第20話




「うっ……酒臭いな」




ギルドの館内はすでにカオスな状態だった。上半身裸で踊っているもの、机に突っ伏して寝ているもの、大声で歌っているもの……ただ、顔を真っ赤にしている点は誰も変わらない。




「おおっ! ようやく主役が来たか!! ほらこっちだこっち! っていうか、どうしたんだその髪!」



ジャニーだ。すでに酔いが回っているのだろうほのかに顔が赤く、わははっと大笑いしている。




こいつら、街の見回りとかいいのか?



そんなことを考えていると、俺はジャニーに肩を組まれ、そのままテーブルに連れていかれた。



後ろから、アンがせかせかとついてくる。





「ほら! 二人とも飲め飲め!!」


「お、おう……」




そう言ってグラスに並々と注がれたビール?のような飲み物を勧められる。



アンも初めて見るのか、それを見てキョトンとしていた。





俺は、アンからジャニーに視点を移す。





「お前、そんな酔っ払って大丈夫なのか?」





リーダーとしての威厳とか、あったもんじゃないぞ?





すると、彼はジョッキ片手にしゃっくりをした。




「……ック、いいんだよ! 今日は無礼講だ!! 酒飲んで、美味いもん食べて、楽しむ!」




いつになく上機嫌なようだ。だが、こういう所でうまく息を抜くことが大切なのだろう。






「まぁ、ほどほどにしとけよ?」




そんなことを言いながらも、俺も一杯と、酒を口に持っていったとき……





首に何者かの腕が絡まった。





ジャニーとは反対側から手を首に回されたようだ。





同時に、左側からの生暖かい息が、俺の耳をくすぐった。





……うわっ酒臭! 今度は誰だ?



モブCか? それとも他の……





俺と肩を組むのは誰なのかとすぐさま確認する。




すると、そこには空のグラスを持ち真っ赤な顔をした……




アンがいた。






俺はたまらず酒を置いて、アンを見る。




「アン!? おま、一瞬で全部飲み干したのか?」





そういえば、アンはすごい大食いだった気もするが、酒までそんなことになるとは。


やっぱり、ずっと森と牢屋で過ごしてきたんだ、酒なんて知るわけもないか……






アンは、顔を赤く染め上げ、艶のある唇をゆっくりと動かす。



「……ヒック…………シルドーさまぁ……

ック、ちゃんとこれ、のんれるんですかぁ〜?」




ちょっと! 近い! 近い! 近い! 近い!




完全に出来上がってるようだ。体全体をスリスリしてくる。



いや、女の子にされてるし、嬉しんだがな?




しかし、なにぶん彼女いない歴イコール前世プラス今世な男だ。免疫がない分、嬉しさよりも緊張が勝る。






極力距離を取ろうと、右側による……と、何やら硬いものにぶつかった。



ジャニーの肩だ。



「おう! いい飲みっぷりじゃないか! アン殿!!」





くそ、酔っ払いどもに挟まれた!!





その時、左の酔っ払いが目を潤ませながら、俺の首をぐっと引き寄せてきた。






「ック……うるさいれすよ筋肉。あたしはいま、シルドーしゃまとお話ししてるんでしゅ」



こいつ、口悪くなってないか!?




「ガッハッハッ……こりゃあ失敬失敬!」





ジャニーも笑って許すな! 自警団イーストシティ支部のリーダーだろ!?





「聞いてるんでしゅか? もう! あたしは怒ってるん……ック……すよ?」




机を反対の手でバンバン叩く音が聞こえる。どうやら我らが半魔族様はお怒りのようだ。





俺は黙って話を聞くことにする。以前イチジクに言われたのだ、こういう時は黙って聞けと




そして、彼女は酒を追加しながら話し始める。




「もう! いつだってシルドー様はやしゃしすぎるんです! そのせいで私、すごいワガママな子になっちゃいます!」




そういえば、昨日そんなこと言ってたな……


遠い目をした俺は、もはや何を言われても受け流す姿勢になっていた。






彼女は続ける。





「ック……どんな時だって私のことを考えてくれて、変わりたいって願望だってほとんど叶っちゃったじゃないでふか! 私はもっとシルドー様と一緒に……」





なんか、こう言ってくれるのは嬉しいが、すこしアンの将来が不安になってきた。




こいつ、ちゃんと俺がいなくてもやっていけるよな?






