外接円と内接円
少女は自由だ。
青く貫くような空かと思えば燃え尽くすばかりの空のように、
一度として同じ形を持たないその雲のように、
一瞬としてひとところにはいない風のように、
全てにつながる大地のように。
どれほど重い装飾も、どれほど立派な名札も、少女には意味を持たない。
今そこに在ることが、歓びだから。
少女は周りの期待という期待を裏切る。
己の期待を裏切らない為に。
自由な代わりに束縛を嫌った。
どんな光り輝くものも少女の枷にはならなかった。
しかしあまりに自由なそれは、
ただの身勝手だと足を揃えて立つ者たちに批難される。
そうして少女は自分を閉じ込める家からいかにして出るかを考える。
とんとんとんと音がして少女はその戸を開けた。
まるで自分を閉じ込めるために鉄でできているのではないかと思うようなそれは、
羽が生えたように軽く外と中を繋いだ。
目の前に立っていた自分より小柄な少年にあなたは誰かと問う。
少年はくしゃっと笑ってあなたに自由にあげるよ、とその手を引いた。
たくさんの街、色とりどりの世界。
今まで少女が本の中に夢見たものがその目に映る。
自分の髪が何色かその目が何色か、
それらが強く何かを引き起こすことがあれば、
少女がどこの誰でも関係ないこともたくさんあった。
少年は行き先を告げないまま誘導する。
いくつもの場所を経て、二人はそこに立つ。
見渡す限りの草の海。
どこまでも広がる草原の中に茶色く地肌を見せるただひとつの道。
風がどこにもぶつかることなく吹き荒れる。
少女の肩口で切りそろえられた髪が舞う。
その体ごと持ち上げるように強く強く。
草の中その道を進む。空は青く陽は照りつけるように影は濃く。
現れるは突然の、家。
屋敷ではない。
部屋数がそんなにあるとも思えない。平凡な家。
草原の中にあって、その家の周りだけ原色の花が咲き乱れる。
小さなものから大輪まで風が遠くへ連れて行こうと揺らす。
少年はノッカーを引く。
ごつごつ。少女はその家を取り巻く庭を見渡した。
鮮やかに眩しい。
がちゃりと開いた向こうには彼が居た。
予期せぬ来訪者に彼は少し驚き、そして再び閉ざそうとする。
「きれいな庭ね!」
明るい少女の陽気な声が、その陰を一層とする。
まるでここに闇など無いように。
そこに仕切りなど無いように。
その声は外から中に、部屋という部屋を駆け巡り窓を開け放すように響いた。
気づけば少年と少女は家の中にいた。
少年が窓を全て開け放し、少女は庭の花を摘んで部屋に飾る。
彼が何かを言う前に二人はそこに居着いてしまった。
家の裏、草原の真ん中にあってわずかな菜園を耕し、
草原を抜けて森に入り川に魚を、雨が降れば糸を編み、楽器を奏で、
寒さに指は赤くなり、暑さに汗は滝のよう。日々がそこにあった。
その家で誰も過去を何も語らない。
ただ目の前の他愛ないことを語る。
今日の天気、今日の庭、今日の気持ち。
昨日のことは振り返らない。
彼は少年少女がどこから来たのか訊かなかった。
二人もまた彼がなぜこんなところにいるのかを訊かない。
毎日の今日が去っていく。
そうしてある日突然少年が消えた。
彼も少女も探したが、枝を拾いに行くと言って出て行った少年は家に戻らなかった。
屈託のない笑顔で細かい作業を好んだ少年を想う。
一緒に暮らしたのは一通りの季節分。
いつの間にか三人でいることが当たり前になっていて、
少女も彼もその挨拶もなにもかもが明日もあるものだと思い込んでいた。
種から植えた花が咲いた。
見て欲しい。
何処にだって行ける。
抱えている荷物は自分だけ。
少女にとってそのはずだった。
好きにすればいい。
己の感情のまま、思うまま。
誰の気持ちも、期待もおかまいなしに。
だから少年がいなくなっても関係など無いのだ。
あの日、誰にも開けられない戸を、開けた少年のことなど。
思うことがないといえば嘘になる、と
彼はいなくなった少年がいつも座っていた椅子を眺める。
突然やってきて居座り始めた二人。
そうして突然いなくなった一人。
庭にしゃがむ少女の背中がどこか寂しい。
窓から眺めながら彼はため息をつく。
だからといって、なんだというのだ。
窮屈だ。
何処にだって行ける自由があるのに、少年が気になって何処にも行けない。
まるで両足に鎖でもついているみたい。
少女はその気持ちを言葉にできなかった。
他人のことより自分の自由が大切だったはずなのに。
少年は自分に自由をあげると言ったのに。
嘘つき、と少女はその花を手折った。
出会いがあるなら別れもある。
そんな月並みな言葉、いつかまた何処かで会えるよ、なんてありがちな言葉。
その足を踏み出さなければ見えなかった世界があることを知ってる。
窓の外を眺めるだけではこの手にできなかった花を知ってる。
少女は覚悟を決めた。
こんなに雁字搦めの気持ちは苦しくて嫌。
少女は立ったまま、どん、と机に荷物を置いた。
けっこうな量だ。
椅子に座る彼の前に大きな荷物。
行こう、と少女は言った。
何処に、と彼はその言葉を飲み込んだ。
黙って荷物の向こうにある顔を見上げる。
一緒に行く必要など無い。
元々ここは少女の家ではない。
何処へでも行く権利がある。
少年にも。
ぐい。
細い小さな手が彼の見た目とは裏腹にがっしりとした腕をつかむ。
柔らかい手が固い腕をつかむ。
行こう。
二度目を言いながら少女はその手を引いた。
己の力では動かないと知っていても、引いた。
一人で行けばいい、と彼は小さく吐いてその目を見た。
泣くか、怒るか、呆れるか?
いいえ。少女は笑った。
あなたが作ってくれるお料理が美味しい、
少年が乾燥させた植物で編んでくれた籠が可愛い、みんなで居て楽しかった。
だから、と少女はもう一度その手を引いた。
彼には、
触れることすら叶わないものがあった。
眺めることしかできないことがあった。
その温度が何一つ伝わらないままの過去があった。
その足が踏み出した。
いなくなった少年を探すために。
大きな荷物を背負って。
小さな手に引かれて。
だって、この手が触れるから。
だって、今日はあの日と違うから。
彼は一度だけ家を振り返ると前を向いた。
何処をどう行けばいいのかもわからないが、目の前に道がある。
とりあえず真っ直ぐ行ってみよう。
少女と彼は、少年の背を追って当てもなく歩き出した。
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