え、閻魔様…釜茹での刑って鍋蓋転生ですか?〜善行を積まねば、次は天国に逝くために〜
@himekaku
第1話
「あぁ……ほんと、意味わかんねぇ」
誰に向けたものでもない、小さな呟きが漏れ出る。
そこは不思議な場所だった。
見上げれば月も太陽もない真っ赤な空。夕暮れだとかそういう話ではない。シンプルに空が赤いのだ。
そして、その異様さから逃れるように地上を見渡せば、そこら一面に咲き誇る彼岸花彼岸花彼岸花……。
不気味だ。
赤い空や真っ赤な彼岸花は、何かおどろおどろしいものを感じさせる。
……が、なによりその不気味さを際立たせるのは、咲き誇る彼岸花の間を縫うように一本で形成された、人間による長蛇の列だ。
皆不安そうな顔をぶら下げ、律儀にその列に並んでいた。どんよりとした空気が辺りを覆う。
ちなみに俺、『鍋野 颯太』もその列の一部と化している。
それなりの時間……自分の身近な例えで言えば、大学の授業二コマ分の間……くらいだろうか?
は、並んでいるはずなのだが、一向に先頭は見えてこない。
はぁ、何時間こうやって並んでればいんだ?
そこで、スマホのトップ画面で時間を確認しようと、いつもの癖でズボンのポケットからそれを取り出そうとする……が、その手は空を切る。
それと同時に、思わず心の声が漏れた。
「そうだ、ないんだったな……ポケット」
目線を下に落とすと、真っ白な着物が目に入った。
そう、今はこの格好なのだ。今は。
「はぁ……なんだよ、これ」
着た覚えのない『左』の襟が上にきている真っ白な着物の首元を整えながら呟く。
結局手持ち無沙汰のまま、前にずっと続く人の頭をボーッと眺める。
これは、信じたくないが……やっぱり俺、いやここにいる人間って……
すると、その先の考えを拒むように、背後から声がした。
「どうも今日は乗船する客が多いらしくてね、なかなか船に乗れないみたいなんだよ」
ゆっくりと落ち着いた、しわがれた声。
「……!? え、あ、あぁ、そうなんですか」
急に話しかけられるとは思わず、声が裏返ってしまった。無視するわけにもいかずに、俺は体ごとクルリと半回転する。すると、深くシワの入った眼鏡の老人と目が合った。
顔は優しそうではあったが、青白く、どこか気味の悪さを漂わせている。
何より、彼の頭につけた三角の布と、真っ白な装束が、この非日常を突きつけてくる。
彼はその細い目を少し大きくして、見るからにカサカサの口を開く。
「おっと、これは……後ろからじゃあ分からなかったけど、ずいぶんと若かったようだ」
「はははっ、たしかに、この中じゃ僕、若い方……ですよね」
俺は自身とお揃いの格好をした老人へと返答する。
彼の声色から、同情してくれているのが分かる。生前はきっと孫に好かれる良いおじいちゃんだっただろう。
「そうだねぇ……本当に、若すぎる。この格好は、まだ君には早いだろう」
「ははっ、ほんとに……」
少し引き気味にそう笑った俺の顔を見た老人は、己の白い顎髭に手を当てながら、潤いをなくした唇を動かした。
「そもそも君は私とは違って、こんな格好した人間、着る前に、なかなか見ることもなかっただろう?」
「ええ、まぁ。この歳じゃ、まだ見る機会は少なかったですね。最近だと……祖父のお葬式で見た以来……ですかね」
長方形の木の箱に入ったお爺ちゃんのことを思い出す。あの時、俺自身は真っ黒な喪服を着ていた。少なくとも、今みたい真っ白な着物なんて着ていなかった。
すると老人は、俺が身に纏う服と自分の服を交互にを見ながら目を細めた。
「今はそれを僕たちも着てるなんて、笑えない話だよねぇ……君は、十代……いや、二十代とかかい?」
