第14話

「……さま! 起きてください!」



誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。

俺はなかなか動かない口を、無理矢理動かした。



「あと十体降ってきたらなー」



俺を呼ぶ声なんてイチジク以外ありえない。



にしても今日のイチジクはやたらハキハキ喋るな? 普段あんな無機質な声なのに……




そんなことをボンヤリする頭で考えていると、さらに大きな声が聞こえてきた。





「何を言ってるんですか!? 早く起きてください! シルドー様!!」




「……なんだよぉ?」





俺がゆっくりと目を開けると、目の前に女の子の顔があった。

小豆色の目はうるりと光り、ちょこんとした鼻が可愛らしい。



「あっ、そっか……おはようアン」




俺はその女の子に挨拶をした。こうして挨拶をするのも久しぶりだ。




「えっ? あっ、はい! おはようございますシルドー様!」




元気の良い挨拶が聞こえる。




うんうん、元気なのはいいことだ。




だが……俺、朝弱いんだわ




「俺はもう少し眠るよ……何かあったら起こしてくれ」



そうして、一度開きかけた目をもう一度閉じようとする……が、アンの声が俺を寝させない。





「シルドー様!! もうその何かが起こっているんですよ!!」





また、寝ぼけている頭に声が響く。





「なんだ……? 俺は敵に囲まれでもしない限り起きないぞ?」




俺はアンの必死な声にその重い瞼をゆっくり開ける。とりあえず、上半身だけでもと、俺は体を起こした。




「……ん? だれか、いる?」




俺の半分開いた瞳には、五十メートルくらい先に立つ人影が映っていたのだ。




寝起きでボヤけてるのかと、右手で目をゴシゴシして改めて見る。それでも人の姿が見えた。



それも一人や二人ではない。俺とアン、ルビィドラゴンを囲むように何人もの人が立っている。







それを見て、夢か真か確認するための声が喉の奥から漏れた。



「なんか、剣を抜いた人たちに囲まれてるんだが……?」




「はい、一応こうなる前にお呼びしたのですが……」


アンが申し訳なさそうに言う。





そう、彼らはただ立っているわけではない。各々剣を構えており、あろうことかその剣先を俺たちに向けていたのだ。



「そうか」



アンもちゃんと起こしてくれていたのだろう。



剣先が朝日に照らされてキラリと光る。

とりあえず緊急事態に、俺は腰をあげる。




まぁ、敵対する気もないし大丈夫だろうと、大きく伸びをしながら彼らをよく見る。



そこで、皆が胸元につけた赤いワッペンのようなものに目がいった。




「ん? あの紋章どこかで……?」




見た記憶があるのだが、それがいつどこで見たものかまでは分からない。



何だったかな……



考えていると、いつまでも答えが出ない俺に呆れてか、イチジクの声が聞こえた。





『マスターあの紋章は、確かイーストシティの自警団のものです』




あ、そうだ、思い出した!



