第4話
カッカッカッカッカッカッ……包丁の音か?
ザァーー……水の、流れる音
ジュワァーー……うまそうな匂いまでしてきた
心地の良い音が聞こえる。
うん、この音は知っている。大学に入るまでの約十八年間、毎日聞いてきた音だ。なんとなく、穏やかな暖かい音だ。
そろそろ一階から母さんが起こしに来るはずだ。
「朝ご飯できたわよー! 早く起きなさーい」
そんな声が今にも聞こえてきそうだ。今日も変わらぬ一日が始まるのだろう。
さて、目を覚まそうかな……
しかし、そこで何かの違和感を感じる。
ん……? なにか変だ
こ、これは……?
…………熱いぃいいいいい!!!!
アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!アツイ!
俺は熱さで目を覚ました。暑いのではない、熱いのだ。
目の前にぼんやり映るのは黄色。
とりあえずここから離れよう!!
俺は凄まじい熱さを感じるこの場所から早く逃げ出そうと体を動かす……が
あれ……?
いつものように動こうとした俺は、二度目の違和感を感じた。
これまでは当たり前のように動かしてきた手が、足が、顔が、
……動かない? いや、まるで無いみたいだ。
ぼんやりと視界が開ける。
目の前には、黄色いぼんやりとした何かが見える。
そこで、ようやく思考が働き始める。
そうだ、俺は死んだんだ。そのあと鬼に喧嘩売って閻魔様に会って、そして……
そして……地獄に落とされたんだ!
閻魔の奴は釜茹での刑だとか何とか言っていたが、これは、どういう状況だ!?
何が何だか分からないが、この熱さから釜茹での刑が始まっていることがわかる。
と、とにかく状況の把握だ!
手足が動かないというどうしようもない現状を踏まえたうえで、とりあえず熱さは我慢して冷静に状況を確認することにつとめる。
少しづつ視界が鮮明になっていく。
目の前に見えた黄色いものはエプロンだったらしい。
エプロン……? いや、でかすぎないか?
俺の視界を覆い尽くすサイズのエプロンは、どうやら着ている人物がいるらしい。
「ふ〜ん、ふふふ〜〜ん、〜〜」
声……というよりは、鼻歌が聞こえる。
どうやら、その歌は先ほどから見えているエプロンを着た人物によるものだった
黄色いエプロンを着た巨人が、俺に釜茹での刑をしてる鬼……なのか?
俺は、巨人の頭の方に目をやる。三十歳くらい、だな。
茶髪の膨よかな体型の女性だ。
容姿は人間そのもので、少なくとも鬼には見えない。
彼女の目線は俺の方に向いておらず、その目線の先は別の方を向いていた。
すかさずそちらに目を向けてみる。
ガッ……ゴトン……コツコツコツコツ……
彼女はそんな音を包丁で奏でていた。
俺の隣で魚? らしきものを捌いているようだ。
これは……本当にどういう状況なんだ?
エプロンをつけた女が、魚を捌く隣で熱さに悶える俺……
これはまさか……
ここまでの情報から導き出される結論は一つ。
まさか、俺、手足、切断されてる!?
そんでもって、魚と一緒に料理されている!?
どう見ても料理をする女、手足の動かない俺、となれば、この女が俺を食べるために調理しているとしか考えられない。
いやだいやだいやだ!!!!
俺は叫ぶが、声が出ない。
まさか、喉を潰された!?
その時だ。
「ふんふーん……さぁて」
女が鼻歌をやめて何かを言い出した。
「鍋の中身はどんな感じかしらねぇ」
そんな声と共に、女が俺の方に手を伸ばした。
そして……
俺は、持ち上げられた。
高く高く高く……
一気に熱さが遠のいていく。
『あれ、なんで俺……』
声にならない声を発する。
それと同時に、女が俺の方を見た。
「この『鍋蓋』年季は入ってるけど、持ち手しっくりきて良いわねぇ」
は? この女、なんでこっち見てそんなことを言うんだ……??
