第6話




あの騒動から一日が経った。




あぁ……暇だな。




 朝日が木々に差し込むことでできた木漏れ日を浴びながら、俺は思う。




一枚の葉がヒラヒラと、情けなく俺の上に落ちた。




そう、ジャニー君に置いていかれた鍋の蓋は一晩経った今でも、土の上に転がっていたのだった。




獣一つ通らない、穏やかな空気の中で一人叫び声(無音)をあげる。




はぁ……確かに熱せられずに済むようになったけど……暇!! 動けないの! 誰か! 誰か私を連れ去って!



白馬の王子様を待つお姫様ってこんな気持ちなのだろうか?





しかし、姫様でもなく、物理的に動くことができない鍋蓋は、このまま朽ちるのを待つしかない。





昨日からずっとこのままだし、本格的にこれはマズイかも……







ーーそう思った矢先、事態は大きく動くことになる。




パキッと、後ろにある人の腰ほどの高さの草が折れる音が聞こえたのだ。




まさか本当に王子様!?



急いで音のした方を見る。




すると、つい最近見たことのある顔が木陰から姿を現した。






それは決して白馬の王子様では無い。むき出しの牙、緑がかった小さな体、片手に持った棍棒……王子様とはかけ離れた存在、ゴブリンである。




ゲッ! もうゴブリンはいいよ!




昨日までは会ってみたいと思っていたが、あんな思いをしてからはもう懲り懲りだ。




そんなことを思いながらも、ゴブリンの方へと目を向ける。



そこで、気がついた。




あれ? よく見ればあのゴブリン……昨日ジャニー君を襲ったやつじゃないか?




正直ゴブリンの顔はみんな同じに見えるが、そいつだけは特徴的でわかった。



奴は、奴だけは腰に布を巻いていなかったのだ。普通のゴブリンは、みなボロ切れであっても、腰に何か布をまいていた。


しかし、彼は昨日、初めて会った時からぷらんぷらんしていたのだ。何が、とは言わないが……。




なにかを探してる……?




やって来たゴブリンは、キョロキョロなにかを探していた。もしかしたら昨日討伐された仲間の死体漁りをしにきたのかもしれない。



と思ったが、同じゴブリンの死体になど見向きもしなかった。背中に矢の刺さったゴブリンの隣を平然と歩いている。




じゃあ結局、何しにきたんだよ




気になった俺が、うろうろするゴブリンの様子を観察していると、しっかりと目があった。まぁ、俺に目はないから、正しくはゴブリンが一方的に俺を見たのだ。





そして、そのままゆっくりと近づいてくるゴブリン。





な、なんかこっちに来たぞ!? 昨日攻撃を防いだからって八つ当たりでもする気なのか?




俺、か弱い木の鍋蓋だよ!?




傷つけるなよと慌てる俺など気にすることもなく、ゴブリンは距離を詰めてくる。



「グギギギッ」



そしてついに、目の前まで来たゴブリンは棍棒を持つ手とは逆の手で、俺のことをヒョイっと持ち上げた。





え! ちょっと待て! 俺をどうする気だ!?





 すると、ゴブリンは俺をその指で掴んだまま歩き始めた。




 どうやら、俺を何処かに持っていくつもりらしい。





 いや、たしかに誰か連れてってとは言ったけど!


チェンジで!! チェンジでぇ!!





そんな叫びも届かず、裸ゴブリンは来た方向へまた歩き始めた。





こうして抗うことのできない俺は、人間の次はゴブリンの手によって森の中を進むのだった。






このゴブリン……目的地はあるのだろうか? 俺はどこに連れていかれるのか……





ゴブリンは、何に遭遇するわけでもなく、ひたすらに歩く。





ほんと、俺の第二の人生、荒れすぎだろ……








ーーそろそろ森の浅瀬とは言えないくらいの場所まで歩いたころ、藁で作られた小さな集落が見えてきた。




ここが、こいつの目的地なのか?




森の中にぽっかり空いた空間に、藁でできた家が十件ほど立ち並んでいる。どうやら彼らなりのコミュニティを形成してるみたいだ。






 ゴブリン村……か?






あたりを観察していると、藁の家の中から、ごそごそと何かが出てきた。このゴブリンよりさらに小さな子供のゴブリンだ。




このゴブリンの息子か娘なのだろうか? 裸ゴブリンを見て擦り寄ってくる。





「父ちゃん、お帰り!!」


「おう! ただいま! 我が愛する息子よ!」





……なんて、アテレコしてみたが、本当は





「グギャア! ググギッ!」


「ググキャァ! グギギ!」





みたいな感じだ。何言っているのかさっぱりわからない……人語理解のスキルはやはり人の話す言葉じゃないとわからないようだ。





くそぉ……普通こういうのって、みんなが知らない言語を理解できて、すげぇ!! って主人公が思われる展開じゃないのかよ!!