ジャニー兄弟の親父さんがつけていた紋章だ。




八年前、ゴブリン退治に乗り出した自警団のことを思い出す。




「アン! あいつらはイーストシティの自警団だ。一旦会話は俺に任せてくれ」




アンは人間にとって忌むべき存在だと聞いた。ここは穏便に済ませるためにも、俺が出た方がいいだろう。





大丈夫、この程度の逆境、これまで何度も乗り越えてきた。俺は深く息を吐いて、心を落ち着かせる。




「俺の名前はシルドーだ! とりあえず落ち着いて話し合いをしよう!」




やはり日本人としては平和的解決を目指したいものだ。

そもそも、こちらは何をしたわけでもないし聞いてくれればいいが……





どうやら話す気くらいはあるようだ。



「我らはイーストシティを守る自警団だ! 街に脅威をもたらす存在、ルビィドラゴンの偵察に来た! お前は我らの街の者か?」




取り囲む中で一人馬に乗った、鎧の男が大声を上げる。フルフェイスの鎧を装備しており顔は見えないが、低い声から男だと分かる。




ルビィドラゴンの偵察と聞いて、もっともだと思う。




なるほど、そりゃあS級のドラゴンの街への接近をやすやすと許すわけがないよな。





しかし、イーストシティの者かと聞かれれば答えはノーだ。





「違う、俺はアプルの森で暮らしていた! だが敵意はない! 武器を収めてほしい!」





俺は手に持っていた刀を地面に放り投げて言った。これでこちらの敵意のなさは伝わっただろう。






……が、彼らは武器を一向におろそうとしない。






例のフルフェイスが叫ぶ。





「そういうわけにもいかん! それはルビィドラゴンだろ! それに……隣にいるのは魔族ではないか!! 其奴がドラゴンを街に送り込んだのか!?」






「ちっ……物分かりの悪い奴らだな」






しかし、こちらに信用出来る者がいない以上、警戒するのももっともだ。ここはまず誤解は解かねばなるまい





俺は、武器を捨てた両手を広げて彼らに言う。





「大丈夫だ、このドラゴンはもう死んでいる! それに、この娘は半魔族であってお前らに危害は加えない!」





俺は確認を取るように後ろに控えるアンの方を見ると、アンはしっかりと頷いた。

よし、これで剣を下ろしてくれるだろう。






早速話し合いを……





「おい……!? なぜ武器を下ろさない!」




武器を収めてくれると思っていたが、ここまできても自警団は武器を仕舞う気配がない。むしろ、より警戒心を抱いたようだ。




俺は重ねて訴える。




「おい、こっちに敵対する意思はないんだぞ!? ドラゴンももう死んでいる!」




その証拠にと、ルビィドラゴンをパンッと叩くが、彼らはそれを見ても態度を変えない。






こいつらはなぜ武器を構えているんだ? 何に対して? 誰に対して?






……アンに対してなのか?







