第6話 再会

 雨が上がった梅雨つゆの晴れ間。

 見渡す先の大地には、たっぷりと水が張られた水田すいでんが広がっていた。

 野良着のすそを腰までまくり頭に手拭てぬぐいをかぶった人々が一列並ぶ。並んだ列には男も女も子供も年寄りも青々と育ったなえを小脇に抱え、遥か遠くに望む山々に届きそうな田植え唄に合わせ、調子良く苗を植えていく。

 今日は、村人総出で田植え作業の日である。

 数日後には、整然と並んだ緑苗の大地がユラユラと風になびく光景が目に浮かぶ。

 

 太陽が真上にさしかかった頃、寺のかねが広がる水田に鳴り響いた。

 水田に浸かっていた村人たちは、作業の手を止め曲がった腰を伸ばす。

 田んぼの端から立ち昇る炊事の煙。

 昼の炊き出しを担当していた村人から、昼食を知らせる大きな声がかかる。

 水田から上がって来た人々に握飯にぎりめしや香の物を手渡した。

 子供たちは握飯を頬張ほうばり、年寄りたちは、あぜ道に腰を下ろすと早速キセルをかす。

 ほそく吐いた煙が、風に乗って流れていった。


「一杯どうですか?」


 造り酒屋の清兵衛が、年寄りに声をかけながら湯飲みを手渡した。

 田植えの労をねぎらう為に清兵衛が、持参した酒を皆に振る舞う。

 年寄りは、湯飲みに並々注がれた酒にゆっくりと口を付けた。


「ほっほっほっ。今年の酒も美味いのう」


 と、深いしわが刻まれた目尻を下げながら、今しがた苗を植えた目の前の水田を見ては目を細めて言った。


 ◇◆◇◆ 再会


 村の人々が総出で田植えに汗を流していた頃、体格の良い旅の僧侶が一軒の屋敷の前に立っていた。

 髪は肩まで伸び、無精髭ぶしょうひげは髪の毛と繋がりくまを想像させる。手には鉄の六角丈ろっかくじょうを握り、薄汚れてほつれた法衣は長旅を思わせる。

 六角丈を握る大きな拳、法衣から伸びる露わな肢体は鍛えられ、無精髭の奥から覗く鋭い眼光は、ただの旅の僧侶でなく歴戦を経験した僧兵である。


御免ごめん!」


 体格に似あう豪奢ごうしゃな声である。


「…………」


御免ごめん!」


 暫く待ったが、屋敷からの返事が無い。

 僧兵の男は屋敷の裏手に回った。

 そして屋敷の中を探る様に中をのぞく。


「むんっ!」


 突然、何かが目の前を横切った。

 目を凝らすと今まで見た事の無い種のきつねが目の前に現れる。

 白銀の毛をした銀狐である。

 

 銀狐は、目の前の僧兵の男に対しておくせずにらみ牙をむく。


 僧侶はキッと銀狐をにらみ返す様に己の闘気を放つ。


「こんな人里まで魔物が出て来よったか」

 

 僧兵の男は、手に持つ六角丈を顔の前で構えた。


 銀の狐は逃げ去るどころか、肌に刺さるほどの殺気を放つ。

 その鋭い赤茶目の眼光に警戒し、僧侶はゆっくりと間合いを計る。


「…………」


 銀狐が重心を少し落としたかと思うと、睨む赤茶色の瞳が光った。

 矢のごとく動く。


「―――威嚇いかく?」


 顔の前を素早い動きで移動したかと思うと、クルリッと反転し爪を立て跳びかかる。


「シュン」

 辛うじて銀狐を避けた。素早く腰を低くし六角丈を構える。

 

 銀狐は、敵を探る様に左右にれる。


 すると、林の奥からもう一匹の銀狐がゆっくりと現れる。


 先の銀狐より体格が大きい。


 冷静に敵を見つめる黒く光る瞳が背筋をゾクリッとさせる。


 林から現れた銀狐が近づくと、今まで対峙していた赤茶目の銀狐が後ろにさがる。

 

 僧兵の男は、六角丈を握り直し、深く息をする。


「…………」

 

 ガサリッと山鳥やまどりが甲高く鳴き飛び立った―――。

 

 黒い瞳の銀狐が動く。

 喉元を狙う様に目の前の敵に飛び掛かる。

 

 狙いを定め六角丈を突き出す。

 銀狐は六角丈をひらりとかわす。


「くうっ!」

 

 銀狐と僧兵の男の体が交差した瞬間、僧兵の男の首から肩にかけ衝撃が走る。


「余裕をもって銀弧の攻撃をかわしたはずだが……何をした」


 着地した銀狐が反転し襲いかかる。


「うっ」


 すり抜けざま、今度は右の足に鋭い衝撃が走る。

 