『この、鍋蓋……?』
鍋蓋なんてどこに?
俺には鍋蓋なんて見えなかった。
と、その時何か違和感が俺を襲った。
鍋蓋を探そうと視界を動かした時だ。
視界がグルンっと一周回ったのだ。
一周……一周である。
言うなれば、目が顔から『頭の後ろ』を通り、またもとの位置に戻ってきた感覚だ。
つまり、見たいと思えば三百六十度見えたのだ。
こんなこと、首を回してもできる芸当ではない。
『あれ、な、なにが……』
まさか、
そう思った俺を、女は再び鍋のもとへ戻した。
どうやら俺は、鍋の上に置かれているらしい。
またじわじわと、熱さが体を駆け巡る。
『いや、まて、落ち着け……』
釜茹での刑って、そういうことなのか?
いや、でも、そんなはず……
釜茹での刑といえば、グツグツと煮えたぎった熱湯の中に放り込まれる刑罰を想像する。
きっとそれが正しい釜茹での刑だろう。
だが、どうやら俺の受ける釜茹での刑は、そんな想像とは違ったようだ。
ははっ……嘘だろ?
まさかな……
いや、でも、
この状況、今のセリフ、釜茹で……
違うかもしれない。いや、違っていて欲しい。
でも、一旦は認めてしまうしかないようだ。
どうやら俺は……鍋蓋に転生したらしい。
まさかとは思うが、それ以外考えられない。鍋の上に乗せるものなど、そんなものもう、鍋蓋しかないだろう。
グッと熱さを我慢して、確認できることを確認する。
周りを見渡すと一般的な台所が見えることから、視覚は問題ないようだ。
先程の鼻歌や、今も俺を苦しめる下から聞こえるグツグツという音から、聴覚も問題ないと分かる。
それに……これは俺が蓋する鍋の中からだろうか? コンソメスープような香りがする。臭覚も大丈夫と考えていいだろう。
そして、だ。そして何より、熱い。
つまり、五つの感覚のうち、味覚以外は正常というわけか……
にしても、熱い。
しつこいと思われるかもしれないが、仕方ない。だって熱いのだから。
材質が肉体ではないからだろう。死ぬ恐怖はないのだが、絶えず下からの熱い蒸気にさらされるというのはやはり辛く、耐え難い。できることなら早くにでもやめてほしい。
しかし、もちろんその意思は通じない。
理由は簡単……鍋蓋は喋れないのだ。
ここにある……鍋蓋は、言語を聞くことができて、物を見たり嗅いだりすることもできる。さらには痛みも感じることができる……
だが、喋れない。
黄色いエプロンをつけたこの人からしたら、結局俺はただの鍋蓋だろう。
その証拠に、今も簡単に片手で簡単に持ち上げられている。
一人で色々と考えているうちに、この女の人は捌き終えたようで、さっき切っていた魚が鍋の中に入れられていくのが見える。
やっぱり、俺は蓋の表からも裏からも物を見れるらしい。裏から見たいと念じれば、裏から謎の魚を入れる様子を見ることができた。
そしてまた俺は蓋としての役割を果たす。
ダメだ……これは、熱すぎる。火傷をするわけはないが、痛い、痛い、ひたすらに痛い。
確かにこれは釜茹での刑だな……
木製のおたまを持った膨よかな奥さんは、キッチンの中を右に左にとに動き回っている。
しばらく時間が経って熱さに多少慣れてみると、外から鳥のさえずりが聞こえ、赤煉瓦の壁が見えた。
ここは、地獄……ではないな、いったいどこなんだか……
ーーそれから大体三十分くらいだろか、俺が熱さと痛みで気を失いそうになった時、
「火の精よ、大気に還れ」
そんな言葉と共に、ようやく火が止められた。
……助かっ、た……
まだ鍋自身やら湯気で熱さは伝わってきたが、とりあえず火が止まった。
少し気が楽になる。
ん……あれ? ちょっとまて、今、どうやって火を消した?
