第26話 猿魔 3 月下の闘い

 一条大路に面したこの辺りは公卿衆や宮廷で働く高級官吏の屋敷が建ち並ぶ。

 その一画にある立派な門構えた屋敷。中納言・藤原兼光こと於結おゆいの父親の屋敷である。

 

 この広い屋敷の中を我が物顔で闊歩かっぽする娘、羅刹の鬼娘・朱羅の姿があった。屋敷で働く家来や侍女たちも、当家の姫である於結が連れて来た奇妙な珍客たちに距離を取り恐々こわごわと接していたが、いつの間にか、この妖艶な鬼の娘に魅了されていた。元々、下士かしずく魔物たちに囲まれた育った為か、お嬢様気質を十分にそなえた風格だ。

 

 古那とて愛らしい風貌ふうぼうに特殊な能力で屋敷の者たちの相談をあれやこれやとけ負う世話人せわにんである。屋敷の中でも話題を三分するほどの人気ぶりである。

 

 元々はこの屋敷の主人である藤原兼光も一風変わった人物で、他の公卿衆とは違い若い頃から名をせた武人であった。今は朝廷の政務に従事しているが、朝廷軍を率いる近衛大将を歴任した強者つわものである。

 諸国から名のある武人の噂を聞いては客分きゃくぶんとして招き、頻繁に交流する。また兼光に仕える家臣たちも優れた武人が多く集まり、公卿の家にはめずらしく武を重んじる家風かふうであった。

 

 渡辺小十郎も兼光に大いに気に入られ、家臣として引き抜かれた一人である。


 藤原兼光と古那、朱羅の三人は酒の席を囲み話しにふけっていた。

 豪胆な古那、兼光に酒を振る舞い旧友の様に接する。

 また月明りに照らされ盃を口にする朱羅の横顔と瞳の奥に紅い輝きを宿す鬼娘をたいそう好んだ。

 兼光の頭の中には既にこの二人が家臣となって付き従う未来を想像している。

 兼光の側らには褐色の肌をした妖艶な赤鬼の朱羅が立つ。てきや朝廷の者たちがその雄姿ゆうしに恐れおののく姿を想像する。

 古那は遊撃手となり表裏で飛び回り暗躍あんやく?いやいや活躍する姿を想像しただけで、この男の顔がニヤリとほころぶ。


「ふふふっ。これは面白い、面白いぞ」


 兼光は古那の空いた盃に手ずから酌をする。

「おい、古那よ」

「うちの於結は末娘とあって、ちと自由奔放に育てすぎた様じゃ」

「気立ての良い娘と思うのだが……」


「そなた、於結を嫁にもらわんか?」


 突然の言いように、盃に口をつけた古那が噴き出しそうになる。

 嘘か誠か、この髭の中納言は真顔だ。


「そうじゃ。朱羅は小十郎とどうじゃ?」

 

「ふんっ。小十郎は私より弱いからのぅ」

 と朱羅は鼻で笑うと、注がれた盃を口に運ぶ。


「がっははは」

 兼光が愉快そうに大声で笑う。


「小十郎もまだまだ若いが、才気にあふれ、将来が楽しみな武将じゃぞ」


 と二人の空いた盃に酒を注いだ。


 ◇ 

 

 宵の口。

 馬のいななきと共に屋敷の門前が何やら騒がしい。

 すると血相を変えた兼光の家人が三人が居る部屋に飛び込んで来た。


「中納言様っ。一大事でございます」


「何事じゃ、騒がしい」

 

 妄想を楽しんでいた兼光は現実に引き戻され声を荒げた。

 

「西の門にて、今まで見たこと無い魔物が現れ暴れておるとの事」

「出動した兵士らも負傷者を多数出し、衛門府では手に負えぬゆえ兵衛府の応援要請したいとの事でございます」


「何だとっ」「見た事も無い魔物?」

 報告を聞いた兼光が立ち上がり、扇子を握りしめ腕を震わす。


 兼光は急いで部下に指示を出す。

「そなたらは一隊を率いて先に現場に向かえ」

「儂は兵衛府へ向かう」


「はっ承知しました」

 指示を受けた男はきびすを返すと、部屋を飛び出していった。


「では俺らも行こう」

 既に朱羅の目は戦いの色に変わっている。


「おおっ。二人とも宜しく頼んだぞ」

 

 朱羅が古那を掴むと頭の上にヒョイと乗せると、部屋を飛び出していく。


「うむうむ。実に頼もしい……」 

 飛び出していった二人の後ろ姿を見送りながら、兼光は一人肩をクツクツと震わせた。


 ◇◇◇ 朱羅と小十郎


 朱羅は家々の屋根伝いを跳ぶ様に走る。

 町に突き立った高い物見櫓ものみやぐらを見つけ、屋根の上に飛び移った。

 そして目を凝らし町の様子を見渡す。


 立ち昇る炎の一画に異様な妖気を放つ火柱が見えた。


「あれだっ」

 朱羅と古那は息を合わせる様に物見櫓ものみやぐらから飛んだ。


 地面にフワリッと着地すると見えた炎に向かって駆けた。


 現場は建物が半壊寸前の酷いありさま。

 途惑い逃げる人々の悲鳴と土煙が立ちこめる。


 燃上がる炎の中にユラユラと動く気配があった。


 地面につきそうなほど長い腕を振る回し、大きな手で柱を握り上げると力まかせに柱を投げ飛ばした。

 全身を毛で覆われた牙を剥く、巨体な大猿の妖獣がそこいた。

 