 たまらず僧兵の男は、片膝を地面に落とした。

 

 着地した銀狐は、振り返り僧兵の男をにらむ。

 もう一匹の銀狐も並び立ちにらんだ。


「貴様らっ! 何者じゃ!」

 

 僧侶は思わずかみなりの様な叱咤しったの声で怒鳴る。


「…………」

「どうしたの?」

 

 先ほど二匹目の銀狐が現れた林の方向から、少女の声が聞こえた。

 林の奥から現れた少女は、太陽の光がまぶしそうに手の平で太陽をさえぎりながら、左腕には耳先が青毛の銀狐が抱えている。


「静香! 止まれっ!」

 

 何処からともなく少年の声がした。

 僧侶をにらみながら対峙していた、銀狐の首元からヒョッコリと少年が現れた。

 

 言葉を発した小さな少年の姿に一瞬言葉を失う。


「何っと、貴様も魔物かっ」


 そして僧侶は、林から現れ太陽の光をまぶしそうに手でさえぎる少女の姿に驚き、更に目を見開らいた。


「―――静香しずかか?」

 

 六角丈を握る腕がふるえ、ひざを折り地面にひざまずいた。


「しっ静香なのか?」


「その声は、弁慶様……ですか?」

 

「おおっ。おおおっ……」

 震える声が喉から漏れる。

 僧侶は、ひざまついたまま両手を伸ばした。


 ゆっくりと近づいて来る少女にれようと手を伸ばす。


 少女の黒いひとみが僧兵・弁慶の驚いた顔をしっかりとうつした。


「ああっ……お前……見えるのか?」

「儂が見えるのか……」

「見える様になったのか」 


 大きな手の平を合わせる。

 自分のひたいに合わせた手の平をおがむ様に当てた。


「あああっ……」 

 静香は足元にうずくまる弁慶にけ寄った。


「弁慶様……弁慶様……」

 

 ◇


 古那と静香、弁慶の三人は屋敷の一画にある古那の部屋に居た。

 夕日が西の山に沈もうとしていた。


 母親の千代がお茶を部屋に運んで来た。


「もうすぐ、夕飯よ」

「今日はもう遅いから、静香さんは泊まっていくといいわ」

「弁慶様も積もる話があるでしょうから、温泉にでも入って泊まってくださいな」

 

 千代がニッコリと微笑む。

 

 弁慶が申し訳なさそうに千代に頭を下げる。


 千代が部屋を出て行くと、弁慶が改めて古那に向き直り、深々と頭を下げた。


「今までの経緯いきさつはだいたいわかりました」


「古那殿」

「静香が大変世話になった」

「まさか……目まで治して下さるとは……」

 

 と深々と頭を下げる。

 静香も弁慶に合わせて深々と頭を下げた。


「儂は各地を旅してきたが、どの医者も静香の目は治せんと……」

 と大きな手で顔を覆い隠す。


「いやいや。弁慶殿、気にしないでください」

「俺も静香の不思議なまいのおかげで、少し力を取り戻す事ができた」

「それが無ければ、以前の俺のでは到底、静香の目の治療はできなかった」


「これも何かの縁というものでしょう」

 古那の落ちつた言い回しに思わず感心し、小さな体と対比する。

 

「しかし、弁慶殿は強いなあ……」

「銀狐たちの攻撃をかわしたうえ、俺の放った一撃を受けて倒れんとは」

「普通の人間であれば気を失うほどの攻撃だ」

「弱い魔物であれば消滅する一撃なのだが」


 古那は不思議そうに両腕を組み天井を見上げた。

「俺は、いつも裏山の熊を相手に研鑽けんさんしてるのだがなぁ」


「ふふっ。がっははっは」

わしは熊より丈夫かっ」

 

 古那がニヤリと笑う。


「いやいや。喰らった攻撃は真実にこたえた」

「まだ体が痛くて悲鳴をあげそうじゃ」

 

 二人は、目を合わせ何やらうれしそうにニヤニヤと笑った。


「屋敷の裏に傷や打ち身に良く効く温泉があるから浸かるといい」

「熊たちもよく浸かってるからなぁ……」


「ほうっ。それはありがたい」

 

 みょうに馴れ馴れしい二人の会話について行けない静香は口をとがらせほほふくらます。


「静香も一緒に温泉でも入るか?」

 

 古那が意地悪く静香に言う。


「えっ」

 

 古那の軽口に気付いた様に顔がほんのり赤くなった静香は、ずかしそうに両のほほを押さえた。


 

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