第2話


『あの世』そんな非現実空間で、俺と老人とのお互いの情報交換、もといおしゃべりは続いた。この先なにが待っているのかわからない、そんな中での人との会話は心の安定剤みたいなものだった。




 ちなみに、聞くところ、この世界には閻魔様がいらっしゃるようだ。三途の川の向こうで俺たちをお待ちらしい。






「閻魔様、どんな人なんだろうねぇ?」


「さぁ、知らないです。実は俺、死んだのはこれが初めてですから」


「はっはっ、そりゃ僕もだよ。天国か地獄かを閻魔様が決めるらしいよ」


「ほぉ……あっ、そういえば、特に意味はないんすけど、俺、ちょっと前に蜘蛛を一匹……いや、数匹助けてあげたような気が……」






……言葉のキャッチボールがうまくいっているかは怪しいが、会話は続く。


 



 おしゃべりをし始めてからしばらくの時が経った。

 眼鏡の老人との話題は尽きることなく、こんな状況にも関わらず悪くないと感じていた頃だ。






前の列の方で騒ぐ声が聞こえ出したのは。






「離せ!! 今すぐ我を生き返らせよ!」





目線をその声の方に飛ばすと、そこには、鬼に脇の下を抱え上げられながらも、両手両足をブンブンと振り回している少年がいた。





「あぁ……またか」





老人は俺との会話を一時中断して、言葉を漏らす。






 この騒動の原因は、列から抜けて逃げようととした人間によるものだった。







 今逃げ出そうとした少年は、このままあの世に行くのが嫌で逃げようとしたところを、鬼に捕まって列に戻されたのだ。





しかし、俺は思う。





たしかに、このまま列に並んでれば確実にこちらの世界の住人になるんだろうが、逃げたからといってそのあとはどうするつもりなんだろうか……と。





一度死んでいるのに、この彼岸花が咲きわたる世界から、もとの世界に帰れるとも思えない。





そんな現状の中では、やはり人の流れに身を任せるのが一番だろうと考える。今更あがいたってどうしようもないのだ。






人に流されるな? いやいや、これまでもそうやって生きてきたしな……






そんな積極性のない無気力なことを考えていると、後ろから声がした。






「いやぁ……」





 俺は前の少年から老人へと視線を移す。





「あの子もなかなかにめげないねぇ」





どうも少年の諦めない姿勢に関心したようで、その言い方はまるで「あっぱれ」と称賛するようなものだった。





「本当、何度も何度もよくやりますよ」




 同意する。

実は、ここから抜け出そうとした人はあの少年が初めてではない、何人もいたのだ。しかし、みんな恐ろしい異形の存在、鬼に捕まり列に戻される。

そして、列に戻された人は、本物の鬼に追いかけられるというリアルな鬼ごっこに恐怖し、もう二度と抜け出そうとはしないのだ。





あれはたしかにトラウマものだろう。





 なのに……



 俺はもう一度少年の方に目線を向けながら口を開く。   






「あのバカは、今回が記念すべき十回目の脱走ですからね」






そう、この場では珍しい中学生になるかどうかの若い少年。まだ艶のある黒髪が目立つ彼は、すでに十回も列から逃げ出しては、その度に鬼に捕まっていたのだ。






 鬼が隣でその少年を見てればいいと思わなくもないが、人の数の割に鬼の数が少ないため、そうもいかないのだろう。





彼はなかなかのメンタルだと思う。これには、おっかない形相の鬼も、呆れたようにため息をついている。

 



