【4】初出勤


 まぁ、自分みたいなアホが何を考えても仕方ないと思ったのだ。

 きっと同じ返事をされるのだろうと思い、ファミリーレストランの方へ連絡はしなかった。何となく、電話をしても同じ反応をされる。そんな予感がしたのだ。

 仕方ない、クソ暑い部屋に帰って何をしようか考えながら自転車を漕ぐか。

 駄菓子屋の婆さんに礼を言って瓶を返し、彼は自転車に跨った。

 自転車で風を切る瞬間だけ、涼しく感じる気がする。


 * * * * *


「おはようございます」

「おはようございます。時間の十五分前、偉いですねぇ。最近の料理長に見習わせたいくらいです」


 入り口が解らず、とりあえず店の前に停車した瞬間だった。扉が開いてじょうろと剪定ばさみを持った店長と鉢合わせた。店長はけとけとと笑うと、作業は後回しにしたらしく店の裏手に回った。そこには立派なガレージが構えられていた。これで開けてくださいと放り投げられた遠隔操作のキー。ひとつしかないボタンを押すとがらがらとガレージが開いて行く。中には二台の車が停まっていた。真っ赤なランボルギーニとどでかいラウンドクルーザー。その脇にもスペースがあり、しばらくはそこを使うように言われた。そして持って来た今までのバイト先の制服を渡した。

 そのまま関係者入口ですと紹介された扉を開く。同僚は何人かと踏み込んだ調理場に、人は居なかった。


「料理長ー!新人くん入りましたよー!御挨拶してくださーい!」

「…………」

「『大声出さなくてもここに居る』? ああ、失礼しました。そんな隅っこに居ないでください」

「え、あの?他の従業員て?日替わり?」

「いいえ? 見ての通り正真正銘今の従業員は私と料理長、そして君だけですよ」


 来て早々後悔が脳裏を過ぎる。先日の面接のときも不思議だったが、人気が無さ過ぎたのだ。

 料理長と呼ばれた人物は、自分より大きい店長よりも遥かに大きい地黒の大男だった。刈りこんだ黒髪と襟足で括った細い髪束が特徴的だ。


「…………」

「『新人か。料理長の五月雨忍さみだれしのぶだ。よろしく』、と仰ってますね」

「あ、新しく入ります、小日向透こひなたとおるです。よろしくお願…って喋ってない!通訳!?」

「ナイスツッコミですね。大体皆さん挙動不審になって焦るのに。ね、料理長。素質があると言ったでしょ?」

「…………」

「『お前の言う事は八割が適当』? そんなことありませんて」

「何だこの状況…」

「ああ、すみませんね。料理長は無口な人なので。おまけに人見知りが…ねぇ?」

「…………」

「…ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」

「……よろしく」


 入って五秒でこの空気!ナニコレ!そう叫びたい精神を抑えて新人は料理長にぺこりと頭を下げた。一言だけ降って来た言葉に敵意は感じられない。しかし二人で切り盛りしているとは知らなかった。そんな事は説明されなかったし、今も特に不思議では無さそうだ。

 これが店のスタイルなら、確かに人を雇うのも当然だと思った。


「それでは、新人くん。これが当店のコック服になります。着替えたらガレージまで来てください」

「ロッカーは…」

「…………」

「あ、あざまっす!」


 店長の雑な説明と制服を渡される。コック服は四着。上下にエプロン、結構な量だ。どうやって持って帰れと。ロッカーに託して着替えようと厨房の中を見渡すと、料理長の指がすっと指さす。その方向に細長いロッカーが並んだ区画が見える。礼を言ってから、彼はそちらへ向かって形ばかりのカーテンを閉めて着替えた。


 * * * * *


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