しばらくすると、彼らは戯れもほどほどにして、俺を外の薪の近くに運んだ。





「グギギィ……」





そして裸ゴブリンは満足そうに声を漏らすと、俺を放り投げて、くるりと方向を転換した。





イテッ! もうちょっと丁寧に扱えよ!!





俺は地面に叩きつけられ文句を言うが、裸ゴブリンは気にせずにそのまま子供達と行ってしまう。






落ち着いて周りを見渡すと、横には積み重なった薪が見えた。大きいものから小さなものまでよりどりみどりだ。





それを見ると、一つ、最悪なシナリオが頭に思い浮かんだ。






まさか、この薪と一緒に俺を燃やすんじゃないよな……?





……いや、これだけちゃんとした薪を持ってこれるんだ。わざわざ俺を燃やそうとはしないか。





じゃあ、俺は何のために……





その時、俺の考えに答えるように前の藁の家からゴブリンが出てきた。脇には何かを抱えている。





 ……あれは、なんだ?





 脇に抱えられたそれは、なにやら爬虫類らしい生物だった。トカゲを人一倍大きくしたような……そうだ、イグアナ。



 ゴブリンに持たれた生物は、俺の知ってる生物で言えばイグアナに似ていた。



 頭を殴られたのだろうか? その頭部から血を流していたがまだ若干生きているようで、その長い尻尾が微かに意思を持ってプランプランと揺れていた。





 そんな大小様々なイグアナ似の生物を抱えたゴブリンが次々と藁の家から出てくる。

 





 あの死にかけの生物をどうするつもりなんだ?






 その使用用途を考えた時、一つの考えが頭に浮かんだ。






 食べる……のか?






思わず、音にならない言葉が漏れ出た。






ちょっ……!!






まっ、まさかゴブリンが料理するなんてことないよな!? な!! おい!!






ゴブリンといえば、生肉を惨たらしく食べるイメージである。まさか、料理なんて似合わないことしないだろう。






俺は、自分に言い聞かせるように、一人で騒ぐ。






その肉、生で食べるんだよな!? まさか煮たりしないよな?






しかし、現実とは非道なり。死にかけのイグアナを持ったゴブリンに続くように、別の何かを持ったゴブリンが、彼らなりの笑顔をしてやって来たのだ。






って、そこのゴブリン! なに笑顔で持ってきてんだ!? その形……鍋じゃねぇか!!





ここまでくれば、もう彼らのしたいことは分かってしまう。






何でゴブリンが料理なんかするんだよ!!


マジで勘弁してくれ!





やがて、やってきたゴブリンが、囲んだ石の中に薪を並べ、火打ち石らしきものを取り出す。カツンッと石のぶつかる音が辺りに響いた。






それを合図とするように、ゴウッと細い枝、そして薪が燃え始める。






……ははっ、もう好きにしてくれ!!





ーーそして俺は……







 また鍋蓋の役割を果たすのだった。






うぅ……熱かった……







骨の芯までじっくりと煮られた肉を見ながら、熱くなった体を大気で冷やす。





常温ではあったが、鍋の上と比べると、天国のようだった。






にしても、ゴブリンたち、なんの味付けもしてなかったな……






 ゴブリンの料理は料理と呼べるよいなものではなかった。恐らく、食料を煮たのは殺菌消毒のためだけだったと考えられる。 

 新鮮な食料をただただ安全に食べるために生物的に学んだ野生の知恵なのだろう。






 ぜん……ぜんっ美味しそうじゃないし……






俺はゴロゴロと姿形そのままのイグアナ似の煮物を前にして目線を逸らす。






 うげぇ……ちょっと、グロいな……






 蓋だったからこそ分かる。今は動かないこいつら、鍋の中では最期の悪あがきとばかりに動き回っていたのだ。





 少しずつ息絶えていくさまは、弱肉強食の意味を体現していた。






 成仏しろよと、もう一度スープを見る俺の右上、ステータスの部分に目がいった。

あれ? なんか変わってね?