 と、その時だ。




 例の少年がまた列から飛び出した。






「あっ……また逃げましたよ、あのバカ」






俺がそう言うと、老人はそのしつこさに苦笑いになりつつも、慈しみの目を向けながら言葉を紡ぐ。





「彼はなにか生前にやり残したことがあるのだろうねぇ……若いみたいだし、仕方ないのかもなぁ」





 話の中心である少年は、俺から五十メートルくらい離れた位置で、列から飛び出して、列の後ろへ後ろへと……まぁ、つまり俺たちがいる方向に走ってきた。

 少年と、鬼のかけっこが始まる。






「だから、追いかけてくるでない!!」



「なら列に並んでろ!! 今日は人間が多くてお前にばっかり構ってられねぇんだ!! ほんとしつこいんだよ、お前ぇ!」






 少年は必死に走ってはいるが、鬼のほうが歩幅が二倍は大きい。






捕まるのも時間のも……あっ、捕まった。






 それは、俺からほんの数メートル離れたところでの出来事だった。

 俺のところにギリギリたどり着かなかった形だ。





逃げた少年はあっさり鬼に捕まってしまう。鬼は彼を片手でひょいと持ち上げ肩に担ぐと、そのまま列に向かって歩く。鬼は彼を、一番近くの列にいた俺の前に下ろし……いや、放り投げた。





 目の前にドサリと少年が転がる。





 そして、少年を再び列に加えた鬼は、怒りと呆れが合わさった絶妙な顔で言うのだった。





「お前はアホなのか? これだけ連れ戻されたら逃げるのは無理だと学習しろ! いちいちお前を連れ戻す俺の身にもなれ!! ハァ……ハァ……」





鬼はそう一気にまくし立てる。






いやぁ、こればっかりは鬼に同意だな、黙って列に並んでればいいものを……





上から見下す形で少年の方を見ていると、彼は平気そうな顔でまたピョンっと起き上がった。






本当に、馬鹿なんだろうな……こいつ






俺の冷たい目線にも気付かず、起き上がった少年は片目を手で覆いながら鬼をきつく睨らむ。


鬼にこんな顔を向けられるのは、英雄かとんだ馬鹿野郎だろう。





この少年はどっちだ?





 すると、少年はキッと視線で鬼をとらえたまま、大きく口を開いた。






「人ならざる者よ! 我が魂を前世の肉体に帰着させよ!」





ああ、もうこの喋り方の時点でなんとなくさっきの答えが分かった。こいつは……





 少年はこれでもかと言うほどハキハキした声で叫ぶ。





「我は……我は!! 現代のライトノベル《聖書》である『魔眼チート』を読み切るまで、この輪廻の渦に巻き込まれるわけにはいかないのだ!」






紛れもない馬鹿野郎だったようだ。






「「……は?」」




俺と鬼の声が重なる。







今こいつ、『魔眼チート』ってライトノベルを読みたいがために、ここから抜け出したいってことを言ったのか?




俺は、少年から飛び出した予想外の言葉の意味を心のうちで確認する。





『魔眼チート』とは、正式には『魔眼でチートな異世界世界』という名の本だ。言わずもがな、異世界転生主人公ハーレムなライトノベルである。





魔眼使いの主人公が、魔術でバッタバッタと敵をなぎ倒し、ハーレムを作っていくという典型的な内容だったはずだが……。





俺は顔を鬼の方に向ける。鬼は左手の握りこぶしを右手で覆い、ゴキリゴキリと鳴らした。





 頭には血管を浮かび上がらせ、ごついお顔がより一層凄みを増している。俺が怒られているわけでもないのに、ビリビリと震えてくる。





 そして、鬼は牙の生えそろった口を開いた。






「お前は、そんなつまらんことのために生き返ろうとしとんのか!!  次抜け出したら容赦せんからな! 覚えとけ!!」






 やっぱり、そうなるよなぁ……






そう大声で叫んだ鬼は、ほかに脱走者がいないか辺りを警戒しながら、ドシンドシンと持ち場に戻っていく。







 その後ろ姿を見てから、俺は視線を鬼から少年へと移す。






無力な少年は、キツく鬼を睨みながらもそれ以上何もできない。






「くっ……さすがは鬼、我一人の力ではどうにも」





そう言って彼は俺の前で顔を伏せた。






俺は、その様子を若干引き気味に見る。






にしてもこいつ……喋り方まで厨二腐ってるな? 我ってなんだよ、我って……





死んでしまった以上これから先成長するなんてことはないかもしれないが、成長してから死ぬほど後悔するんだろうな……




 