しかし、そんな思いを知るよしもないアンは、二杯目となるグラスを飲み干した。その潤んだ目が俺の目をじっとりと捉える。






「どうやらまだまだ話さなければいけないようでしゅね」



え……まだやんの? これ……








それからかなり長い間アンのお説教という名のじゃれつきは続いた。





「ふぅ……正直、ここまでのことは望んでませんでした!! この責任とってくだしゃいよ!? 私はワガママな子なんで……しゅ」





最後にはそれだけ言うと、糸の切れた人形のように顔を突っ伏した。まだむにゃむにゃ言っているが、寝言だろう。








ようやく解放され、固まっていた身体が柔らかくなる。




「はぁ……今後アンには酒を飲ませられないな」





そのモチのようなほっぺをプニプニすると、にへらと顔を歪めた。





幸せそうだな……





アンの寝顔に俺まで幸せな気分になってくる。








彼女が寝たのを確認したとき、反対側から声がした。




「ん? アン殿寝ちまったのか!? まだまだだなぁ〜〜」




さっきまで大人しかった自警団のリーダーがグラスを片手に話しかけてきたのだ。




ああそうだ、酔っ払いはもう一人いたんだ……





俺もグラスを片手にジャニーの方に顔を向ける。こっちもこっちで幸せそうに頬を緩めていた。





「あんまり大きい声だすなよ? ようやくこのお口が閉じたんだ」




相変わらずプニプニしながらジャニーに予め伝えておく。




「ガッハッハッハッ!! 分かった分かった!!」





いや、だからそう言うところだってば……

相変わらずのジャニーっぷりにため息が出る。





「それで? 明日からペイジブルに行くんだろ? ちゃんとやっていけそうか?」





こいつ、俺の心配をしてるのか? この世界で初めて見た時はただのガキンチョだったのに……




思わずクスリと笑ってしまう。俺はまたチビリと酒を飲んで相談する。





「俺はただの一般人だぞ? 無理に決まってるだろ」





すると、ジャニーはその端正な顔立ちを驚きの色に染めながら笑うのだった。





「シルドー! それは面白い冗談だな!? ルビィドラゴンを倒して、あんな攻撃にも耐える男が一般人?」





「……ん? 違うのか?」






いや、そう言われれば、たしかに普通ではないかもしれない。



うん。普通に普通じゃない、か







「はぁ……面倒くさいことになった」



とにかく、こうなってしまった以上、今はなにより情報が欲しい。





俺は、ほとんどの表情筋を機能させずに問う。






「なぁ、ペイジブルについて教えてくれないか? なんで俺が治めることになったんだ?」





どうやら真面目な話だと感じ取ったらしい。ジャニーはさっきまでの酔っ払いの顔から自警団の顔に変わる。





「ま、気になるのも当たり前か。ペイジブルはここから北に徒歩で……そうだな、数十日の距離にある人口千人足らずの村……いや、昔はそれなりに人口がいたから町だったか? 種族はなんとほとんどが亜人種! 軽く聞いたと思うが、前領主が悪政を行なってな? 一ヶ月前、その前領主はルビィドラゴンの噂を聞いて怖くなって、有り金持って逃げ出したんだよ」






え……ってことはまさか






その続きは、イチジクが簡潔に述べられた。







『はい、ペイジブルを治めることは、間違いなくルビィドラゴンの後始末になりますね』







ですよねぇ……ルビィドラゴンのせいで前の領主は逃げ出したんだもんな




『なら、やるしかないか……』




しかし、今の話の中には俺にとっていい話もあった。





亜人族の方が多い街……この世界に来てから亜人種はまだアンしか見たことないし、その点はワクワクする。






そんなことを考えているうちにも、ジャニーの話は続く。





「んで、今ペイジブルには領主は無し、最近はこのまま独立する! って声ばっかりでな? どういうわけか、最近は一層貧相な町になっちまったらしいぞ? ヴェリテ王も何度かその貧困の原因を調べるための調査員とか、新しい領主を送ったんだがな……」





調査員は調べる前に、住人たちに、こんな貧乏なのはお前たちイスト帝国のせいだ! と相手にもされず追い出されたらしい。





他にも、新領主には酷い嫌がらせを行って来たのだという。


ペイジブルに住む亜人種はみんな人族ほど知能が高くなく、住人たちもその貧困の原因がわかっていないようだ。







一連の流れを聞いて思うことはただ一つ……






「それ、かなり野蛮でやばい町じゃないか! やっぱり無理だって!! 無理無理無理!」






 だってどうやれば治められるんだよ! 



