第16話


太陽もそろそろ真上に登ろうとしていだ頃、木々の間に舗装された道が見えてきた。恐らくこれを辿っていけば街に着くのだろう。




「人工物、見るの久しぶりだな……」



つい口から出た言葉に、少し後ろにいたアンが反応する。





「シルドー様はイーストシティに来たことがあるのですか?」





あっ、そう言えばアンには俺の正体も出身も言ってなかったな……





「いや、昔ちょっとこの辺まで来たことがあってな?」





そろそろ正直に話した方がいいんじゃないだろうか……そんなことを思いながらもタイミングを逃した俺は、また足を進める。






「にしても、アンちゃんは本当に力持ちだよな!!」



自警団の一人が言う。



「それに優しくて、可愛いしな!!」

同じく自警団のモブBあたりがそれに続く。





「……実は俺、アンちゃんに告……ぐはっ!!」




続こうとしたモブCが他の自警団に殴られていた。







ふっ、よくやった! お前ごときに俺の女神をやるわけないだろう!!







『いや、マスターのものでもないですよ?』




……ん? そんな些細な違い、どうでもいいじゃないか!





すると、集団の前を歩く俺の後ろ、アンの側でまた声が聞こえた。





懲りずにモブCが喋り出したのだ。




「じゃ、じゃあ! アンちゃんは自警団だと誰が好みなんすか!!??」





「モブCぃ……」




こいつ……聞きやがかった。ここまで誰も聞いてこなかった禁忌に触れやがった!!




ほら見ろ! 周りの自警団もソワソワし始めちゃったじゃないか!!




自警団は、リーダーもさることながら、平均年齢が低い。恋人や結婚相手のいない青年も数多くいるそうだ。





まぁ、俺は全然これっぽっちもソワソワなんてしてないけどな?





『マスター……なぜ突然髪の毛をセットし始めたのですか?』




イチジクが聞いてくるが、なんのことか分からない。




今更髪の毛をセットしたところで、何も変わらないだろうに……




そう心の中で言いながら俺は前髪を左に流す。ついでに、レザージャケットの襟を正した。




木漏れ日が、ちょうど俺にスポットライトを当てたように照りつける。コンディションは完璧だ。





さて……俺は少しアンに近づいて耳をすます。





周りで護衛をしていた自警団の皆が聞き耳を立てて、ドラゴン……もといドラゴンの下にいるアンに近づく。





しかし、そこから聞こえるのは欲しい答えとは別の言葉だった。




「好み……ですか? 私ごときが皆様を評価することなんて! おこがましくて出来ません!!」




相変わらずの反応だ。しかし、それを聞いたモブCはそれでも聞き出そうと躍起である。




「それでも、っすよ! アンちゃんは変わりたいんでしょ? なら、これくらいの軽口言えるようになっとかないと、人と仲良くなれないかもしれないっすよ?」





こいつ、卑怯なやつだな……だが、今回に限って言えばよく言った!!




それを聞いたチョロイン、アンは、確かにそうかもしれませんと反応し、上に掲げたドラゴンのバランスを取り直す。





そして……彼女は照れる様子もなく口を開いた。





「私ごときの分際で皆様を評価するなんて気が引きますが、敢えて言わせていただくのであれば……」







ゴクリ……喉仏がつい動いてしまう。



恐らくアンを中心とした半径十メートルの自警団の心臓の速度は、普段の数倍になっていただろう。




これは聞くべきでないのでは? 今更ながらそんな気がしてくる。


しかし、そんな焦る俺たちを置いて、アンはこう告げたのだった。






「ジャニー様ですかね?」





それを聞いた俺は何も言わずに列の前方に向かって歩き始めた。



風が追い風になって、俺を後押ししてくる。風すらも俺に道を開けてくれたようだ。





スタスタと歩く俺の頭に、楽しそうな声が響く。




『脈なしマスター、どこに行くのですか? なぜ刀を抜こうとしているのですか? なぜ現実を受け入れられないのですか?』




普段ならそれほど気にならない雑音が、どうしても頭に響く。




俺はまずはこの付喪神を処分しなければいけないのかもしれないな……






ーーシルドーは知らない。あの後、まだアンと彼らの会話が続いていたことを。



「えー、俺じゃないんすかー? じゃあ、団長のどこがいいんっすか?」



「そうですねぇ、体格がゴツくて、お父さんに似ているところですかね?」



「たしかに、団長は筋肉ダルマっすもんね!……にしても意外っす! シルドーの兄貴じゃないんすね?」



「……あれ? 自警団の皆様の中でと言う話ではなかったのですか?」



「あ、確かにそう言ったかも……じゃあシルドーの兄貴を入れたらどうなるんすか?」



「それなら、も、もちろんシルドー様ですね!! シルドー様にダメなところなんてありません!! あのお優しいご性格もさることながら、御尊顔も他の人たちとは別格です!」




「……俺、こんなにアンちゃんが喋ってるの初めて見たっすよ……顔まで真っ赤にしちゃって! でも、シルドーの兄貴に関しては言い過ぎじゃないっすか? 性格は変態だし、顔も普段からホゲーッとしてるっすよ?」



「そんなことはありません。私はこれでも長年、人間の悪い面に触れて生きてきました。その人が悪人かどうかくらいすぐにわかります。それに……すごく格好のいい方ですよ?」



