第26話
太陽は少し西に傾き、あたりに咲く野原を照らす。暑くもなく寒くもなく春の陽気に包まれたこの地で、俺たちは向かい合ってレジャーシートの上に腰を下ろしていた。
「ふぅ……ごちそうさま」
手を合わせて馴染みの言葉を発する。
その前には、一滴も残っていないスープ皿があった。
昨日の晩に作ってアイテムボックスにしまっていた二人分のスープを、イチジクに取り出してもらって一緒に食べたのだ。
「いやぁー昨日作ったのに、その時のままアツアツで出てくるとはな……」
アイテムボックスの中は時間が止まっており食べ物を入れても腐敗は進まないと聞いていたが、実演を見せられるとやはり驚いてしまう。
「確かにアイテムボックスも凄いですが……」
俺の前に女の子座りをしたイチジクがチラリとこちらに目を向ける。
「マスターは鍋蓋になる前はシェフでもしていたのですか?」
「は? いや、学生をやってたぞ?」
「では……マスターの作った料理が街の料理よりはるかに美味しいのは何故なのですか?」
「あー、前にゴブリンに学んだんだよ。反面教師ってやつかな」
俺の言葉に、イチジクは眉をしかめて首を傾ける。
まぁ、何言ってるか理解できないよな……俺の今世、波乱万丈すぎだし俺も何してきたのかよく分からん。
「まぁ、それは気にするな。それよりさっさと行くぞ」
左手を支えにして立ち上がる。イチジクも深く聞く気は無いのか、片付けを始めた。
大きく伸びをしながら、遠くを見る。
「にしても、ペイジブルまで遠いな……徒歩で行く距離じゃ無いだろ」
「仕方ありません、王都より北側にはほとんど村しかありませんから……馬なんて出してもらえませんよ」
「そうなんだよな……」
しかし俺たちが今から行くペイジブルはそんな村々を超えたさらに先、そこで一山越えた所にある。
イスト帝国のまさに辺境、他の町との繋がりもなければ、別に何か特別採れるものがあるわけでもない獣人たちの町。もはや形だけがイスト帝国のものとなっている独立した所なのだ。
「ヴェリテ王は馬車を出すとか言ってたけど、あの王に貸しは作りたくなかったからなー」
ヴェリテ王の悪巧みした顔が頭に浮かぶ。あの人は人徳もある素晴らしい王らしいのだが、人の心を見てそれを弄ぶ習性がある。
そこで、気になったことをイチジクに尋ねてみた。
「でも、やっぱり謎だよなぁ……なんで反乱を起こすだけの旨味のない場所なのに、イスト帝国はそこを維持しようとするんだ?」
聞くところによると、イスト王国の最北がペイジブルで、その先には始まりの森とかいう森があるだけと聞いた。他の国との国境でもないなら、切り捨ててもいいような気がする。
「確かに、捨ててもいいとする意見も多いそうです」
イチジクはそんなことを言いながらスキル【アイテムボックス】を発動する。
両手を前で合わせて合掌し、両手の平をつけたまま右手だけを九十度回転させて、アイテムボックスの鍵を開く。そのまま両手を離していくと、その間に浮いている小さな黒い塊が出てきた。これがかの便利すぎるスキル、【アイテムボックス】なのだ。
「ですが、ペイジブルに隣接した始まりの森は、エルフの住む人族未開の場所なんです」
「なるほど、もしかしたらそこに知られざる資源が眠っているかもしれないから、手放したくないのか」
イチジクはその通りです。と言いながらアイテムボックスの中に魔術で洗浄済みの鍋と器を入れていく。
「ほんっと、面倒だよなぁ〜」
いくら領主になれるといっても、働くのは嫌だ。家で素敵な奥さんとダラダラして一生を過ごせるならそれが最高なんだが……
どうやら、この世界はそれを許してくれないらしい。
「ほら、行きますよ。嘆いて時間を無駄にしたところで何の足しにもなりませんから」
そう言ってアイテムボックスを閉じたイチジクは俺の少し前を歩き出す。
心の底からそんな危ないところ行きたくはないが、ここで駄々をこねたところで意味ないよな……
そうして歩き出した時だった。ため息をつきながらイチジクの方に向かう俺の耳に、イチジクの声が届いた。
「マスター、気をつけてください。何か向こうから来ます」
少し緊迫感を帯びたその声に、俺はすかさず言われた方に目を向ける。すると、確かに俺たちの進む方向、荒々しい道の先に何か動くものが見えた。
「……なんだ? 魔物、ではないみたいだが」