 手っ取り早いのは武力で無理やり言うことを聞かすことだろうが……俺武力とか無いし!



 防御力高くても攻撃力0だし! ……それに、仮に武力で治めたとして、貧困問題とか解決できるわけないし? 原因とか分かんないし!!







しかし、それでもジャニーは笑ってこう言うのだった。






「はっはっは! ヴェリテ王が一目で大丈夫と言ったんだぞ? なら大丈夫だ!! あの人、王の間に誰も入れてなかったろ? あれはな、全てを見通してしまうからなんだ!」






ヴェリテ王は見たいと思えば全ての人の思考が見えるらしい。すると、わかってしまうそうだ……人間がいかに愚かで浅ましいか。


ジャニーいわく、そんな王が初対面の人にものを託すなんて初めてだそうだ。







しかし、それならなおさらわけがわからない。あの王様は分かったはずだ。俺のこの自分本位な性格を……







俺は、その結果導き出される答えを示す。



「いや、たまたまルビィドラゴンを倒したのが俺だったってだけの話なんだろ?」






すると、ジャニーが俺の方を見て目を細めた。






「シルドーが破壊した家あるだろ? 実はあれな、もともとルビィドラゴンを倒した人間に褒美として与えるはずだった豪邸なんだぞ?」



「……えっ!?」






ってことは、俺が壊してしまったからペイジブルなる町の豪邸を与えられたってことなのか?


 


俺はそのままジャニーに聞いてみる。






「いや、もしお前がシルドーじゃなかったらあの家を復元してそれを与えただろう。つまり、だ。ペイジブルはお前だから託されたんだ! シルドー……誇りをもて」





俺は思う。



いや、何を根拠に……





しかし、これだって俺を励ましてくれてるんだろう。いちいち指摘することでもないし、素直に受け入れとくか。





「そうか……ジャニー、色々助かった」



「よせって! それとこれは個人的なことなんだが……アン殿のこと、ちゃんと考えてやれよ? いつまでも一緒にいるってわけでもないんだろ?」





自警団のリーダー……いや、ジャニーは俺の目をじっと見た。こいつも本当に不器用な男だ。





俺は、そこで意を決してジャニーに相談する。





「…………実はジャニー、折り合って頼みたいことがある」







警備員ギルド、その端にある机で二人の男は話し合う。それはこの楽しげな場所にふさわしくない、いや、楽天的なシルドーという男には似合わない空気だった。






そして、三十分にわたる会談の結果……ジャニーが言う。







「そうか……そうと決まれば任せろ!」





もし、最後にジャニーのサムズアップで締めくくられたその会話を、隣で寝ているアンが聞いていれば、未来は変わっていたかもしれない。




しかし、その時アンは寝ていた……それが唯一無二の現実なのだ。




俺は、ジャニーの方を見て笑う。



「ああ、恩にきるよ……」










そこで、俺はもう一口酒を飲んでから、ジャニーに聞いておかねばならぬことを聞く。





「……ところで、お前はアンに惚れてるのか?」




ジャニーはアンに対して結構積極的に感じる。俺の気のせいかも知れんが……




とにかくこの男にならアンを託しても大丈夫だと思うのだ。







すると、ジャニーが隣で口に含んでいた酒を勢いよく吐き出した。





「な、何言ってんだ!? まさかシルドーからそんなこと言われるなんてな!! がはっはっ、安心しろ! 己の領分くらいはわきまえている!!」





そんな仕草を見て、俺は悪態を吐く。





ちっ……なんだ、このイケメン。


どこぞの鈍感キャラでも演じてるのか?