「わ、分かったからそんな目で見ないでくださいっす!! ……ハァ、好きになった人がタイプとはよく言ったものっすね」





この会話がなされる頃、シルドーという名の鍋蓋は、その名付け親に当たる自警団の団長に斬りかかっているのだった。









「くそっ、あいつヒラヒラと避けやがって」

『彼も可哀想に、理不尽に斬りかかられて』




結果として、一筋もジャニーに入れることができなかった敗残兵……もとい俺は、もとの位置であるアンの側に戻ってきていた。






もう城門まで数分で着くようなところまでやってきていたのだ、おふざけをしている場合ではない。

歩きながらも俺はアンの方に目をやり、様子を見る。






「そろそろ到着するが……大丈夫なのか?」

「はい、だ、大丈夫です!」






やはり心構えが出来ていても怖いのだろう。その額には、暑いという理由ではないであろう汗が流れていた。






「辛くなったら言うんだぞ?」

「はい!」






それから二十分もしないうちに森を抜け、草原の先にあった街に入るための門の前に到着した。





門は改めて見ると人の数倍ほどの高さで、この国の繁栄を象徴しているようだった。門の左右では、あの日と変わらずこの国のものと思われる旗が風になびいている。






俺たちは、そこで立ち止まっていた。






「まだ荷台は来ないのか……?」


「みたいですね」





城門の近くで荷車が来るのを待っているのだ。





緊急事態なため、このまま街の中まで運んでもよかったのだが、それだとまるで人族が半魔族であるアンを奴隷のように働かせていると捉えられてもおかしくないということで、自警団が気を利かせたのだ。





ほんと、よく気の利くリーダー様だ。アンが惚れる理由も分か……いや、認めん!





今だに現実を受け入れずに、アンの側に座って時間を潰していると、ジャニーが俺たちに声をかけてきた。





「今の間に、これからの行動を伝えておくぞ!」






こいつ、平然と来やがって!


しっかし……確かに凱旋をするというのは聞いたけど、それ以上のことは何も聞いていなかったな。





そんなことを思いながらジャニーに視点を飛ばす。その目が自然と鋭くなってしまうのは仕方ないだろう。





「おいおい、さっきからなにをそんなに怒ってるんだ?」




そんなことを言いながらも、ジャニーは俺の威嚇に臆することなく説明を始める。





「まず、アン殿には荷台に積んだドラゴンの上に乗ってもらう! 獲物を倒した者がその上に乗って凱旋するというのがこの街の凱旋なんだ!」





郷に入っては郷に従えというが、それは危険すぎないか?





「それに俺が同伴することは不可能なのか?」




俺はこれでも防御力だけは折り紙つきだ。側にいることができるなら、いざという時に守れるんだが……





「それは少し難しいな……もしシルドーも協力してドラゴンを倒したことにすれば乗れるが……正直、以前のアプルウルフとの戦いを見る限り、その嘘もすぐバレるだろう!」





ある程度の者なら俺の太刀筋を見ただけで俺が初心者であることは丸わかりらしい。そこそこ筋はいいらしいが、どこか操り人形のような印象を受けると言われた。




『まぁ、イチジクに指示を出してもらってたからなぁ』


『私もマスターのスキルなのですから、問題はないはずです』




イチジクはこう言うが、たしかに、腕試しとでも言われて俺の太刀筋を見られたりしたら一瞬でドラゴンを倒したのは嘘だと思われるだろう……






……って、ちょっと待て!!





そこで、重大な真実を思い出した。





よく考えてみたらドラゴン倒したの俺じゃん! 何も嘘はついてないぞ……





だが俺は事実を伏せて言った。






「ま、まぁ、それもそうだ。事実倒したのはアンだからなぁ……俺は先頭の警備にでも当たるか」





それを聞いたジャニーは、頷きながらアンと目線を合わせる。





「多少危険かもしれんが、ドラゴンを倒したアン殿なら大丈夫だろう! 我らも下で全力で護衛をするから、安心してくれ!」






こいつはちょと楽観的すぎる気もするが……

今はこんな奴が必要なのかもしれない。




そんなことを思っていた時、少し離れたところにある例の門がギシギシと音を立てて開いた。





そこから大きな荷台が、我が道とばかりに門の横幅を埋めて出てくる。この大きさならドラゴンが多少はみ出ることはあっても運ぶのに困ることはないだろう。





 荷車を出した門は、用は済んだとばかりにまた閉じてしまう。






 そして、同時に荷車と共に男が1人出てきた。


 彼は自警団に荷車を任せると、こちらに歩いてくる。





 「うむ。これはたしかにS級の魔物ルビィドラゴンで間違いないようだな」





 誰だ、こいつ?





 男はそれだけ言うと踵を返し、街の中に戻っていった。


 



 その男の後ろ姿を見ていると、背後からさっきアンに告白をしようとしてボコボコにされたモブCが話しかけてきた。






「あれは、王直属の配下っすよ! 今から凱旋するのに、ルビィドラゴンを倒したって情報が嘘だったら洒落にならないっすからねぇ」





「なるほどな……ようは確認しに来たのか」





 自警団はどうやらそこまでの権力は持っていないようだ。もし権力を持っている存在なら、わざわざこのような確認しにくるようなこともないだろうからだ。





「シルドー! ドラゴンを荷車に乗せるの手伝ってくれ!」




 ドラゴンを挟んだ向こう側からジャニーの声が聞こえる。




「やだよ、面倒くさい」



「良いのか? アン殿も困ってるぞ」



「……はぁ、仕方ない」







こうしてルビィドラゴンは死んでから二日後、荷車に乗せられ、閉められた街の門の前に運ばれた。






待機しながら、列の最前列で俺は口を開く。






「にしても、ここに来るまで人一人にも会わなかったが、ドラゴンを倒したことは街には広まってないのか?」






ドラゴンが倒されたと聞いたら外まで様子を見にくる一般人がいても不思議ではない。






俺の質問に、近くにいたモブCが答える。






「そうっすね! 今街の中で知ってるのは、王国直属の騎士団の一部と、王族くらいっす。確証もないのに住民に討伐のことを広めるわけにもいかなかったんじゃないすか?」







聞くところによると、これから王都の住人にドラゴン討伐、ならびにその凱旋の知らせが届き、この門から王城へ続く花道が作られるらしいのだが……





「……おい、ちょっと待て! 凱旋の目的地って、王城なのか!?」




そんなことは聞いていない。俺はいいとしても、アンは布切れ一枚だぞ!?



ドラゴンの上を見ると、やはりボロボロの布をまとったアンがいる。




そのことを伝えると、相応の服は持ってきてくれているらしく、気にしなくてもいいそうだ。




「そうか……で? なんのために王城に行くんだ?」



「ドラゴン討伐を直々に王様に伝えて、このルビィドラゴンに掛けられていた賞金を頂くんすよ!」



え……このルビィドラゴンって、賞金とかあったのか?