遠目でよく見えないが、人の形をしているようだった。真っ黒な鎧を着ているようで、時々太陽に照らされて体全体が不気味に光っている。
「このあたりに行商人でもない人間が向かうことなどほとんどありません。警戒を」
イチジクの台詞を聞いて少し手のひらが汗ばむ。言われてみれば、イーストシティの次にある大きな町を超えてからほとんど誰ともすれ違っていない。いるとすれば、血気盛んな魔物の類くらいのものだ。
イチジクも右手のメイドグローブを外し、戦闘に備える。
俺は戦闘に向いていないんだ。頼むから争い事は勘弁してくれよ……
真っ黒な鎧との距離が次第に狭まってくる。近くになるとよくわかるが、全身鎧で性別も不明、ただその禍々しい黒い鎧は凄まじまい威圧感を発していた。何より目立ったのは、その背後に抱えた人ほどのサイズの巨大な鎌だ。
ガチャリ……ガチャリ……
鎧のかすれる音が聞こえる距離にまでなった。下を向きながら小さな声でつぶやく。
「イチジク、任せた……」
俺はイチジクを壁にして、自分が黒鎧から離れた方を歩く。
「マスター……」
鎧との距離が残り数歩にまで迫った。
落ち着け、このまま素通りするだけだ。なぁに、大したことはない。別に鎧を着ているからというだけで戦うことなどありはすまい。
俺は目が合わないように若干下を向きながら歩く。確かに見た目は俺よりデカくて威圧的だが、人とすれ違うだけの話だ。
もうすぐすれ違う…………
そして俺たちは何事もなくすれ違った。
ふぅ……特に警戒する必要もなかったな……
そう気を緩めた瞬間だ。
「そこの人間……この辺でバトルホースを見なかったか?」
イチジクのものではない女性の声が後ろから聞こえた。
俺が思わずその場に立ち止まると、隣でイチジクも静止する。
この場には黒鎧と俺たちしかいないし、そのままスルーするわけにもいかず、俺は口を開いた。
「バトルホース……かどうかは分からんが、さっき馬の容姿をした魔物の群れを倒したから、それかもしれん」
「そうか……それは、残念だ」
てか、この鎧やっぱり女だよな!? てっきりガチムチのおっさんかと思ってたわ。
いかつい鎧の下から聞こえる儚げな声に驚いてしまう。
にしても、はぁ……いかに困ってるって感じだな。
「マスター、ペイジブルの町に行きたくないからといって、現実逃避していてはダメですよ」
突然、隣にいたイチジクが小声で俺に忠告してきた。
「まだ何も言ってないだろ?」
「言わなくても言おうとしていることはわかります」
こいつはとことんエスパーだな。
俺は体を半回転させて黒い鎧の方を向く。そこにはさっきまで前が見えていた黒い鎧の背中と、巨大な鎌があった。
男だったらスルーしていたところだろうが……
「で、なんでそんな魔物を探してるんだ?」
俺は彼女に関わってみることにした。もし俺が手助けになれるならなってやろう。逆に無理なら無理で、それは諦めてもらうが……
隣からイチジクのため息が聞こえる。
こいつ……俺だってやりたくてやってるわけじゃないんだぞ?
ただ、ちゃんと積める時に積まないとな……善行
面倒で面倒で面倒くさすぎるが、己の将来のために偽りであっても、善行をしなければならないのだ。
どうせやるなら女の子のためになりたい。
しかし、黒鎧は俺と関わる気がなかったようだ。
「いや、初対面の人間に言うようなことではない。忘れてくれ」
相手もちょっとバトルホースとかいう魔物の存在について聞いてみたかっただけなのだろう。俺の話しかけたことに驚いたようだった。
しかし、俺は折れない。
「まぁ、そんな固いこと言わずにさ、困ってるんだろ? 相談してみろって」
黒鎧は俺の言葉に、後ろ姿を見せていた体をこちらに向けた。
「なぜだ……? なぜ、協力しようとする?」
「え、そりゃあ……あんたが女だったからだ」
女の人が困っていたら助けるのが男ってもんだろ……
などと言ってみたが、これは理由の30パーセントくらいだ。その本心は、ペイジブルに行きたくないからだ。
争いばかりの町など、誰が好き好んで行くものか……
例の黒鎧が呆れたように話し始める。
「貴様、そんな考えだと、いつか後悔するぞ?」
「後悔なら、一回死んだときにすでにしたよ」
「は……? 貴様、何を言ってるのだ?」
「もう、分からないならいいからさ、教えろって」
「ええい、鬱陶しい。もう、私は行く」
すこし大きめの声でそう言うと、彼女はまた体の向きを変えて、進み始めた。