後ろからそのアンの声が聞こえる。




「シルドー様、これが普通の半魔族への対応なんです」




俺は、その声に反射的に後ろを向く。





そこには、ドラゴンの前で微笑みながら立つアンがいた。

その笑みは、悲しさや悔しさを隠そうとしているようだった。






やめろ……そんな顔するな気持ち悪い。






彼女はゆっくりと口を開いた。





「はぁ……シルドー様、いえ、シルドーもういいです。私は自警団とともに行きます」



「……は? いきなり何言ってんだ?」




 彼女は続ける。




「いえ……あなたみたいな人に恩をもらうくらいなら、捕まった方がまだマシと言うだけの話です」





「……おいアン、それはどういうことだ?」





「どうもこうも、あなたと一緒にいるくらいなら死んだほうがマシというだけの話です。では、さようなら」




 そう言って、アンは俺に背中を向ける。




「おい待てアン。行くなら恩を返してから行け」



「恩を返せ……ですか、あなたらしいですね。でも、却下です」



「なら、力ずくで聞かせるぞ?」



「……さて、できますかね?」



「ほう……言ってくれるじゃないか。確かに俺は戦闘力で言えばそこらの村人より弱ったいだろうがなぁ……たかがアンの分際で、思いあがるなよ?」




「……ふんっ、貴方ごときが半魔族である私に勝てるとでも? それこそ思い上がりです」





 俺たちの会話はエスカレートする。





「なんなら、試してみるか?」



「上等です……と言いたいところですが、貴方のメンツのためにも、やめておいてあげます。ほら、自警団の方々、連行するなら今ですよ」





 そう言って、アンはまた笑った。





「ふふっ……ほんと、使えない男でしたよ……あなたという人は。都合よく使ってやろうと思っていたのに、結局何の役にも立たなかった」




アンが挑発するように嘲笑う。






そのタイミングで、イチジクの声がした。





『マスター、分かっているとは思いますが……』



『ああ、分かってるよ』





皆まで言うなと、イチジクを止めた。




イチジクはこう言いたかったのだろう。





『アンは演技をしているのだ』と。





彼女はどこまでいっても優しいのだ。優しくて優しくて優しくて……甘えるべき時に甘えられない、それが彼女だ。




今も、俺に嫌われるために必死なのだろう。

アンは考えているのだ。俺が、武器を構える自警団と敵対しない方法を。




アンはこれまでにないくらいに饒舌に感情のこもっていない言葉をペラペラと並べる。






「はぁ……やっぱり貴方と出会ったのは間違いでしたね。ほら! 自警団の皆さん。はやく連行するなりしたらどうですか?」






それを聞いても、俺は至って冷静に考える。




こいつ、バカだなぁ……




アンは宇宙規模のバカだ。




俺がここで、アンに腹を立てて攻撃を仕掛ければ、それだけで俺は自警団に仲間として迎え入れられるのだろう。





恐らく、アンもそれを狙って演技しているのだ。





つまり、アンをとるか自警団をとるか……





しかし、そんな選択肢は意味をなさない。






「だって……この俺が、男か女か選べって言われて、悩むわけがないだろ?」





その声は聞こえていないのだろう。アンは、目を逸らしたまま、未だに俺に罵詈雑言を浴びせかけていた。





それをBGMにしながら俺は考える。



なぜアンがこんなことを?



それは、それはアンが半魔族だからだ。それだけだ。





『おい、イチジク……なんで半魔族はここまで人間に嫌われてるんだ?』





俺の静かな質問に、同じく静かな返答が返ってくる。




『それは約五十年前、見た目の醜さとその強さへの嫉妬から人族に迫害された半魔族数十人が、反乱を起こしたからでしょう。彼らはイーストシティの王城まで乗り込みますが、そこで王の騎士団に捕まり、公開処刑されたのです。それからは、英雄の騎士団と残虐の半魔族とされていて、半魔族は魔族と同様、残虐で悪とされているのです』





昔そんなことがあったのか……


だが、やっぱりアンは何も悪くないじゃないか




この自警団の連中は、それすらもわからない大バカなのか?




その確証を得た俺は、ポツリと呟く。







「アン、俺は決めたぞ」


「え……あ、よ、ようやくですか」





俺はそう言うと、アンに背を向けた。自警団の隊長らしき人が前方に見える。





それを見たアンは、震えた声で笑った。





「そ、それでいいのです! これで私たちの関係も終わりです……清しぇぃ……しましゅ」





アン、後半は泣きながら言うなよ……本当に下手くそな芝居だな。






俺は、自分が選んだ選択肢を背にして叫ぶ。






「聞けぇええ!!!! 自警団諸君!!」






俺はここにいる全ての人に聞こえるような声を出した。こんなに大声を出したのはいつぶりだろう。





突然の大声に自警団が静まり返った。彼らの手には、より強く握られた武器がある。





しかし、俺はやめない。






「ここにいる半魔族様はなぁ!! お前らの恐れるところの、このS級ドラゴンを倒した方なんだぞ!!」




その言葉に後ろから小さな抗議の声が聞こえる。




「シルドー様!! 何をおっしゃっているのですか!?」




アンの言うことは無視だ。これは俺の自分勝手な行動であって、アンに文句を言われる筋合いはない!





「つまりどういうことか分かるか!? この半魔族、アンはお前ら並びにイーストシティの恩人ということだ!!」






自警団が目に見えてたじろぐ。実際にルビィドラゴンの死体という証拠がある以上、俺の言葉は真実味を帯びているのだろう。






「さらには、だ! 諸君らの命はこの最強半魔族、アンのご機嫌次第というわけだが……それが分かっていてまだ剣を向けるのか!!」


 



最初はこのまま黙ってアンと逃げることも考えた。だが、それだとこれから先ずっと逃げ続ける羽目になるだろう。そんな面倒なことになるくらいなら、ここで善悪をはっきりさせた方が楽だと判断したのだ。

 やりようによってはこちらが優位に立てるというのに、逃げるなんて馬鹿らしい。






そんなことを考えていると、イチジクから少しだけ厳しめの言葉が来た。





『マスター、分かっていると思いますが、嘘で現実から逃げても何も解決しませんよ』




『あぁ、分かってる』




『それでも、手伝ってあげるのですか?』




『手伝う? なんでこの俺が』






 と言い切りたいところではあるが、これは紛れもなく善行だ。俺は、ハァーッと大きくため息をついてから、脳内に続けて言葉を送る。






『……と言いたいところだが、今回は何かの縁だろう。手伝ってやるつもりだ』





正直、そんな面倒くさいことは、どこぞの王子様にでもやらせたいが、どうやらこの場にはそんな奴いないらしいしな……





 変わるべきなのは、アンかそれともこの世界の方なのか……





すると、それが聞こえていたように、イチジクからの返答があった。





『「何を」変えるのかとは聞きませんが、マスターは一般市民なんです。思い上がらないでくださいね?』


『それは無理をしないように頑張れよってことか?』


『……違います。マスターは国語能力がゴブリン並みですね』





いや、ゴブリンだって凄いんだぞ……?






