第29話 夜叉椿 2 暗黒の炎 

 鼻をくすぐる伽羅きゃらの香り。

 盗賊団の女首領・椿つばきは目を覚ました。


「天井が高い……ここは何処どこ?」


「痛いっ」

 寝台に横たわった体を起こそうとしたが、体中に感じる激しい痛みがはしり、また寝台に体を戻した。


 部屋の外で女の人の声がした。


 暫くすると着物に香を焚き込めた身形みなりの良い男が、寝台に横たわる椿の顔を覗き込んだ。

 

 その男は絵草子えぞうしに出てくる様な顔立ちで優しく微笑む。


「まだ動かないほうがいい」

「かなり、ひどい怪我けがだ」


「こ、ここは?」

 椿は男の近づいた顔を見つめ、問う。


 男は椿が話せる状態である事に安心したのか、また微笑んだ。


「川辺で倒れている君を見つけた時は、びっくりしたよ」


「ここは、人里離れた私の屋敷だ安心するといい……


 椿つばきは記憶に残る最後の映像を思い出そうとする。

 とぎれとぎれの記憶をつなぎ合わせる様に椿はゆっくりと目を閉じた。


「…………」

 

 敵兵に囲まれ……谷底に落ちる二人。

 髭の男・以蔵は小さく笑った。

 私をまもる様に両腕に椿を抱きしめながら。


「以蔵っ」

 椿が叫ぶ。


「以蔵っ」「以蔵はっ」

 両腕を伸ばし、のぞき込む男にすがろうとする椿。


「…………」

 

 男は悲しい目で顔を横に振った。


「…………」

 

 椿の瞳に涙が溢れ、肩を抱き小さな悲痛の声をあげた。


 ◇◇◇御曹司


 花が咲き鳥がさえずる庭園の中を、ひょこりひょこりと手当の包帯を巻いた、女首領・椿が歩いていた。 


 あれから幾日が経ったのだろうか?

 このゆっくりと時間が流れる屋敷はいったい。

 外界からの情報は入ってこない。

 男が言っていた、本当に情報が届かない土地なのか? 

 それとも、屋敷の主人が情報を遮断しているのか?


 ここは人里離れ身分を隠した高貴な貴族が住む屋敷らしい。

 珍しい造りの屋敷、高価な調度品、良くしつけられた家人。

 家人の所作しょさから普通でない事は薄々と感じられる。

 椿の世話に訪れる女人も屋敷ですれ違う者も何事も無かったかの様に振る舞う。

 助けてくれた屋敷の主人である男も気品がり、どことなく浮世離れしている。

 客の出入りは無く、ただ時が止まった様な静かな屋敷である。


 夜になると良く手入れされた庭園からさびしげな笛の音が聞こえる。

 

 ◆


 椿は、その寂しげな笛の音に誘われ、庭園に足を運んだ。

 三日月の夜。月の明かりは弱々しく闇夜を包む。

 庭園の池の側に建てられた立派な藤棚ふじだなには、石造りの円卓と椅子が配置されている。

 一人、月を見上げ笛をかなでる屋敷の主人。

 着流しの着物から透ける細い体の線、腰ほどに長い黒髪が妖艶である。


 屋敷の主人は、ふとかなでる笛を止める。

 椿に気付くと振り返り、優しく語りかけた。


「だいぶ歩けるようになって良かった」

「まだ君の名を聞いていなかったね」

「私はこの紫雲荘の主人」

「名前は……」


「君は帰るところがあるのかい?」



 多くの盗賊仲間を失い、残った者とも散り散りに別れ。

 ぬぐらは既に朝廷の兵に急襲されているであろう。


「外は物騒だからね。暫くこの屋敷に居るといい」


「だだ、西の別宅には近づいてはいけないよ」

「君のためだからね」


 と言うと、また寂しげな笛の音を奏で始めた。

 

 ◆


 椿は、その寂しげな笛の音色が気になっていた。

 山河さんがを渡る風の様な音色には、何かにしばられた寂しさが漂う。

 毎晩の様に聞こえる笛の音に導かれ庭園に訪れた。


 笛を吹き終わった主人の男は、藤棚の下に用意された椅子に座り、翡翠の笛を円卓に置くと盃に酒を満たし口に運ぶ。

 

