第29話 夜叉椿 2 暗黒の炎 

 鼻をくすぐる伽羅きゃらの香り。

 盗賊団の女首領・椿つばきは目を覚ました。


 ―――天井が高い・・・ここは何処どこ


「痛い!」


 寝台に横たわった体を起こそうとしたが、体中に感じる激しい痛みがはしり、また寝台に体を戻した。

 部屋の外で女の人の声がした。


「・・・・・・」


 暫くすると着物に香を焚き込めた身形みなりの正しい男が、寝台に横たわる椿の顔を覗き込んだ。

 

 その男は絵草子えぞうしに出てくる様な顔立ちで優しく微笑ほほえむ。


「まだ動かないほうがいい」

「かなり、ひどい怪我けがだ」

「・・・」

「こ・・・ここは?」

「・・・」


 男は、椿が話せる状態である事に安心したのか、また微笑ほほえんだ。


「川辺で倒れている君を見つけた時は、びっくりしたよ」

「・・・」

「ここは、人里離れた私の屋敷だ・・・安心するといい・・・人は来ない」

「・・・」


 椿つばきは記憶に残る最後の映像を思い出そうとする。

 とぎれとぎれの記憶をつなぎ合わせる様に椿はゆっくりと目を閉じた。


「・・・・・・」

 

 敵兵に囲まれ・・・谷底たにぞこに落ちる二人。

 髭の男・以蔵は小さく笑った。

 私をまもる様に両腕に椿を抱きしめながら・・・


「以蔵っ!」


 椿が叫ぶ。


「以蔵っ!」「以蔵はっ!」


 両腕を伸ばし、のぞき込む男にすがろうとする椿。


「・・・・・・」

 

 男はかなしい目で顔を横に振った。


「・・・・・・」

 

 椿の瞳に涙が溢れ、小さな悲痛の声をあげた。


◇◆◇◆御曹司

 花が咲き鳥がさえずる庭園の中を、ひょこりひょこりと手当の包帯を巻いた、女首領・椿つばきが歩いていた。 


―――あれから幾日が経ったのだろうか?

―――この・・・ゆっくりと時間が流れる屋敷・・・。

―――外界からの情報は入ってこない。

―――本当に情報が届かない土地なのか? 

―――それとも・・・屋敷の主人が情報を遮断しているのか?


 ここは人里離れ身分みぶんかくした高貴こうきな貴族の屋敷らしい。

 珍しい造りの屋敷、高価な調度品、良くしつけられた家人。

 家人の所作しょさから普通でない事は薄々と感じられる。

 椿の世話に訪れる女人も屋敷ですれ違う者も何事も無かったかの様に振る舞う。

 助けてくれた屋敷の主人である男も気品がり、どことなく浮世離れしている。

 客の出入りは無く、ただ時が止まった様な静かな屋敷である。


 夜になると良く手入れされた庭園からさびしげなふえの音が聞こえる。

 

 ◆

 椿は、そのさびしげなふえの音に誘われ、庭園に足を運んだ。

 三日月の夜。月の明かりは弱々しく闇夜を包む。

 庭園の池の側に建てられた藤棚ふじだなには、石造りの円卓と椅子が配置されている。

 一人、月を見上げ・・・笛をかなでる屋敷の主人。

 着流しの着物からける細い体の線、腰ほどに長い黒髪が妖艶である。


「・・・・・・」

 

 屋敷の主人は、ふとかなでる笛を止める。

 椿に気付くと振り返り、優しく語りかけた。


「まだ君の名を聞いていなかったね」

「私はこの紫雲荘の主人」

「名前は・・・」

「・・・」

「君は帰るところがあるのかい?」

「・・・」


―――多くの盗賊仲間を失い、残った者とも散り散りに別れ。

―――ぬぐらは既に朝廷の兵に急襲されているであろう・・・


「・・・」

「外は物騒だ・・・暫くこの屋敷に居るといい」

「・・・」

「だだ、西の別宅には近づいてはいけない」

「君のためだからね・・・」

「・・・」


 そして、またさびしげな笛の音をかなで始めた。

 

 ◆

 椿は、そのさびしげな笛の音色ねいろが気になっていた。

 山河さんがを渡る風の様な音色には、何かにしばられたさびしさがただよう。

 毎晩の様に聞こえる笛の音に導かれ庭園に訪れた。


「・・・・・・」

 

 笛を吹き終わった主人の男は、藤棚の下に用意された椅子に座り、翡翠ひすいの笛を円卓に置くとさかずきに酒を満たし口に運ぶ。

 いつの日からか椿も主人の男の横に座り、甘く香る酒を酌み交わしていた。


 もうすぐ満月を迎えようとする夜。輝く月が手に持つ二人のさかずきに浮かんでいる。


「・・・私の名は・・・”無名むめい”・・・」


 屋敷の主人の男は、盃に映る月を揺らしながら、自分の名をポツリと言った。


「・・・無名むめい?」


 椿は首を傾げ、そのさびしげな名の男の顔を見る。


「・・・・・・」

 