名前 シルドー

種族 盾

Level 1 → 3


攻撃力. 0

防御力. 50 → 534

魔力. 0

素早さ. 0


スキル

熱耐性(上)



ユニークスキル

人語理解

進化







スキルの内容が追加されていた。






 レベルが3に、それに伴って防御力が150に上がってる……





 レベルが上がる理由、これは正直見当がついていた。






 例のイグアナ似の生物だ。奴らが息絶えるとき、なにかが体の中に入ってきたのだ。

 恐らく経験値と呼ばれるものだろう。







 ま、RPGだと常識だよなぁ……




 そう、RPGだと、だ。ロールプレイングゲーム、つまりゲームの世界だと、常識なのだ。





 いや、まさかな……





 仕組みはよく分からないが、そういうものだと納得する。前世でよくゲームをやっていたからか、すんなりと受け入れることができた。








そのおかげか熱耐性に上がついたし……とにかくこれはラッキーだろう。熱さには毎回苦労させられていたのだ、少しでもましになる可能性があるなら言うことはない!






ーーそして、この効果を知る機会はすぐに訪れることになる。晩飯の時間になったのだ。


ゴブリンたちは人と違って、一日に朝晩の二食らしい。




「グッグッギッギーー」



お馴染みの料理役のゴブリンが鼻歌? を歌いながら調理を開始した。そして、以前同様に、他のゴブリンたちが薪に火をともす。




再戦の火蓋が切って落とされたように、ゴオッと木々が燃え盛る。




 彼らはそれを確認してから、鍋を火の上に吊り下げた。ちなみに火の上にあるのは鍋だけではない。まだ死んでいない新鮮な魚が、串刺しにされて鍋を取り囲むように並べられている。





それを見る俺は、朝食の時の俺ではない。防御力が上がり、(上)の熱耐性を持った新しい俺なのだ。





さぁ、出番だ。行こうじゃないか! 俺の戦場へ!!


フッ、どんな時でも男はいろんな意味で『クール』じゃないとな






心の中で無駄にかっこをつけた。なんたって俺は熱耐性の上のスキルを持っている。料理など恐るるにたらないのだ。







そして蓋は閉じられた……。







数分後……








あっつい!! ばっちり熱いじゃないか!


この全身を覆う痛みはなんだ!?


熱耐性! ちゃんと機能しろよぉ!!







クールな男はどこに行ったのか、俺は再び嘆き苦しんでいた。




だが、それも仕方ないだろう。ほとんど何も変わっていなかったのだ。確かにほんの少し、気持ち程度だが、熱さとそれに伴う痛みがマシにはなっているようには感じたが、ほとんど変わってない。もしかしたらマシになったと思ったのもプラシーボ効果てきなものかもしれない。





くそ、結局、どこまでいっても釜茹での刑ってわけか……






しかし、そんな絶望の中に、わずかな光を見出した。




いや、でもこのスキルレベルを上げていけば、本当に料理なんてへっちゃらになるのでは?




少なくとも、成長すると分かっただけでも、まし……なはずだ!!






相変わらずポジティブに考えられるのが、唯一の救いといったところだろうか。







ちなみに、晩御飯は生きた怪魚を煮たスープと生焼けの魚もどきだけだったことを伝えておく。





 

 ……ナマモノだから、俺の周りで死ぬことでレベルは上がったけども……






 もっと、ちゃんと料理しろよ!

 まいど激臭なんだよ……それを直に嗅がされる俺に身にもなれ!!

 





その雄叫び(無音)は誰の耳にも届けられることはなかった。
















ーーそして





 ゴブリン村での生活が始まり、約八年の時が経った。 






そう八年だ。ちゃんと料理しろよ……と叫んだ日からだいたい八年という長い月日が経ったのだ。




その間、何をしていたって? 何もしていない、ただ鍋の上にいただけだった。





ちなみに、善行? なにそれ、美味しいの? 状態……つまりは、なに一つしていなかった。こればっかりは、鍋蓋じゃどうしようもないだろう。








集落の入り口の方から、メスゴブリンの声が聞こえた。






「あっ、狩りに、行った、男ども、帰って、きた」


「おかえり、なさい」





続いて、子供のゴブリンの少し高めの音程の声も聞こえてくる。





「おぉ、今日は、アプルジカ!」


「ご馳走だ!」





それを当たり前のように聞いた俺は、視線を声のした方に上げる。





フッ……今日はまた大変そうだ。





カッコつけて言う俺は、八年経とうが成長していなかった。


当たり前だ、鍋は目に見えて成長はしないのだ。




しかし、実際俺は鍋蓋としては最強と言っても良い状態になっている。その証が、このステータスだ。







名前 シルドー

種族 盾

称号 鍋の友達

Level 53


攻撃力. 0

防御力. 8645

魔力. 0

素早さ. 0


スキル

熱耐性(極)



ユニークスキル

人語理解

進化 










 なんとこの私、50レベルを超えた!