火が止められた精神的余裕から、俺はとんでもないことに気がついてしまったようだ。
さっき、火の精よ……なんとかって言っただけで、火が止まってなかったか!?
そう、別に手元でなんの操作をしたわけでもない、彼女は言葉だけで止めたのだ。
最近ではグー○ルホームやらアレ○サやら音声認識できる装置ができつつあるのはしっていたが、これは明らかにそういった類のものではない。
これは、まさか、魔法、いや魔術……なのか?
前世で、ライトノベルやアニメなどでは見たことがあった。しかしそれはあくまで虚構、フィクションだったのだ。
その本来フィクションであるべきものが、フィクションではなくなっている。
その時、頭に一つのワードが浮かんだ。
異世界転生
なんとなくそんか気はしてたが、ここは、俺にとっての虚構が現実である世界……
異世界か!!
その時鍋が持ち上げられたことで、ふと窓の外が見えた。
と同時に、街を颯爽と走る尻尾が三本生えた猫や、三つ目のダチョウのような生物などが目に入った。
元の世界では絶対にあり得なかった現象を見て、新しい世界……異世界に来たんだということが確信へと変わる。
ははっ……はっ、ファンタジーの世界かよ!!
もしかして、俺も異世界で無双してハーレムしちゃうのか!?
……いや。
そうして上がったテンションも、現実を考えると一気に急降下する。
……そういや俺、鍋蓋じゃん。
窓から爽やかな風が入ってくる。それに乗ってピィピィという小鳥の鳴き声がキッチンに響いた。
「ジャニー! ジョニー! ご飯よ! 降りてらっしゃい!」
俺が己の姿に絶望していると、そんな言葉と共に例の女性によって鍋が運ばれる。
おっと……!?
突然鍋を動かすなよ! 落ちたらどうするんだ!!
俺が抗議をするが、そんなこと気にした様子もなく、彼女は歩き始める。
そりゃ、鍋蓋に謝るわけない。
そんな当たり前のことに気づき、寛大な心で許してやる。
で、ジャニーとジョニーってのは誰だ?
「「はーい!!!!」」
疑問に答えるように、どこか遠くから少し高音の子供らしい大きな返事が聞こえた。
男の子の声……ってことは、ジャニーとジョニーってのは、この奥さんの息子かなにかか?
すると、そんな奥さんは台所を出て、向かいにあったダイニングに足を踏み入れた。
そのダイニングの横にあるドアの隙間からは、二階に続く階段が見える。
「おはよー!!」
「にいさん! まってよぉ〜」
階段を駆け下りる音ともに、そんな声が聞こえる。
そして、鍋がダイニングにある机の上に置かれたタイミングで、扉が勢いよく開かれた。
そこには茶髪の十歳くらいの男の子がいた。茶髪は母譲りなのだろうか?
黒い目はまっすぐにこちらを見ており、その澄んだ瞳からは彼の純粋さが感じ取れる。
「母さん!! 今日の朝ごはんなにー?」
朝にも関わらず、すごい元気だ。
俺なんか、朝は不機嫌過ぎて誰も話しかけてこなかったぞ?