それともこいつ、自分がアンに一番好かれているって本当に知らないのか……





例の会話を思い出しながら、ジャニーに恋バナを持ちかける。





「ちなみに、ジャニーは初恋いつなんだ?」




「「……おぉ? 隊長の女の話ですかい?」」




先程までとの俺たちの雰囲気の違いに気づいたのか、自警団の酔っ払いどもが寄ってくる。



おい、お前らニマニマしてて、心底気持ち悪いぞ……







口には出さないがそんなことを思っていると、隣に来たモブCが話し始める。




「シルドーの兄貴! 聞いて驚くがいいっす!! なんと、団長の初恋は果物屋の……ぶふぇら!!」




前髪パッツンの男が、ごつい手に吹き飛ばされた。そのごつい手の男とはもちろんジャニーである。





ふっ、ザマァないなモブC……貴様はいつも余計なことばかり言うんだよ






しかし、それで場を盛り上げるのかモブCの役割なのだ。ジャニーは、仕方がないと言ったように、語り始める。





「ああ、笑うがいいさ!! 俺はな? 小さい頃、人妻の果物屋の姉さんに一目惚れしたんだ!仕方ないだろ!?」




その後もいかに人妻が素晴らしいか聞かされた。熟れ具合がいいだ、逞しさがいいだ……正直ジャニーの性癖について語られてもなんとも反応しづらい。





終わりそうにない話を、俺は無理やり終わらせる。





「はぁ……わかった、分かったよ! はいはい」








そして、俺はすぐさま席を立つ。



「じゃあ俺は用事があるから戻るぞ??」









三時間ほど経ったのだろうか?


もう夜の帳が下りており、外はもう真っ暗だ。





自警団の連中もあちこちで転がっており、椅子に座っていたのは俺とジャニーくらいなものだった。




ジャニーが椅子をこちらに回転させながら酒を飲む。





「おう? もう帰っちまうのか?」



「あぁ、ちょっと用事があってな?」



「そうか、これから先……大丈夫だと思うが気をつけろよ?」





本当に面倒見のいい自警団リーダーだ。そうか、ペイジブルに行くってことはこいつとはお別れか……





俺は、ムニャムニャとまだ何か言っているアンを椅子からひっぺがすと、アンの右手を己の肩にかけ、歩くように促す。





『おや、マスターここは、お姫様抱っこをする場面では?』



『……お前、俺のステータス知ってるだろ?』





俺ごときがそんなかっこいい事をすれば、腰をいわすに決まっているのだ。




俺は、アンに声をかけながらも、ジャニーたちの方を見た。





「あぁ、いろいろ感謝してるよ。じゃあ、ごちそっさん! 元気でな?」




別に今生の別れというわけでもない。徒歩でも十数日の距離だし、会おうと思えば会えるだろう。





そんな俺の挨拶に返すでもなく、ジャニーは手をヒラヒラと振った。





その表情は、また来いよとでも言っているようだった。







そして、俺は開始二十分で眠りについたお姫様に肩を貸し、自警団ギルドを出る。





煌びやかな街が見えた。





そういえば、ここしばらくは森の中とか胃の中ばかりで……





「こんな華やかな夜は久しぶりに見たな……」





そんな感慨に浸りながら、俺はアンのと含めて4本の足で、宿屋への帰り道をとぼとぼと、気ままに歩くのだった。












「ふぅ……ちゃんと布団かけて寝るんだぞ?」


「……むにゃぁ……」





俺はいまだに寝息を立てるアンをベッドに運ぶと、自分はそのまま扉の方へと向かう。





『おや……? マスター、彼女を襲わないのですか? 今ならやりたい放題できますよ?』




アンの部屋の扉を開けようとドアノブに手をかけた俺に、どこぞの付喪神が好き放題言ってくる。




はぁ……相変わらずうちの付喪神は毒舌女だな。




俺はそれに反論する。





『侮るなよ? 俺だって同意が得られない限りそんなことしない!』




いつだって俺は紳士なのだ。女性が嫌がることはしないと決めている!