 いや、これがすごいのかどうかなんて分からないが、毎日数回、経験値を摂取し続けた結果がこれだ。

 恐らく食料として運ばれて来るものはゴブリンにもやられるくらい弱いのだから、大した経験値の量でもないんだろうが、塵も積もれば山となる的なことでここまできたのだ。





そして、そう! なにより熱耐性をついに極めたのだ。この頃は、鍋の上の熱程度なら全く熱さを感じなくなっている!!




ついに俺は、料理の度に恐る必要がない蓋になったのだ!!!!





ここまで長かった……ようやく釜茹での刑ともおさらばだ。





そう思ってから虚しくなる。





夢の異世界に来てから何してんだ……俺は……





おっと! 気を取り直していこう! それだけではない!! なんと、ゴブリンの言葉を理解することに成功したのだ!!



これはスキルによるものではない。



俺にも彼らの声は「ギャァア」としか聞こえていないのが、その証拠だろう。



毎日毎日ゴブリンたちの会話を聞いていると、その音の違いを発見したのだ。

今だと、だいたいの言葉は解せるようになっている。



俺は、そこで今日までの八年間を一人振り返る。



八年間、自分じゃ何もできなかったからな……彼らの言語を理解することに全力を注いだ日々……



おっと、涙が……



蓋の内側についた水気が垂れる。





俺がこの八年間聞いたゴブリンの会話は、ひたすらにファンタジーな内容だった。




まず、俺が今いるここ、『アプルの森』は大陸の東に位置し、より西側の内陸に進むと、あの俺が生まれた王都『イーストシティ』に着くらしい。



逆方向、東に進むと活火山の山々があり、その先にはゴブリン曰くしょっぱくい水、海が存在しているようだ。

また、その火山帯には昔話題にも出たドラゴンなどの強力な魔物がいるらしく、ゴブリンも近づけないらしい。




俺は八年間過ごしてきた集落に目を向ける。




藁でできた家の軒数は三十を超え、集落の周りは、来た時には無かったオンボロの木の柵で囲われていた。



その内側では魔物の皮を剥いでいるゴブリンや、家の補強をするゴブリン、走り回って遊ぶ子供ゴブリンなんかもいる。



このゴブリンの集落も大きくなったもんだな……



ゴブリンの数は、来たときは二十匹程度だったのが、今や繁殖を繰り返し百匹に達しようとしていた。



この繁殖だが、別に人間に産ませるということはなく、ゴブリン同士でいいらしい。

ゴブリンが人間を襲うのは、その人間が持つ鎧や武器、道具を得るためのようだ。

彼らには柵を見ればわかるように、大した技術力がなく、この過酷な環境で生きていくには人間から道具を奪い取る他ないらしい。




改めて進化した集落をぼんやり見ていると、オスゴブリンたちが目に入った。




「グギャ、グギャア」



おっ、オスのゴブリンたちがまた狩りに出かけるみたいだな? 今じゃ獣一匹だと全員に食料が回らないからなぁ……




最近出来た集落の入り口、安っぽい木で囲まれたそこに十人程度のゴブリンの集団がいた。彼らは人から奪った剣や弓矢をぶら下げていて、他のゴブリンより体の筋肉が張っている。




耳を澄ませていると、小鳥のさえずりと一緒に彼らの声が聞こえた。



「おい!お前、今日から、こい!」






例の丸裸ゴブリン、(名をゴブ郎と言う)が、四年前に生まれた名もなきオスゴブリンに言う。





すると、そのゴブリンは意気込み十分に返事をした。





「はい、リーダー! 」



「うむ、気合、あるな」





 ゴブ郎は頷くが、新人ゴブリンは暗い表情を見せる。






「 ……でも、オレ、武器、ない」



「そうか……」





 そう言って、ゴブ郎が壁に立てかけてあった木刀を手に取る。





「では、この剣と、盾は……」





 そしてまたゴブ郎はあたりをキョロキョロ見渡す。その度に下半身の丸見えの部分がぷらぷらと揺れる。






お前も今やリーダーか……来たときは新入りだったのに……成長したんだな。





ゴブリンの成長に見守って来た存在として、感動していると、こちらを指さされた。





「あの、蓋、使え!」


「……フタ? フタ……はい!」




え? ゴブ郎、俺のこと指さしてない? もしかして、俺を盾にするつもりなのか?




そこで大切なことを思い出した。



そういえば俺、盾でもあったな……




それを思い出した時、俺はすでにゴブリンの手の中にあり、鍋のもとを離れていた。




久し振りに独特の浮遊感に苛まれる。感覚としては、遊園地などにあるバイキングに乗ってる感覚が近い。




こうして俺は新人ゴブリンに連れられ、八年間一度も出なかった集落を出ることになったのだった。











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