「小十郎っ?」

 大猿の前に太刀を構える一人の兵士。

 既に一戦交えた様子で身に付けた甲冑は傷つきボロボロである。


 先に到着した小十郎の小隊が妖獣と交戦し、隊は既に壊滅寸前。

 小十郎が一人妖獣に立ちはだかり、妖獣の足を止めていた。 


 朱羅がさけぶ。

「小十郎さがれっ、後は私が倒す」

 

 言うのが早いか、朱羅は金棒を握ると疾風のごとく跳躍する。

 大猿の妖獣に一撃を食らわせようと体をしならせながら力を込める。


 しかし妖獣は思わぬ跳躍力を見せ、重い体当たりをかましてくる。

 体当たりの攻撃に空中で防いだが、体制を崩し弾き飛ぶ。


 弾かれた朱羅の体が何かに包まれ地面に着地する。


 小十郎が弾かれた朱羅を背後から受け止めた。


「朱羅、油断するな。大猿は今までに無く強いぞ」


 抱きかかえられ背中越しに聞えた小十郎の声に首をすくめる。


大猿やつの動きは見切った」

「俺が動きを止める」

朱羅おまえが止めを刺してくれ」


 朱羅の腰から手を離した小十郎は、太刀を肩にかつぎ大猿めがけ突進する。


 気勢を吐くと大猿の鋭い爪の攻撃を交わしながらふところに飛び込む。

 すかさず太刀を振り下ろした。


 大猿の悲鳴があがる。

 そして、腰の短刀を抜くと心の臓辺りに刃を突き立てた。


 大猿が悲痛に叫ぶ。


「朱羅、今だっ!」

 高く跳躍した朱羅は、大猿の頭上めがけ金棒を打ち下ろした。


 大猿は足をふらつかせドスンと地面に倒れ、そして動かなくなった。

 

 ◇◆◇◆ 月下の闘い


 地面に横たわる大猿に近づこうとしたその時。

 肌を刺す視線にその足が止まる。


 見上げると城門の屋根に立つ人影があった。

  

 闇夜に紅く浮かぶ丸い月を背に、月の光に映える鎧の戦士。

 露わになった顔や腕は金色の毛に覆われた猿の魔物がその姿を現した。


 先ほど打倒した大猿とは異なる憮然とした小兵の風体から武気を滲ます。

 

を倒すとは……なかなか楽しませてくれる」

 魔物の口から発せられたその低く重い言いざまは、聞く者の背筋を固くさせ、闘いの予感を連想させる。 

 

 手を後ろにやると腰に下げていた武器を手に取る。

 顔の大きさほどある円形の輪を握り左右に構えた。

 両手に持つ金の輪は、月ほどの輝きを放っていた。

 

 右手を振り、次いで左手を振る。

「シュン」と風を斬り裂く音を放ち、朱羅めがけて二つの金の輪が飛来する。

 二つの金輪は、左右に揺れ一直線に朱羅を襲う。


「よけろっ朱羅!」

 古那の声に反応し、寸でのところ横に飛びかわす朱羅。


 空を斬ってすり抜けた金輪は街路樹の切り倒し、大きく円を描き軌道を反転させると、ねらった獲物を追尾する様に再び襲い来る。


 障害物の建物を音も無く斬りし距離を縮める。

 朱羅が一輪を紙一重でかわす。寸差で襲って来た一輪に着物が裂ける。


 二つの金輪は、猿の妖魔の両手に戻った―――。


「貴様ぁっ何者じゃ」

 朱羅がさけぶ。


 猿の妖魔は、ふっと空を見上げた。

「儂か……」 

 

 間をおいて、猿の妖魔は煌々と光る鋭い眼でにらみつける。


猿魔えんま

「そうかつて人間どもに『猿魔』と呼ばれたな」


「またこの名を口にするかぁ……」


 猿魔の放つ闘気が、屋根のかわららし空間を振動させる。


「ふっ」「猿魔だぁ」


 朱羅の肩が小刻みに上下に動く。

 微かに上がった口元から牙が覗く。


「叩き潰すよっ」

 重心を下げたかと思うと大きく跳躍する。

 城門の屋根に立つ猿魔めがけ突っ込んでいく。

 家の屋根を踏み台をさらに高く跳び、体を回転させながら金棒を打ちおろす。


「キイイイーン」

 鈴の様な高く硬い音が空に響いた。

 

 猿魔の手に持つ金輪が金棒を弾き返す。


 すかさ二撃、三撃と打ちかかる朱羅。

 しかし、猿魔の流れる様な金輪さばきと体術によって全ての攻撃が受け流される。


 一瞬、猿魔の放った強烈な蹴りの一撃が朱羅を吹き飛ばす。


「ほう。お前は羅刹の鬼女であったか?」


「どうじゃ小娘」

乾坤圏けんこんけんの斬れ味は?」

 と手に持つ金輪を目の前にかざす。


「ふんっ」と後ろ脚で踏み止まった朱羅の衣服が切り裂かれ鮮血が滴る。

 

「面白い。実に面白いぞっ」

 言い捨て、流れる血を拭うと両手で金棒を握る。

 そして金棒から独鈷剣を引き抜いた。

 重心を落とし、左右の手に金棒と独鈷剣を構える。

 

 後ろ脚で地面を力強く蹴ると疾風の如く跳躍する。

 

 ◇◇◇


 天空に浮かぶ満月の光が、城門の上で闘う二人を影絵かげえの様に鮮明に映し出す。

 二人の体が衝突し、弾ける様に二人は別れ飛び、また衝突する。

 金属の衝突する甲高い音だけが月夜に幾度も響きわたった。


 幾度となく衝突した後、爆音とともに城門の一部が吹き飛んだ―――。


 猿魔の体が弾かれる様に後ろに跳び退り、朱羅の体が力尽きる様に城門から落下する。


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