俺は叫んだ姿勢のまま、自警団の面々を睨む。





問題はこの話に自警団が付き合ってくれるかどうかだったが、リーダーと思われる鎧の男が剣を収めたところを見ると、とりあえず話はできるようだ。





「いやぁ〜すまなかったな! どうしても半魔族にいいイメージを持てなくてな!」





鎧男が手のひらを返すようにフレンドリーに話しかけてきた。それを合図にするように自警団が武器をしまう。




それを見て、相手に聞こえない程度に呟いた。




「異質な者は排除しようとするのに、同じ異質な者でも、明らかに脅威となる異質には従おうとするんだな」



『それが人間というものです。マスターもそうではないのですか?』



「そうだな……あぁ、紛れもなくそうだ」





 俺はそう答えながら、閻魔様の顔を思い浮かべた。





馬から降りた鎧男がこちらに進んでくる。残りの自警団は、同じ位置でこちらを見ていた。




「行きますか……」




俺も刀を放り出したまま、その鎧男に向かって歩き始める。


遠目でもわかるくらい、そいつはデカかった。鎧越しにでもわかるガタイの良さ。





それでも精一杯堂々と、俺も足を進める。





『警戒してください。この男から僅かな殺気を感じます』




僅かになっただけでもさっきよりマシだろう。それに、この状況で完全に殺気を消した方がよほど不気味で恐ろしい。




そうは分かっていてもやはり、恐怖は収まらない。額に流れる汗を感じながら俺は足を進める。




そして、俺と鎧男の距離があと数歩に迫った。






そこに来て、俺の前まで来た鎧男は頭につけたアーメットヘルムに手をかける。


これからアレを外そうというのだろう。





すると、予想どうり彼はそれを上に持ち上げた。





鎧越しではない、クリアな声が聞こえてくる。





「シルドーでよかったか? 俺は自警団の団長をしている者! 名前は……」






その顔を見た時の俺の表情はさぞかし滑稽だったことだろう。目を見開いて、もしかしたら口も開いていたかもしれない。しかし、それも仕方がない。それほど驚いたのだから。






俺は唖然としたまま、尋ねた。






「もしかして、『ジャニー』か……?」





なぜならその顔は、忘れもしないジャニーのものだったのだから。俺が鍋蓋として生まれ落ちた家の大きい方の息子、俺を盾にしてアプルの森に行った戦士、そのまま放置して帰ったガキ……そして何より、俺の名前を付けた名付け親。





すると、その本人は少し眉を顰めた。





「なぜ知ってるんだ? まだ名乗っても無いと思うのだが?」




しまった! つい名前を口に出してしまった!




慌てて俺は、適当な言葉を並べる。




「いや、すごい団長だって噂はよく聞くよ」




しかし、団長をするくらいだ、多少は有名なのだろう! これでごまかせたらいいが……




「ん? シルドーはアプルの森に住んでいたんじゃないのか?」




ごまかせてねぇ!! そういう設定にしてるんだった!