 そんなことを考えながらも、無表情にそれを見ていた俺は、声をかけてみることにした。







「なあ、死ぬには若すぎる少年」



「な、なんだ? 死に向かう若き亡者よ」






彼は、首をこちらに回しながら、怪しい者を見る目を向ける。

 




俺の方が背が高いから、自然と少年は俺を見上げる形になる。その顔は中性的で、声も近くで聞くと声変わりしていないようだった。






かなりの美男子である。






ちっ、イケメンは嫌いだ……







 そんなことを思いながらも、質問する。







「お前、そこまでしてラノベ読みたいのか?」




「……ふっ、異なことを。ラノベ……特に『魔眼チート』は我がバイブル。この喋り方もその主人公『天神 流忌亜』をモデルにしたものなのだから!」




「あっ、だからそんな厨二腐った……いや、なにもない。だから、そんな目でこっちを見るな」





 目を細めてこちらを睨む少年と目が合う。





「ふんっ、このカッコ良さが分からないとは、お前のセンスの底が知れるわ」





「あー……はいはい、それでいいよ」





 特に掘り下げる気も起きなかった俺は、適当に流して話を続ける。





「それで? この列から逃げ出して、そのあとどうするつもりなんだ? もとの世界には戻れないだろ?」




「うむ、確かにその通りではあるが……このままこの死者の列に並んでいても現世に戻れないことは確実。ならひとまず逃げるしかなかろう?」




「……つまりは、無計画と」




「無計画とはなんなのだ! 計画以前に異形の鬼に恐れをなし、何も行動しない者には言われたくない!」




「まあ俺はほら、別に鬼に反抗してまで生き返りたいなんて思ってないしな」




「ほう。お前、やり残したことなどないと言うのか?」




「やり残し、やり残し……」




 そう言って目線を少年からすこし上げて考える……が、特に生き返ってまでしたかったことなど何も出てこず、俺は返事をする。




「とくに」




 無いかな。そう言おうとした時だ。




 俺の目に……




 俺の目にこの世で最も嫌いなものが映り込んだ。






 それは列のかなり前の方にいた。





 若い男女が二人……カップルだ。





 前の方なので少しだけしか見えないが、どうやら肩を寄せ合っているようだ。





 恐らく、心中か何かをしてこちらの世界に来たのだろう。






 その時、俺は気がつけば言葉を溢していた。






「あったわ……やり残したこと」




「ん? なんだ、どっちなのだ」





 不思議そうに少年が尋ねてくる。





 ある……うん、ある。




 俺が唯一やり残したこと。


 彼女だ。彼女を作らなければ。思う存分イチャイチャしなければ。





本来なら、関わりたくなさを集めた塊のような人種……それでも俺は、そんな少年に向かって人差き指を向けて、ある提案をする。








「俺も、お前の脱走……協力してやろう」








すると、その少年は、俺の提案にニヒルな笑みを浮かべた。



 