無名むめいと名乗る男は腰に差した短刀を抜くと、すうっとやいばを自分の腕に走らせた。


「あっ」


 傷口から血が流れ落ちる・・・

 ・・・出血が止まり・・・刃の傷が跡形もなく消えた。


「・・・・・・」


 椿は息を飲んだ・・・その光景を目を見開き無言で見た。


「私は死ねない・・・」

「・・・」

椿つばき・・・君もそうだろう・・・」


 主人の男の瞳から涙が流れ落ちた・・・


 椿は目の前に今にもくずれれそうな男を自分の胸に抱き寄せた。


「・・・・・・」

 

 椿の頭の中に蘇る断片的な記憶・・・

 

―――物心ものごころついた時には森を彷徨さまよいい、旅の武芸者に連れられ旅をしていた。

―――いつしか・・・その武芸者も消えた・・・


 頭の中に毎日の様に現れては消える、信じたくない事実。

 あきらめていた想いが涙となってあふれだす。

 

 椿の瞳からも涙がこぼれ落ちた。


―――魔物の血・・・


◇◆◇◆暗黒の炎

 満月の夜。月の光が優しく闇夜を照らす。

 池の側にある藤棚ふじだなの下に腰掛け、いつもの様に椿は屋敷の主人・無名むめいかなでる笛の音を聴く。

 笛を吹き終わると無名むめいも椿の横に腰掛けた。

 男は・・・椿の手にそっと自分の手を重ねる・・・

 同じ魔物の血を持ち苦悩する二人。

 二人の距離が近ずくのに時間はかからなかった。


「私もあなたの様に笛が吹きたい」

「ふっ」


 無名むめいはニコリと笑う。


「時間はたっぷりあるな・・・」

「・・・」

椿つばき・・・君にこの笛を贈ろう」


 無名むめいは、椿の手を取り翡翠ひすいの笛を渡す。


「私も・・・もう少し生きたくなった」

「・・・」

「そうよ!」

「世の中には楽しい事が沢山あるの」

「これから・・・これから、私たち一緒に生きましょう」

「一緒にみやこにも行きましょう」


 椿の瞳が美しく輝き、目の前の男の顔を映し出す。

 男は少し不安気で、少し照れた様な秀麗しゅうれいな顔をむけた。


「・・・・・・」

「乾杯しましょう」「二人に・・・」

 

 ◆

 二人が杯をかさね話していると、庭園の隅から、一人の少年が現れた。

 少年には表情がなく無機質な存在。

 その鋭い目には世間をきら眼差まなざしとおびえがにじんでいた。


「・・・・・・」

 

 現れた少年に気付いた無名むめいは盃を置き、歩いて来る少年を見つめる。


「・・・・・・」

 

 椿は無言の二人を交互に見る。


―――面影が似ている?


 突然、少年の体から妖気が膨らんだ。

 

 現れた少年は、右手を無名むめいの前に突き出した。

 

 右手から小さな黒い炎が立ち昇り徐々の大きくなっていく。


「・・・・・・」

 

 はじめて妖術を見た椿にもハッキリと判る。

 身をこががす程の危険な黒炎。


「やめなさいっ!」


 椿は思わず大声おおごえを発する。

 黒炎の妖気と殺気が椿の肌に突き刺さる。


「・・・・・・」


 無名むめいは静かに立ち上がると、少年に両手を差し伸べた。


「ゴオオオオ」


 黒炎はいびつな音を発し燃え上がる。


「止めてっ!」

 

 椿は立ち上がり叫ぶ。

 しかし、声は月夜に吸い込まれる。


「・・・・・・」

 

 黒炎は少年の手から離れ・・・無名むめいへ放たれた。

 

 轟音と共に黒炎は、無名むめいの体を包み燃えさかる。


「・・・・・・」

 

 そして、黒炎の消滅と共に無名むめいの姿も消えて無くなった。


「いやああああ」


 椿の叫び声。

 衝動しょうどうであった・・・

 腰の短刀を抜くと、少年にやいばを突き立てた。


「・・・・・・」

 

 短刀を握る手に温かいものが伝い流れ落ちた。


「・・・・・・」

 

 椿が目を開ける・・・

 目の前には涙を流す少年の顔があった。

 

 その時、椿は全てを理解した。

 無名むめいが語った言葉が・・・全てをつなげた。


「・・・・・・」


 目の前で涙を流す少年を抱きしめると、全て忘れる様に声を出して一緒に泣いた。


 その日の朝。椿と少年はこの地から姿を消した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る