 いつの日からか椿も主人の男の横に座り、甘く香る酒を酌み交わしていた。


 もうすぐ満月を迎えようとする夜。

 輝く月が手に持つ二人の盃に丸く浮かんでいる。


「……私の名は、無名むめい


 屋敷の主人の男は、盃に映る月を揺らしながら、自分の名をポツリと言った。


無名むめい?」


 椿は首を傾げ、その寂しげな名の男の顔を見る。


 無名むめいと名乗る男は腰に差した短刀を抜くと、すうっと刃を自分の腕に走らせた。


「あっ」


 傷口から血が流れ落ちる。

 ……出血が見る見る止まり、刃の傷が跡形もなく消えた。


 椿は息を飲んだ。その光景を目を見開き無言で見た。


「私は死ねないなのだ」


椿つばき……君もそうだろう……」


 主人の男の瞳から涙が流れ落ちた。


 椿は目の前で涙する今にもくずれれそうな男を自分の胸に抱き寄せた。


「…………」

 

 椿の頭の中に断片的な記憶が甦る。

 

 物心ものごころついた時には森を彷徨さまよいい、旅の武芸者に連れられ旅をしていた。

 いつしか、その武芸者も朽ちて消えた。


 頭の中に毎日の様に現れては消える、信じたくない事実。

 あきらめていた想いが涙となってあふれだす。

 

 椿の瞳からも涙がこぼれ落ちた。


「魔物の血……」


 ◇◆◇◆暗黒の炎


 満月の夜。月の光が優しく闇夜を照らす。

 池の側にある藤棚の下に腰掛け、いつもの様に椿は屋敷の主人・無名が奏でる笛の音を聴く。

 笛を吹き終わると無名も椿の横に腰掛けた。

 男は椿の手にそっと自分の手を重ねる。

 同じ魔物の血を持ち苦悩する二人。

 二人の距離が近ずくのに時間はかからなかった。


「私もあなたの様に笛が吹きたい」


「ふっ」

 無名はニコリと笑う。


「時間はたっぷりあるからね」


「椿、君にこの笛を贈ろう」


 無名は、椿の手を取り翡翠の笛を渡す。


「私も、もう少し生きたくなった」


「そうよっ」

「世の中には楽しい事が沢山あるのよ」

「これから、これから、私たち一緒に生きましょう」

「一緒に都にも行きましょう」


 椿の瞳が美しく輝き、目の前の男の顔を映し出す。

 男は少し不安気で、少し照れた様な秀麗しゅうれいな顔をむけた。


「乾杯しましょう」「これからの二人に……」

 

 ◆


 二人が杯をかさね話していると、庭園の隅から、一人の少年が現れた。

 少年には表情がなく無機質な存在。

 その鋭い目には世間を嫌う眼差まなざしとおびえが滲んでいた。


 現れた少年に気付いた無名は盃を置き、歩いて来る少年を見つめる。


「…………」

 

 椿は無言の二人を交互に見る。


「面影が似ている?」


 突然、少年の体から妖気が膨らんだ。

 

 現れた少年は、右手を無名の前に突き出した。

 

 右手から小さな黒い炎が立ち昇り徐々の大きくなっていく。


 はじめて妖術を見た椿にもハッキリと判る。

 身をこががす程の危険な黒炎。


「やめなさいっ!」


 椿は思わず大声をあげた。

 黒炎の妖気と殺気が椿の肌に突き刺さる。


「…………」


 無名は静かに立ち上がると、少年に両手を差し伸べた。


 黒炎はいびつな音を発しながら燃え上がる。


「止めてっ!」

 

 椿は立ち上がり叫ぶ。

 しかし、声は暗い月夜に吸い込まれる。


 黒炎は少年の手から離れ、無名へ放たれた。

 

 轟音と共に黒炎は、無名の体を包み燃え盛る。


「…………」

 

 そして、黒炎の消滅と共に無名の姿も消えて無くなった。


「いやあぁぁぁぁ」

 椿の叫び声。


 衝動しょうどうであった。

 椿は腰の短刀を抜くと、少年に刃を突き立てた。


 短刀を握る手に温かいものが伝い流れ落ちた。


 椿が目を開けると、目の前には涙を流す少年の顔があった。

 

 その時、椿は全てを理解した。

 無名が語った言葉が……全てをつなげた。


「…………」


 目の前で涙を流す少年を抱きしめると、全て忘れる様に声を出して一緒に泣いた。


 その日の朝。椿と少年はこの地から姿を消した。

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