「貴様、名は何というのだ?」 



「俺か? 俺は鍋野颯太、大学生だ」



「じゃあ……ナベ。ナベもこの世界からの魂の乖離を望むということで良いのだな」






ナベ!? まぁ、いいか……どうせ少しの間だけの関係だ。






少年からの呼び名に多少の違和感を感じながらも、話を進める。







「……ああ、それでいいよ。抜け出すぞ、この世界から」






俺の言葉を聞いて少年は、死装束の袖を肩まで捲し上げた。







死人だからなのだろうか、そこから見えたシミひとつない真っ白な肌は、俺の目を釘付けにする。







「うむ、ではよろしく頼むぞ、ナベ」






そうして少年は、その腕を露わにした手を俺に差し出た。






「え、あ、あぁ……」






 白い肌に目を奪われていた俺は、少し遅れてそう反応し、少年と握手をした。






その感触としては思いの外柔らかかったが、男相手には何も感じない。


 なにかむず痒さを感じ、すぐに手を解いた俺は鬼には聞こえない程度に口を動かす。






「だが、相当難しいと思うぞ……」






 こんな非現実な場所で現実とかいうのもおかしな話だが、現実的に考えて無理だと思う。

 向こうの世界で息が止まって死んだ扱いをされた人間が、またその体で生き返るなんて到底考えにくいことだからだ。





「うむ……それについては、この列から抜け出してから考えてはどうだ?」




 無計画な……と言いたくなるが、そうも言ってられない。




「しかたない、か……もう川らしきものが見えつつあるしな」






 着実に三途の川は見え始めていた。もう少し列が進めば、川にたどり着くだろう。







すると、そんな会話をする俺たちの後ろから声が聞こえた。






「私も、その逃走劇に協力させてもらおうかな」





この声は……!?





声の方を見ると、すぐ後ろで、一連の話を聞いていた老人が背筋を伸ばした。





「んんんっ……ふう。まだまだ君達は死ぬには早すぎるからねぇ。鬼すら恐れない将来有望な若者には、未来の我が国を支えていって欲しいものだし」






そう言って頰を掻きながら、眼鏡の後ろで目を細める。







 そんな優しそうな顔を見て、俺はすぐに疑問が生まれた。






なんだこの老人、いったいなにが目的なんだ……?

 もしかして、この歳でまだ生きたいのか??






すると、一人考える俺を置いて、少年はすかさず老人のもとまで歩み寄り、俺としたのと同じように老人の手を握った。




「感謝する、老人よ!  貴方も一緒に生き返るのだ」






少年は、鬼にバレないように、それでもはっきりと聞こえるように決意した。だが、老人は予想外の反応を見せた。





「あぁ、私はどっちでもいいんだよ? どうせまたすぐにこっちに来ることになるだろうしね」





シワの入った顔により深いシワを入れ、口角を上げる。







う、嘘だろ? 生き返る気が、ない……?




 じゃあ、なんでこいつに協力しようとしてるんだ? それこそ、なんのメリットもないのに……




そうして考えていると、俺は一つの言葉に衝突した。





……善行。






この老人はもしかして、俺がその存在を信じていなかった善人という人種なのか!?





まさか、そんな……いや、でも……





そんな思考を展開していると、老人の姿を見て笑っていた少年が、こちらに顔を向けていた。







「……べ……ナベ、聞いてるのか?」



「……え、ああ、すまん、考え事をしてた」






そこで、ようやく話しかけられていたことに気がついた俺は、適当に謝る。


すると、少年はため息交じりの声を出す。





「ナベ、貴様という奴は……」




 そこまで言うと、少年も無駄な争いは避けたいと思ったのか、こちらの目を見て話を切り替えた。





「どうやって逃げるのか、と聞いたのだ! 奴らめ、あの巨体によらず速いぞ?」




 

