第25話 猿魔 2 陰陽師

 朝廷の政を行う大内理の東に位置する中務局には陰陽寮が併設されている。

 ここは宮廷の祭祀さいし、地理、風水を預かるおおやけの機関であり、陰陽道を学ぶ者・陰陽師おんみょうじたちによって構成された朝廷の特務機関でもある。


 一人の女官が陰陽寮の門前に到着する。

 女官は門番に要件を告げると恭しく寮内に案内されて行った。


「これは、これは。結姫ゆいひめさま」

「よくおいで下さいました」


 白髪の老人が、女官の於結おゆいを出迎えた。


「本日は、皇女様の御使いで内密にふみを届けに参りました」


 於結は木箱に納められたふみを丁寧に取り出すと白髪の老人に手渡した。


ふみは奥で拝見いたしますので、結姫様はしばし御待ちを」


「ところで御父上様は元気でおられるか?」


 と、この老人。かつて父・中納言・藤原兼光と共に朝廷の為に戦った盟友であり、現在、陰陽寮を束ねる寮長である。

 腰まである白髪と長い髭は、仙人を思わせる。

 老人にしてはしっかりとした足取りで、目が隠れる程に長い眉毛の奥に見え隠れする鋭い眼光が、未だ現役のすごみを感じさせる。


なんでも中納言様の御宅に面白い人物が居られるとのうわさ

「儂も今度、御会いしたいものじゃて」

「ほっほっほっ」


「さすが陰陽師の寮長。早耳だわ」と思いつつ、含みのある言い回しは、うそまことか判断出来ない曲者くせものである。


 ◆


 別室で庭をながめていると先ほどの老人が、背の高い色白の男をともとして連れ部屋に入って来る。


「結姫様」

ふみ子細しさいは承知いたしましたと皇女様に御伝え下さい」


「ところで……」

「結姫様。本日は東北東とうほくとうの方角がきょうしめしております」


「出たっ占いっ。陰陽師の得意とする吉凶を指す方位占いだ。帝にも相乗する程の権威だ」と於結は目を丸くする。


「宮廷への御戻りの祭は、この者を護衛にお連れ下さい」


 と後ろに従う色白の男を紹介する。


「この者は、陰陽師の中でもかなりの手練てだれでございます」

「何かの御役おやくに立ちましょう」


 無表情な色白の男は、何も言わず小さくうなずく。


 ◇◆◇◆ 陰陽師


 於結と陰陽寮の寮長からともにつけられた陰陽師の男ら一行が、三条の小路を抜け、人気の無い古い寺院の角を曲がろうとした時である。

 於結たちを先導していた陰陽師の男が手を差し出し一行の歩みを止めた。


 陰陽師の男は辺りを探る様に顔を左右に動す。

 人差し指で額を押さえると耳を澄ます。


 物音がして、目の前の通りに人ほどの影が地面に降り立った。

 

 降り立った影はゆっくりと立ち上がり、こちらに近づいて来る。


 空の月をおおっていた雲が流れ月明りが、近づく影の半面程照らす。 


「―――魔物っ」


 明らかに好意的でない殺気を放ちこちらに近づいて来る。

 見たこともない立派なよろいに身を包み、全身金色の毛に覆われた猿人の魔物。

 その凶暴さが鋭い眼光と口元に表れている。

 前に立つ陰陽師の男に比べれば、一回り小柄な体躯だが、その足取りは武人の足取りだ。


「宝器を持っているな」

「こちらによこせっ」


 猿人の魔物が言葉を発した。

 身震いしそうな底知れぬ声で命令する。


 人差し指を伸ばすと於結一行の誰かに当たりを付ける様に差し示そうとする。

 

 すかさず陰陽師の男が、於結たちをまもる様に前に立ち塞がる。


「結姫様は御逃げをっ」

「私がこの魔物の相手をします」

「御早く」


 陰陽師の男は、ふところから文字の書かれた御札おふだを素早く取り出す。

 そして御札おふだを指でなぞり呪文を唱えた。


式神しきがみっ行け」


 小さく叫ぶと手に持つ御札を猿人の魔物めがけて放つ。

 放たれた御札は輪郭がはっきりしない大きな鳥に形を変え、目の前の魔物を襲う。

 大きな鳥は、魔物に覆いかぶさる様に襲いかかる。


「パンッ」

 何かが弾ける音と供に風圧が周囲に拡散する。


「何っ」

 予想だにしない状況に陰陽師の男は驚き、身構える。


 式神が消滅した土煙の中から、ゆらりっと猿人の魔物が現れた。


 魔物は右手を差し出す手の平に、敵の心臓を握るような仕草をする。

「貴様、陰陽師か?」

「儂も目覚めたばかりで、ちと体がなまってな」


「今の陰陽師がどの程度か試してやろう」


 バキバキと関節を鳴らす。


 無表情であった陰陽師の顔が一瞬歪み、怒りが表情に現れる。


式神しきがみっ」「火炎かえん!」

 

 再度放たれた御札に炎が絡みつき、今度は火鳥となって魔物を襲う。


 腰を落として無手の構え。左右に体を揺すりながら飛来する火鳥を拳で打ち砕く。


「ふんっ」と気合の正拳を突き出す。

 距離の離れた陰陽師が何かに弾かれ、家の戸口に激突する。

 

 敵を威嚇いかくする様に低く構えが左右にユラユラと揺れる。


 その体が残像を残し消えた。

 猿人の腕が伸び、鋭い爪が陰陽師の喉を鷲掴わしづかみみにする。


「貧弱だ、人間よ」

「その程度の術の威力では、儂には到底通用せんぞ」


「お前のしんぞうをもらう」


 振り上げた右手の鋭い爪が、陰陽師の心蔵にねらいを定めた。


「ズンッ」於結が肩から突っ込んできた。


「手を離してっ」

「その手を離してっ!」


 猿人の脇腹に一本の短刀が突き立つ。


 猿人の目がギロリッと於結を見る

「フフフッ」魔物が笑うた。


「小娘、中々面白い武器を持っておるのう」

「鬼切の刀か」


「じゃが力不足じゃ」

「小娘の力では、儂の筋肉をつらぬく事はできんぞ」


 必死な於結の表情に猿人は口元をニヤリと上げる。

 空いている手で於結ののど鷲掴わしづかみにすと。

 鋭い牙を剥いた。


「若い娘の心の蔵も良いのう」

 陰陽師を掴んだ手を離した。

 鋭い爪先を於結の心蔵に定め、その爪先を心臓に差し込んだ。


 於結の胸元が白金の光を放った―――。


 猿人が思わず顔を反らす。

「貴様っ」

 眉間みけんにしわを寄せ、鬼の形相で於結の顔をにらんだ。


 猿人は於結の光る着物の襟元をつかむと着物を力まかせにぎ取る。

 はだけた胸元に光を放つ針水晶の勾玉まがたまが露わになる。


「小娘ぇ貴様っ」

「何故それを持っている」


「どうしてその宝珠を持っているのじゃ」


 宝珠の輝きに猿人が歯を剥きだし、威嚇にも似た声を出す。

 

 猿人が勾玉を握ろうと手て伸ばしたが、その手がピタリと止まる。


「キイィィィッ」また歯を剥き獣の声の声を発する。


 猿人は天をあおぐと何やら独り言をはく。


 そして於結を小脇に抱えると屋根に跳び上がる。

 その身軽さは屋根から屋根へと次々と跳び移り、西の彼方へ消えって行った。


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