それを見た俺は、過ぎゆく黒鎧とは反対の方を向いて口を開く。
「あれぇーー、あそこにいるの、バトルホースじゃないか?」
これは嘘だ。だが、黒鎧の目的はどうやらバトルホースという魔物だ。
黒鎧はカッコつけて去って行こうとしているが、いくら見え見えの嘘でも、その真偽を確認しようと思えば、俺たちの方を向かなければいけない。
黒鎧の足が止まる。しかし、体は去りゆく方を向いたままだ。
「あぁ、このままじゃ逃げそうだな」
「マスター……」
もうちょいかと、追い討ちをかける俺に、イチジクが呆れたような声を出してくる。
「あ、あーー、もう、あーー、逃げちゃうな」
俺はチラリと黒鎧の方を見る。
すると……
「どこだ……」
そうポツリと呟いた黒鎧は、体をまたこちらに向けて、スタスタとこちらに歩いてきた。
「案外簡単に釣れたな」
俺の真横までたどり着いた黒鎧は、吹っ切れたように大声を出す。
「どこにいるのだ! バトルホースは!」
まんまと引っかかってくれた黒鎧を見て思わずにやけてしまう。
そして、当たり前のことのように俺は言う。
「え? 何のことだ?」
「な、何のことって……」
「もしかして、俺の独り言を聞いてたのか?」
「独り言……!? 貴様と言うやつは…… バカにするのも大概にしろ!!」
すると、黒鎧は両手を開いて、自らの鎧を見せびらかしながら言った。
「ふっそうか……もう、相手をするのが面倒くさい。早速だが、貴様には私に話しかけたことを後悔させてやろう」
そこで黒鎧は少し時間を置いた。
後悔させるって……何をするつもりだ?
何か黒鎧の周りの空気が変わったのを感じる。
彼女は俺とイチジクの目の前で言葉を紡ぐ。
「こうなれば、貴様らには、私の正体を教えてやろう……」
な、なんだこの緊迫感は……そんな聞いたことを後悔するくらいすごい正体なのか? 神か? 鬼か?
黒鎧の出す独特の雰囲気に俺は思わず身構える。
そして、表情の見えない鎧の奥から意を決した声が聞こえた。
「私は……魔族だ!!」
「な、な、なんだってー!」
ひとまず驚いた俺は、冷静になって前に立つ黒鎧を見る。
「……って、一応驚いては見たものの、それがどうしたんだ?」
困惑する俺に横からイチジクのフォローが入る。
「マスター、普通人族は魔族を嫌う、もしくは恐れるものなのですよ」
あぁ、確か前にそんなこと言ってたな。ここに来るまでゴブリンだったり半魔族だったりと、いろんな存在と時を過ごしてきたからなんとも思わなかった……
その時、俺の反応を見た前の鎧の中から、女性の声が聞こえてきた。
「お、お前……魔族が恐ろしく……妬ましくはないのか?」
俺は正直に話すことにする。
「あぁ、正直なんともない。へーそうなのかって感じだ。なにより俺だって鍋蓋だし」
俺のそっけない返事に前の鎧が目に見えてたじろぎつつも、俺の最後の一言にはキョトンとしていた。
「そうなの……か……そのような人間もいるのだな」
だから、鍋蓋だって……
そうは思っても、いちいち訂正しない。
「あぁ、そうなんだ。で? なんでまたそんな魔物を探してるんだ?」
「はぁ……貴様……」
ため息を一つついた彼女は、あまりに俺がしつこかったからだろうか? ポツリポツリと俺の質問に答え始めた。
「実は……私はデュラハンという種族なんだ」
デュラハン!? あの首なし騎士のことか?今は首を手に持ってはいないみたいだが、まさか本物に会えるとはな……
一人興奮しながらも、俺は黙って話を聞く。
「我々の種族では、『馬』を見つけることが出来たら、一人前として認められるのだ。要はこちら側で言うところの通過儀礼のようなものだ」
ほぅ……確かに俺もデュラハンといえば馬に乗っているというイメージがある。
片手に頭、もう片手に武器を持てば手綱が握れないけど大丈夫なのか?……と言う疑問が若かりし頃の俺を眠らせなかった。嘘だが。
「なるほどな、それでこんな人族の領土にまで……でも、デュラハンたちはみんなこんなところまで来るもんなのか?」
デュラハンの数は知らないが、それらが一斉に来たら人族たちの町がえらいことになりそうだ。
すると、彼女は静かに首を横に振った。
「いや……そんなことはないぞ。普通は魔族領で見つけてしまうものだからな」
「じゃあ、なんでこんなところまで?」
「そ、それは……」
ここでデュラハンは言い淀んだ。言いにくい事情でもあるのだろうか?