……あ、誰も話しかけてこないのはいつものことか。
自分で勝手に思い出して勝手に傷ついた鍋蓋を誰が相手にしてくれるわけもなく、彼らは会話を続ける。
「おはようジャニー、パンと魚介スープよ」
そう言ってエプロンをつけたままのお母さんは台所に戻っていった。
ふむ。魚介スープか……具材も元の世界と似たような感じだし、香りも一緒、この異世界は元の世界とだいぶ共通した点があるらしいな。
前世との違いを考えていると、扉の開く音とともに三人目の声が聞こえた。
「おはよう母さん」
「はい、ジョニーおはよう」
一人の少年が扉から顔を出す。
次に入ってきたこの少年がジョニーか。
年齢はジャニーと同じくらいだろうか、頰のそばかすが可愛らしい。髪は兄のそれより少し明るく、金髪に近い茶髪だ。
朝の挨拶をしたジャニーとジョニーは、小さな体で一生懸命机の周りにある椅子をひく。ジャニー君は器用に椅子に座れていたが、ジョニー君は椅子の足が机の足に引っかかってなかなか座れないようだ。
微笑ましいなぁ……
そんなことを思いながらもお母さんの方を見ると、パンの入ったバスケットを片手に隣に立っていた。
「にしてもジョニーはいっつものろまだよなー」
「兄さんが早いんだよぉ」
ようやく座れたジョニー君に、ジャニー君がニヤニヤしながら喋りかけた。
ジャニー君は元気で活発な男の子、ジョニー君は気弱そうな男の子というイメージを受ける。
兄さんってことは予想通り、ジャニー君の方がお兄ちゃんなのか。
……ヤユヨのヤのほうが兄でヨのほうが弟か、よし、覚えたぞ。
俺に兄や弟はいなかったが、兄弟がいればこんな感じだったのだろうか?
そこで思考を兄弟から切り替える。
ところで、お父さんは……
「おはよう! 我が愛する家族よ!!」
どうしたのだろうと思ったところで、父親の登場だ。
すごいゴリマッチョな金髪のダンディー男が扉を開け放った。鍛え上げられたその筋肉は、今にも服を破ろうとしているようだった。
「「おはよう父さん!」」
「あなた、おはよう」
普通にお父さんも居るらしい。うん、すごく平和な家庭だな……
この父親の職業はなんなのだろうか? 見た感じ工事現場で重い鉄骨とか運んでいそうな体格だ。まさか、この図体でニートということはないだろう。
すると、椅子に座っていたジャニー君がお父さんの方を見上げて目を輝かせる。
「父さん、今日もお仕事?」
「あぁ、もちろんだ! ジョニー!」
やはり、ちゃんと一家を支えているようだ。
父親は、豪快にニカッと笑った。
「だが、今日はいつもの街の中の警備じゃないんだ!」
警備……? 彼の職業は、治安を守る警察みたいなものなのだろうか? 確かにこの体つきの親父さんにはピッタリだろうし。
今度は、弟のジョニー君が声を上げる。
「じゃあ、何をするの?」
親父さんは笑う。
「ははっはっ! 実はな、今日は父さん、久しぶりに戦うんだ! 街のすぐ近くにアプルの森ってあるだろ? そこで『ゴブリン』退治だ!!」
ゴブリン…………だと!?
ゴクリッ……俺は唾を飲み込んだ。
……いや、まぁ、正しくは唾なんて飲めてないけど
そんなことより、ゴブリンってあのゴブリンだよな! RPGの序盤の定番キャラクターで、醜い見た目で棍棒を振りかざすモンスター……
ぜひ見たい。異世界と言ったらゴブリンは外せないだろう。
いかにもなファンタジーワードに一人舞い上がっていると、その存在を当たり前のように受け入れているふくよかな奥さんが、頬に手を当てて少し首を傾けた。
「あら、ゴブリン退治なんて珍しいわね? またどうして?」
その声に、親父さんがギィィという音を立てて椅子に座りながら答える。
「ああ! 最近アプルの森にどうも不穏な空気が漂っていてな? 森の奥では強い魔物が出たと言うし……まぁ、そのせいかは分からんが、普段は森の奥に住むゴブリンがアプルの森の浅い所に出現してるらしんだ!」
奥さんはあらそう……と不安げに言って続ける。
「そういうのは、冒険者の人に頼まないの?」
しゃべれない俺を放置して会話は進む。
「冒険者は一攫千金を狙う者が多いからな!あんなゴブリンみたいな小遣い程度にしかならないモンスターは基本相手にしないさ!」
冒険者までいるのか!! ってことはもちろんギルドも……? だめだ、こんなところでくすぶっていてはいけない! 俺も急いで冒険に出なければ!!
