第3話
前略、父さんお元気ですか? 僕は今、三途の川を渡っています。この川は、澄んでいても住んでいる生き物はいません。ふふっ、面白いですね
川幅は結構あります。かなりの時間乗船していますが、まだ向こう岸が見えません。あっ、ちなみに船頭さんは本物の鬼です。貴方がここを渡るのがまだまだ先になることを祈っています。
P.S.僕の行き先は地獄みたいです。
そんな誰に届くわけでもない手紙の内容を考えていると、船の向かう方向に大きな建物が見えた。その建物は大きな和風の屋敷の上から赤いインクをぶっかけたような外観をしていて、荘厳とした佇まいをしている。
真っ赤な屋敷か。元の世界だと目立っただろうけど、この世界だと特に目立たないな……
「元の世界……みんな元気にやってるかな」
死ぬ前のことを思い出し、一人呟く。
あれ……? てか、みんなって誰だ? 俺、日常的に一人じゃん……
結局、思い出すほどの思い出もなかった俺は、己の状況を再認識する。
しかし、まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。まさか、鬼に喧嘩を売ることになるとはなぁ。
そんなとりとめもないことを考えながら体操座りでうずくまっていると……
「おらぁ! 着いたぞ! 降りろてめぇら!」
俺は、そんな荒々しい船頭の声で現実に引き戻された。どうやら思いのほか現実逃避に浸りすぎていたらしい。
「おっと、しっかりしないとな……」
しかし、そう気合いを入れた瞬間に、出鼻を挫かれることになる。
和船から降りようとしたところで、船頭に止められたのだ。
「てめぇは最後に並べとのお達しだ! どうせ向こう岸で派手にやらかしたから、そのお咎めがあるんだろうよ」
「えぇ……」
反射的に、喉から苦しげな声が飛び出した。
最後なのは、何か特別な罰があるからなのだろう。もう嫌な予感しかしない。
肩を落として、目線を船の方へと上げる。
せめて、あの二人のどちらかでも道連れに出来れば……
そう思って船から降りる一人一人をジッと見ていたが、結局、あの少年と老人は降りてこなかった。
あいつら、逃げることができたのか?
それとも、次の船で来るのか……
「どのみち、もう会うことはない……か」
もう自分には関係のないことだ。そうスッパリと考えをリセットして、二人のことを記憶から焼き払った。
いよいよ奴らの記憶が灰になったころ、こちら側で待機していた鬼が叫んだ。
「一列になって、進め!! その順に振り分けが行われる!!」
振り分けとは、天国か地獄かということか?
そんなことを思いながらも、俺は肩を落としたままふらふらと、最後尾に足を進めた。
そこからは、例の鬼を先頭に、死者が一列になって歩いていく。
みんな、向こう岸のように逃げ出そうなんて発想にも至らないようで、よたよたと、まるでそれが初めから定められた事であるように進む。
向こう岸と同じ、血を塗りたくったような空の下、俺たちは脇目も振らずに目の前の死者を追って足を進めた。
道の両側に咲く彼岸花が俺たちを歓迎しているようだ。
まぁ……何にも嬉しくない歓迎なんだが……
やがて船で見た例の真っ赤な建物の前に到着したところで、こちら側に来てから道案内をしていた鬼が俺たちの方を振り返った。
「この門をくぐった先に宮殿がある。閻魔様はそこにおいでだ! くれぐれも粗相のないようにな!」
あっ、ここにいるんだ閻魔様……
怖いのだろうか、いや怖いんだろうな……鬼でこの怖さだ。そのボスなんて、きっと、失神してしまうほどだろう。
両手で自らのお腹辺りを抱きしめて、ビクビクしながら赤を基調としたバカでかい門をくぐる。
そこからはまた長い一本道で、彼岸花が行くべき道を教えてくれていた。
「あぁ……マジで嫌だ、お腹痛い……」
そうしてしばらく進むと、立派な宮殿が近づいてくる。
「うわぁ……」
どこぞの御殿を赤くしたような見た目は、趣味が悪いと言わざる得ない。しかし、その立派さだけは、どんな色であっても隠せないようだった。
