第7話 鵺 退治  前編

 見上げる程の広葉樹が生い茂る森の奥。

 木々の隙間から温かな木漏日こもれびが射しこんでいる。

 輝く日差しの下で一人の少女が切株に腰掛け優しく微笑む。

 少女のひざの上には、銀色の毛を持つ美しい銀狐。足元にも二匹の銀狐が寄り添うように木漏れ日に照らされスヤスヤと眠る。

 少女は、美しい銀狐の毛を指ででる。

 時折、尻尾をユラユラと振りながら大あくびをするする銀狐の姿は何とも愛らしい。

 

 少女の目の前に見える広場の中央には、僧兵の弁慶が黒光りする鉄の六角丈を振り回していた。

 

 六角丈がヒュンヒュンと風を斬る音。時折、発する気合と悲痛の声。

 弁慶の頭上には、木々の隙間からまばらに差し込む太陽の光と、深い森を覆う暗闇が交互に映えていた。

 その光と闇を切り裂く様に縦横無人に銀の閃光せんこうが走る。


「キンッ」「キンッ」「キンッ」


 金属の交差する音が響き渡る。


「古那殿!」

「ちょっと休憩しよう」

「腹も減った」


 弁慶が大声で叫ぶ。


「・・・」


 弁慶がこの村に現れて四ヶ月が過ぎようとしていた。

 もうすぐ秋が訪れ雪の季節を迎える。この地方の冬は雪が多い。

 雪が降れば街道は閉ざされ、他の村との交通手段が閉ざされる。

 村人たちは、秋の食料を蓄え、冬を越す準備をする。

 しかし、この二人は例外である。

 何かに取り憑かれた様に毎日武術の鍛錬に励んでいる。

 

 昼頃になると古那の母様と一緒に作った昼飯を静香が運んで来る。

 静香にとって見たことも無い色とりどりの山菜や食材が並ぶ台所で母様と料理を作るのが楽しい。少女の小さな手で弁慶の為に大きな大きな握り飯を握る。

 ―――

 二人は武術の鍛錬で噴き出た汗を拭きながら、静香が広げた昼飯の卓を囲んだ。


「古那様っ。もっとゆっくり食べなされ」

 

 古那は顔ほどの大きさがある米粒を両手に持ち、勢いよくかぶりついた。


「弁慶様もっ」


 ―――この娘、どことなく母様に似て来たな・・・と横目で静香をチラリ見る


「うっ・・・みっ水をくれ・・・」

「ほらほら」水の入った竹筒を静香が渡す。

「ふうー」

「・・・」

「弁慶殿・・・これはどうだ?」


 古那の腰にさげている古めかしい瓢箪ひょうたんを持ち上げ数回振る。


「おおっ」


 瓢箪ひょうたんを傾け湯飲み注ぐと辺りに酒の芳醇な甘い香りが漂う。


「さあさあっ」


 と湯飲みを弁慶に勧める。

 弁慶は、大事そうに湯飲みを両手で持つと、これまた大事そうに一口。


「かあっ」


 目を細める。

 二人のやり取りをあきれて見ている静香に古那が言う。


「静香もどうじゃっ。ペロッと・・・めてみいいっ」

くぞー」


 本気か冗談か分からない古那の軽口にあきれる。

 弁慶が湯飲みの酒を飲み干す。


「ふうっ」

「・・・」


―――この酒は、弁慶殿の様なおとこに相応しい・・・


 と思いながら瓢箪ひょうたんでた。


「・・・」


 古那が空を見上げる。


「もうすぐ・・・新月の闇夜をむかえる・・・何やら胸騒ぎがするな」


 と、古那は真面目な顔で言った。


◇◆◇◆ 国府の城下町 

 古那こなたちの住む村から山をえ東へ数里ほど行くと、都の朝廷より勅命ちょくめいを受けた貴族が治める領地・朝廷の直轄地である国府こくふが置かれた城下町がある。

 この地は都へと通じる東西南北の街道が交差する交通の要所であり、東に位置する蝦夷の国からの侵攻を防ぐ重要な拠点でもある。

 周辺の村々を統治下に置き、政治、経済、軍事を担う国府には、全国から旅商人が集まり品物が流通する。整備された城下町には色とりどりの商店が軒を連ね、人々で賑わう地方商業都市であった。