まぁ、普通に考えれば国の中心を危険にさらす存在なのだから、賞金をかけても倒したくなるのは当たり前かもしれないが……




「……ゴホンッ、それで? このドラゴンの賞金というのはなんなんだい?」




やはり気になるのはその賞金の量だ。




俺の質問にモブCが腕を組んで考える。




「えっと……たしか、大金と……豪邸じゃなかったっすかねぇ?」




な、なんだと……? 大金に豪邸!? すげぇ豪華じゃないか……ドラゴン倒した人ってことは俺がもらえるのか!?





「何にやけてるんっすか? 貰えるのはアンちゃんであって、シルドーの兄貴じゃないんすよ?」





モブCがジト目でこちらを見てくる。





……あ。そうだ、アンが倒したことにしてるんだ……



ヒューと気の抜けた空気の音が耳元を通過していった。サワサワと草原が揺れる。





俺ってば、本当に報われないことばっかだよ……






俺はドラゴンの上でバランスを取る練習をしているアンを、涙ながらに見上げた。





「俺も住まわせてくれるかな……豪邸……」



『マスターは彼女を守る契約をしているわけですし、大丈夫じゃないですか?』





俺のつぶやきに答える声が聞こえた。




『いや、そうとも限らんだろ? もしかしたら、傭兵でも雇って俺との契約はなかったことにするかもしれん……』






イチジクは考えすぎですとフォローしてくれるが、安心できない。最悪、また一からいろいろと探すしかなくなるのだから。



「まぁ、今考えることでもないか……」






とりあえずは、王城まで無事たどり着くこと、後はこれを機に変わろうとしているアンのフォローだな。






その時、ジャニーが門から出てきた。



「よし、準備はできたか? もう街の方は準備万端だ! 街のみんなが凱旋を見ようと集まってきてるぞ!」




そういえば、すでに街の人たちはアンが半魔族だということを知っているのだろうか? 気になった俺はストーレトに質問する。





「ジャニー、住人にはアンが半魔族だとすでに伝えてるのか?」

 




これは知っておくべきだ。街の人がそれを知っている上で凱旋を見ようとしているのなら、半魔族に対してそこまでの嫌悪を抱いていないことになる。





「あぁ、半魔族であることを公表したいということだったからな! バッチリ伝わってる」





ほぅ……それでも集まるとは、幸先悪いということもないようだ。





俺は歩いてジャニーのもとまで進む。迷いのないまっすぐな歩みだった。





「そうか……ジャニー、死んでもアンを守るぞ?」




もちろん死ぬ気は無いが、アンを守って死んだら、天国行き……になるはずだ!





俺は、アンに聞こえない程度に静かに告げた。




「言われるまでもない! 女の子を守るのが男ってもんだろ?」





白い歯がキラリと光る。イケメンがやるから無駄に絵になる……これだからイケメンは嫌いだ。






その時、ゆっくりと門が開き始めた。



次第に赤いレンガが敷き詰められた道が視界に入ってくる。



まさかここに人の姿で訪れることになるとは思わなかったな……








こうして、ドラゴンを塞きとめる予定だった門は、死んだドラゴンを通すことになったのだった。








門が完全に開ききり、俺とモブCを先頭とした列は、緊張した面持ちで王都の中に入る。そして入ってすぐ、俺は目を見開くことになるのだった。





「す、すごい人数だな……」





その人数の多さに圧倒されたのだ。俺たちが通る道を開けて左右に何千、何万の人々が見物に来ている。皮鎧を着た冒険者や、僧侶、子供から老人に至るまで……




しかし、それでもきちんと道は開き、その光景は海を割ったというモーセの話を想起させた。




「そりゃぁ、街中の人たちが来てるっすからねぇ……にしても、みんな反応が見るからに微妙っすね?」




こんな時でもモブCのんびりした声が、周りの雑多な音に混じって聞こえた。





そうなのだ、彼らの動きはみんな決まっていた。




まず、騒動の原因であるルビィドラゴンを見て、その大きさに圧倒される。そして次にその上に正座して乗っているアンを見て、なんとも言えない難しい表情をしていた。





「あれがルビィドラゴン……ざまぁねぇな」


「上に乗ってる半魔族がやったのか」




 なんて声も聞こえてくる。





 アンは大丈夫そうか、気になった俺は足を前に繰り出しながらも、住人の視線に従ってアンの方を見る。





「ってか、いつのまにか正座してる!?」




アンはドラゴンの上で顔を真っ赤にしながら正座をしていた。






バランスを取るためなのか、いつもの謙虚さからなのかは分からないが……


これじゃ、威厳も何もないな……






「みんな、長年恐怖の対象だった魔物を倒してくれたのは感謝してるっすど、その恩人が本当に半魔族だったから反応に困ってるって感じっすね」





モブCの相変わらず呑気な声が隣から聞こえてくる。




しかし、チャラ男っぽい割にはいろいろ考えてるんだな?





