第8話 鵺 退治  後編

 赤ら顔の男は、弁慶たちの席に居座る様に座り酒を注いだ。

 この饒舌じょうぜつな赤ら顔の男は、上機嫌で話し始める。


「俺は、伊勢の国の商人で三郎じゃ」

「今、蝦夷えぞの荷を都に運ぶ為に商隊を組んでの護衛中だ」

「本業は商人だが、荷を運ぶ護衛の仕事もやっている」


「最近は野盗がやたらと多くてなあ、頻繁に荷が襲われるんじゃ」

「そこで俺たち腕っぷしのいい者の出番というわけだ」


「俺たちの商隊は強いぞ!」


 並々に注いだ酒を一気に飲み干すと、自慢気に太い腕をまくり、顎髭あごひげでる。


「しかし、あんたら……妙な取り合わせだなぁ」


 目を細めて体を左右にらす。

 そしてヒソヒソ話しをする様に体を前に乗りだした。


「あんたらも聞いているかい?」

「最近この国府こくふにも魔物が出るらしい」

「今宵は新月だ。こんな闇夜は何か胸騒ぎがするぜえ」

 

 静香が目を大きく開けて肩をすぼめる。


ふえのお嬢ちゃん安心しなっよ」

「魔物が出たら俺が退治してやるよ」

「がっははは。この伊勢の三郎がよぉ」

 

 ◇


 その時、静香のひざの上で目を閉じていた銀弧・翡翠ひすいの青毛の耳がピクリと動いた。

 夜空で鳥が羽ばたく音。何処からともなく聞いた事の無い鳥とも獣ともわからぬ不気味な鳴き声が聞えた。


「キョエー」「キョエー」


 店の外の様子が急に騒がしくなる。

 遠くで人々の悲鳴と警備兵の走る甲冑の音が聞こえ、何か命令する様に大きな声が響き渡った。


 三郎は立ち上がると、酒の入った徳利を片手で掴み大口を開けると酒を口に含む。

 壁に立てかけてあった、赤い柄の先に太刀を備えた長巻ながまきをガシリとつかむ。


「ぶうううっううー」

 と長巻の柄に酒を吹きかける。


「しゃあああ! 行くかっ!」


 一言発すると威勢よく宿屋を飛び出して行く。

 静香は呆気あっけに取られ言葉を失う。

 目を見開き三郎の出て行く姿を追った。


「…………」

「静香はここに居ろ」

「翡翠は静香を護れ」


 古那が言うと弁慶と共に先ほど店を飛び出して行った三郎を追う様に宿屋を出て行く。

 静香は心配そうに両手を合わせたが、銀弧の翡翠はフサフサの尻尾を数回振って二人を見送った。


 ◇◆◇◆ 鵺退治


 夕方まで賑わっていた町の通りの店は、戸口が固く閉ざされ、人一人いない。

 店の戸口には、魔除けの為か赤字で書かれた護符が何枚も貼られている。

 町の警備兵たちが数人、隊を組んで走っていく。

 時折、聞こえるけものの遠吠えが闇夜に響いた。


「たっ助けてくれっ!」


 通りの向こうから男の悲鳴が聞こえた。

 しかし、その一言を最後に辺りは、また静まり返った。

 弁慶たちは、悲鳴のした方へ急いで走る。


 通りの角を曲がった所で、弁慶の足が止まった。


「…………」


 目の前に恐ろしい光景が広がる。

 家の軒先の高さはあるだろうか、巨大で虎のつらをした獣が、力無くうな垂れた人を口にくわえている。獣の前には、数人の人が折り重なる様に地面に転がっていた。


 「巨大な虎? いやぬえか」


 太い四足に鋭い爪、体を覆う固いうろこ、だらりと地に垂れた長い尾、口からは鋭利な牙が伸びている。


 人の気配を感じたのか、巨大なぬえは、弁慶の姿を捉えた。

 赤く光る目が、弁慶をギロリとにらんだ。

 巨大な鵺の前に、飛び出して行った三郎が長巻ながまきを構え対峙している。


「うりゃあああ!!」

 長巻の刃がキラリと光り、三郎は力まかせに巨大な鵺に刃を振り下ろした。


「…………」 

 三郎は、きびすを返す。

 