「それは見ていた俺も分かる」





 老人の言葉から頭を切り替えた俺は、二人に頭を近づける。もちろん少しずつ前には進みながらだ。





 実は、何度も捕まるこいつの様子を見ていて、一つばかし策は思い浮かんでいたのだ。

 ……と言っても俺はそんな賢くもないし、誰でも思いつくバカバカしい行き当たりばったりなものではあるが。





 俺は、辺りに鬼がいないことを横目で確認しながら提案する。






「……奴らは見ての通り人数が少ない。みんなで逃げりゃ、そのうちの何人かは逃げ切れるだろ」






 そう、単純明快。みんなで一斉に逃げよう作戦だ。





さすがの鬼でも、この人数が一斉に逃げ出せば手に負えないだろうと考えたのだ……確証はないが。





しかし、思いの外少年には好評だったらしい。少年は顎に手を当てて目をつむり、うんうんと頷いた。





「くっくっ……貴様には軍師の称号を与えよう」




「いや、それはいらん」





「ぬぅ……まぁ、よい! いけるのではないか? 見た感じ鬼一人? 一匹? に対して人が二十くらいであるし」





そう考えると、今日たまたま人数が多かったというのは幸いだった。




 すると、老人が列の流れに合わせて、少しずつ前に進みながら目線をこちらに向けた。





「でも、そんな都合よく一斉に逃げられるのかい? みんな鬼に恐怖しているようだけど」





 老人の言うことはもっともだ。列に並ぶ奴らは、みんな……もれなく俺も、恐ろしい見た目の鬼に恐怖している。「さぁ、逃げよう」と言って実際にここから逃げようとするのはごく僅かになってしまうだろう。

 





俺は老人の言葉に一度大きく頷く。






「その心配は…………」






 そこで、しばらく間を開けてから、俺は言った。






「……しなくていい、と思います」



「なんだ、ナベ、策でもあるのか?」



「まぁ、一応……な」




 俺は彼ら二人に作戦の内容を伝える。




 この作戦で必要なのは、死者のこの先どうなるか分からないことへの不安と恐怖。それから、鬼の迫力と辺り一帯に響き渡る大声だ。





それらはもれなく揃っているものの、やはり心は不安でいっぱいだった。二人の顔を見ると、余計胸にそれに類した感情が湧き上がる。


 



なにせこの作戦がうまくいく確率は低いのだ。みんなを動かすという点で、運まかせ要素が強すぎる。





 実際、老人と少年はその顔を若干曇らせていた。




「なぁ、ナベ……それ、本当にうまくいくのか?」



「……さて、どうだろうな」





 確証はない……が、もう後がない。


 


「どうだろうなって……」




俺たちの乗る船はもう間も無くのところまで迫っていた、その帆の先が見えているのだ。






 大丈夫、ここは俺の作戦できっとうまくいく……と思う、恐らく、たぶん……




 頭の中ではそんな有様でも、二人に不安を煽らないように、首を横にブンブンと振ってから、自信満々に言ってのけた。






「まぁ、みんなで一斉に逃げよう作戦の実行は、俺に任せてくれ! タイミングは二人に任せるから」

 





俺の言葉に、二人は目を見合わせて、ほぼ同時にコクリと頷いた。





「ふうっ……」





深呼吸をする。







できる限り落ち着きながらも、両手で思い切り自分の頰を叩くと、ジィーンッと気合いが入ったのを感じる。






先を見据えると、俺は力強く呟いた。






「作戦実行だ」






それだけ言い残し、列の中で三人付き合わせていた頭を離した。


二人に合わせようと若干屈んでいた足をしっかりと伸ばし、周囲の状況を確認する。







すると、この計画最大の難敵である鬼が、ちょうど近くを通りかかった。





俺は勇気を振り絞って大きな声で、その鬼に話しかける。







「すみません! 少しいいすか?」



「あぁん? なんだ坊主?」






鬼はその怖い顔をしかめて近寄って来る。




本当にやめて欲しいその顔は、怖い。なにより怖い。






止まらない手汗を止めるように、自然と両手が閉じた。体がやめろと言っているようにプルプル震える。



しかし、その気持ちをグッと堪え、ちびりそうになりながらも話し続ける。





「あのぉ……僕たちってこの船に乗った後、本格的にあの世に行くんすよね? 地獄とか天国とかって別れるんですか?」




俺の質問を聞いた鬼が腕を組み、高らかに笑う。



「がっはっっはっ! ああ、お前ら人間はすぐにそれを聞く、そりゃ別れるだろうよ! 悪い奴は地獄に、いい奴は天国にってなぁ!」





どうしよう、鬼さんってば笑うだけでもかなり怖い。なんでこんなことしてんの俺!? 何がやり残しだよ……こんな馬鹿なことするんじゃなかった。

 三十秒前の自分を再起不能になるまで殴りたい。





だが、今更引けるわけもなく、両手をこすり合わせて恐る恐ると言った様子で鬼に尋ねる。






「その場合、僕ってどうなるんですかね?」




すると、鬼はめんどくさそうに答えた。




「んなもん知るか! もっとお偉いさんが決めんだよ!!」





知ってるよ、川の先にいる閻魔様が決めるんだろ?