「たしかにそんな感じだが、あまりお前たちが最初に向けてきた殺意とかは感じないな?」





アンが初めて自警団に会った時、彼らは無害とわかっていても俺たちに殺意を撒き散らしてきたのだ。しかし、この人たちの中にそれほどの殺意を持った人間は見られなかった。




「そりゃあ仕方ないっすよ! 俺たちからしたら未知の存在だったんっすから!」




「未知ってなぁ……」




まぁでも、言われてみれば、自警団が見た景色は異常だったのかもしれない。ドラゴンのそばで二人の人間が寝ていたのだ。しかも、片方は半魔族……





納得した俺にモブCは続ける。




「でも、今はアンちゃんを守るように俺たちがいるっすよね? つまり、自分たちのよく知る自警団が仲良くしてるんだから、大丈夫だろうと思えるわけっすよ」




「そういうことか……」




改めて住人の様子を見る。




この調子だと、アンの性格なら簡単に人族に慣れてもらえそうだな……これは嬉しい誤算だった。






……しかし、あちこちにある困ったような瞳の中で、いつ敵意の瞳が現れるか分からない。




警戒する俺は、パートナーに尋ねる。




『どこからか殺意は感じるか?』




すると、その質問にイチジクは、迅速に答えてくれる。





『いえ、今のところは特にありません』





特にないか……だが最大の警戒はしていこう。



俺はもう一度気を引き締め直し、目をギラつかせる。











その時、何も考えずに発したのであろう、モブCの声が耳に届いた。






「いやぁ〜、なんか警戒した割に特に何もなく終わりそうっすね!!」









「いや……それは言っちゃいかんやつだろ?」






さっき気を引き締めたのはなんだったのか、俺の標的はいともたやすくモブCに変わってしまった。




 道を進みながら、低い声を出す。




「おい、モブC……なんで貴様はいつもそんな余計なことばかり言うんだ?」





俺の怒りを孕んだボイスにモブCがうろたえる。





「え……? ちょっ! モブシーって俺のことっすか!? それに余計なことって何っすか!?」




「黙れモブC……もし何かあったらそれはお前のせいだからな? 覚悟しとけよ?」






それを聞いたモブCは、前へと足を進める俺から離れるように、荷台のもとまで下がっていった。




「ほんと、何にも起こらないでくれよ……」





結局一人で先頭を歩くことになった俺は、独り呟く。













その後、突然市民の中から暗殺者が……ということもなく、気持ち悪いくらいにスムーズに王城にたどり着いた。



俺の目には、城の入り口であろう大きく立派な門が見えていた。



どうやらこの王都は、外壁と王城を守る城壁とがあるらしかった。




ようやくついたか……




改めて後ろを見ると、ここまで馬鹿みたいに大きな荷車を転がしてきた自警団の面々は、戦闘こそ無かったものの、疲労困憊といった様子だった。




俺は首を前に戻しつつ目だけを左右に動かして、誰にも聞こえないように呟く。





「ここまで来て危険は無しか……これは本当に大丈夫みたいだな」










しかし……






後から思えば、自らでもこういったフラグを立てすぎたのかもしれない。







……やはりというべきか、そんな安堵もすぐに警戒へと変わった。


あと少しで到着するというところで、花道によって開けられた道の前、つまりは通り道に数人の人が現れたのだ。






「誰だ……?」





そこにいたのは、青と白を基調とした制服を着込んだ集団だった。よく見たら腰には剣をぶら下げており、真ん中の者に至っては、背中にバカでかいランスを背負っている。その男の顔は病的な青さをしており、死の間際みたいな顔をしていた。




俺は荷車をはじめ、自警団の動きを止めるよう右手を挙げた。




花道の住人たちの声が聞こえる。






「あれ……第七騎士団じゃないか?」


「あぁ、本当だ。あのランスは間違いなく第七騎士団の隊長だな」





……騎士団? そういえば、ジャニーが軽くだが、アンを生贄にしようとしたのは騎士団だとか言っていたな……危険なのか?






『イチジク、騎士団ってのはなんだ?』


『はい、基本的に王家ならびにその国家の武力の要です』





それを聞いた俺は考え直す。






いや、俺たちは王城に招待されてるんだ。まさかこの国に仕える騎士団に襲われるなんてことはないだろう…………迎えにでもきたのか?






俺は無意識のうちに刀の持ち手に添えていた右手を、そっと離す。






とりあえず話を聞こう、そう思って一歩足を進めた。







その時だ。







「ゴホッ……ゴギャ……コハァァアァア」








そんな汚い音とともに、例の目の下のくまが目立つ長髪の男(第七騎士団の団長らしい)が、なにかを吐き出した。





ビシャ……ドボボボボボ……





若干中腰で、それは口から長々と出続ける。






「おいおい、あんた、大丈夫なのか!?」







俺は、突然嘔吐を始めたランスの男に少しだけ近づきながら問う。





正直、近づきたくもないが……こんな周りの目線がある中でぼんやりと見ているわけにもいかない。







すると、数歩進んだ所で、俺の足は止まった。






「……なんだ、あれ?」






なにやら、吐瀉物の様子がおかしかったからだ。



そのまま、目を凝らしてその男の吐き出したものを見る。






それは動いていた。






始めは見間違いかと思った……が、どうやらそうでもないらしい。






奴が吐き出し、地面にまき散らしたものが、どう見てもうねうね、コソコソと動いていたのだ。






俺は、動きを止めて目を細める。






「あれは……」







その続きを言おうとしたその時だ。








……ブワァッッッッッツツ!!!!







真っ黒な吐瀉物が一斉に『飛び立った』





堪らず叫ぶ。







「……虫だぁあ!!!」







そう、奴の体内から吐き出されたもの……それは、紛れもなく虫だったのだ。





それは、カサカサとあたり一帯に広がり、あるものは空へ、あるものは地面を這いずり回る。







……キンモチワリィィィイイ!!







俺は、心の中で叫んだ。





そう実際に叫ばなかったのは、その虫どもの処理を、虫を吐いた男の周りの団員が慌てるでもなく、淡々と処理していたからだ。






「火の精よ、我が前に浄化する炎を与え給え」





そんな声が男の周りを中心に聞こえ、排出された虫を焼き殺していく。





この男が虫を吐くのが当たり前だというような反応。

その中で、俺一人が気持ち悪がっていては、俺が悪人みたいになると思い、口をつぐんだのだ。






『……おいイチジク、この世界じゃ虫を吐き出すのは当たり前なのか?』




『そんなわけないでしょう。あんなもの、初めて見ました』







どうやら、俺の感覚がおかしいわけではないらしい。確かに、住人の中でその様子を見て、控えめに「キャッ!」と怯える声が聞こえた。








一人で納得してしていると、頭の中で一人会話をする俺の耳に、その目の下の薄暗い隈が目立つ不気味な男の声が聞こえた。






彼は、遅れて口から出てきた虫を指で引っ張り出しながら、静かに言葉を発する。







「なぜです……? なぜ半魔族がここまでたどり着いたのです? この街の住人は誰一人としてこの女を殺そうとしなかったのです?……そこまでこの国は甘いのです?」







「……はっ!?」








俺はすぐさま鞘に左手を当てて、戦闘態勢をとる。






……このおっさん!! 今なんて言った? 殺す……? 半魔族、つまりはアンを殺さなかったことを攻めているのか?