しかし、それに的確な返しがくる。





『紳士は女性に自分がこれから食べる干し肉を舐めるよう強要なんてしませんよ』





……いやぁ? ちょっと何言ってんのかわかんないっす。





俺は己の分の悪さを悟り、聞こえていなかったことにする。いや、脳内で会話している以上、聞こえないということはないのだが……














俺は切り替えるように、廊下への扉を開いた。





「さて、じゃあ今日最後の仕事を始めますかね」




そして、俺はそのまま部屋を出て、隣の部屋に入った。この部屋は今俺が借りている部屋で、ちなみに言うとオートマタがベッドで寝ている部屋とも言える。





部屋に入ってロウソクに火を灯すと、ぼんやりと部屋が明るくなった。






「あぁ……魔術使えたら便利なのにな」






そんな愚痴をこぼしながら、俺はオートマタのもとまで歩いて行く。





そして、布団をめくると、その胸元へと手をかける。




その懐には、きっちりと行く前同様に、金が入っていた。





「よし、大丈夫みたいだな!」





俺は、そのまま確認したお金の袋を机の上に置くと、昼間にアンの服と一緒に買っておいたタオルを取り出した。




異世界のタオルは前世のものほど柔らかくはなかったが、魔力だけが発達した世界だ、仕方ないだろう。




「あっ、水を汲んで来ないとな……」





一人でそんなことを呟きながら、再び廊下に出て、宿の出入り口を目指す。





宿の外には自由に使ってもいいと言われた井戸があったのだ。





昼の間にそれを確認していた俺は、迅速にそこへ向かうと、水を取り出して、桶に注いだ。







一度くみ出すだけでも、大変な重労働だった。






普段使わない足腰が悲鳴をあげる。





「はぁ……井戸から水なんて初めて汲んだが、キッツイな……」





なんたって、俺の知ってる水は蛇口をひねれば出てきた。




こっちの世界の人はみんなこんな苦労をして……いや、違うか、みんな生活魔術で充分なのか……



俺だって魔術の一つや二つ、覚えたいものだ……






その後ついでに、井戸の水を使って水浴びをした俺は、桶いっぱいの水を抱えて自室に戻ってきた。







そして、一言呟く。




「よし、じゃあ……脱がすか」




『……は?』







一瞬イチジクの声が聞こえたような気もするが、気にするほどでもあるまい。




俺は、片手にタオルを持ち、逆のもう片方の手でメイド服を脱がし始める。




端正に作られたボタンを一つ……また一つと外していく。





すると、三つ目を外した頃に、はっきりとしたイチジクの声が聞こえた。





『マスター、これまでは冗談だと思って見過ごしてきましたが、これは流石に……違いますよね? 私の勘違いですよね?』




いつになくイチジクが必死だ。




無機質ながら慌てているようだった。




俺にこの行為を止めさせようとしてるのか?





だが、俺はやめない。





イチジクの言う事を、真っ向から否定する。




『何を言ってるんだ? 俺は本気だぞ?』





俺は、それをするのが当たり前であると、堂々と服を脱がし始める。









……が、またイチジクの聞いたことのない声がした。






『マスター、いくら経験がないからって……そんな……オートマタで散らすことないと思います……もっと自信を持ってください』






今までにはない、同情を含んだ声だ。







イチジクもとうとう俺を哀れむように……






「って、ちょっと待てぇい!!」






俺は近所迷惑などお構いなしに待ったをかける。




こいつは何を言ってるんだ? バカなのか? いや、変態なのか?






俺は、慌ててイチジクの誤解を解くことに努める。





『お前は変態か!? だから、そんなことするわけないだろ! 体を拭いてやるだけだ!』







まさか俺がこれからそんなことをすると思われていたなんて……さすがにオートマタは許容範囲外だ……とも言い切れない自分が嫌になる。





……いや、カワイイしありっちゃありなのか?







その時、イチジクの声でふと現実に帰る。




『……なるほど、そういうことでしたか、ならいいです。ですが、体なんて拭かなくても、起動すれば自分で勝手に綺麗にすると思いますよ?』







それはそうなのだろう。なんたって全自動人形のオートマタだ、自分の体を清潔にするぐらい一瞬だろう。





しかし……






『これはな、贈り物にするんだ。だから、流石に汚いままで渡せないだろ?』




俺の言葉に普段あまり感情を出さないイチジクが驚いたのを感じる。





『……プレゼントですか? それは、彼女……アンにですか?』







アンという言葉が少しだけ小さくなったように聞こえたが、気のせいだろうか?