この話は知っている。しかし、その上で俺はもう一度確認する。






「僕が天国か地獄か……本当にわからないんですね?」



「だから、そうだって言ってるだろ!!」






よし……いまだ、今しかない! 言っちまえ俺!! 大丈夫、俺はやれば出来る子だ。





覚悟を決めた俺は左手を腰に当て、右手を挑発するように鬼へと指し向ける。そして、嘲りながら言葉を紡ぐのだった。






「へっ、へーそうなのか、そんな偉そぶって踏ん反り返ってるくせに下っ端なんだな、お前! いやぁ、偉いと勘違いして丁寧な言葉遣いしちまったよ、何回聞いても知らぬ存ぜぬって、もうただの歩く筋肉じゃん! やーいバーカ! アホ! ミジンコ以下の存在め! あっ、ごっめーん! ミジンコ知らないかなー?えっとねーミジンコっていうのはー……おっと!! 暴力はいけないよ? その挙げた手を下そうか……よし、お前ら鬼は人間に手をあげたらダメってことになってるんじゃないかな? これまで逃げた人を傷つけないからそーじゃないかなーって? あっれぇえ? 腕を下ろすってことは、もしかして図星なのー?? やっぱり上の人の命令には逆らえないんだねぇー」






ここで恐怖のせいか、そもそも人に悪口を言うことに慣れていないからなのか、俺のボキャブラリーも底をついた。





言い終わって怖くなってくる。取り返しのつかないことをしているんじゃないのか、今更ながらそう思えてくる。






だが、どうだ!? やってやったぞ!!

……最後に最も大切な一言を付け加える。






「まぁ、俺は君とは違って優れた人間だから、間違いなく『天国行き』だろうがな!」





視界の右端に顔を真っ青にした少年が立っていた。彼は、左手を口に当てて、震える逆の手でこっちを指差している。





「な、ナベ……お前、大丈夫なのか? 」






ははっ! 大丈夫な訳がない!! 大丈夫な奴が鬼に喧嘩を売るわけないだろ!!

にしても、こいつにこんなこと心配されるとは……俺もいよいよだな!






恐怖で頭が正常に働かない。無駄にテンションだけが真っ赤な空の彼方に突き抜けていく。







チラリと鬼の方を見ると、鬼は下を向いて静かに震えていた。







あぁ……これは、マジでヤバイかも







そう思ったときだった。鬼はぐわっと目を見開き、こちらを睨んだ。






「天国行きだぁ? さっきの質問に答えてやろう人間! お前はぁ、確実にぃ、『地獄』行きだぁああああ!!!!」







鬼がこれまでにない大声で叫んだ。特に地獄の部分はやたら強調してくる。その顔は般若の面を何十倍も何百倍もおどろおどろしくしたような表情をしていた。





 突然の怒声にあたりがシーンッと静まり返る。

 今の鬼の大声は、確実にここら一帯の人々に伝わったことだろう。







全身を満たすのは恐怖。体が動かない。







……だが、ここで黙っていては全てが台無しだ! 俺は拳を強く握りしめ、精一杯の勇気を出してこう叫ぶ。







「えぇ!? なんだってぇー!!!! 『みんな』確実に地獄行きぃいい!!!!」







体を一歩後ろに引き、俺は大袈裟に驚く。多少嘘が混じったような気がしなくもなくもないけど気にしてはいけない。







すると、俺の叫びに少年と老人を中心とした人々がざわめき出す。






「おい、聞いたか、今の? 我々はどうやら地獄行きのようだぞ!?」




「嘘だろ、おい! 俺が鬼に聞いた時、向こう岸で決めるって言ってたぞ!?」




「でも、今あの鬼がはっきりと地獄行きだぁああって!!」







いいぞ! 広まれ!! 広まれ!!