俺の動揺を無視して彼は続ける。






「はぁ……私が手を汚すまでもないと思っていましたが、どうやら私がやらねばならないようです……コハッ」





そう言ってまた、一匹虫を排出した不気味な男は、ランスをこちらに向けて構えた。






ランスの先が太陽に照らされてギラリと光る。







……なっ!!!!






俺も慌てて剣を抜こうとするが間に合わない。







「風の精よ、我が背中を押す一筋の風を成せ」





その言葉と同時に、ランスを前に構えた男が突っ込んできたのだ。





走る……というよりは、水平に飛んだという表現の方が正しいのだろうか?






こいつ!なんて速さなんだよ!!!!






ランスはスキルによるものか黒く輝いてており、その突撃は一発の弾丸のようだった。







危機的状況のなか、男の声が辺りに響く。







「死ぬのです!! 半魔族!! それに、それを守る愚か者ども!!」





迫りくるのは恐怖そのもの。しかし、ここで止まっていては俺が殺されるという最悪の事態になってしまう。






俺は己に鞭を入れるように叫んだ。




「くそったれぇえええ!!!!」






右手を前に伸ばし、体の軸を固定して、腰を下げる。そして、足をこれでもかというほどに踏ん張った。







目の前までランスの先が迫った。


全身を恐怖が支配するが、わずかに残った勇気を振り絞る。







「こいっやぁああああ!!!!」




……ズゥウン!!





ランスの先が手のひらに突き刺さる! 目に見えるわけではないが、皮膚は破けずに堪えている……!






でも……

痛いぃいいいい!!!!






『マスター、風の魔術によって勢いが増してきています』






そんなこと言われなくても分かっていた。本来ならぶつかった後に弱まるであろうランスの攻撃は、魔術によって、次第に俺を突こうと威力が増していたのだ。






止ま、れぇえええ!!






ゴゴゴゴォオオオッッッという音を立てて、俺の足のつくあたりを中心に地面が抉れる。






下に敷かれているレンガにヒビが入り、剥がれて素の地面が足にめり込む。





普通の人の体なら、すでに軽く五本は骨を折っているであろう。





「でも残念……俺は普通の人間じゃないんだよ」





カッコをつけてそんなことを言ってみるが、それはあくまで防御力についての話だ。それ以外一般人の俺は、いくら踏ん張っても少しずつ体が後ろに持っていかれそうになる。




「ど、どうなってるんです? お前、なぜ傷つかないんです?」




どうやら隊長さんは得意のランスを止められて焦っているようだ。ギョロリと目を見開いていた。





その質問になら答えてやろう! 歯を食いしばってから俺は叫ぶ。






「そんなもん! 俺が丈夫だからだろおぉ!!」





止めることに全力を注いでいたが、叫ぶことによって心に生まれた余裕から、思考を働かせる。





止まらないなら! 方向を変えてやる!!




空いていた左の手で思い切りランスの上を叩いた。



ランスの先が少し下を向く。





ズンッツツツツ!!!!




……ドゴォオオオオォオ!!!!






ものすごい音が足元から聞こえてきた。


それを合図に地面が崩壊する。

ランスのぶつかった部分を中心として、大地がえぐれたのだ。




俺の足元も隆起し、バランスを崩して体ごと吹き飛ばされる。




背中に衝撃が走った。


「いってぇえ……」



痛みに苦しみながら後ろを見ると、ドラゴンの顔が見て取れた。どうやら背中を荷車にぶつけたらしい。




風圧だけでこんなに吹き飛ぶもんなのか。




いや、今はそんなこと冷静に考えている場合じゃない!






……っ、あのランス男は!?


急いで周りを見渡す。





くそっ! 砂けむりで全然見えない!!




何も見えていないが、観客の逃げ惑う足音と悲鳴だけが聞こえる。




その時だ、明らかに雰囲気の違う声が聞こえてきた。





「あなた……危険です」






『やばい! どこかわかるか!?』



『前方、目の前です』





次第に砂けむりが風で流れていく。




「なっ……!!!!」



そこには巨大なランスをこちらに突きつけた男が立っていた。





「あなた……何回突けば死ぬんです?」




『マスター……左に避けてください。この至近距離から魔術と剣のスキルを併用した攻撃はマズイです』




「あぁ、マズイってことくらい分かってるよ」





だが、体が動かない……痛みによるものなのか、迫りくる恐怖によるものなのかは分からない。しかし、そこには動けないという事実があった。





その時、男が口を開く。




「風の精よ、我が刃を加速さす突風を」




ランスの後ろの部分が緑に光り輝く。




恐らくあそこから勢いよく風を噴射して速度を上げるのだろう。




ランスの刃の部分がまた黒くなっていく……




ここまで危機的状況になっても体は動かない。いや、ここまで危機的状況だからかもしれない。






これで生き残ったら奇跡だな……


「死ぬのです。危険な者」






男の声が聞こえるが、毛頭俺もあきらめるきはない。




かろうじて動く右手を刀の柄の部分にあてる。せめて道連れにしてやろうと心に決め、来たる攻撃に備える。





来るか!?









……そんな一触即発のその瞬間、上から大きな声が聞こえた。




「シルドー様から離れろぉおお!!!!」






「「なっ……!!!!」」




初めてこの男と声が揃った。二人とも上から突然降ってきた女の子に驚いているのだ。





……アン!?