すると、それを見かねたイチジクがため息混じりに口を開いた。
「はぁ……黒騎士、マスターに話してみてください。この人は物凄く頼りないですが、ほんの……ほんの少しなら信用に足る人物ですよ」
「おい……それは俺を褒めてるのか? 貶してるのか?」
「さぁ? 自分の仕事もこなさないまま、人の問題ごとに首を突っ込むマスターのご想像にお任せします」
あぁ、エスパーじゃない俺にもわかる。これは後者の方だ。バカな俺を蔑んでるやつだ。
俺をマスターとよぶ毒舌付喪神のセリフに傷ついていると、ようやく前の黒鎧が喋り始めた。
「まぁ、ここで会ったのも何かの縁か」
ツンツンした性格かと思ったが、そんなこともなかったらしい。俺の質問に簡単に答えてくれた。
「……私が一人だったからだ」
ん……?
自分の耳を疑う俺に、彼女は続ける。
「魔族領の馬型の魔物は強力だから、普通は何人かのチームを組んで、捕獲するのだ。だが、私は……」
「分かった、分かったからもう何も言うな」
俺は目頭を押さえながら右手のひらを突き出して、デュラハンの言うことに待ったをかける。
チームが組めなかったから、一人でも倒せるであろう魔物のいる人族の領土にまではるばるやってきたというわけか……
その一人のスタンスが、学校に通っていた頃の自分と重なる。
「俺もそんな経験をしたことがある。なぁに、それを恥じる必要はないんだ! あの仲間内でワイワイしてる連中は、所詮烏合の衆に過ぎない。俺のもといた世界には鶏口牛後って素晴らしい言葉があってだな? 集団の端くれになるよりは……」
拍車がかかる俺の力説に、イチジクが待ったをかける。
「マスター、己の恥ずかしい過去はどうでもいいです」
「……どうでもいいことないだろ!? 俺は今、哲学を話しているんだぞ?」
「あー、はいはい、分かりました。それで、結局、このデュラハンに何を言いたかったのですか?」
そこで、ようやく俺の前に立ち尽くす黒騎士の存在を思い出した。
「ああ、そうだった……おい黒騎士! 馬は俺がいっしょになって探してやる!!」
俺は力強く宣言した。隣でイチジクが本日数回目になるため息をつきながら空を見上げているが、そんなもの知ったこっちゃない。
すると、前の騎士が胸に手を当てて俺に質問を投げかけてくる。
「正直言うと、私は素直に嬉しい……が、本当にいいのか? 何度も言うが私は魔族……人族とは相容れぬ関係なのだぞ」
「だから、そんなもん関係ないって」
「関係ない……か」
「ああ、むしろ俺はこれまで一人で行動してきたお前に賞賛を贈りたいくらいだ」
こいつを肯定することは、当時の自分自身を肯定しているようで、気分が良かったのだ。
「なにより俺だって、面倒ごとから逃げるためにお前を利用するんだし」
俺は手を前に出してこう告げた。
「じゃあよろしく頼むってことでいいな? 俺はシルドーだ」
「……私の名前はフェデルタ。呼び捨てで構わない……よろしく頼む」
黒鎧……フェデルタはそう言うと、出した俺の手としっかりと握手をした。
その後、フェデルタはちらりと俺の隣に佇むメイド姿のオートマタの方を見る。
「こうなってしまった以上仕方ありませんね……私の名前はイチジク。そこのお人好しの従者です」
そう言いながらイチジクもフェデルタの方に手を伸ばした。
「あぁ、よろしく」
すると、フェデルタの冷たい鉄の手は俺の手からほどかれ、アンのもとへと向かった。そしてしっかりと握手する。
「よし、自己紹介も済んだところで、フェデルタ……は、次どこ行くか目処は立っているのか?」
訳のわからんペイジブルとかいう場所に行ってそこを治めるより、デュラハンな女の子を助けた方が何倍もやりがいがある。
もしペイジブルと正反対に行けと言うのならば、喜んでそれに従うだろう。
そんなことを考える俺に、フェデルタは続ける。
「そうだな……ここから北にしばらく行ったところにある『始まりの森』とか言うところにでもいこうかと……」
「え……北?」
それってもしかしても、もしかしなくてもペイジブルの先にあるエルフが住む森のことだよな……
「フッ、マスター……どんまいです。運命と思って受け入れてください」
イチジクがいやに楽しそうにこちらを見る。
「なんだよ……結局ペイジブルには行かないとダメなのか……」
じゃあ、面倒ごとに面倒ごとが増えただけじゃないか……
西日が照りつける中、一人の男のつぶやきが穏やかな草原の中に風となって消えていった。
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