鬼の声はとにかくよく響く。それに、死人はみんな電線のように列になっていた。

一度電圧をかけたら、電流がごとく噂は一気に流れるんじゃないかと思ったが、大成功だったようだ!!







 ここらを中心に人々がザワザワと騒ぎ出す。






「ちがっ! 俺が言ったのは、この男に……」






 そんな風に鬼が慌てるが、そんなものもはや誰の耳にも届かない。






「はっはっ! 見えるか? 鬼! これがパニックになった大衆の怖さだよ!」






こうして作戦が大成功し、笑いをこらえられずにいる俺の前で、鬼たちがその騒動を鎮めようと重低音の怒鳴り声をあげている。





「落ち着けぇえお前ら!!」


「今のはデタラメだぞぉお!!」





しかし無駄だ、先ほど確認したように、この騒動は船のすぐそばで行われている。






つまり、人々はもうすぐ地獄行きと思われる船に乗せられようとされている状況下にあるのだ。







正常な判断なんか、出来るわけがない。







「い、いやだ……」


「いやだぁああああ!!!!」







こうなるのも時間の問題だったのだろう。



ある男の声をかわきりとして、人々が右へ左へと走り始めた。







踏みつけられた彼岸花が花を散らす。


怒鳴り声と悲鳴が交差する。






「逃げるなぁああ! 人間っんん!!!!」






そんな鬼の禍々しい声も虚しく、人々は四方八方、あらゆる方向へと蜘蛛の子を散らす勢いで走っていく。





完、壁、だ!!






運任せの要素が強かったが、完全に計画通りだ! いやぁ、ここまで思い通りになると、自分の才能が恐ろしい!!








「ふっ! 流石、ナベ! 早く逃げるのだ!」





先ほどとは打って変わってニヤリと笑った少年が走り出す。





「さて、私も久しぶりに走ろうかねぇ」




老人も足腰を気遣っていたのが嘘のように、元気よく同じ方向に走り出した。





「よし! 俺も!」





俺も彼らに続いて走り出





……せない!!?







走り出そうとした俺の右腕を、誰かが掴んでいたのだ。それは船のイカリのように、本体である俺の体をその場に留まらせる。






このゴツゴツした手は、誰だ……?






俺は分かっていた。分かっていて認めたくなかったのだ。






すると、それを認めさせるように、俺のすぐ後ろからから最も聞きたくなかった声が聞こえた。


それは小さな声だったが、体の芯に至るまで振動させる。




「坊主……よくもやってくれたな? どこに行こうってんだぁ?」






錆びたロボットがギギギッと音を立てて動くように、俺は首だけでゆっくりと振り返った。






……そこにいたのは、憤怒を体現したような鬼だ。





俺の目線と、鬼の目線が衝突した。

その瞳の奥……メラメラした何かが俺の瞳を捉える。





「は……ははっ……」





乾いた笑いが、自然と漏れ出る。これは、鬼という脅威への屈服の証なのだろうか? 生物学レベルで体がそう反応したのだ。





……ど、どうしたらいい?



俺は、どうしたら……






「あ……あのですね? とりあえず、その、えっと……すみませんでした」






考えた末、俺はとりあえず謝ることにした。以前、親に買い与えられた「上司とのコミュニケーション〜入門編〜」に、怒った人にはひとまず謝れとあったのだ……






って、こいつ、人間じゃねぇ!






今更ながら見当外れなことに気がついた俺に向かって鬼は言った。







「お前だけはぁ……離さんから……な?」



コォオオオと口から蒸気を吐き、目を光らせる。







嫌ぁああ!! こんないかつい鬼に、そんなヤンデレ宣言されたくない!