そう、太陽を背にして上から降ってきているのは、真っ赤なドレスを着たアンだった。


ドレスは凱旋の前に着させられたものだったが、ドレスで宙を舞うのは危ないと思う……色々と見えそうになっていた。






『マスター、この状況で何を考えているのですか?』




仕方ないだろ……男の子はどんな時でも男の子なんだ。





だが、そんなのんびりしたことも言ってられない。




俺は、男の様子を瞬時に確認する。







アンに飛び蹴りをくらわされそうになったランスの男は、飛んで後方へと下がっていた。




頰からは血が滴り落ちている。





それを見ると、硬直していた体が次第に柔らかくなるのを感じた。


痛みを訴えかける身体を無理矢理に起こす。







一旦危機が去ったのはいいが……



「アン! なんで降りてきたんだ!? あいつはお前を狙ってるんだ、危険だろ!?」






今すぐ自警団のもとに戻れと叫ぶ……が、






「いやです!」


それだけ端的に答えると、アンは男に向かって拳を構えた。






以前、アンが私は欲張りかと聞いたが、今の俺ならこう答えるだろう。あぁ、俺の命まで救おうとするお前は欲張りな女だ。……と。






男は、顔を抑えてなにやらブツブツ言っていた。






「血が……私の顔に傷が……ついに本性を表しましたか半魔族……」






その様子からは憎悪、嫌悪、怒り……全てのネガティヴな感情が発せられているようにに感じた。





そして彼は叫ぶ。






「殺す、殺す、殺す、ころす、コロス、コロス、コロス……です!! 騎士団の皆さん! 準備はいいです??」





それを聞いた俺は、思わずその男を止めようとする。





なぜなら、ランスの男の後ろには、かなりの人数の騎士団がいたのだから。





ちょっと待て、おい!! このタイミングであの人数が敵になるのはマズイ!!





騎士団が四十人くらいに対して、こちらは半分の二十前後だ。






俺は思わず下手に出る。






「ちょっと待ってくれ! 一旦話し合お……」




「嫌です。……ん?」






俺の願いを最後まで聞くことなく簡潔に断った後、その男は、目を細めてアンのことを見た。







そして……






衝撃の発言をする。







「おい半魔族、よく見たらお前は、私たちが生贄にした奴じゃないです?」








……やっぱり……か




薄々感づいてはいた。騎士団がみんなそうなのかは知らないが、こいつは半魔族に対して強い恨みを持っているようだからだ。






俺は、その発言にランスの男から、アンの方に目線を動かす。


後ろ姿で表情まで分からなかったが、彼女は震えていた。


それも無理ないのだろう、自分をやりたい放題してきた連中だ。






そうか……アンが八年間も苦しい思いをしてきたのも。そして何より、こうして俺が痛い思いをしているのも……全部こいつのせいなのか





頭に血がのぼるのが分かる。





それでも俺は勤めて静かに、改めてランスの男を睨んだ。






建物の間を縫って吹いた風がサッと砂をさらい、軽く砂煙が宙を舞う。







この、です野郎が俺に数々の面倒ごとをふっかけてきた張本人で間違いないんだ。





……こいつは、





こいつは万死に値する。








そんな俺の様子に気づいているのかいないのか、ランスの男は続ける。






「生贄がドラゴンを倒すなんておかしな話です……やはり半魔族がドラゴンを倒したなど嘘なのです」





奴はそれだけ言うと、右手を上に掲げた。奴の背後の騎士団の目線がその先一点に集まっている。






……こうなりゃ、相打ち覚悟で全員ボコボコにしてやる!





俺は一度はしまい掛けた刀に手を添える。






一瞬……場に緊張が走った。





その緊張は、住民の避難誘導に勤めていた自警団にも伝わったようだ。後ろから勇ましい声が聞こえる。







「アン殿を守れぇええええ!!!!」






この声はジャニーだ。それに続くように、自警団の雄叫びも聞こえる。




そして秒単位のうちに、自警団はアンの前に立ち、騎士団に向かって剣を握ったのだった。





……悔しいがこれは心強い。


正直一人じゃランスの野郎を防げてやっとだったし……






俺は安堵によるものか、フッと息を吐く。





その時、まさか「人族」が己を助けるために命をかけると思わなかったのか、アンが驚きの声を上げる。





「み、皆さん!? そんな、半魔族である私なん……」




「アン、ここは守られてろ! こいつらはそのためにいるんだ。それに、この観衆の中でアンと人族が戦っている姿を見られるのはマズイ」




アンが言い切る前にその隣まで行き、俺はアンの肩を後ろから叩いた。



見たところアンはかつてのトラウマからか顔面蒼白で、戦えるような状態ではない。この状態でアンが戦ってやられでもすれば、俺たちは何のためにここにいるのか分からなくなる。


 それに、半魔族への風当たりはまだ強い。ここで半魔族対人族の構図が根付いてしまうのは得策とは言えないだろう。





……守るって約束したしな





それを聞いたアンは悔しそうな顔をして頷いた。この娘は感情に流されずに、冷静に物事を見れている。それは目に溜めた涙がそれを証明していた。




俺は何度この娘を泣かすんだろう……まさか、こんな女泣かせな男になるとはなぁ。





そんなことを思いながら俺は、前に並ぶ自警団の列に割り込んで、横にいたモブCに呼びかけた。





「おい! モブC、後で覚えとけよ? それと、お前はアンの護衛についてくれ!」




こいつは色々考えられる男だ、アンを任せても大丈夫だろう。俺がそばに居ても良かったが、俺には戦わなければいけない相手がいる。





俺の言葉にモブCは「勘弁してほしいっす!」と言いながら後ろにいたアンの所まで走っていくと、一緒にドラゴンの荷車の後ろまで下がっていった。





「おやおや? 自警団の皆さん、貴方達も本当に敵なのです?」




七番隊の隊長とやらは、驚きからか両目を見開き首を傾ける。





その言葉にジャニーが答えた。







「いや、俺たちは別に騎士団を敵に回したつもりはない!! しかし、ヘイト公! アン殿を倒すとなれば話は別だ!!」





自警団もそれに続いてそうだそうだと同意の意を示した。本当にアンを守る気のようだ。






これもアンの人徳のなせる技なんだろうな……






ジャニーたちの言葉に、どうでも良さそうに奴……ヘイトは答えた。






「そうです? なら、もろとも死ぬです」






その言葉に躊躇などなかった。こちらが質疑する時間すらありはしない。






ヘイトはそれだけ呟くと、何のためらいもなく、掲げていた右手をこちらに向かって振り下ろしたのだった。







次の瞬間、この動作を合図にして、後ろで控えていた四十人以上の騎士団がが剣を抜いて突撃して来た。







その波は止まることを知らず、俺たちのもとまで押し寄せて来る。







もう後には引けないか……






俺はここに来てようやく刀を抜いた。生物を殺すために作られた銀の光が、一般人の少なくなった周囲の家々に映る。





まぁ、もともと引く気は無いけどな!!