「そうですね、今年で二十三になる予定でした」
少し目線を逸らしつつ、素っ気なく俺は返す。
『予定だった』……そう、全ては過去のことであり、二十三歳になることが実現することは決してないのだ。
老人は続ける。
「ということは、今は二十二歳……あっ、前に……」
続けて老人が後ろを指差して何か言い出そうとしたその時だ。怒声が鳴り響いた。
「おらぁ! そこぉ! さっさと前つめんかい!」
その声は風を起こし、大地を揺らす。
老人を若干見下ろしながら話をする俺に発せられた、体の内臓全てに響く重低音。
「はっ、はいぃ!!」
俺は、反射的にそんな大声を出す。
今の騒音の主は、この空間にある赤い空、彼岸花、長蛇の列……それら全てを笑って飛ばすくらいの、現実に目の前に存在している『非現実』だった。
メガネの老人越しに、怒鳴った本人の顔が見える。
彼……いや、性別などないかもしれない。その非現実は、頭から二本の角を生やしていた。般若のようにゴツゴツした顔で、口に目を向けると、下から上に向けて巨大な二本の牙が伸びている。百人いれば百人が『鬼』と答えるであろう容姿だ。
そう……『鬼』である。
鬼の怒声への驚きと怖さで、俺は思わず心臓が止まりそうになる。
いや、心臓は、すでに止まっているのだ……
ーーそう、お気づきだとは思うが、俺は死んでいる。
ここは、あの世……にいく一歩手前だ。
今は、噂には聞いていた『三途の川』の渡り船に乗ろうと、こうして生前では決して見ることのなかった、鬼が行列整理をする列に並んでいるのだ。
「す、すみませんでしたぁあ!!」
そう叫ぶと、小心者の俺は体を半回転させ、列の前方へと体を向ける。
なかなか進まないと思って油断していた。見ると、確かにこれは怒られるだろう。老人と話している間に、俺と前の人に十数メートルほどの間が空いていたのだ。
俺はそのままなるべく迅速に、駆け足で前の人との距離をうめる。
たかたがしれた距離、すぐに前へと追いついた俺は、動いたから……というより恐怖で乱れた呼吸を整える。
な、なんだよ、そんな怒るなよ……ただでさえ顔怖いのに!
俺の知ってる鬼はちっちゃくて可愛い、青鬼と黄鬼と赤鬼だぞ?
お前も盗まれたシャクを取り返すために頑張ってみろよ!
チラリと顔だけ後ろを見る。
今度は前の人に遅れないように、体を斜め前方に向けたまま、顔だけ後ろを向いている状態だ。
すると、俺の後ろにいた老人も曲がった腰を気遣いながら、開いてしまった俺との距離をつめてきていた。
脚が悪いのか、何度か転びそうになってヨロヨロと歩いてくる。
それにつられて、ゾロゾロと老人よりもさらに後ろの連中……爺さん婆さんが付いて来ていた。
歩くのに苦労している様子の老人と目があう。
そのとき、意図したわけではなくポツリと言葉が漏れた。
「……俺に、頼るな」
老人にそんな気があるのかないのかは別にして、俺の目にはそう映ったのだ。
本来なら、圧倒的に若い人間……つまりは俺が肩でも貸してやれば良いのは分かっていた……が、俺はそんなことはしない。
理由は簡単、もちろんまた列を乱して怒られるのが嫌だったというのもある。
が、なにやり俺は、世に言う『善行』というものが大っっっ嫌いだからだ。
いや、違うな……今のは語弊がある。
俺だって誰かに善行をしてもらえたらそれはもちろん嬉しい。なんせただで助けてもらえるのだ。そんなお得なことはないだろう。
だから、正しく言い直そう。俺が嫌いなのは、自分が人にする善行だ。
善行とは、ご存知の通り自分にはなんの見返りもない善い行いのことだが……
そんなことしてなんの意味がある?