 今しがた到着した弁慶の方を振り返ると一目散に走って逃げて来る。


「逃げろっ! ありゃダメだあああー」


 さけびながら弁慶の方に走って来る。


 巨大な鵺は、金切り声で甲高くえると牙をむいた。

 

 そして一歩、一歩、赤く光る目で威圧しながら、こちらに近づく。

 しかし、猫の様にスルリスルリと足音は聞こえない。

 弁慶は、三郎と入れ替わる様に迫り来る鵺の前に立ちふさがった。

 そして腰を落とすと鉄の六角丈を構えた。

 

 巨獣の動きが止まり一瞬、体が沈んだかと思うと遠間から跳躍した。

 巨獣は大口を開け、鋭い牙で襲い来る。

 とっさに横に避けた弁慶は、六角丈を構えたまま反撃の間合いを計る。

 横から壁の様な前足・鋭い爪が横一閃に走る。


「ガシンッ」


 六角丈で辛うじて防いだが、弁慶の体は数軒ほど吹き飛ばされる。

 土煙が上がる中、弁慶は立ち上がると大きく深呼吸をする。

 鉄で造られた丈夫な六角丈が、弧を描く様に曲がっている。

 曲がった六角丈を両手で持ち、巨獣の横に回ろうと小走りで移動する。

 巨獣も獲物を逃がささない。

 獲物を狩る様に素早く動く。

 巨獣と弁慶は、再び正面で対峙したまま動けなくなった。


 巨獣が前足の鋭い爪で地面を数回かきむしる。


 そして再び、雄叫びと共に弁慶に襲いかかる。

 巨獣が鋭い爪をもつ前足を振り上げ、弁慶を切り裂こうとした瞬間。

 巨獣の前足が何かに制止された様に動きが止まる。


「ギイギッ。ギギギィ」


 四つ足に支えられた巨獣の体がバランスを崩した。


「弁慶殿っ! 今だっ」


 どこからともなく古那のさけび声。

 巨獣の前足に細い銀糸が絡み付きキラリと反射した。


「うおおおりゃあああ」

 

 気合と共に弁慶は巨獣に突進する。

 両手で握った六角丈を大きく振りかぶり、前足めがけ横殴りに薙ぎ放った。


 力の限り六角丈を横に振り抜いた。

 巨獣は足をすくわれ、バランスを崩し、その巨体ごと地面に倒れた。

 ズドンと巨体が倒れた振動と勢いで土煙が舞い上がる。


「まだじゃあああ」


 弁慶は、折れ曲がった六角丈を投げ捨て巨獣の首元に跳躍する。

 腰の太刀を抜くと、太刀を逆手で持ち巨獣の首に突き立てた。


「―――硬いっ」


 突き立てたはずの太刀が固い鱗に邪魔され刺さらない。


「くそっ」

 数回、太刀を振り上げては突き刺した。


「うおおおおっ」

 弁慶は、仁王立ちになり太刀を真上にかかげた。


 その時、かかげた太刀に銀色の光る糸が巻き付き、そしてスルスルと手首と腕を包み込んだ。


「うおおおおっ」


 雄叫びと共に銀色に光る太刀を振り下ろし、巨獣の首に突き立てた。


 太刀は水面に吸い込まれる感触で巨獣の首に突き通った。


「グエエッー」「グエエッー」


 巨獣の短い悲鳴と共に巨体が激しく揺れる。

 そして、巨獣は力尽き地面に横たわった。


 弁慶は、力尽き地面に横たわった巨獣から飛び退き地面に着地する。

 目の前には、両手でいんを結んだ手が銀色に光り輝く姿の古那。

 

 弁慶は古那の前に歩いて行く。

 そして、目の前の古那に弁慶は片膝かたひざを折ってこうべれた。


 その時、ビユンと突風が吹き土煙が舞った。


「キョエー。キョエー」

 

 鳥とも獣とも分からない不気味な鳴き声と共に黒い影が頭上ずじょうを覆う。

 

 そして巨大な鳥獣が飛来したかと思うと、地面に横たわる巨獣を爪でつかみ、空高く飛び立った。

 は闇夜の空に消えていった。

 

 弁慶と古那、そして立ち尽くす三郎は、が消えていった闇夜の空を何も言わずに見上げた。


「あっ、あんたら一体ぃ何者じゃあ」 

 我に返った三郎が目を見開き、弁慶に向かって叫ぶ様に問いかけた。

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