虚数から複素数に
大雨が降っていた。
その姿は誰にも見えなくて。
それはただ途方もなくそこに留まった。
誰にも見えないものは誰からも助けてもらえない。
誰にも聴こえない声は無いのと同じ。
だから自分は無いのと同じ。
確かに濡れて確かに辛くてもそれは無いのと同じ。
暴風雨が真に消してしまおうと、雷鳴を歌う。
朽ちるのだ。
誰にも知られないまま、誰にも触れられないまま、誰からも呼ばれないまま。
ならば初めから無いのと同じ。
自分がきれいだと感じたことも、
気持ちが躍るようなことも、全部無いのと、同じ?
そうだね、それは風の中笑う。
意味など無くてもいい。
理由など無くてもいい。
でも自分は確かだ。
轟音が、木を裂き岩を叩くその烈火のごとくの地響きが、
世界ごと洗い流すように連れていこうとする。
誰にも見えないそれは横たわる。
僅かに残る確かな命を握りしめて最後まで放すまいと。
もう水の感触もわからない。
身体が全て包まれたように。
握りしめていたその手が開く。
その時だった。
手を違う手が握りしめていた。
強く強く。
中にあるものを放るまいと。
身体が揺れた。
全身が何かに包(くる)まれて、そこから先の記憶はない。
なんでだろう。
それは意識も遠く思った。
自分は誰にも見えないはずだ。
なのになぜ?
次に目を覚ました時、部屋の中に爽やかな風が緑の香りを連れてきた。
彼はその見えないものが癒えるまで自分の部屋に置いていた。
小さな身体が元気を取り戻すまで、彼は手厚く労った。
助けてくれたその人は、いつも一つのものを見ていた。
眩しくてたまらないかのように、恍惚の顔で見ていた。
彼の手に入ればいいのに。
そんなことを思うほど幸福そうな顔をしていた。
それは遥か昔の話。
傷が癒えたそれはそこを去った。
見えないものを見てしまう、そんな人がいた事をそれは忘れなかった。
あの時開こうとした手を上から固く握りしめて、
この命を諦めないでくれた「誰か」。
抱きしめて運んでくれたその温かさ。
その邂逅が、それには意味の初めだった。
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