所詮この世は、利己主義なのだ。みんな、己の利益のために行動しているし、俺もそれが正しいあり方だと思っている。
もしそれが違うというなら、今頃世界には大金持ちの街もスラム街も存在しないだろう。
……俺は、生まれてこのかた善行なんてした覚えはないし、これからする気もない。
まぁ、いろいろ大人っぽく言ったが、何より……
何も得しないのに、面倒くさいし
ぼんやりとそう思ったタイミングで、俺に追いついた老人が、手助けをしなかったことなど気にした様子もなく、己の膝に手を当てて呼吸をしながら話を再開する。
「ふぅ……すまんねえ、前につめるよう伝えるのが遅くなってしまったよ」
「いえ……」
「……それで、なんだっけ? ……えっとぉ……あっ、そうだそうだ、君が若いって話だったねえ」
老人は斜め上を見て思い出す。
正直、俺が若い話はもういいんだが……
そんなことを思っても言い出せない俺は、黙って話を聞く。
「若いんだから人生これからだったろう? ほんとうにやるせないねぇ」
「え、ああ……はい、そう、ですねぇ……」
老人の言葉に、俺は少し言い淀む。
「やっぱりかぁ……二十二歳といえば、大学生かな?」
「えぇはい、一応四年ということになりますね」
「へぇ、じゃあもう卒業だったんだね?」
「そう、ですね。四年生といえば、卒業ですね」
まぁ、俺は単位が絶望的に足りてなくて、今年は愚か、来年再来年も卒業できそうになかったのだが、わざわざ言う必要もないだろう。
俺の行ってた大学の単位なんて、『友達』に過去問をもらったり、『友達』と一緒にレポートしたりしたら、大方なんとかなるものらしいのだが……
俺はそれをしなかった……いや、出来なかったのだ。
どうも、こんなひねくれた性格の奴には、友達というものができないらしいのだ。
その結果残ったのが莫大な量の取り損ねた単位だった。
胸の内がどんよりと曇る俺に気づかず、老人は続ける。
「……となれば、就職して、奥さんもって……そんな幸せな人生が待っていたんだろうねぇ」
「ははっ、そうですね……(周りの大学生は)人生これからって感じだったんですが」
就職? 奥さん??
全てがソロプレイの俺にとっちゃ、何それ状態だ。
ようは割とすでに、人生詰んでいた。
だから、一つだけ心残りがあるとすれば……
……一度でいいから、一度でいいから三次元の女の子とイチャコラしたい人生だった。
そんな不純なことを考えながら、結局人生において純潔を貫き通した俺は、いかにも明るい未来が潰えることが残念そうに言うのだった。
「……本当、僕の人生これからって所だったんですけどね。いや、ホント」
「そ、そうかい……? 少し棒読みなのは気のせいかな?」
「気のせいですよ、気のせい」
渾身の演技を見破るとは、この老人なかなかやるな。そんなことを思いながら、話を変えるように、俺は口を開く。
「……ところで、あなたはなんでここに?」
話を変えるためとは言え死因を聞くのは失礼だったか?
まぁ、聞いてしまったものは仕方がない。
俺は数歩分進んだ前に追いつくよう、歩きながら問う。
すると、彼の返答は思いのほかシンプルなものだった。
「私は単なる寿命だよ」
老人は、こちらに進みながら愛想の良い顔でにっこりと微笑んだ。
「寿命……ですか」
穏やかな顔をした老人の顔を見て、俺は彼から目線を逸らす。
なんだか、その老人の笑顔を見たくなかったのだ。
この老人は、長い人生の中で、やるべきことをやりきったからこんな笑顔が出来たのだろう。
羨み、妬み、嫉妬……
なんだかわからない気持ちが渦巻く。
これは、駅前でイチャつくカップルを見た時の気分に似ている。
俺には持っていないものを持っている。
俺には出来ないことが出来ている。
俺には達成できないことを達成している。
……それを見せつけられている。
もう一度人生をやり直せたら、死んだ後に俺はこんな顔ができるのだろうか?
もし次があるなら……
いや、そんな考えはバカバカしい。
そんなの、今更だしな……
そう自分を納得させたところで、老人のゆったりとした声がした。
「ところで、君はどうしてここに?」
「ああ、俺ですか? 交通事故ですよ」
さらっとした返答は、真っ赤な世界に吸収されて消えていった。
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