なんて事も考えていました。




 待ち合わせの時間の20分前。

 博美ちゃんはまだ来ていません。

 僕は相変わらず壁にもたれて目線を右へ左へと落ち着きなく動かしていました。




 10分前。

 パタパタという足音が聞こえてそちらを見ましたが別の子でした。

 同じように正門前で待ち合わせをしていた彼氏らしい人を見付けて、笑顔で僕の前を横切って行きました。




 定刻。

 博美ちゃんはまだ来ていません。

 多少時間には余裕を持たせてあったのでそのまま待っている事にしました。




 15分経過。

 まだ姿が見えません。

 そろそろ僕も焦りだしていました。




 30分経過。

 やはりまだ来ません。

 何かあったのでしょうか?

 しかし連絡の取りようがないので待つしかありません。




 50分経過。

 あと10分でライブが始まってしまいます。

 チケットを渡しているので先に入っているのかもしれないと、僕は一旦ライブ会場に向かいました。

 しかし、きちんとしたホールのように席が決まっているわけでもなく、所狭しと大勢の人が居る中で博美ちゃんを見付けるなど不可能に近いです。

 僕は再度待ち合わせの場所に戻りました。




 ライブが始まりました。

 博美ちゃんは姿を現しませんでした。

 僕はそれでも博美ちゃんを信じてその場で待つ事にしました。




 会場になっている講堂からは微かな低音の響く音と歓声が聞こえてきます。




 ライブが終わりました。




 博美ちゃんは姿を現しませんでした。




 大勢の人が興奮しきった顔や声で正門から出て行きます。

 僕はその中に博美ちゃんが居ないだろうかと、次々と流れて来る人の顔を見ていました。




 博美ちゃんは居ませんでした。




 僕は未使用で終わってしまったライブのチケットをポケットに捻じ込むと、とぼとぼと家に帰っていきました。

 勝手に涙が溢れて頬を伝い落ちていました。

 部屋に着いて、ポケットから博美ちゃんの返事を取り出して目を通しました。




 前略 チケットありがとう!

 絶対に行くね!

 B大の正門前に13時!了解しました!

 ドリカムも楽しみだけど、今はまさくんに会える方が楽しみになっています。

 手紙でずっと話してきたけど、やっぱり直接会って話したい!

 まさくんの手紙でいっぱい元気貰って、私の中ではまさくんが一番のお友達!

 だから、再会した時、嬉しくて抱き付いちゃっても許してね(照)

 あ~今から楽しみで楽しみで楽しみで……抑えが効かなくなりそうなのでこのへんで。

 当日、まさくんと会えるのを楽しみにしています! 草々




 流れ終えたと思っていた涙が再び零れ落ちました。


 ひとしきり泣いた後、僕は便箋とペンを出して博美ちゃんに手紙を書きました。




 前略 何か急用でも入っちゃいましたか?

 体調を崩したとかでなければ良いのですが。

 会えなかったのは残念だったけど、次の機会を楽しみに待っています。

 僕も、博美ちゃんに会いたいです。 草々




 その後、博美ちゃんからの返事は届きませんでした。




 『ペンフレンドの 二人の恋は 募る程に 悲しくなるのが 宿命 ……』

 (爆風スランプ『大きな玉ねぎの下で』より)



 爆風スランプは大好きだけど……歌詞の登場人物にはなりたくなかったです……。




**********




 現代なら、スマホで割とリアルタイムに近いコミュニケーションを取る事が出来ますが、当時はそんなものはありませんでしたので、こうした待ち合わせをして会えなくても連絡の手段はありませんでした。


 しかし、いくらリアルタイムコミュニケーションが可能となっても、突然連絡が取れなくなる事はあります。


 そんな時、貴方ならどうしますか?

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