「おいジャニー! 雑魚は任せたぞ!!」





俺は刀を構えて言い放った。




「あぁ!! シルドーは体格に似合わず度を超えて頑丈みたいだしな! ヘイト公は任せたぞ?」





そう言ってジャニーが何か意味深な笑みを浮かべた。





こいつ、俺の異常さに薄々気づいてるな。






しかし、この際だ……それは仕方ない。




出し惜しみは無しだ!!






俺は騎士団の波に駆け出していく自警団の後ろ姿を見て思う。




これが戦友というものなのだろうか? なんか、こんな状況なのにテンション上がって来た。







「俺ってば、異世界しちゃってるんじゃない?」


『それは結構ですが、気を抜かないでくださいよ?』



イチジクからもっともな忠告を受けてしまった。



分かってるよと言って、俺はゆっくりと刀を構える。






「さぁこいよ! もう怖くない!! 今度は倒してやるからよ!」




キンッッツツツツ!!





先に走って来ていた騎士団と、自警団の剣がぶつかる。






「では、私は危険なあなたを先に殺すとするです」





ちょうどそのタイミングで、波の後方にいたヘイトはそう言って、ゆっくり俺に近づいてくる。





「倒せる……いや、壊せるもんならやってみな」






今度は俺からヘイトに突撃する。ランスは突撃には強いが、近接戦闘ならどうだ?




速度は常人のそれだが、二人の間にそこまでの距離があるわけではない。





このまま一気に詰める!!





「うぉりゃあああ!!!!」





叫び声とともに、全力で自分の足を前後した。ヘイトまで後一歩のところまで迫る。




……そして、その時に気づいた。





なんだ!? こいつ、動かない?




目の前まで刃物を持った男が迫っているんだぞ?





ヘイトは未だに俺が走り出した時と同じ位置で薄ら笑いを浮かべて立っていたのだ。






……なら、このまま切り裂くまでだ!!




俺は両手で刀を振り払う。







「……なっ!! そんなんありかよ!!」




しかし、ヘイトは俺が斬る直前で、一瞬で約五歩分後方に移動した。




『風系魔術……!まだ、詠唱の効果が発動していたようです』





ランスの先がこちらを向いている。





「くくっ、バカです、死ぬです!」





そのまま反動をつけて一気に戻ってくる。




「なら、受けてやるよ!」




俺はすかさず刀を右手に持って、左手で迫り来るランスの先を掴んだ。

左手に激痛が走る。




「これならどうだ!」




奴はランスを掴まれているせいで、また後ろに下がることは不可能なはずだ。




右手に持った刀を下から一気に振り上げる。

わずかに斬れた感触、だが躱された。





ヘイトは左手でランスを握ったまま体だけを風魔術で浮かび上がらせたのだ。

ランスの持ち手を手すりにして、逆立ちしているようだった。





「鉄棒の選手みたいな芸当しやがって」




そのままヘイトは俺の持つランスの先を下に向けて、ランスを直立させる。ヘイトは持ち手を握ったままで、上からランスで突撃する形になった。




これは……やばい!!




このまま下に落下してきたら俺の左手は潰れてしまうだろう。




素早く左手をランスの先から離す。




そのタイミングで、地面に一気にランスごと落ちてきた。





ズンッッ!!!!





ランスが地面に大きな穴を開けた。あれに潰されそうになったと思うと、お尻がキュッとしまる。





しかし、今がチャンスだ!




「どうせ地面に刺さって動けないんだろ!?」





俺はヘイトに向かって思いっきり刀を振り下ろす。





いっけぇえええ!!!!








その時、ヘイトの表情が見えた。彼は笑っていた。


見たことがある……かつてルビィドラゴンがゴブリンを尻尾で叩いた瞬間の笑みだ。勝者の笑み。





……まずい!! 勘がそう告げる。





俺はすぐさまスキル、【巨大壁】を『後ろ』に出現させた。







「くくっ! 風の精よ、我が前に敵を切り裂く旋風を!!」


「くそ! 魔術か!!!!」






ヘイトの目の前、俺の目の前と言い換えてもいい。そこに目に見えない風の刃が無数に出現した。






「終わりです」







その瞬間、その無数の刃が俺を切り刻こうと飛んできた。







俺は、左腕で身体をかばいながら歯を食いしばって耐える。







そして、その旋風とともに後ろに吹き飛ばされ……





……ない!!!!






「終わりはお前だ! ヘイトォオオ!!」





俺はあらかじめ後ろに展開しておいた巨大壁に両足をつける。





一気に膝を曲げて前方、ヘイトの懐まで飛躍した!