 一人のいかつい僧侶と可愛いらしい少女が二人並んで歩いていた。

 少女の足元には銀の毛並みをもつ珍しい一匹の銀狐が少女に付き従う様に軽やかに歩いている。

 少女は時折、店先に並ぶ珍しい小間物こまものを見つけると駆け寄り、品物を手に取り嬉しそうに笑った。

 無精髭ぶしょうひげを生やした僧侶姿の弁慶べんけいと町娘の着物で着飾った静香しずかは、毎月開かれている城下町の”いち”に訪れていた。


「腹が減ったなあー。そろそろ飯にしよう」


 静香の着物の襟元えりもとからヒョコリと顔を出した小さな古那が、静香の顔を見上げ声をかけた。

 太陽が赤く西の山に沈もうとしていた。


「あちらから何やら良い匂いがするぞ・・・」


 弁慶と古那が顔を見合わせニヤリとする。

 店先に吊された明々と灯る提灯に”酒”の文字が浮かぶ。

 そこは旅の宿泊施設を兼ねた大きな料理屋である。


「・・・」


 さっそく三人と一匹は、宿の暖簾のれんをくぐった。

 

 広々とした店内の一階には等間隔で食卓が置かれ、飲食ができる大広間が広がっている。二階は個室や宿泊できる造りとなっていようである。

 まだ陽が明るいというのに、一階の大広間は食事や酒を飲む客で賑わっていた。

 弁慶たちは賑わう客をすりぬけながら奥にあるすみっこの席に座った。


「ご注文は御決まりでしょうか?」

 

 愛嬌あいきょうの良い店員が注文取りにやって来る。


「この店の名物料理を見繕って頼む。あと美味うまい酒を!」


 注文に来た店員も店に訪れる旅客には見慣れているが・・・僧侶と少女と銀狐の場違いな客に店員が目をパチクリさせる。

 注文された料理と酒を再確認すると、店員は首をかしげながら奥の厨房へ戻っていった。

 店員の戸惑った態度が可笑おかしかったのか、静香がクスクスと笑う。


「・・・」


 静香にとって目が見える様になってから、初めて大きな町での散策である。

 見る物、聞く物、触る物が全て新鮮で楽しく心が躍る。

 弁慶の鍾馗様の様な無精髭も女の子の様に着飾った古那も・・・

 ふふっ・・・母様に無理やり綺麗な着物を着せられる様子の古那を思い出すと笑みがこぼれる。

―――

「お待たせしましたあ~」


 山海の美味うまそうな料理が卓に並べられ、良い香りの酒が運ばれてきた。

 弁慶は早速、徳利とっくりを手に取ると、二つ並んだ盃に酒を注ぐ。

 古那は盃を両手で抱きかかえる。弁慶は盃を合わせる様に小さく掲げると、今にも溢れそうな酒を二人酌み交わした。


 ◆ 

 夜も更け、大広間の客層が入れ替わった頃。

 この店の趣向なのか、店内に琵琶びわの音が静かに流れ始めた。


「ピョロン・・・ピョロン」


 と山河さんがを渡る風の様な音色が店内に響き渡った。


「ビョンンン・・・ビョロン」

「・・・」


 琵琶びわの音に誘われる様に静香が腰に差したふえを取り出す。

 そして琵琶の音に合わせ笛を吹き始める。

 

 店内には小粋こいきな音色がゆっくりと流れた。

 琵琶と笛の音が絡み合う・・・

 まるで時を巻き戻す様な響きは、客の耳をうばい、店内は不思議な高揚感に包まれていった。


 ◆

 かなでる曲が終わった頃。

 店の中央あたりで酔い高ぶった一人の客が席を立ち、弁慶たちの席に近づいて来る。


「おまえ・・・鬼弁慶か?」


 弁慶の背後を覆う影。赤ら顔の男が声をかけてきた。

 弁慶に比べれば頭一つ低い背丈だが、着物からチラリとのぞく胸元と手足は鍛えられた筋肉で盛り上がっているのが判る。今、都で流行りの絹織りを首に巻き、顎髭あごひげを立派に手入した赤ら顔の男。

 その落ち着いた声には、独特な自信がみじみ出ていた。


「鬼弁慶!・・・あんたのうわさは、よく聞くぜ」

「・・・」

「あんた・・・強いそうじゃのう」


 闘気を秘めた言い回しである。

 酔った赤ら顔の男は、空いている席にドカリッと座る。

 腕を組むと、盃を口に運ぼうとする弁慶を見据えながらにらんだ。


「・・・」

無粋ぶすいな男だな・・・お前、何者だ!」


 古那が突然、姿を現す。

 赤ら顔の男は、声のした方向を目で探す。


「ガタンッ」「ガタンッ」


 驚きの余り立ち上がり、後ずさりして椅子につまずいた足がもつれ尻もちをつく。


「なななっ何じゃ!」


 口がパクパクと驚きの声を発する。


「がっはははっ」「わはははっ」「くすくす」


 思わず三人は笑い出した。

 弁慶は盃の酒を飲み干し、卓に置くと、赤ら顔の男を見て愉快けいかいそうにまた笑った。

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