しかし、その焦燥もすぐに安堵へと変わる。




「そうか! 分かったぞ!! 俺の武勇伝はアプルの森にも轟いているんだな!!」




一人焦っていると、勝手にジャニーが勘違いしてくれたのだ。




そういえば、ジャニーって自分たちだけでアプルの森に行けると豪語するほど、自分の評価高かったな……どちらにせよこれは好都合だ。



俺は、彼の勘違いに便乗する。




「そうなんだよ、さすがジャニー団長!」




その言葉にジャニーは誇らしげに胸を張る。







ジャニー君、八年間でこんなチョロ男に成長しちゃって……お兄ちゃん悲しい。




しかし、そんな和やかなムードも一瞬で変わる。




「ところでなんだが、ルビィドラゴンを倒したのは本当にそこの娘でいいのか?」




ジャニーに鋭くなった真名子で目を見られる。ジャニーの方が背が高いからか、その迫力はすごいものだった。





さっきまでの親しみやすさはどこにいったのか……





「あぁ、ドラゴンが倒れる瞬間をこの目ではっきりと見た」





嘘は言っていない。ルビィドラゴンが倒れる瞬間は本当に見た……うん、本当に。





「そうか……」




ジャニーはそれだけ言うと、俺の肩を叩いて後ろにいたアンのもとへ歩き始めた。




それに合わせて、俺も体を反転させる。





「半魔族!! 名前は……アンと言ったか?」


「は、はい……」




何が何かわかっていないのに、突然話しかけられたアンは、僅かにたじろぐ。





「さっきも言ったように俺はここの団長をしている! 正直、半魔族のお前が我らの命の恩人だとは全く感じていない!」





こいつまだ……





てか、子供の頃と口調がえらく変わったな?



偉そうというか何というか、団長として威厳を出してんのか?



ただ元気で威勢のいいところは変わってないか……







俺はひとまず、黙って話を聞く。






「だがな! 事実としてS級生物ルビィドラゴンの死体を前にして、お前がやってないとは断言できない!」




 魔族や半魔族っていうのは人間離れした力を持っている。アンがこのドラゴンをやったという可能性は十分あると考えるだろう。




本当は俺がやったんだけど……




「そこで、だ! おま……いや、アン殿を王都に呼ぼうと思う! ドラゴンの脅威は去ったことを住人に教えるのと、その英雄様の凱旋のためにな!」




王都とはイーストシティのことだろう。あそこには王城もあった記憶がある。しかし、納得とともに一つの引っ掛かりを感じた。





なるほど……ルビィドラゴンの様子を見に来た自警団としては、ルビィドラゴンが死んだという証拠を持って帰りたいと……




『だが、なぜアンも一緒なんだ? ルビィドラゴンだけ持っていけばいいじゃないか』




すると、イチジクからすぐに返答があった。




『ルビィドラゴンほどのドラゴンから採れる素材はどれも逸品です。まさかそれを倒す圧倒的に強い人に対して、そんな貴重なものくれなんて要求できないのでしょう』





そういうことか……





強いだけじゃなくて、迷信でも残虐だとも考えられている半魔族から、貴重なルビィドラゴンの死体を奪い取るのも不可能と考えたのか。






アンの方を見ると、彼女は自警団からの誘いに目を白黒させていた。突然訳の分からない提案をされたらそんな反応にもなるだろう。




やがて困ったようにこちらを見たアンと目があった。




『マスター、目があってますよ?』



『分かってるよ……イチジクは行くべきだと思うか?』




俺自身、どうすべきか分からない。こんな時はイチジクに聞くのが一番だ。





『私は行くべきではないと思います。理由は二つ。まず、自警団から未だに殺気を感じること、もう一つはルビィドラゴンを倒したからといって、半魔族が英雄扱いされるわけがないからです』



『人間の街に行って凱旋しても、これまでみたいに辛い思いをするだけか……』





正直、今このタイミングで人間の街に行くメリットはさほどない。

そうと決まればアドバイスをと、俺はジャニーの後ろからアンに声をかけようと口を開く。




……が、ちょうどそのタイミングで、アンの方が先に言葉を発したのだった。




「わ、分かりました! 私、行きます!」




 それに対して俺が間髪入れる間もなく会話は進む。




「うむ、では準備をしてくれ! 俺も団員に指示を出すのでな!」




そう言ってジャニーは、アンのもとから引き返して去って行く。ぼけっとしている間に、俺の背後に戻っていった。






「……え?」




思わず俺の口からとぼけた声が漏れる。




「おい、アン! 行くって本気か!?」




俺は、大股でアンのもとに歩きながらアンに尋ねる。





「す、すみません! ダメでしたでしょうか?」





 話し方がいつものに戻っている。




いや、ダメって訳でもないが……






すると、彼女は俺を前にして顔を伏せた。そして、小さな声で力強く言う。




「で、ですが! シルドー様はもう私と一緒にいる必要はないのですから、行くなら私だけでも……」




あ、そういえば、アンはもういいとか言っていたな。




だが、そんなことは俺が認めん! このままじゃ、善行を成したことにならないではないか!