はぁ……そもそも隠すことが不可能だったんだ。素直に話すか。






俺は、目を閉じて息を吐く。






そして、改めて口を開いた。






『いや、イチジク、お前にだ』





しばらくの静寂……





『私に……ですか?』





『ああ、もうバレたから伝えるけどな? いつもイチジクには感謝してる。こっちの世界に来て人間になって……いつも側で支えてくれたのはイチジクだ』




 ……なんて言ってはいるが、本心はもちろん別にある。



 俺がそんな何の得もしない善行をするわけがない。



 

 だが、そんなこと言う必要ないだろう。ここは、イチジクのためを思ってのことだということにした方が建前上良い。





『イチジクが付喪神だっていうのは俺も知っている。でも、イチジクには俺視点じゃない、もっと広い世界を見て欲しんだ』





イチジクは別にこんなこと望んでないかもしれない……でも、この感謝の心を形として伝えたかったのだ。




 なんて言葉もつけ足す。




 本当ったら本当だ。柄にも無いと思われるかもしれないが、本当なのだ。そこに邪な心などない。





俺の告白紛いなセリフに、ゆっくりとしたイチジクの返事が頭に響く。






『なるほど、オートマタに取り憑いて私が制御することで、こんな付喪神でも人のように動けるようになると……さてはマスター、このオートマタの暴走を止めるために私を利用するつもりですね』






『……やっぱり、バレてるか』



『はい。何日も離れることなく一緒にいましたから』





しかし、彼女は怒るでもなく優しい声をしていた。これまでの毒舌を吐いた者とは思えない優しい声だ。





『正直、私は今のままでも十分なのですが、ここはマスターの面子を立てておきましょう……ありがとうございますマスター』





よし、イチジクも納得してくれたか! 俺は腕をワキワキさせながらオートマタの服に手をかける。








その時だ。






イチジクから、ここまでの良いムードが全て破壊されるような衝撃の言葉が発せられた。







『マスター……まさかとは思いますが、私の目があるとヤラシイ事が出来ないからこんな提案をしたんじゃ、ないですよね?』





「ナ、ナニイッテルンダヨ」




……何かイチジクが言っているが、俺にはわからない。分からないったら分からない。





『ちちちち、違うよ? 何言ってんの? ほら、そんなことより体の隅々まで拭くんだから、集中させてヨ』





そうして、四つ目のボタンに手をかけた時、何か、確かにあったものが消えたのを感じた。




身体が何か物足りなさを訴えてくる。





こんな感覚は初めてだ……電話の通信が切れたような、何か繋がりが切れた感覚と言えばいいのだろうか?












「マスター、ここからは自分で拭くので出て行ってもらってもいいですか?」






それは突然だった。







さっきまではピクリとも動かなかったオートマタが、俺の持つタオルを握って、その感情を持たない目で俺の目を覗き込んだのだ。






俺は、思わず頭の中に問いかける。







『イチジクなのか!?』







しかし、いつものような声は聞こえてこない。




俺は、コホンと一つ咳をして、言い直す。







「お前……イチジクか?」







「……はい」





そうオートマタから空気中に発せられる声は、さっきまでは脳にしか響かなかったイチジクのそれだった。





オートマタは急に喋り出す。





「その通りですマスター、ついに私……喋れるようになったんですよ?」





美しいと感じた。さっきまでの無機質とは違う、確かに表情は薄かったが、それは確かに微笑んだ。




その完成された肢体が服を正そうと動く。ロウソク一本の暗い部屋に動く影は、艶かしくて、やはり美しかった。


メイド服が主人の肌を隠していく……この美を誰にも見せたくはない、独り占めしたいと言っているようだった。





なんだ!? さっきまではこのオートマタの肌を見ても、あんまり何にも感じなかったのに!!