そんな明らかに人工的な建物の前で、ここまで案内してきた鬼が声を張り上げる。
「……さぁ、入れ人間ども!」
そう言われても列の最後尾で入るべき入り口も見えなかった俺は、顔だけ列から横に出した。
先が見えると、鬼がどこかを指差していた。目線をやると、たしかにそこに押し引きするタイプの扉が見える。
「あそこに入るのか」
誰も返事をしてくれなかったが、よく見ると、一人ずつその扉へと入っていく様子が見えるから、それが正解なのだろう。
次第に前から人が消えていき……
そして、ついに最後に並ぶ俺もその宮殿の中に足を踏み入れた。
「おぉ、こりゃすごい……」
思わず、第一声にそんな声が出てしまう。
というのも、宮殿の中の構造が見たことないものだったからだ。
まず目の前には体育館ほど大きさのきらびやかな装飾がされた空間があって、その先には数段の階段がある。上のフロアの左右には『襖』があり、正面には簾がかけられていた。
周りの奴らも俺と同じように、せわしなく視線を動かしているのが分かる。
いつか見た韓ドラの宮廷って感じだな……あの簾の先に閻魔様がいるのか?
明らかに偉いさんのいそうな襖の奥、そこに誰かいる気配を感じる。
俺を含む宮殿の中に入った亡者たちは、その入り口近くの大広間で、横向きに一列のまま待機させられた。
これからどうなるのか、皆が不安そうな顔をする中、案内役の鬼だけが簾の方へ歩いていく。
そして、鬼が簾の前に立ち、俺たちの方を見て言うのだった。
「一人目、前へ!」
こんな感じで簾の前に呼び出されるのか。
なんか卒業式を思い出すな……自分の番が来たら大きな声で返事をしないとやり直しさせられるのだろうか。
余裕などないはずなのに、現実を受け止めきれない頭が、そんなどうでもいいことを考える。
すると、呼ばれた列の一番目の老婆が、怯えながらも歩みを進め、階段を上がって簾の前に着くと正座をした。
それから十秒もしないうちに判決が出たのだろうか、それくらいのタイミングで、何か簾の中の人に言われるようだ。
この距離じゃ聞き取れなかったが、良い結果だったらしく、頬を緩めながら右の襖に入っていった。
「二人目前へ!」……
この調子でどんどん進む。喜ぶ人、嘆く人、中には微妙そうな表情の人もいた。
微妙そうな人は何を言われたんだろう? 天国か地獄の二択なら喜ぶか嘆くしかないはずだ。
もしかしたら生まれ変わるなんてのもあるのか?
そうして、一人二人、と左右の襖の中に入っていき……
そんなこんなで俺の番がきた。
「最後の者、前へ!」
「はいっ!!」
俺は高鳴る心臓を抑え込み、元気よく返事した。もはや手遅れな気もするが、少しでも結果をよくするためには愛想も大事だろう。
一歩ずつ前へ進む、その一歩一歩が重い。
あぁ……行きたくないな、地獄なのは間違いない。なんたってこちらの世界での秩序を乱したのだから、裁かれて当然だろう。
あのときはカップルを見て気が立っていたが、実行する前に、こうなる未来も予想しとくんだった。
大広間から、階段に足をかける。一段一段が高く、険しい壁のように感じられた。
いよいよ登りきり、簾の前まで着くと、案内役の鬼が顎で座るように指示してきた。
俺は黙って膝を折り、正座をする。
やはりと言うべきか、その時、目の前の簾の中から声が聞こえて来た。
「やあ人間、僕は、君たちのよく知ってる閻魔だよ」
ん?……その声に思わず眉をしかめる。
それは、穏やかな優男オーラ全開の声で……
およそ、俺の想像していたような低く威厳ある声ではなかったのだ。
しかし、そんな俺を放って、閻魔様は続ける。
「君、さっき向こう岸で面白いことしてたよね?……どうして、あんなことをしたんだい?」
やはり若干の声の高さに違和感を覚えながらも、まさか閻魔様の言うことを無視もできない。
「……生き返り、たかったんです」
俺は正直に話した。後悔はしている。
怒鳴られるか?