こんな美少女に言われたい言葉ランキングトップテンに入るような言葉でも、鬼に言われれば全て台無しだ。






まだだ、何かあるはずだ! 考えろ……どうしたらいい?






「あ……そうか!」






そこで、俺は素晴らしいことに気がついた。これは、名案だと言っても過言ではない。顔が少し緩みを取り戻す。







そう、俺には仲間がいるのだ! 美少年と優しいご老人が! 困った時は助けを求めたらいい!






俺が再び前を向くと、目を見開いた少年と目があった。





「少年! すまん、捕まった! 助けてくれ!!」





『魔眼でチートな異世界生活』の主人公『天神 流忌亜』なら、ここでかっこよく助けてくれるのだ。生き返りたくなるほどあのラノベが好きなら……










しかし、そんな期待もあっけなく消えることとなる。少年は汗を流しながら、気まずそうに目線を逸らして言ったのだ。






「わ、我は仲間の屍を越えて行く!」






少年はそれだけ言い残すと、涙を袖で拭く真似をしながら、方向を変えて走り去った。






「え……おい!! そんな!?」






恩というものを感じないのか!? 理由はどうあれ、俺はお前に協力してやったんだぞ!!




しかし、少年にそんな想いが届く前に、少年は遥か遠くに走っていく。


 その体が小さくなっていく……








俺は縋るようにもう一人の仲間を見る。





大丈夫、彼なら助けてくれるはずだ! だって、彼は言ったのだ。私はいいから、君たちが助かれと……そんな老人が俺を見捨てるわけない。





すかさず去っていった少年から、気高きご老人に目を向ける。







「た、助けてください!!」







俺の言葉に老人は、目を瞑り、ふぅっ……と息を漏らした。その一瞬、他の音が消滅したような気さえする。








……そしてこちらを見て言うのだった。








「えーっと、ははっ、ごめんねぇ」








今までのは誰だったのだと思うほど軽いノリだった。




そして、俺が声を上げる暇もなく、老人はペロッと舌を出して、少年と同じ方向へと去ってしまったのだ。






「……おい、てめぇらぁああ!!!!」






少年! 涙、流してなかったよな!?


それに老人! お前はとりあえず許さん!




 はぁ……




「ははっ、やっぱり善行ってないんだ……」





涙が出る……頑張ったのは俺なのに……






いや、でももし逆の立場だったとしたら、俺も助けずに逃げたのだろう……だって、ここで助けるのは、善行を成すものだけのはずだ。











「自業自得、か……」








言い訳がましく、自分にそう言い聞かせた俺は、流れる涙を鬼に掴まれてない方の手で拭うと、考え方を切り替えることにした。





いや、これでよかったんだ……三次元の彼女を作るために生き返るという考えが間違っていたんだ。ここまで作戦がうまくいきすぎていたんだ。






はぁ……


そう考えよう、そうでもしないとやっていけない……






ポジティブに考えると、自然と力が抜けた。膝から崩れ落ち、鬼に掴まれている右手だけが持ち上がる。






そんな俺の目の前では鬼に捕まった人々が連れ戻されていた。その顔はみんな涙や鼻水やらでぐしょぐしょだ。






あぁ、幽霊的な存在でも涙はでるんだな……





そんなどうでもことを考えながら見ていると、鬼がさっきのドスの効いた声とは打って変わって、子供を叱った後の親のような声をかけてきた。






「同情はせんぞ? お前が悪いんだからなぁ?」






この事件、やっぱり俺が主犯になるんだよな……






諦めた俺はこれ以上反抗する気もなく、従順に鬼の言うことを聞く。





「ええ、お仕事の邪魔をしてすみませんでした。あ、先に船、乗りますね?」







ーーこうして逃げること叶わず鬼に捕まった俺を含む人々は、目の前にあった和船に乗せられ、向こう岸へと進むのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る