己のこの感情に驚きながらも、目線を離せずにじっとオートマタを見ていると、それ……いや、彼女は目を細めた。





「マスター、いつまで私を見てるんですか……」




バ、バレてたか……





俺はそっぽを向きながら、慌てて弁解する。





「気のせいだろ?」



「気のせいでは……」




イチジクは、そこで何かに気がついたようだった。





「そういえば、私いま人に見られてるんですね?」



俺はその言葉に困惑する。



……ん? それはそうだろう。





「……あ、そういうことか」





少し考えれば、その真意は掴めた。



イチジクにとって、これまでは、もしアンがこちらを見ても、それは結局俺をを見ているわけで、決してイチジクという存在を見ていたわけではない。



それが、今やイチジク本人を見ていることに他ならないのだ。





俺は、再び目をイチジクに向けながら答える。




「そうだ、これからはみんなお前自身を見るんだ」




「……なんだか、奇妙な感覚です」







そういえば……


こうしてイチジクという存在がしっかりしたことは喜ばしいことなのだろうが、この行為に危険はないのか?




「イチジク……大丈夫なのか? なにか問題ないか?」





人々に不良品扱いされてきた機体だ。もしかしたら何か問題があるかもしれない。

例えば、急に爆発でもされれば、たまったものではない……俺が。






すると、イチジクは自分の体をペタペタと触ってみて、そのあとで腕を回しながら答えた。




「大丈夫……みたいです。ただ、一般的な人より心臓の動きが早いような……」




「なんだと!?」



それは問題かもしれない、もしかしたら時限爆弾的な何かが……





今すぐに原因を突き止めようとしたが、イチジクは割と平然としながら言ってのけた。





「マスター、心配いりません。少し身体を拭きたいので、出て行ってもらってもよろしいですか?」




俺の思考を遮るように、まるで俺が何を考えているのか分かっていたように彼女は言った。






「いや、でももし危険だったら!!」







その後、俺の言葉に「それを確かめるためです」と返してきたイチジクを信じて、俺は後ろ髪を引かれる思いで外に出た。










「ったく……俺がイチジクから離れることと時限爆弾、何の関係があるんだ?」



いや、時限爆弾だと決まったわけでもないのか……




あれから三十分くらいたっただろう。


俺はずっと部屋の前で待機していた。扉にもたれ、窓から空を眺め、うろちょろして、また扉にもたれる。はたから見たら頭のおかしい奴と思われかねない。





「大丈夫なのか……?」







すると、それに返事をするように、扉を開く音が聞こえた。




ガチャリ……




前世のものとは違う夜空の星の数を数えていたときだったので、慌てて部屋の方を見る。








すると、そこには埃の一つも付いていない、メイド服をしっかりと着込んだイチジクがいた。





「マスター、私の体に問題はありませんでした。ただ、このオートマタの身体も人と同じように感情に合わせて機能すると分かりました」





ん……? つまり怖い思いをしたら冷や汗をかくとか、悲しかったら涙が出るとかか?







今はそんなことどうでもいい。俺は、すぐさま尋ねる。






「結局どういうことなんだ! もしかして、やっぱり身体中に時限爆弾が埋め込まれてあって、爆発するのも時間の問題とか!?」




「いえ、いつの間にそんなことになってるんですか。私は大丈夫です」




「そ、そうなのか? まぁ、問題ないならそれを信じよう」






元気なオートマタ……いや、イチジクの様子を見ると、さっきまでの不安が嘘のように無くなっていく。




俺は、扉のドアノブをギュッと握りしめたまま離さないイチジクの手を、その上から握った。




そして、そのまま廊下へと引っ張り出す。





イチジクがよたよたと、部屋から出てきた。




「イチジク、どこか出かけないか? 店とかはもう閉まってるだろうが、お前の目でこの街を見てみろよ」




いつになく高いテンションで俺は提案する。なんだか、顔を知らなかった喋り相手が実は可愛かったみたいな状況に気分が上がった。




 これまでネットでしか会話をしたことがなかった匿名の相手が、リアルで会うと実はすごく可愛いかったような感じだ。





すると、イチジクは一言だけ言った。





「はい、それはいい提案ですね」






艶のある黒髪が月光に照らされて怪しく光る。頭の後ろで一輪の花のようにまとまったザ・メイドな髪型は、彼女の美しさを一層引き立てていた。

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