頬を冷や汗がつたう。
正座をしている太ももとふくらはぎの間に汗が溜まる。
鼻で息ができなくなり、口呼吸へと変わった。
……少しの時間、いや、俺にとっては長い沈黙の後で、そんな俺とは対照的な声が簾の奥から聞こえてきた。
その声は、かなり愉快な様子である。
「ハッハッハ! そうか……生き返りたかっのかい! こんなことされたのは初めてだったよ!」
あれ、思いのほかご機嫌?
「その勇敢さは嫌いじゃないよ」
ほとんど死んでいた目が輝き出す。
これはキタのではないだろうか! 嫌いじゃないらしい! このまま閻魔様に気に入られて、天国行き……
ということはなかったらしい。
「でもね? 君はこちらの世界の規律を乱した。これは重罪なんだ……だから、君は地獄に行ってもらう」
全ての希望を打ち消す絶望……
ジゴクという三文字が聴覚を通して自分自身に直撃する。
しかし、それでも泣き叫んだりすることはなかった。
自分が地獄に行くというあまりに現実味がない状況に、自分についてのことだと認識できていないようだ。
何やら人ごとのような気分になる。
ボンヤリする自分に閻魔様は続ける。
「君はねぇ……」
「……?」
声は出ない。
とりあえず顔だけでもと、声のした方へと向けた。簾しか見えない。
これ以上何を言われるのか……
あーもう、何も聞きたくない。この現実から逃げ出したい。
いっそ自殺でもするか?
……いや、それはおかしいか、その死の先にあるのがこの場なのだから。
そして……告げられる。
「釜茹での刑だね」
そう静かに。
釜茹での刑、地獄極楽図屏風にもその様子が描かれていて、かつて石川五右衛門が常世で処されたはずだ。
釜茹でか……
なまじ、知っている刑罰なだけにキツいものがある。
はぁ……本当にため息しか出ない。
なぜあのとき……
今更ながらキャラじゃないことをしたことに後悔して泣きそうになる。
「君は、この世界でみんなに嘘をついた……だから、『妄言』と『邪見』を裁く八大地獄の六番目、『焦熱地獄』に落とさせてもらうよ?」
「……はい」
「そこで、釜茹での刑……ここまでいいかな?」
「……はあ、仕方ありません」
それ以上騒ぐということにもならず、静かに事実を受け入れる。
と、閻魔様は続いて言った。
「君、でもやっぱり天国に行きたいよね?」
俺は反射的に答える。
「え、ええ! はい、もちろんです!」
じゃあ……
そう言って、たっぷり含みをもたせた閻魔様は、試すように言った。
「今から行く世界で、『善行』をたっぷり積んできてね」
「……ぜん、こう?」
何か背中がゾクゾクなる感覚をおぼえ、聞き返す。
「そう、ぜ、ん、こ、う。天国に行ける人って、もちろん良い人だよね?」
「え、ええ、それはそうでしょう」
「だから……ね? 君にもしっかりと善行を積んでもらわないと、天国行きは認められないかなって」
なんだと……この男……
俺に善行を積めと!? あの、超絶ウルトラ面倒くさいことをやれと!?
いや、待て! そもそもの話!!
「俺は、地獄行きなんですよね!? そこで善行なんて、そんな、無理ですよ!」
常世でも出来なかった俺が、地獄で善行など積めるはずがない……そう思って詰め寄るが、閻魔様はあっさりと答えた。
「それは、ほら、頑張ってよ! 大丈夫、その辺はこの僕の力でどうにかしてあげるからさ!」
いや、さもいいことをしてやったみたいなかんじだが、そんな気遣い大した励ましにもならない。
……無理だ。無理無理無理無理!