そこで、急いでここから飛び出そうとするが……
いや、無理なんだけどね? なんたって鍋蓋だし。
マックスまで上がりきったテンションが、自分が鍋蓋であるという真実によってまた大暴落を始める。
「そうなんだ! 今日も街の平和のために頑張ってね父さん!」
俺の悲しみなど無視して、ジャニーがニコニコと元気よく父親を見る。
結局聞いたことをまとめると、このゴリマッチョなお父さんはこの街の警備兵みたいな役職で、普段は街の警備をしている。しかし今日は外でゴブリン討伐を行うと……
典型的な異世界設定だったなぁ……
熱さも忘れて感心していると、みんなが席に着いたことを確認した奥さんが、パチンと両手のひらを叩いた。
「さぁ! 冷めちゃう前に食べましょう」
その言葉で、俺を囲む形で座る面々の前の机の上に、器が配られる。
一つは底の深いからの器、もう一つはパンののった薄い皿だ。
俺が持ち上げられると、鍋の中から蒸気が溢れ出た。その水滴は中身を覗き込んだジャニー君の顔を湿らす。
「うんぁぁ! 美味しそう!」
いやー熱かった……これが毎日、いや、三食あるとしたら一日に三回……耐えられるのか……?
奥さんは俺を机の上置くと、鍋の中から器にスープを注ぎ始めた。窓から差し込む日差しが朝であることを告げて、食卓にある鍋を照らす。
その鍋は鈍く、とても鈍く光った。
苦労してきたんだろうな……毎回毎回直接火で炙られて、こんな黒くなっちまって……お前さんはすごいよ。
長年使われてきたのであろう鍋は焦げ付いていて、これまでの激戦を匂わせた。
そうして鍋の苦悩について考えていると、全員分の器にスープを注いだ奥さんが、黄色いエプロンをヒラリと外し、片手で椅子を引くと、席に座った。
「さて、じゃあいただきましょうか」
こうして、彼らにとっては何事もなく、いつもの平和な朝食の時が訪れた。
その時、鍋に鈍く反射して映る自身の姿を捉えた。
木製の……鍋蓋?
俺……やっぱり鍋蓋……てか、木製だったんだな。
自分の材質という大切なことに気づいたのはこの時だった。
熱さが引いてくると、ふと閻魔様のことを思い出した。同時にある言葉が蘇ってくる。
いくら嫌でも、理想郷へ行くためにせねばならぬこと……
『善行』って、どうすりゃいんだよ
俺は誰がどう見ても生粋の鍋蓋だ。この体で善行なんて、出来るはずがないではないか。
これは、天国行きは諦めるべきなのか?
いやしかし……
そのままいろいろと考えたが、結論として出たのは、鍋蓋では八方塞がりだ、というどうしようもないものだけだった。
そして……
「ふぅ……」
ご飯が始まってからしばらくして、ジャニー君が満足したような息をはいた。
一人自分と向き合っているうちに、ジョニー以外は食べ終えたようだ。「ごちそうさま」のような儀式はないらしく、ジョニーが食べる終えるのを皆席で待っていた。
「ったく、やっぱりジョニーはのろまだよな!」
ジャニー君は右手を肘を机の上について、その手の上に顎を乗せて呆れ顔だ。
話の原因を見ると、兄に文句を言われながらも、黙々とスープをすくって飲んでいた。
まだうまくスプーンが使えないのか、手のひら全体ででグッとスプーンを握っている。
「いいじゃないか! そのゆっくりさがジョニーのいいところなんだから!!」
うんうん頷きながらマッチョが言うのを聞いて、ジョニー君が顔を綻ばせる。
その後も、心温まる家庭風景を見ながら、時間は過ぎていった。
そうして、ようやくジョニー君が食べ終わったタイミングで、みんな席から立ち上がる。
親父さんはサムズアップしながら、兄弟の方を見た。
「二人とも!! 今日も仲良くな!!」
ジャニージョニー兄弟は、そんな親父さんの言葉を合図にして、スタコラとどこかに走り去った。
子供は元気だよなー、俺も昔はあんな感じだったのかな……
目線を走り去った兄弟から、その両親へと向ける。
「じゃあ、母さん! 帰りは遅くなるから先に寝といてくれ!」
「はいはい、わかりましたよ、あなた」
そう言いながら、二人は俺の前で両手を胸の位置で重ねた。
この展開を俺は知っている。これは……
そして、彼らは唇を重ねた。
やっぱり、やりやがったな!?