このまま吹き飛ばせると思っていたのだろうヘイトも驚きを隠せていない。






奴は今、ランスが地面に刺さっていて抜けない状況で、なおかつ魔術を唱える時間などない……





俺は力の限りで左手を払い、威力の弱った風をかき消す。





そして、右手に持った刀を横に振り払った。






「おるぅぁぁあああ!!!!」






ドゴォオオオオン……






ヘイトが、握っていたランスもろとも後方の家へ突っ込んでいった。






「くそっ……殺せなかった」






俺が思い切り振り払った刀はヘイトの肉を確かに抉った。しかし、もう少しで心の臓に届くであろう直前、魔術特有のまばゆい光が俺たちの間に灯り、ヘイトは自ら後ろに吹き飛んだのだった。





瓦礫の山になった家を見つめる俺の頭に、声が聞こえた。





『マスター、躊躇しなければやれたはずです。人を殺すのは怖いですか?』





イチジクだ。





はぁ……こいつにはやっぱりバレてたか。かっこ悪い……。





『いんや……ちょっと心の準備が出来てなかっただけだ』





しかし……どのみち、もうヘイトは再起不能だろう。





俺はあちこちから痛みを感じる身体を無理やり立たせ、辺りを見回す。今だにあちこちで金属のぶつかったことによる火花が飛び散っていた。





「ほんと、虫吐き出すし気持ち悪い奴だったな……」





 左腕が傷ついていないことを確認する。





「さて、俺も残りの連中を……」






そう言って自警団が劣勢なところを探してい援護に向かおうとした。






その時だ、城の前の扉が大きな音を立てて開いた。自然と目がそちらに向かう。






おいおいおいおい……






「……嘘だろ? 今からあれを相手にするのか?」






その扉が開くと、中から数十人、いや、百に達しているかもしれない人数の騎士団が武装して出てきたのだ。





彼らは隊列を組んで、道を進んでくる。一歩足を進めるだけでも、その統率力が伝わってきた。





「これは……撤退一択だな」





俺は自警団のこともそこそこに、急いでアンの場所を把握しようとする。





アンならモブCに守られて荷車にいるはずだ。そう思って後ろを振り向こうとした瞬間……







「ぐはっっっっっっつ!!!!」






視界が真横にもの凄い勢いでずれる。






なんだこの衝撃!? 飛ばされる!





衝撃の源である横腹を見ると、そこには俺の腹を抉る何かがあった。よく見ると黒く輝くそれは、さっき吹き飛ばしたばかりのランスだ。




なんだと……!?


俺は状況の掴みきれないまま、ヘイトが吹き飛ばされたのとは逆サイドの家に衝突する。




家の崩壊する音が俺のすぐ耳元で聞こえる。当たり前だ、俺がぶつかった衝撃で壊れているのだから。




体を襲うのは痛み……こちらの世界に来てから嫌という程味わった感覚だ。





「まじ……かよ……」




俺は一人、ガラガラと音を立てる瓦礫の中で、文句を垂れる。




できることなら、このまま痛みを訴える体に従って寝ていたいが、そうも言ってられない。



俺は、屋根どころか壁すらない、もはや家の役割は果たせないだろうゴミの中で、隙間からの光を頼りに抜け出した。




怪我などしていないのだから、痛みさえ我慢すればこのくらいのことはできる。





外に出ると、体についた小さな岩やらなんやらがポロポロと落ちた。




なんとか這い出た俺は、ゴロンと仰向けに寝そべりながら呟く。






「あぁっ……またヘマした……」






これが飛んでくるということは、まだあの虫吐きです野郎は動ける状況だということだ。






「つくづくかっちょ悪い男だよな……俺は」





俺は悲鳴をあげる体に鞭を打って立ち上がった。




「いってて……」








そうして、腰を抑えながらやっとこさ立ち上がった俺の耳に、聞きなれた声が聞こえた。




「シルドー様ぁあああ!!!!」




声の方を見ると、アンがこちらを見て叫んでいた。こっちに来ようとして、モブCに止められているようだ。





「こっち来んなよ……?」




俺は片手を上げて無事であることを伝えると同時に、つい文句が出た。





「俺の第二の人生、ハードモードすぎないか?」





そんな俺の何気ない呟きに反応する声がした。





『いいじゃないですか、私は波乱万丈上等ですよ?』





のんびり暮らしたい俺と、この付喪神は気が合いそうにないな……





そんなことを思いながらも、問いかける。





『そりゃあ、ご希望に添えて何より……で?ヘイトの野郎とさっき出てきた騎士団、どっちを相手にすべきだと思う?』



『そうですね……まずヘイトを秒殺して、その後で今出てきた奴らを全滅。というのはどうでしょう』





……相変わらず、うちの相棒は面白いことを言う。






「だが……悪くない!」






迅速に行動しないとな……





まずはヘイトのもとまで全力で走る。






体は痛さで言うことを聞かないが、無理やり動かした。





どこだ? 奴は今、俺に向かって武器を投げたせいで、ランスもない状態で死にかけてるはずだ。





大丈夫、俺が躊躇わない限り確実に倒せる。






確か、この辺りに吹き飛ばしたはずなんだが……






そうして、周りの騎士団の様子に気をつけながらも詮索していると、頭にイチジクの声が聞こえた。





『見つけました。左、十時の方向、瓦礫の下です』





さすがだ、俺と同じ視界を見ているはずなのにすぐに見つけてくれる。





言われた通りの方向を見ると、ボロボロになった木材の下に、見覚えのある顔が見えた。






急いで駆け寄ると、確かにそこに奴はいた。身体中血だらけで、絶体絶命というやつだった。




その周りには、ぺちゃんこになった幼虫の残骸が大量に散らばっている。





「お前、まさか自分の体内から虫を出して、クッションにしたのか?」




なぜこいつがあの衝撃の中で生きていたのか、その答えがこの昆虫にあるように感じた。








側からみれば、大量の虫とともに死にゆく一人の男……



これをしたのが己だという事実が重くのしかかる。しかし、戸惑ってもいられない俺は、自分自身に言い聞かせた。






「大丈夫、これは正しい行いだ。俺がやらなきゃアンが死ぬ、俺も死ぬ」





死にかけのヘイトの目の前で、無傷の俺は蔑みの目を注ぐ。






「おまえ、よく生きてたな」



「くくっ、それはこちらのセリフです」





奴は、笑いながらまた虫を一匹ペッと吐き出した。




そこから先、俺に迷いはなかった。ただやるべきことをするだけ、俺は会話をする時間も惜しいと、刀を逆手にしてヘイトの胸元に突き立てる。






「すまんが、死んでくれ」






俺はそのまま振り下ろした。

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