「え、閻魔様!! 僕には無理ですって! 考え直してください! もっと、他の……そう、閻魔様の奴隷! 奴隷にでもなんでもなりますから! それで天国に行かせてください!!」
そう主張する俺を放って、判決を下し終えた閻魔様が、隣に控えていた鬼に指示を出す。
「ははっ、それも悪くない提案だけど……ダメ。鬼くん、彼を襖に連れて行ってくれるかな?」
その声とともに鬼が動き出して、俺のもとまで来る。
そして、鬼は両手で俺の脇を抱えて、無理やり立ち上がらせた。
体が抱き上げられる赤子のように、ゆっくりと立ち上がる……が、正座をしていたせいか、ヨロヨロとステップを踏んだ。
そのまま襖へと連行される。
……って、こんなこと認められるか!!
俺は、鬼に自分の腕を引っ張られながら叫ぶ。
「待て、ふざけるな! 嫌だ! なんで地獄で善行なんてしなきゃいけないんだよ!」
……が、それに対する返答は、俺の期待しない見当違いなものだった。
「はっはっ、なら、しなければいいんじゃないかな? その場合、君は永遠に地獄をループすることになるよ」
「おいそれ、ループって、それ、どういうことだよ! ちょっ、一旦この鬼どもを止めろ」
しかし、鬼の襖へ向かう足は止まらない。閻魔の奴は続ける。
「あっ、そうだ! 向こうの世界には、君と同じく『八大地獄』の罰を受けてる罪人がそれぞれいるから、もし出会ったら、よろしくね?」
八大地獄の罪人!?
確か俺自身は、六番目? の焦熱地獄の罪人だと聞いた。残りの七つにもそれぞれの罪人がいるのだろう。
「……いや、そんなことどうでもいい!! 俺は……って、おい!」
全て話きる前に、俺は左の襖の前まで力ずくで連行された。
「ま、まってくれ!」
体全体で嫌がる俺を無視して、鬼は勢いよく襖を開ける。
ーーそこにあるのは六畳間の畳と、その奥にある金箔できらびやかな別の襖。
それ以外はない、ただその効果を発揮するためだけに作られたような部屋だった。
鬼はためらうこともなく、そのまま足を進める。
畳独特の柔らかさを足の裏に感じる。
「ちょっとまってください、一旦、一旦離してくれ! ください!!」
俺は叫ぶが、鬼は我関せずといった様子で進む。
歩数にしてわずか三歩……
サァァアという音ともに、鬼は俺を掴んでいない空いた方の手で、目の前の煌びやかな二つ目の襖を開けた。
その先には……なにもなかった。
そう、襖の奥には何もなかったのだ。本来なら、開けば部屋が、廊下があるはずの襖……
だが、今鬼が開けた襖に限っていえば、何もなかったのだ。『ない』のだ。仮に『ある』と表現するならば、真っ黒な黒い空間……だろうか?
俺は叫ぶ。
「あっ、ちょっとまって!! まぁ落ちつ……って、おいぃいいいいい!!!!」
その時だ。足裏から畳の感触がなくなり、体が浮遊感に襲われる。
あっ……襖の向こうに鬼が見える。
襖の向こうにさっきまで俺を抱えていた鬼が見えるということは、俺が襖の中に放り込まれたということに他ならない。
俺は呆気なく無慈悲にも、襖の中へと放り投げられたのだ。
次第に、襖からこちらを覗く鬼が小さくなっていく。
最後の足掻き、俺はまさしく人生の最期に、人生で最も大きい声を絞り出した。
「善行なんて面倒くさいこと、絶対しないからなぁぁぁあ!!!!」
その言葉を最後に、俺の体は何かに吸い込まれていった。
ーーこうして俺、鍋野颯太は地獄というものに落とされた。
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