ちっ、朝からイチャラブしやがって!!
見せつけてんのかぁ? そんなん全然羨ましくなんかないんだよ!!
だいたい、俺が見てるんだからもうちょっと人の目を気にしろ……いや、確かに俺は鍋蓋だけどさ! 鍋蓋なんだけどさ!!
鍋蓋なんだから、気にしようがない?
……まぁ、それもそう、か……?
そうして気がつけば劣勢に追い込まれつつあった俺は、いつのまにやら奥さんに持ち上げられていた。
どうやら、無言で愚痴を吐き散らしている間に、旦那の方は仕事に行ったらしい。
片手で持つタイプの蓋は、簡単に台所に連れて行かれ、他の食器の列に加わる。
くそっ、俺も人の姿ならワンチャンあるのになぁ
……え、あるよな?
そう思うのは、二十年以上、そのワンチャンが無かった男である。
「さて、やりますかね」
奥さんは、自らの仕事を行うようだ。腕まくりをして、気合いを入れた。
ご飯を食べた後にお母さんがすることといえば……食器洗いか?
やはりその通りだったようだ。彼女は折りたたまれた布と、水色の石を木の箱から取り出した。
そして、言葉を紡ぐ。
「水の精よ、我が前に水をもたらせ」
その瞬間、石から水が出始める。
おぉ!! 二度目の魔術だ! あの石は魔石の類だろうか?
魔術というものにはやはり憧れてしまうのは、仕方のないことだろう。
俺も使ってみたいな……まぁ、鍋蓋な限り、いや人間になれたとしても無理なんだけど。
そうこう思っているうちに俺も綺麗さっぱり洗われた……。
なんていうか、すごく気持ちよかったとだけ言っておこう。洗剤もなかったから水だけの手洗いだったが、天にも登る心地だった。
きっと、隣で洗われている鍋先輩も、きっとこの至福のために毎食耐えているのだろう……。
歴戦の戦士である鍋先輩に想いを馳せる。
そうこうして、全ての俺の仲間が綺麗に洗浄された後で、奥さんは言った。
「よし、食器も洗い終わったし洗濯でもしますかねぇ」
こうして台所からは誰もいなくなった。
それからは誰も来ることなく、少しずつ暖かくなってきた気温を感じる。爽やかなそよ風が、窓にかかったカーテンを押し上げた。
季節があるなら春、なのかな……
太陽に似た星があることは確認済みだ。しかし、それ以外のことは何も分かっていない。
ゴブリンにドラゴンか……危ないのは嫌だけど、やっぱり見てみたいなぁ。
ファンタジーな生き物に生で会う機会など、もちろんのこと前世では無かった。会ってみたいと思うのはラノベ好きの性だろう。
あぁ……もっと色々知りたいな
ーー洗われてから五時間くらい経ち、言うなればお昼時だ。朝から今までの間は動くことも出来ず、ただただ無駄な時を過ごした……
そんな俺は今、また鍋蓋としての役目を果たしたのだった。
何気に料理中だけじゃなく、暇な時間もかなり辛いことが一日目にして分かってしまった。
閻魔様の件、どうするかなぁ……
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