それに、こんな可愛い子と離ろって? なぜそんな勿体無いことをせねばならぬのか……





「おい、アン! 契約を結ぶぞ!!」




俺はアンのすぐ前まで進むと、肩をがっちり掴んでアンの目を見る。





「契約……ですか?」




「あぁ! これまで、なあなあの関係だったからな! ちゃんとしたやつだ!」





俺は大きく息を吸い込む。

この契約はお互いにとって利益になるものだ。お互い自分のために相手を犠牲にする、そんな契約だ。




「これから少しの間、俺はアンが自立できるようにその手助けをする! 逆にアンはその間、俺の目的であるドラゴンの後始末をする側にいてくれ! これが契約内容だ!!」





具体的にどういったものかは分からないが、俺は出来る限り、手助け……なんて善行をしてやろう。

しかし、その間は逆にアンが俺の手助けをするというウィンウィンな関係。






……どうだ?






不安になる俺にアンが目を見開き、それからにっこり微笑んだ。




そしてそのまま、口に手を当てる。





「ふふっ……分かりました!」





彼女は、俺の方をしっかり見てこう言った。





「契約成立です」






 互いの目が合い、ここに一つの契約が結ばれた。





 互いに手を出して、ギュッと握手をする。アンの手は柔らかくて、僅かに湿っていた。







「契約……か」





これでよかったのだろうか? 契約はこれまでの関係よりも強固で、それでいていつかは確実に壊れる脆さのある繋がりだ。





だが、後悔はしていない。これが、互いにとっての最善策のはずだからだ。





すると、こんないいシーンなのに頭にイチジクの声が響く。






『マスター、アンはルビィドラゴンのせいで、こんなところに生贄にされたのですよ?  結局、このアンのサポート自体がドラゴンの後始末になるのでは?』




つまり、アンを助けるのはドラゴンの後始末を掲げた時点で決定事項だと言いたいのか?




『……何が言いたいんだ?』



『いえ、こんな一方的なものをを契約と呼んで良いのか、と思っただけです』




こいつ……いちいち細かいことに気がつく。





『いいんだよ……この世の中そんなもんなんだから』




イチジクは頼りになる分、こういう時のツッコミが怖い。



だがしかし、この世の中そんな理不尽なことばっかなんだよ!!






『まぁ、そもそもマスターはドラゴンのしたことに責任を感じる必要はないですからね』


『それでも、善行大好きな鍋蓋は決めたんだよ』


『なら、その鍋蓋の付喪神である私は貴方を支えさせていただきます』





俺は転がっていた刀を手に取った。



「あぁ、これからも頼んだ」





後ろではルビィドラゴンをどうやって運ぶか話し合いが行われている。




そうだ、これははっきりさせとかないとな。

俺はアンの方を再び見る。





「アン……ところでなんだが、人間への復讐ってのは、やるつもりなのか?」




 これは別に、反対だ! という意味で尋ねたのではない。ただただ、これからの方向性を決める上で大切になるから聞いた。





一応ちゃんと確認しときたくて、と続ける。






 すると、アンは節目がちに頭を掻いた。







「私は……私は、お恥ずかしながらそんな大層なことは考えていません。むしろ私は、周りの人に認められたいな、仲良くしたいなって、そう思います」





「なるほどねぇ……まぁ、そっちの方が楽そう……コホンッ、いやなんでもない。要は、アンが人間と仲良くできるようにすればいいんだろ?」






 気楽にそう尋ねると、アンは笑みを消して、上目遣いにこちらを見てきた。




「そんなこと……出来るのですか? やっぱりご迷惑ではありませんか? もしそうなら、やはり先程の契約は……」





 そこで、俺は待ったをかける。





「心配するな。むしろ今契約を破棄されると、俺が(善行が達成できなくて)困るんだよ。だから、まぁ、ほどよく任せとけ」





「シルドー様が困るのですか?」




「あぁ、今のは気にするな。それよりほら、行くぞ」




「はい! 今後とも、よろしくお願いします!」

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